第11話 浮遊島
もう一度、ジョゼは目を開けた。
今度こそ現実だった。
沈み込むようなふかふかの寝台に身を横たえているのがわかる。
隠れ家で使っていた平たい石の寝台とは天地の差の寝心地だ。
身体に触れているのは、信じられないほど軽くて暖かい夜具。
寝台の四隅には装飾の施された柱がついており、美しい箱のようになっている。
四角い天蓋からさがる薄いカーテンの向こうには人の気配が感じられた。
再会してから間もないけれど、間違えようもない気だ。
「……アンリ?」
カーテンをそうっと開けたジョゼはぎょっとした。
床にアンリが土下座していたからだ。
「なっ、何してるのよあなた!?」
「申し訳ありませえぇぇぇぇん!!」
「…………」
前にもこんな光景を見た気がする、と思いながらジョゼはどきどきする胸を押さえた。
「やめてよね、心臓に悪いわ……。謝ってるのって、もしかしてこれのこと?」
ジョゼは自らの胸をはだけてみせる。
そこには夢で見たのと同じ、赤い鎖の文様が刻まれていた。
「…………はい」
眼鏡を抑えつつ顔を上げたアンリだったが、そこには苦渋の表情が浮かんでいる。
そんなことは意に介さず、ジョゼは問いかけた。
「あなたがやったの?」
「……はい」
「使い魔の証って本当?」
「はい……ってどうしてそれを!?」
「質問に答えて」
「う……はい、その通りです」
ジョゼは溜息を吐いた。
「一度使い魔契約を結んだら最後、術者の意思には逆らえなくなるって聞いたわ。あなた、わたしをどうするつもり?」
ジョゼの透き通るような水色の瞳に射抜かれ、アンリは慌てふためく。
「ななな何もしません! あなたの意思に反することは絶対にしないって約束します! なんなら血判でも押しますし、あなたの信頼を得られるのであればなんでも……!」
「そう。じゃあいいわよ」
懸命に誠実さを示そうとするアンリの言葉を遮って、ジョゼはあっさりと頷いた。
「本当に本当です……って、え!? いいん……ですか?」
「もう契約しちゃったんだったらしょうがないじゃないの。それとも簡単に解除できるわけ?」
アンリはがくりと頭を垂れた。
「解除のやり方は知らないんです……。それに使い魔契約っていうのは、術者の血と妖魔の血が混ざりあうので簡単に解除できないんです。けれど、鳳凰帝陛下であればおそらくは……」
「鳳凰帝って、天翔族で一番偉い人よね。そんな人に頼めるの?」
「頼むのは問題ありません。ですが、陛下は今外征中で浮遊島にいません。でも、天翔族の仲間や人間の魔術師にも訊いてみますし、解除方法がわかったらすぐにあなたを解放しますから!」
「人間の魔術師って言ったって……」
そういえば「不老の魔術師」はどうなったのだろう。
それにノクトゥルは?
てっきり自分はあの男に殺されてしまうのかと思ったのに、こうして生きている。
大体、ここは一体どこなんだろう?
やっとはっきりしてきたジョゼの頭に、たくさんの疑問が流れ込んでくる。
その様子がありありと顔に出ていたのか、アンリが立ち上がる。
「『不老の魔術師』とノクトゥルという妖魔は退けられましたよ。あなたの力でね」
「わたしの力って?」
「覚えてませんか? 驚くべきことに、『聖なる光』をあなたが発したんです。あの怪しげな陣はそれで消滅しました」
「ええ? そんなはずないわ!」
「見ていた俺だって信じられませんけど、事実です。ナディーヌおばさんのことと関係があるのかもしれません」
ジョゼの心臓がどきりと音を立てる。
(ノクトゥルの話は本当なのかしら。ママが聖女だったなんて……。だとしたら、わたしは何者なのかしら)
心配そうな表情のまま固まっているジョゼを、アンリがそっと覗き込む。
「これから俺の方でも調べてみますから、あなたは心配しないでくださいね。さ、行きましょうか。ご案内しますよ、俺たち天翔族の住処——浮遊島を」
その言葉に、そうか、ついに来てしまったんだとジョゼは理解した。
アンリによると、迷いの森で気を失ってからすでに二日も経過しているとのことだった。
その間に浮遊島に連れて来られていたのだ。
滑らかな所作で立ち上がったアンリの全身を見て、ジョゼはぎょっとした。
「その服……女物?」
アンリは見たことのない衣服を身に着けていた。
ゆったりとした身頃の暗朱色の上着の下には、互い違いに合わさるような不思議な形の襟が見えている。
袖口が太く、裾は膝まで達していた。
さらにその下には黒いロングスカートに似た服を着けている。
「ああ、これ? 東方の服装なんですけど、天翔族が好んで着てます。上着が別になってるんで羽根穴がきちんと隠せますしね」
「そ、そうなんだ……」
この部屋の装飾に目を走らせると、全体的に東方風というのだろうか、少し変わった造りをしている。
