第8話 襲撃
アンリについていくと決めたものの、彼はジョゼを急かすようなことはしなかった。
「浮遊島に行くのは冬の間だけだからね! 春になったら『不老の魔術師』に関係なく絶対にここに帰ってくるから!」
「はいはい、わかりましたって……」
何度も何度も念を押すジョゼに、アンリは苦笑を浮かべつつもその度に返事をしてくれる。
もともと物の少ない棲家から持ち出すものはほとんどなかった。
少しばかりの荷物を用意し、愛用の短剣と弓も手入れを済ませておいた。
これから一時的とはいえ、家を長期間空けることになる。
簡単に片付けをしていると、洞窟内を見て回っていたアンリが何かを見つけた。
「ジョゼ、これは?」
指し示したのは幾重にも連なった鈴の塊だ。
洞窟の四隅の壁に貼り付けるように配置されていて、それぞれが紐で繋がっている。
「ああ、それはママが作ってくれた家を守るおまじない……。ママが亡くなっても効果は消えないって言われてたから、そのままにしてあったんだけど……」
ふーむと言いながら、アンリがそのひとつをひょいっと手に取る。
「効力は切れてますね」
「え……」
「これ、おまじないなんかじゃないですよ。俺には強力な守護結界に見えます」
「そうなの? ネズミよけのおまじないかと思ってたわ。ここって、意外にネズミとか害虫とか全然出ないの。それのおかげかと思ってたんだけど」
きょとんとするジョゼの獣の耳に、触れるか触れないかという近さまでアンリが手を伸ばす。
ジョゼは驚いてぱっと身を離した。
「何するのよ!」
「すみません、つい……もふもふが目の前にある誘惑が……」
「はあ?」
「いえ、何でもありません。それより、ネズミが出ないのはあなたが狼だからでしょう。猫のいる家にだってネズミは出ないんですよ」
「猫と一緒にしないでよ」
たちまちジョゼは不機嫌になる。
アンリは笑いを堪えつつも、この幼馴染の少女がよくこれまで無事で生き延びてこれたものだと感心していた。
この守護結界はどう見ても妖魔よけだ。
効力がなくなったのはおそらくここ最近のことなのだろう。
「不老の魔術師」がジョゼを見つけたのは、結界がなくなったからなのか……。
奇妙に符合する事柄に、アンリがさらに問いかけようとした時————周囲の雰囲気ががらりと変わった。
空気に突如として腐臭が満ちる。
紛れもなく、妖魔の気配だった。
それまでなごやかに話していたアンリの気配が一変し、眼鏡の奥の金の瞳に鋭い光が宿る。
「……どうやら囲まれてしまったようですね」
「…………!」
「ここはほかに出口は?」
密やかに問いかけられ、ジョゼも身振りだけで奥を指し示す。
本や食料のさらに奥には、洞窟がさらに先へと続いている。
細い道なので目立たないように木の板で塞いであるが、それをどかせば抜け道が出現するようになっていた。
まとめた荷物を引っ掴み、抜け道に出る。
アンリが木の板を戻し、見えないように再度塞いだ。
「この仕掛けはあなたが?」
「これもママよ……」
「ナディーヌおばさんは随分と用意周到だったみたいですね」
まるでこんな日が来るのを見越していたような————。
そんな思いがジョゼの脳裏をかすめた。
抜け道が続いていたのは、洞窟の裏側の離れた場所だった。
出口は木が覆いかぶさるようにしてわかりづらくなっている。そこから二人はそっと外に出た。
ジョゼは目がいい。
木陰に回り込んで隠れ家の周囲を伺うと、もともとの入り口の近くの木々の中に、黒い影のようなものが大量に舞っているのが見えた。
「……吸血蝙蝠!」
人間の子供ほどの大きさの蝙蝠が、ジョゼを探して飛び回っている。
あそこに先ほどまで自分たちがいたのだ。
もしも抜け道がなく、隠れ家の中で周りを囲まれていたらと思うとぞっとする。
「きっとノクトゥルだわ」
聞きなれない名に眉をひそめるアンリに、小声のまま説明する。
「この森に棲む蝙蝠の妖魔よ」
「あなたのお仲間というわけではないんですか?」
「もともとは友達だったわ。それなのにこの間から急に敵意を向けてくるようになったの。冬を越せずに野垂れ死ぬか、天翔族に討伐されるか、さもなきゃ自分が……その、わたしを殺すって言ってたわ」
本当は生き肝を喰わせろと言われたのだが、そこは意識的に省いた。
半妖の生き肝云々の眉唾話をアンリに話したくはなかった。
「それはまた不自然ですねぇ……」
アンリは腕組みをしながらそんなことを言う。
どういう意味かと訊ねたかったが、それより逃げるほうが先だった。
「とにかくこの場を離脱しましょう! 数が多すぎます」
アンリはジョゼの力を測りかねているのだろう。
変化の術ひとつまともにできないのだから、弱いと思われていても仕方がない。
実際のところ、ジョゼは弓の扱いだったら多少の自信があって、吸血蝙蝠のような低級の妖魔と戦うのはさほど怖くはなかった。
