第4話 森に現れたのは…

 後ろから強く押されたジョゼは、正体不明の誰かとともに勢い込んで地べたに突っ伏してしまった。

 振り返ると、金色の瞳と目が合う。

 絹糸のような純白の髪が、さらりとジョゼの肩に触れた。

 まるで女性の髪のようなのに、自分をしっかりと押さえ付けるその腕は紛れもなく男のものだ。


「なっ、何!? 誰よっ、あなた!?」

「いけませんっ! こんな若い身空で自ら死を選ぶなんて!」

「自ら死……って、はあぁ!?」

 

 なんだか盛大な勘違いをされているようだが、確かにジョゼの手にはドゥラスの果物を剥こうとしていた刃物がある。

 見ようによっては、手首を掻き切ろうとしていたように見えなくもない、かもしれない。

 ……いや、やっぱりそんなことはない。


「ちょっ、違うってば! 離しなさいよ!」


 じたばたともがくが、少女を捕まえる力は思いのほか強く、その腕を一向に解くことができない。

 半妖のジョゼは普通の人間の女の子に比べたらかなり力があるほうなのだが、それでもびくともしなかった。


「いい加減離して! 自殺なんてしようとしてないってば! ママのお墓がめちゃくちゃになっちゃう!」


 必死の訴えにジョゼを押さえつけていた力が緩むのを感じて、その隙にすかさず拘束から抜け出した。

 母の墓の裏側に回り込むようにして対峙したのは、すらりと背の高い、秀麗な外見の若い男だった。


 目を引くのはきらめくような美しい純白の髪だ。

 腰ほどまである長さのそれを後ろで束ねて、そのまま肩に流している。

 甘く垂れた金色の瞳が、細縁の眼鏡の奥からジョゼを見つめていた。

 

 見たこともないほどきらびやかな男性を前に、毛を逆立てた猫の如く警戒心をあらわにしていたジョゼも思わず言葉を失ってしまう。 

 もしかしたら女の人なのかとついつい不躾に観察するが、身に着けているのは男物の旅装束だ。

 何を言うべきかわからず惚けていると、男の方から話しかけてきた。


「ご母堂の、お墓?」

「……そうよ! あなたが急に後ろから押すから、思いっきりお墓を踏んじゃったじゃないの!」


 男はジョゼの母の墓に視線をやると、何を思ったか、今度は口に手を当てて涙ぐむ。


「お母様の後を追おうとされて……?」


 ジョゼは狼狽した。

 ここまで思い込みの激しい人間に出会ったのは初めてのことである。


「ママが流行り病で亡くなったのは三年も前のことよ! というか、死ぬ気っていう前提やめて!」


 手に持っていた赤い実を男に掲げて見せながら、もう片方の手を大きく振って否定する。


「ドュラスの実を食べようとしていただけ! 死ぬ気なんてないから、これっぽっちも!」

「流行り病で……そうなんですか?」


 やっと誤解が解けそうな気配に、ジョゼはこくこくと急いで頷いた。

 男は、はて、というように首を傾げた。


「ということは、俺はただ後ろから婦女子に抱きついてしまったということですか?」

「ただ抱きついたというより、ほぼ後ろから押し倒したって感じだったわね。しかもママのお墓の上に」


 ジョゼの言葉に、男の顔がすっと青ざめる。


「すっ、すいませぇぇぇぇぇん!!」

「…………」


 外見だけで見れば文句なしの絶世の美男子だというのに、中身の方はかなり残念なようだ。

 平謝りする男にジョゼはうんざりしたように手を振る。


「わかればいいわよ。それじゃ、さっさといなくなってくれるかしら? ここはわたしの大事な場所なんだから」

「はい、そうしたいのは山々なのですが……」


 気まずそうにうつむく男に、嫌な予感が漂う。


「実は道に迷ってしまったみたいで」  

  

 やっぱり、とジョゼは自分の予想が当たったことを嘆いた。


 迷いの森では迷子どころか行き倒れすら珍しいものではない。

 目の前の男は旅装束ではあるものの、どちらかというと軽装だ。

 腰には一応剣を帯びているが、名のあるような剣ではなく、どこにでもあるような片手剣。

 外套を着けているから寒さくらいはしのげるだろうが……。

 

 行き倒れの死体も大抵の場合は荷物が少ないので、この男もここでジョゼに会えなかったら本当に哀れな末路を辿るところだったかもしれない。


「俺、ヘンリーっていいます。迷いの森ってどんなところか興味があって来てみたんですけど、同じような風景のところがずっと続いて、半日近くぐるぐると歩き回る羽目に……。もう疲れ果ててしまって、そのうちにだんだんと水も食料も乏しくなって……。いよいよだめかと思ったところで、自ら命を絶とうとしているあなたを見つけて、思わず止めに入ったんです」