木造りの格子の窓や、天井からぶら下がった赤い紐のついた四角いランプが目を引いた。
「興味あります? あなたの分もすぐに用意しますよ」
そういう意味で訊いたんじゃないと言いかけたとき、部屋の扉が開かれて幼い少女が入ってきた。
切れ長の瞳に細い眉、艶のある黒髪は肩上で切りそろえられている。
歳の頃は十二、三というところ。
アンリと似たような衣装を身に着けているが、上着の裾はより短く活動的な印象だ。
背が低く、東方人らしい外見の少女である。
ジョゼとアンリに交互に視線を向けてから、腰に手を当てた。
「アンリ様! まだジョゼ様をこちらに寄越してくれないんデスか? さっきから手ぐすねひいて……じゃなくて、楽しみに待ってるノに!」
「すみません、メイメイ。今から向かうところでした」
「……どういうこと?」
「東方の言い回しで、こんなの聞いたことありませんか? 腹が減っては戦はできぬってね。森で立ち回りしましたし、お腹空いてるでしょう。まずは腹ごしらえといきましょう!」
「でも浮遊島を案内するって……」
「そんなのは後デス! さ、ジョゼ様、こちらへどうぞ。食事の前に沐浴できれいサッパリしましょうネ!」
え? え? と疑問符を顔いっぱいに貼り付けたジョゼを、メイメイと呼ばれた少女が有無を言わせず連行する。
先ほどまでは、絶体絶命の窮地をなんとか逃れたと思っていたのだが、一難去ってまた一難になりそうな予感がした。
「ちょっと、アンリ……!」
助けを求めて振り返るが、アンリは素知らぬ顔だ。
「すみません、ジョゼ。紹介が遅れましたね。彼女はメイメイ。この屋敷で侍女として働いてくれています。服飾や美容術にも精通してます」
「よろしくお願いしマス!」
少し変わった発音で大陸共通語を話す少女は、ぴょこんと背筋を伸ばして挨拶してくる。
事態が読めていないジョゼは「はあ」としか返せなかった。
「ここからはメイメイについていってください。悪いことは起こりませんから、心配しないでくださいね」
「そうそう、ここからは女性の領域ですカラ。アンリ様といえども殿方はご遠慮くださいネ!」
「えええ……?」
わけがわからないうちに、半ば強引に部屋を連れ出されてしまう。
部屋の外に出たジョゼの目に飛び込んできたのは、広々とした廊下である。
いくつも扉が並び、一体どれほど部屋があるのかも定かではない。
東方風の豪華な屋敷はどこまでも広く、果てしない財力を感じせた。
(な、何ここ……? 天翔族って皆こんなにすごい所に住んでるの……?)
連れて行かれたのは、風呂場と呼ぶには広すぎる、まるで神殿のような大浴場である。
巨大な池のような浴槽には乳白色の湯がなみなみと張られ、花の芳香が辺り一面に満ちていた。
「さぁさ、お背中流しましょうネ~」
「え……え!? い、いいわよ! ひゃ、やめ……!」
メイメイがジョゼの身につけているワンピースをはぎ取ろうとしたので、思わず飛び退る。
「ジョゼ様って森で暮らしてたんですよネ? お湯って浸かったことありマス?」
ない。
身を清めるのはもっぱら川の水だった。
都にいた頃だって、下町の家には風呂なんかない。
お湯に浸かるというのはジョゼにとって未知の体験なのである。
熱い水。
正直言って、怖い。
それに幼い子供とはいえ、初対面の少女の前で裸になるのにも猛烈な抵抗感を覚える。
「最初は熱いって感じるかもしれマセンが、慣れるとすごく気持ちいいですヨ」
「い、いい……。わたし、入らない」
「あラ! そういうわけにはいきませんヨ〜。ご自分の姿をご覧になってくだサイ、ジョゼ様。髪も身体も埃だらけじゃないですカ! このメイメイがしっかり清潔にして差し上げマス。それにその髪、その肌……。何も手入れしてなさそうな原石……磨けば磨くほど光りそうナ……」
メイメイの目つきが若干怪しい。
ジュルっと音が聞こえたのは気のせいか。
「これほどの素材を目の前に置かれたら、磨かずにはいられマセンっ! さぁさァ、腕によりをかけてツルピカにしてみせますからネっ!」
「なんでそんなにやる気なのよ!」
じりじりと距離を詰めてくるメイメイと、後ずさりするジョゼ。
両者の間に緊張感が満ち————。
ジョゼが勢いよくあさっての方向を指し示した。
「ああっ! あんなところに空飛ぶ天翔族!」
「えっ、ドコに?」
メイメイの注意が逸れた一瞬の隙を突いて、素早く大浴場を飛び出す。
広い廊下をめちゃくちゃに走る。
どこをどう走ったのかわからないが、廊下の窓がひとつ開け放されているのが目に入り、すかさず窓の棧に飛び乗る。
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