第13話 変身

 すごい。

 ジョゼの沐浴を手伝い始めて半刻、原石と言った自分の言葉は間違いではなかったとメイメイは確信していた。

 

 ジョゼの蜂蜜色の髪は細くて柔らかい。

 けれどそのせいで、傷つきやすくもある。

 丁寧に二度洗った後、火事の煙で縮れた部分や、もつれて絡まってしまった箇所を櫛で丁寧に削り取っていく。

 傷んだ毛先をほんの少し切り揃え、仕上げに香油をしっかりと塗布していくと、柔らかい絹糸のような艶のある髪になった。

 

 身体の方はさっぱりと洗ってから、さらに特別な布で擦る。

 背中などの手入れが行き届かない場所まですっかりつるつるになると、もともと白かった肌はさらに真珠のような輝きを放った。

 擦った部分が赤くなってしまわないよう、最後にとろりとした乳液をたっぷりと全身に染み込ませる。


 ちょっと迷ったものの、耳と尻尾も綺麗に毛づくろいしてあげた。

 洗髪のときや身体を擦った際には、ジョゼは緊張しきった面持ちでいた。  

 だが、耳と尻尾の手入れのときには心地良さが勝ったらしく、目を細めて尻尾をふるふると震わせていた。

 メイメイの視線に気がつき慌てて平静を装っていたが、恥ずかしかったようで顔は赤らんでいた。

 ジョゼのほうが年上なのはわかっているけど、なんだか可愛らしく思えてしまう。

 

 それにしても、とメイメイは自分の主人——アンリのことを思い浮かべた。

 メイメイのような使用人に対しても丁寧な態度を崩さない美貌の青年。

 麗しい外見に似合わずわりかし残念な性格なので、慌てふためいているのを見ることはよくあるが、先ほどのように怒りの感情を露わにするような場面は初めて見た。

 

「……さては、惚れましたネ?」

「え? 何か言った?」

「なんでもありまセン。さ、これでおしまいデス。長らくお疲れ様でシタ!」


 温かい湯からようやく上がったジョゼは、火照った身体に外気が触れるのを歓迎した。

 メイメイが身体を拭いてくれる。

 ジョゼは気になっていることを訊ねてみた。


「……メイメイはどこの国から来たの?」

「東方の小国イスファネアになりマス。ジョゼ様はバルディアですよネ?」

「ええ。イスファネアはバルディアとも交易があったはずよね。浮遊島にはいつからいるの?」

「今年十六なので、もう四、五年になりマスね」

「えっ、十六!?」


 ジョゼとひとつしか変わらない。

 東方の人間は若く見えると聞いたことがあるが、予想以上だ。


「先ほどアンリ様が言った通りの身の上で、村が妖魔に襲われて、両親が殺されて家が焼かれたんデス。村はほぼ全滅。幸運にもそのとき期天翔族が妖魔退治に訪れていて、危ういところを助けてもらいまシタ」


 なかなかにきつい過去だが、あっけらかんと話すメイメイにジョゼは面食らった。


「妖魔を恨んでないの?」 

「親はもともといなくテ。親戚の家にやっかいになってたんですケド、殴る蹴るの扱いを毎日受けてまシタから。死んでくれてようやく暴力から解放されたんですヨ。妖魔に感謝ってことはないですケド、恨みもないですネ~」

「え……」


 幼く見えるのにどこか大人びたメイメイの壮絶な過去。

 清々しいほどの割り切りっぷりだが、その目は笑っていないことに気がついた。

 そうか、だから自分にも普通に接してくれるのか、とジョゼはようやく合点がいく。


「国を離れることに未練はなかったの?」

「ぜーんぜん。私の村は穢人の村でシタから……って、ジョゼ様、穢人って聞いたことありマス?」


 ジョゼは首を振った。

 

「そのまんま、穢れた人間って意味デス。イスファネアでは穢人として生まれると人間扱いしてもらえないんですヨ。男は最も危険な仕事を割り当てられ、女は娼婦になっても一番安い値で売られマス。国に残っても人間らしくは生きられナイ」

「……そんな人たちがいるのね」


 ジョゼは心底驚いていた。

 これまで半妖の生まれだったことで多少なりとも苦労してきたと思っていたが、人間に生まれたからといって楽なわけでは決してないのだ。

 目から鱗が落ちる思いでジョゼはメイメイを見た。


 メイメイによると、別の集落で彼女を引き取ってくれそうな家族を探すという話も出たらしい。

 だがメイメイはそれを拒み、天翔族について行きたいと必死でせがんだそうだ。


「それはもう命がけでお願いしまシタ! 鳳凰帝陛下が哀れに思って情けをかけてくれなかっタラ、今頃どこぞに売られてボロ雑巾のようになっていたか、すでに死んでいたでしょうネ。ご子息だというご縁で、その後アンリ様にお仕えすることになりマシた」

「ご子息って……?」

「あれ、ご存知ないんデスか? アンリ様のことですヨ」

「……え?」 


 ジョゼは目をぱちくりさせた。

 聞き違いでなければ、今すごいことを言われた気がする。

 メイメイは「エー」と声を上げた。


「聞いてなかったんデスか? 鳳凰帝クローヴィス陛下はアンリ様の御父上ですヨ。アンリ様は第五皇子殿下ですカラ。上に皇子が四人、皇女が二人いらっしゃって、アンリ様は陛下の末のご子息ですネ」

