第7話 春まで、一緒に

「狙いがわたしって……どういうこと?」

「おそらく、あなたを八方塞がりの状況に追い込むことが目的なんです。『不老の魔術師』は策略家で知られています。村にいる魔術師が本当に奴だったとしたら、先回りして薬草を売れないようにし、天翔族が討伐に来ると吹聴して棲家を追うくらいのことはやってのけます」


 順序立てて並べると、ますます不安が腹の辺りに落ちてくる。


「それで、わたしをどうするっていうの?」

「例えばですよ。困り果てたあなたはどうするか。森を追われたら、どこかほかの場所に行かなければならない。そこで、何が問題になりますか?」


 ジョゼは口を抑えた。

 夢の中でベルメロに、自分は何と言った?


「わたしは変化の術が苦手で……」


 アンリは頷いた。

 抱きつかれたくらいで変化が解けてしまうのは既に知られている。


「村には長居できないし……。魔術師がいるなら、変化の術をかけてもらいたいって……」

「もしも、それこそが目的だったらどうでしょう。あなたから近づいて来るように仕向けて、懐柔して何かに利用しようと思っているのかもしれません」


 どきりとする。

 ベルメロが夢で言っていた、使い魔契約という言葉が頭をちらりとよぎる。

 もし術にかけられたら最後、術者の命令に逆らえなくなるという……。

 アンリの説明で物事が一気に鮮明になったようだった。

 だが、まだ疑問はある。


「でも、そんなに上手くいくかしら? 天翔族が実際に来ないのであればその時点で計画が頓挫しちゃうじゃない」

「ならず者を数人雇って討伐隊のフリをさせるとか、あなたに天翔族が来たと思わせるだけならなんとでもできますよ。そこで助けに入る演技をしたらもっといい」


 アンリの説明はいちいちもっともだった。


 そういえば、下町の仲間たちの中で一番頭が切れたのがアンリだったことを思い出す。

 いつもは気弱のくせに、ここぞというときにあっと驚くようなすごい知恵を発揮するのだ。 

 隣接する別の地区の子供たちとちょっとした抗争になったとき、アンリがあれよあれよという間に解決してしまったこともあった。

 

 人間からも妖魔からも隠れてひっそりと生きてきた自分が狙われる理由など、思い当たるものはたったひとつしかない。


 ——半妖の生き肝。

 ぞっと血の気が引くのが自分でもわかった。

 何者かが、ジョゼの身体を生きながら引裂こうとしている……?

 

 思い浮かんだ可能性をアンリに告げるべきかもしれないが、口に出したらそれが真になってしまいそうで嫌だった。

 自分の意思に反して震え出す手を必死にさする。


 アンリはそんなジョゼを気遣わしげに見つめていたが、しばらくすると意を決したように告げる。


「ジョゼ。俺と一緒に来ませんか?」


 ジョゼは驚いて顔を上げた。

 真剣なアンリの眼差しを正面から受け止める。


「どこに?」

「浮遊島」

「天翔族の本拠地じゃない! それこそわたしなんかが行ったら、生きて帰ってこれないわよ」

「そう思うのも無理ありませんが、逆です。あなたを危ない目に遭わせませんよ。——あなたを守りたいんです」  


 アンリの言葉に、硝子玉のようなジョゼの瞳が揺らめく。


「俺は天翔族だから信用できないかもしれませんけど……。でも、あなたに絶対に危害を加えないと約束します。ここにいては危険にさらされます」


 天翔族は妖魔を滅ぼす存在——。

 それは厳然たる事実だ。

 だが、ジョゼには、アンリが自分に害をなすものとはどうしても思えなかった。

 

 下町でともに遊んだ、ずっと会いたかった幼馴染。

 思い込みが激しく、おっちょこちょいで、けれど穏やかで優しく、お節介なひと。

 ——信じてみたい。

 アンリの金の瞳がジョゼを見つめている。

 優しく燦めく陽の光のような金色だ。


 けれど、やはり信じるのは怖かった。

 子供の頃の今は違う。  

 再会したばかりで、どこまで信頼していいのかわからない。  

 ほかに道がなさそうとはわかっていながらも、それとは裏腹に口が動く。


「わたしなんかに構ってるヒマないでしょ? 『不老の魔術師』を追わなくていいわけ?」

「奴は逃げ足が早いんです。俺がマイア村に向かえば、すぐに察知して逃げてしまう可能性が高い。さっき言ったように、俺がここに来たのはあくまでも調査です。奴を討伐するにはもっときちんとした作戦と人員がいります」

  

 打てば響くように明朗な答えが返ってくる。

 どうしていいかわからなくなって、気丈なはずのジョゼの声が小さく震えた。


「そんなこと言って、あなたの方がわたしを騙しているかもしれないじゃない……」

「あなたを騙して俺に何の得があるんです? もちろん無理強いなんかしません。今の時点では何も起きてないですし、ここにいたければそれでも構いませんよ」

「…………」

 

 アンリの言葉にジョゼはくるりと後ろを向いた。


(それはそうよね。この人にはわたしを守る義務も義理も何もない。ここで偶然再会しただけ。それにわたしは半妖だもの……)


