第6話 もしかして、狙われてる?

 竈の火が爆ぜる音が、洞窟の壁に反響する。


「……あ、おいしい」


 湯気の立つスープを恐る恐る口に運んだジョゼは目を丸くした。

 意外にもしっかりした味に仕上がっている。

 小刀を器用に使って野菜を切っていたアンリの姿は、確かに堂に入っていた。


「母は料理がからっきし駄目だったから。よく作らされてましたもん」

 

 頭の隅にアンリの母、ハスミンの姿がぼんやりと浮かび上がる。

 母と同じく女魔術師だった、小麦色の肌をした遊牧の民らしい外見の女性。

 豪快で気取らない性格のハスミンはジョゼの母ナディーヌと仲が良く、ほとんど家族同然だったことを懐かしく思い出す。

 

「そうだったわね……。ハスミンおばさんどうしてるの?」

「流行り病で亡くなりました。ジョゼとナディーヌおばさんが王都を出ていった後のことです」


 ジョゼは驚いてスプーンを置いた。

 

「そんな……」

「さっきナディーヌおばさんのことを聞いたとき、まさかと思いましたよ」


 仲の良かった女魔術師二人が、それぞれ子を残してあっさり流行り病で亡くなってしまったなんて。


「母が亡くなる直前に父だという人が現れたんです。その人が陛……じゃなくて……天翔族の偉い人で、俺を引き取ってくれて」

「そう……」


 逃げるように都を後にしてからも、アンリのことは忘れたことがなかった。

 どうしているか気になっていたけれど、まさかハスミンおばさんが亡くなっていたなんて。

 おまけに人間だと思っていたアンリは天翔族だったなんて。


「それで、あなたが天翔族っていうのはわかったけど……騎士か何かなの? それともただの使い走り? なんで迷いの森に来たの?」

「ええっと、俺は……武人のはしくれのようなものです」


 曖昧な表現に首を傾げると、アンリは慌てて手を振った。


「あっ、でも! ジョゼを捕まえにきたとか、討伐しにきたとかじゃないですからね! ホントにホントに違いますから!」

「そんなに気を遣ってくれなくっても平気よ」


 焦って手をバタバタと振るアンリに、慎重に告げる。


 妖魔は忌み嫌われる存在だ。

 人が妖魔に出会った時の反応は、たいてい二種類しかない。

 強い妖魔の場合は、恐怖を抱く。

 もし弱い妖魔であれば、汚らわしいと蔑むのである。

 

 変化の術の出来栄えから、ジョゼの力は大したことはないのは明白だ。

 けれどアンリは昔と変わらずに自分を扱ってくれている。

 本当は、そのことにジョゼは心底ホッとしていた。


「脱げば?」

「え?」

「その外套。動きにくくないの?」

「あー……。これはいいんです」


 料理をする際にも、こうして食事をするのにも、アンリは厚手の外套を脱ごうとしない。

 不思議に思い訊ねてみたのだが、寒がりというのは本当らしい。


「さて……俺が森に来た理由、ですよね」


 ひと心地つくと、ようやくアンリが話し始めた。


「俺がこの地を訪れたのはある男を追うため。『不老の魔術師』と呼ばれる、恐ろしい奴です。これまでに同胞が何人も殺されてしまいました」

「天翔族を殺すなんて……。そいつは妖魔なの?」

「ええ。天翔族は奴と何度も対峙していますが、その度に違う姿で現れる厄介な敵です。毎回完膚なきまでに倒して、死亡を確認しているのに、数十年後には違う姿でまた現れる。それをもう百年以上も続けているんです」

「それで『不老の魔術師』? 違う姿って、変化の得意な妖魔ってこと?」

「多分……としか言えないんですよね。妖魔の姿のときもあればまったくの人間の姿のときもあるらしいので、正確なところがわからないんです」


 なんだか謎ばかりだ。

 

「『不老の魔術師』はなぜ天翔族を狙うの?」

「わかりません。けれど、奴は天翔族を深く憎んでいる」


 天翔族がこの世界の正史を紡いでいるとするなら、世界各地の辺境に追いやられながらも人間への干渉を止めようとしない妖魔たちは、もうひとつの知られざる歴史の代弁者たちだ。