けれど、手持ちの矢より多い数を相手にするのは明らかに分が悪い。
それに、吸血蝙蝠の後ろにはその親玉——ノクトゥルがいるのだ。
本気を出して向かって来られたら、ジョゼなどひとたまりもないだろう。
だが、退却を選ぶことにした二人の前に、今度は十人ほどの男たちがぞろぞろと姿を現した。
あくどそうな顔つきにもかかわらず、なぜか全員、似合わない純白の鎧を身に着けている。
彼らはジョゼに視線を合わせるとにやりと笑い、いきなり剣を抜き放つ。
どう考えても友好的な雰囲気ではない。
男たちはまず、アンリに向かって声を張り上げた。
「待てい、そこの男! その娘をこちらに渡してもらおうか」
「……あなたたちは何者ですか?」
「我らは天翔族だ。その娘は半妖だろう。迷いの森に棲まう半妖の娘を討伐するというのが、鳳凰帝の命令だ。黙って引き渡せば、貴様も命だけは見逃してやろう」
ジョゼとアンリは思わず顔を見合わせた。
ならず者を数人雇って、天翔族のフリをさせるというのは、ただの仮定の話だったはずだ。
「えええ、嘘でしょ!? まさか本当に?」
「そのようですね……俺も、あんな適当に言ったことが現実に起こっちゃってびっくりしてます」
「おい、何をごちゃごちゃ言ってる!」
いきり立つ男を無視して二人はこそこそ耳打ちする。
「
「悪者なら問題ありません」
「聞いてるのか、貴様ら!」
耐えかねた男がジョゼの肩に手をかけようとするやいなや、いつの間にか抜刀していたアンリの右手が一閃した。
鮮血がほとばしり、男の耳朶が宙に飛ぶ。
静かな森の中に絶叫が響き渡った。
「こ、この野郎ぉっ! 殺してやる!」
数人の男がアンリに向かっていくが、銀髪をなびかせてその剣をひょいひょいと躱し、反対に斬りつけていく。
穏やかそうに見えるアンリの、意外なほどの技量。
無駄な動きが一切ない、舞踏のような足運びに感心してしまう。
ジョゼも一歩引いて、腰の短剣を抜き放った。
「女ぁ、こっちに来い! 俺たちがたっぷりとかわいがってやるからなぁ!」
アンリよりもジョゼのほうがくみしやすいと踏んだのだろう。
別の男が下卑た笑いを浮かべて近寄ってくる。
これではもう、天翔族などではなく山賊にしか見えない。
「あなたたち、本当に天翔族なら証拠を見せて」
「そんなものあるか! それより貴様こそ半妖なのだろう。あれの具合は人間の女と同じなのか? へへっ、どうなっているのか、裸にひん剥いて調べてやらなきゃなぁ!」
今しも少女に触れようとしていた男は、手を伸ばしたままの姿勢で叫び声を上げた。
ジョゼの短剣が閃き、男の指を斬り落としたからだ。
「汚い手で触らないで」
残忍で下劣な男たちに対する冷たい炎のような怒りが、ジョゼの水色の瞳に浮かんでいた。
アンリがすぐ横に並ぶ。
「さすがに気づかれましたね」
不快な鳴き声が響きわたり、蝙蝠たちが一斉にこちらへ向かってくるのが目の端に映る。
前には天翔族を騙る偽者たち、後ろからは蝙蝠——挟み撃ちの状態に、ジョゼの背筋に焦りが忍び寄った。
「……あっ!?」
突如として、アンリの腕に抱えられる。
「おいおい、何いちゃついてるんだよ? 色男の兄ちゃん」
男たちは薄ら笑いを浮かべながら、アンリを小馬鹿にするように剣を手に近寄ってくる。
「あなたたち、天翔族を騙るわりに何も知らないんですね。こんな場合には、俺たちはこうするんです!」
言うなり、アンリは外套を脱ぎ払った。
その背から純白の翼が出現する。
「何……!! 貴様はまさか……!?」
本物の天翔族を目の前にして呆気にとられる男たちを置き去りに、アンリはその腕にジョゼを抱えてあっという間に上昇する。
木々の枝の薄くなっている一点を突っ切るように、森の上空に飛び出た。
地上を離れたからといって、まだ危機は去ったわけではない。
二人が上空高く舞い上がったことに気づいた蝙蝠たちが、次々に向かってくる。
躯が大きいからなのか、はたまた妖魔だからなのか、空中での動きは思いのほか愚鈍だ。
「アンリ! あの木の上で降ろして!」
ひときわ背の高い巨木を指し、ジョゼは声を張り上げた。
アンリは目で頷くと一息にそこまで飛び、しっかりした枝の上にジョゼを降ろす。
足場を確保すると、ジョゼは素早く弓を構えた。
たちまち蝙蝠が飛来してくるが、少女の方が早い。
空気を震わせるような音とともにジョゼの矢が蝙蝠の翼を射抜くと、そのまま絶叫を撒き散らしながら木々の梢の中に落ちていく。
「いい腕ですねー。天翔族の弓兵に欲しいくらいです」
「冗談やめてよね」
アンリの褒め言葉を聞き流しながら、ジョゼは畳みかけるように蝙蝠たちを射落としていく。
その弓の技量に感嘆しつつ、怯んだような飛び方になった蝙蝠をアンリも着々と斬り払う。
しばらくすると、辺りは静かになった。
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