 彼は当たり前のことを言っただけなのに、突き放されたようでショックを受けている自分がいる。

 その顔を見られたくなかった。

 

 そもそも幼馴染だからといってアンリが自分を助けてくれるんじゃないかと期待する方がおかしいのだ。

 自分は嫌われ者の半妖だ。

 天翔族に会って斬り殺されなかっただけ幸運だと思わなくてはいけない。

 

 ジョゼはぐっと歯を食いしばった。

 さあ、早く振り返らなければ。

 それじゃあ元気でと、何でもない顔をして、出口まで送っていけばいい。

 よし、と心を落ち着けて振り返ったのと、溜息混じりのアンリの声とが同時だった。


「ま、その場合は俺も残りますけどね」

「…………え?」


 ジョゼの水色の瞳が、瞬く。

 驚いて、次の言葉が出てこない。

 一緒にいて、くれる?


「何ですか、その顔……。当たり前じゃないですか。『不老の魔術師』があなたを狙っている可能性があるなら、このまま捨て置けません」

「でも、そんなの……わからないじゃない」

「だからこそ真偽がはっきりするまでは、俺がここであなたを守ります」

「そんなことあなたがする必要ないでしょ」

「けどこのまま帰れませんよ。……俺がそうしたいんです。だめですか?」


 甘く垂れた瞳が懇願するようにジョゼを見つめた。

 なんだか急に気恥ずかしくなり、急いで下を向く。


「わたし、妖魔よ?」

「はい、わかってます。都から黙っていなくなられて俺がどんなにショックだったか……」

「え?」


 びっくりして顔を上げると、アンリは前髪を掻き上げて困ったように微笑んでいた。


「いえ、いいんです。ジョゼが半妖だっていうのはわかってますよ。変化の術が苦手で生肉すら食べられない……えっと、犬……ですよね?」

「狼よっ! オ・オ・カ・ミっ! 次、犬って呼んだら噛みつくわよっ」


 和ませようとしてくれているのか、本気でからかわれているのか。

 大事な話の最中におどけてみせるアンリに、ジョゼはわざと牙を剝いて見せた。


「すみません、ふざけました。あなたは俺を初対面の迷子の人間だと思ってたでしょう。それなのに糧食を分けてあげようとする、お人好しな妖魔です」

「……それは、だって……困ってたなら仕方ないでしょ?」

「俺からしたらあなたのお人好しっぷりは度が過ぎるほどですよ。わざわざ日当たりのいい場所に行き倒れた人間たちの墓まで作ってあげているのには本当に驚きました。そんなあなたが悪い存在のわけありません」


 アンリは笑いを収めると真顔になった。

 洞窟の奥の本の山にちらりと視線を送る。


「ジョゼ、正直に言ってあなたをこんな所に埋もれさせておくのは惜しい」

「何よそれ。わたしに何かさせたいの?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ、あなたと話すのはとても楽しいんです。俺も妖魔に対してはある種の固定観念があったんだなとわかりました」

「固定観念ってどんな?」

「妖魔は生来残忍な性質を持っていて、血や酒を好み、享楽的かつ破壊的」


 指折り数えながら言うアンリに、ジョゼは肩を竦めた。

 

「それで合ってるわよ」

「でもあなたは違う」

「…………」

「あなたと話していると、もともと妖魔に対して持っていた偏見がどんどん崩れていくんです。あなたも、俺と話して天翔族が怖い奴ばかりじゃないと思ってもらえたら嬉しい」


 アンリの率直な言葉はジョゼの胸を打った。

 ジョゼだって、再会したアンリと話してみてどうだったかと訊かれたら悪くはなかったと答えるだろう。

 いや、悪くなかったどころではない。

 都を去ってから、人間とも妖魔とも必要以上の接触を避けて暮らしてきたジョゼにとって、アンリは舞い込んできた一筋の風だ。

 

「……ここにはママのお墓があるの」

「はい。危険が去ったらすぐに戻って来ましょう」


 アンリは静かに答えた。


「でもあなたが心配していたように、もうすぐ冬が来ます……どっちみち冬を越せなきゃナディーヌおばさんのお墓を守るどころじゃないですよね。だから、せめて春までは俺のところにいるというのはどうでしょう」

「春まで……」

「願わくば、それまでに『不老の魔術師』を倒したいです。そうしたらあなたはまた安全に暮らせます」


 つまり、アンリと一緒に行くのは一時的だということだ。

 身の安全が確保されて、春が訪れたらまたここに戻ってきて暮らせばいい。

 ジョゼは長く細い息を吐き出すと、金の瞳をまっすぐに見すえた。


「わかった。春まではあなたのところにお世話になる。でも、雪解け水で川が溢れる頃にはここに戻るわ。それでいい?」


 そう言うと、アンリはほっとしたように微笑んだ。


「よかったです。ここであなたに会えて」


 熱のこもったアンリの言葉に、なぜか心臓がとくんと脈打つ。

 自分だけの小さな世界に、うねりのような大きな変化が訪れているのをジョゼはひしひしと感じていた。

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