 妖魔が天翔族を憎むのはむしろ自然なことなのだろう。

 けれど、圧倒的強さを誇る天翔族を殺せるなんて、どれほど強力な妖魔なのだろうか。


「話はわかったわ。じゃあ、あなたはその魔術師の討伐のために森に来たってわけね」

「討伐というより、調査ですね。この森の近辺に奴に関係しそうな何かがあるという情報が入ったので」 

「随分曖昧な表現ね!?」

 

 なんだかはぐらかされているようだが、ジョゼはふと気になったことを訊いてみる。


「ねえ、ちょっと待って。毎回違う姿で現れるのに、どうやってそれが『不老の魔術師』だってわかるの?」

「奴の使う術が特殊なんです。天翔族を殺すほどの黒い邪気の使い手は奴しかいません。それに姿は違えども、必ず同じ身体的特徴があるんです」

「どんな?」

「奴には右眼がありません。それに左腕も」


 黒い邪気……。

 忍び寄るような寒気がジョゼの背中を撫でた。

 

 天翔族が妖魔に圧倒的な強さを誇るには理由がある。

 普通の人間が妖魔の持つ攻撃的な邪気に晒されたらそれだけで弱ってしまうのだが、強靭な天翔族には効かない。

 けれど、その天翔族すら斃してしまうという黒い邪気の使い手なんて、一体どんな存在なのだろう。


 それに、とジョゼは顎に手を当てた。

 隻眼に隻腕の魔術師というのは大きな特徴に思える。

 だいたい、流れの魔術師なんてそうそういるものではない。

 こんな田舎でそんな人物がいたら目立って仕方ないだろう。


「それでわざわざ調べに来たの……。じゃあ天翔族が迷いの森に討伐隊を派遣するというのはデマなの?」


 アンリは首を横に振った。


「俺の知る限り、そんな計画はありません」

「あなたの知らない計画があるかもしれないじゃない」

「ありませんよ」


 きっぱりと断言するアンリに、ジョゼが訝しげに問う。


「なんでそんなにはっきり言えるわけ?」

「この国——バルディアは天翔族の庇護下にありません。だからもしもこの国で通常の妖魔が出現しても、俺たちは来ません」


 天翔族は大陸の守護者——妖魔による被害が多発する地域に赴き、妖魔退治を行っている。

 バルディアは諸外国と同様、伝統的に妖魔退治を天翔族に頼ってきたが、先代の国王が代替わりしたのをきっかけに、その庇護から外れたという。

 

「なんでバルディアは天翔族に守ってもらわないの?」 

「先ほど、あなたが意味がわからないと言っていた本に出てきたやつですよ。『天翔族による浮遊島の出現は周辺諸国に諸手を挙げて迎えられたが、その後国家間の守護条約の締結にあたっては多くの時間を必要とする国も出てきた』というところ。あれは、自国内に天翔族の武人たちが完全武装で踏み入ることに異議を唱える王族や貴族がいるからなんです」


 なるほど、とジョゼは思った。

 天翔族が妖魔を倒してくれるのはいいけれど、自分の国を踏み荒らされたくないということなのだろう。  

 妖魔が出たらそうも言っていられないだろうに。


「まあでも、一番の理由は金銭的な問題でしょうね」

「え。天翔族ってお金とるの?」

「当たり前です。報酬もなしに他国の民のために命を賭ける者はいませんよ」


 えーっとジョゼは声を上げた。


「意外ですか?」

「だって、大陸の守護者だなんて言ってるのに……それじゃあ雇われの用心棒みたいじゃない」


 失礼な物言いかと思いきや、アンリはあっさりと肯定した。


「はい。天翔族の実態は金で動く用心棒集団なんですよ」

「怒らないの?」

「だってその通りですから。他国で妖魔を倒せば外貨を稼げる。外征期間中の武人たちの日当や糧食、負傷した兵士の治療費なんかも妖魔討伐を要請した国がもちます。強力な妖魔の場合には危険手当だってつきます。命をかけて妖魔と戦っているんですからね。大変だけど割はいいという仕事でなければ成り立ちません」

「そ、そうなんだ……」


 この世界を股にかけた用心棒稼業。

 意外すぎる天翔族の台所事情に、ジョゼの目は丸くなるばかりだ。

 