「アンリが皇子……!?」 


 混乱する頭をはっきりさせようとジョゼが頭を振ると、雫が飛び散った。

 

「さっき、アンリが半分人間って言ってたわよね。そのせいで苦労してるって……?」

「兄皇子たちに意地悪されてるんですヨ。半分人間の半端者って」


 そうか。

 アンリもまたその身体に流れる異種族の血によって振り回される宿命を背負っているのだ。

 自分にこれほどまでに親身になってくれるのは、もしかしたらそのあたりの事情が関わっているのかもしれない。

 

 しかし皇子とは……。

 下町育ちの幼馴染の驚くべき素性。


 ジョゼは改めて広くて豪華な浴室をぐるりと見回した。

 こんなすごい屋敷に住んで、たくさんの人に囲まれているアンリが急に遠くの存在に思えてしまう。


 そんなジョゼをよそに、メイメイは着々とジョゼの着付けを済ませ、髪を乾かして結い上げていく。

 肌にはほんのりと白粉を乗せ、仕上げに紅をひいた。


「さぁ、完成ですヨ!」


 ジョゼは鏡の前に立った。

 え。……あれ、誰?

 あでやかな衣装に身を包んだ少女が、不思議そうな顔で鏡の中に立っている。


「メイメイ、わたしによく似た娘がそこにいるわ」

「正真正銘ジョゼ様ですヨ!」


 驚いて、もう一度鏡を覗き込む。


「え……メイメイ? ええ……メイメ……!? ……えええ!?」


 一度驚き、メイメイを見た。

 もう一度自分を見る。また驚く。

 以下、繰り返しの三度見までしてしまった。

 メイメイが満足気に笑う。


「うふふ……。ジョゼ様! お美しいですヨ!」


 身を洗い清め、天翔族の衣を身にまとったジョゼは、さながら清らかな花のようだった。


 バルディアでは見たことのない形のドレスはアンリやメイメイが着ているような東方風のゆったりとした形状だが、より女性らしく光沢のある青灰色の絹織物でできていて、胸の部分の薄紅色の帯が華やかで目を引く。

 大きな袖は一部が透けており、清廉さの中にほんのりとした艶めきを与える意匠になっている。


 足首を覆い隠す長さのスカート部分はふわりと広がるようになっていて、尻尾を出したままでもそれほどは目立たない。

 要所要所に施された花や蝶の刺繍は誰の目にも見事な出来栄えで、この衣が一流の職人の手によるものだということを示していた。


 温かい湯にゆっくり浸かったことで血行がよくなったのだろう。

 頬は上気し、肌色も一段明るくなったようだ。

 薄い紅をさしただけで別人のように麗しさが増していた。


 絹糸のような髪は、きれいに毛づくろいされた獣の耳をうまく避けて一部を結い上げて、帯と同じ薄紅色の組紐を巻きつけてある。

 残りの髪は後ろにさらりと流してあるだけだが、完璧に手入れされた蜂蜜色の髪は光をはらんで金色めいて、ただそこにあるだけで装飾品のようだった。


「いかがですカ? この出来栄えで、私がジョゼ様を無理やりお風呂に入れようとしたことを許してくださいマスか?」


 メイメイがおずおずと訊ねてくる。

 そんなのもうとっくに許しているのに。

 ジョゼはなんだか気恥ずかしくなって、裾を摘んでわざと顔をしかめた。

 

「この裾もう少し短くならない? この長さじゃあ逃げるのに邪魔だわ」

「え……!」


 青くなったメイメイに、ジョゼは舌を見せた。


「嘘よ。すごく素敵。ありがとう、メイメイ」

「もう、ジョゼ様ったラ!」


 二人の間に、初めて笑い声が弾けた。


 メイメイは知らなかったが、ジョゼがこんなふうに笑うのは非常に珍しくことだった。

 笑いが収まるのを待って、ジョゼが切り出す。


「ひとつお願いがあるんだけど」

「はい! どこを直しましょうカ?」

「そうじゃなくて……。わたしのこと様付けで呼ばないでほしいの。ただのジョゼでいい」


 メイメイは驚いた顔になった。


「え……。でも、ジョゼ様はアンリ様の……」


 ジョゼはメイメイの言葉を遮るように首を振った。


「わたしはただの幼馴染よ。客人ってわけじゃない。なんの因果か使い魔になっちゃったし……。ね、使い魔に様付けなんておかしいでしょ?」

「で、でもアンリ様から面倒を見てって頼まれてマスし……。私は穢人の村出身ですし」

  

 やはりそれか。

 ジョゼはこほんとひとつ咳払いした。


「そうね。迷いの森出身の半妖といい勝負になるわね」

「……………………」


 メイメイの目が見開かれる。

 ジョゼの言わんとすることを察したようだった。

 どっちみち蔑まれる対象同士なのだ。

 半妖のジョゼに気を遣わないでほしい。

 

「もう国を出たんでしょ? いいじゃない。穢人なんて、バルディアじゃ誰も知らないわ」

「ジョゼ様……」

「ただのジョゼよ」

「…………ジョゼ……」  


 ジョゼは頷いた。

 戸惑っていたような表情のメイメイも、やがて笑みを浮かべる。

 呼応するように大きく頷きを返した。

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