「ああそう……って、完璧に話が繋がってないけど!?」


 こちらは聞く気がなかったのに、ぺらぺらと喋り出す男にジョゼはげんなりとなった。

 面倒なのでとにかく適当に流すことに決める。


「事情はわかったわ。じゃあ水と食料をあげるから、村に戻りなさいよ。まったく、森に慣れてないなら不用意に入って来ちゃだめでしょ」

「え!? 今のでわかったんですか?」

「自分で話しておいて驚かないでくれない? 歩けないほど疲れてるようならここで待ってて。今度迷子になったらああなっちゃうかもしれないし」


 母の墓から少し離れた場所に盛り上げられた土を指し示す。


「あれは何ですか?」

「そこにはにんげ……じゃなくて、人が埋まってるの。どういうわけだかこの辺りまで来ると方向感覚を失うみたいで、しょっちゅうその辺りで野垂れ死にしてるから、拾ってきて土をかけた……んだけど……」

 

 男ががあまりにも呆気に取られた顔をしたので、最後の方は思わず声が小さくなってしまった。

 

「あなたがお墓を作ってあげたってことですか?」

「まあ、そうだけど……。別に親切でしたわけじゃないわよ! 放置したままにしておくと、腐肉を狙って獣とか妖魔が集まっちゃうかもしれないから仕方なくよ」


 なんだか気まずくなり、さっさと歩き出そうとするジョゼに男が声をかける。


「どこに行くんですか?」

「うちだけど」

「えっ? 森の中に、ですか?」


 まずった。

 迷いの森に棲むなどと言えば、妖魔だと疑われるかもしれない。

 怪しいこと極まりないのを自覚しつつも、ジョゼはしれっとして言い放った。


「そうよ。あなた村の人じゃないでしょ。この辺りには妖魔はほとんど出ないのよ」


 嘘ではない。 

 妖魔とばったり遭遇するには、少なくとも森の奥深くまで行かなくてはならないのだから。

 男は「そうなんですかー」と安堵した様子だ。

 所在なさげにしている男に、ジョゼは仕方なく声をかける。


「……あなたも来る?」

「ええっ! 会ったばかりの男を家に入れていいんですか?」

「別に中に入ってどうぞ休んでくださいって言ってるわけじゃないわよ! 水と食料を取ってくるだけ! 変な気起こそうってのなら、ここに捨てていくけど?」

「まっ、まさか!」

「…………困ってるんでしょ?」


 呆れ返った様子のジョゼだが、それでも見捨てて行ってしまうような気配はない。


 一瞬、男は惚けたような表情を浮かべると、それから口の中で何事かを呟く。

 ————お人好し————。

 そう聞こえた気がした。

 ジョゼは耳がいい。

 腰に手を当てて振り返ってみせる。


「なんか言った?」

「いえ、なんでもありません。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」

「ジョゼよ」

「ジョゼは愛称ですか? 本当は何ていうんですか? ジョゼフィーヌ? ジョゼフィリア?」

「もう、うるさいわね! ただのジョゼよ」


 ぐいぐいと質問してくる男に若干押され気味なのを自覚するが、屈託のない笑顔を見せられてしまい、うっと詰まった。

 美男子の笑顔というのは破壊力がある。


「ジョゼの家に俺も行っていいんですか?」

「だからいいって言ってるじゃない。あっ、でもその前にママのお墓をきれいにしなさいよ!」


 その言葉を合図に男はわたわたとその場に跪いた。

 ひたすら平謝りしながら墓についた土をどける姿を見ていると、悪い人間ではなさそうだと思ってしまう。


 もちろん、まだ警戒を完全に解いたわけではないけれど。






 ジョゼの母の墓を掃除しながら、ヘンリーと名乗った男は離れた場所にいる彼女の様子をそっと伺った。

 亜麻色の髪が陽光を受けてほのかにきらめいているのがなんとも可憐なのだが、それよりもっと目を引くものがある。


 黄金色の獣の耳がぴょこんと二つ、ジョゼの頭の上に見えているのだ。

 さきほど後ろから抱きついたときにはずみで飛び出してきたのだが、本人はどうやら気がついていない。


「まさかと思いましたけど、やっぱりジョゼでしたか……。変化の術が下手くそなの、相変わらずなんですね……」


 ぼそりと口の中だけで呟くが、ジョゼは空を見ながら何か考えごとをしているらしく、こちらからは完全に注意が逸れている。


 男は墓に向き直った。


「ナディーヌおばさん、お久しぶりです」


 聞こえるか聞こえないかというか細い声で、ジョゼの母に祈りを捧げる。

 そして懐から何かを取り出した。


 それは、数日前に男の元へ届いた書簡だった。

 丸められた紙に止められた封蝋はすでに外されている。

 鮮やかな赤色の蝋には、左右対称に開かれた翼の紋章がくっきりと押されていた。

 上等の羊皮紙だというのに、そこに書かれているのはいくつかの短い単語のみ。


 ————「不老の魔術師 迷いの森 半妖 守れ」。


 乱れた筆跡からは相当急いで書いたのだとわかる。


「こんなの、指示って言えませんよ……。いつもながら陛下は無茶をおっしゃる」


 素早く書簡を懐に戻すと、男は頭を掻いた。

 それから何事もなかったように立ち上がると、ジョゼに墓掃除が終わったと声をかけにいった。

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