「……家畜が妖魔に襲われても、天翔族は退治しに来ないってわけ?」


 気になっていたことを口にすると、アンリは目を丸くする。


「…………襲ったんですか?」

「わたしはやってないわよ! マイア村でそう聞いただけ! ていうか、生肉苦手だし…………って、ちょっと、なんで笑うのよ!?」

「そうでした。ジョゼって小さい頃からお肉食べられませんでしたよね。妖魔なのに肉が苦手って……。もしや草食動物なんですか?」

「菜食主義と言ってちょうだい。でも……鳥くらいなら、多分食べられるわよ。焼いたら」


 弁明するが、どうも恥の上塗りになっているだけのような気がする。

 下を向いて肩を震わせているアンリを睨みつけるが、効果は期待できない。


 ジョゼは肉を食べたことがない。

 でも、よーく焼いたら少しは食べられる、はずだ。

 狼の妖魔なのに食わず嫌いの子供みたいなことを言うのも恥ずかしいので、悔しいが口をつぐんだ。

 アンリは目元を拭いつつ顔を上げる。


「くくく……はー、すみません。とにかく、バルディアとは守護条約がないんで普通は天翔族は来ません。俺がこの森に来たのは『不老の魔術師』の調査のためで、極めて例外です。だいたいこの国にも王立騎士がいるんですから。家畜が襲われたのを調べるくらいだったら彼らにもできるでしょう」


 アンリの主張は筋が通っていた。  

 それに、と続ける。


「季節的にももう討伐隊を派遣する時期は逸していますから」

「どういうこと?」

「妖魔討伐っていうのは、基本的に春から夏にかけてやるんですよ。今はもう収穫祭の直前で、軍を派遣するのではなくて、逆に帰還させる時期なんです。毎年、秋になって空が高くなると、外征に出ている騎士たちはそろそろ浮遊島に戻れるぞって期待し始めます」


 ベルメロが空を見ろと言っていたのは、このことだったのか。

 納得しつつも、ジョゼのように軍事の知識がない者に謎かけのような手がかりを残さないでくれと文句を言いたくなる。


 しかし、天翔族が迷いの森に来るというのがデマだとするのなら、新たな疑問が沸き起こってくる。

 アンリがジョゼの気持ちを代弁するかのように呟く。


「誰が、何のためにそんなデマを流したのか?」

「………………」


 沈黙が、洞窟を満たす。

 不安に駆られたらいけないと思いつつも、不吉なものが静かに近づいてくるような感覚に襲われて落ち着かなかった。

 何か気分転換になるものを提案した方がいい。


「薬膳茶でも入れるわ」


 薬草の大袋は壁に掛けてあった。

 乾燥させた大量の薬草や茶葉を取り出すと、アンリは不思議そうに覗き込む。


「すごく貴重な品ばかりですね。こんなにたくさんどうしたんです?」

「わたしが育ててるの。でもこないだは村に売りに行ったのに、無駄足になっちゃって……」


 言いかけて、あっと声が出そうになる。


「そういえば、村に魔術師が来ているって! あなたの探している人物かはわからないけど」


 どうして忘れていたのだろう。

 施療院の医者は、身体の不自由そうな魔術師から薬草を買ったと言っていた……!

 それはつまり、隻眼で隻腕だったから……?

 アンリの表情が引き締まる。


「詳しく聞かせてください」 


 ジョゼは数日前の出来事をかいつまんで話した。


「……つまり、要約すると、その魔術師が先に薬草を売ったためにあなたの薬草は売れずに、冬越しのための資金を手に入れられなくなった。さらには天翔族が半妖討伐に来ると言われたというわけですね」

「ええ。そうしたら本当に天翔族あなたが来るんだもの。これでお終いかと思ったわ」

「わざわざ半妖なんて言うところがもう怪しいじゃないですか。森に隠れ棲んでる妖魔が半妖かなんてわかるわけありません」


 ジョゼはうーんと唸った。

 落ち着いて考えると確かにそうだ。

 いろいろなことが一度に起きたので、自分で思うよりかなり焦ってしまって、明瞭に考えることができなくなっていたようだ。

 アンリの言うように、半妖はそれ自体が珍しい。

 人間でもなければ妖魔でもない、中途半端な存在。

 どちらにも属さず、どちらからも等しく嫌われている。

 だからこそ、ジョゼだってずっと隠れて暮らしてきたのだ。


「考えられることはひとつです」 


 アンリは、ジョゼを指差した。


「狙いは、あなた自身なんですよ、ジョゼ」


 どきりと胸が鳴る。

 ベルメロの言葉がふと頭をよぎった。


(……気をつけろよ。お前さん、もしかしたら企み事の渦中にいるのかもしれん……)

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