第2話 プロローグ:半妖のジョゼ(2)

 外に出るとまだ陽は高い位置にあった。

 涼しい秋の風がジョゼの頬を撫でる。


 陽光は暖かかったが、もう半月もすればぐっと気温が下がるだろう。

 フードから漏れ出ていた髪に気がつき、ジョゼはそれを無造作に中に押し込んだ。


 中央大陸には様々な外見の人々が暮らしている。

 着ているものも国によって異なるが、ここバルディアでは伝統的な西方の衣装が主流だ。

 

 ジョゼももう十七。  

 そろそろ色めいてきてもよい年頃だが、身なりにはまったく無頓着である。  

 腰まである蜂蜜色の髪は下に流れるままにしているだけで、なんの飾り気もない。

 これでも陽を浴びると金色めいて輝くのだが、いまは不格好なフードに隠れているし、身に着けているのもただの無地のワンピース。


 それでも彼女をよく見れば、長い睫毛に縁取られた水色の瞳と、雪のような白い肌が目を引く。

 顔かたちは申し分ない美少女といっていい。

 だが、どことなくかたい表情は、春の花というより冬の寒さをじっと耐える蕾を思わせた。


「はぁ……。帰るしかないわね」


 薬草が売れなかったので、これからの予定がなくなってしまったのだ。

 せっかく人里まで来たのだから、冬仕度を兼ねてあれこれと見繕おうと思っていたのに、財布が薄いのではそれもできない。

 気落ちしつつ、薬草が入ったままの大袋を背負い直す————と、急に背筋がぞくっと冷え込む感覚に襲われる。

 素早く辺りを見回すが、のどかな村風景が広がっているだけだ。

 

(この気配は……。もう、嫌になっちゃう!)


 ジョゼは憮然とした顔になり、無言でまっすぐ村外れに向かう。

 人気のない場所まで来ると、少女は奇妙な行動に出た。


 一本の大木のそばでおもむろにぴたりと歩みを止めると、誰もいない梢に向かって声を張り上げたのだ。


「いい加減にしてよね、ノクトゥル! そこにいるのはわかってるんだから!」


 太い枝の上で、空気がぐにゃりと歪む。

 その歪みがゆっくりと元通りになると、いつの間にか枝の上にひょろりとした男が腰掛けていた。


 顔がやけに青白く、眼の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。

 一見するとただの痩せぎすの優男だが、その身にまとう不吉な雰囲気と、顔に張り付いた薄笑いに妙に胸騒ぎを掻き立てられる。

 不機嫌そうなジョゼを見下ろし、男の橙色の瞳が弧を描いた。


「ばれてたかぁ」

「そのへらへらした顔、不愉快だからやめて。わかってたに決まってるでしょ? あんたの妖気がさっきからずっとついてくるんだもの」

「そんな言い方ないだろぉ。その様子だと、薬草が全然売れなかったって感じだよねぇ。落ち込んでいる君を慰めに出てきてやったのに」

「慰めてなんて頼んだ覚えないわよ。大体、落ち込んでないから! 落ち込んで薬草が売れるならいくらでも落ち込むけど、そうじゃないんだもの。落ち込んだところで落ち込み損じゃない」


 こりゃあ落ち込んでるなぁ、とノクトゥルは笑みを濃くする。

 「落ち込む」という言葉を五回も使っているのに気づいた様子もない。

 ノクトゥルは音もなく着地すると、踊るような足取りで近づいてきた。


「可哀想なジョゼ。僕みたいに妖魔らしく森の奥に引っ込んでいることもできないで、人里に降りてせっせと冬支度とはねぇ」

「……うるさいわよ」


 ノクトゥルは迷いの森に棲む妖魔だ。

 普段は森の深部にいるため顔を会わせることはめったにないのだが、なぜか今日はマイア村まで出てきたようだ。


 しなやかな肉体は、彼が望めば巨大な蝙蝠の姿に変わる。


 そして、ジョゼはというと……。


「また耳と尻尾が出てるよぉ」

「えっ、嘘」


 慌てて頭に手をやると、しっかり被っていたはずのフードが取れかけて、ふわふわした毛の感触が手に触れる。

 さらにスカートがぶんっと勢いよく跳ね上がり、ペチコートからふさふさの尻尾がはみ出しているのが見えてしまう。


「わぁっ! ダメっ、もー!」


 わたわたとフードとスカートを抑えるジョゼの横で、ノクトゥルが呆れたように肩を竦めた。


「もう時間切れなのぉ? 村にいたのはたったの半刻でしょ。なんでそんなに変化の術が下手なのさ。『半妖狼のジョゼ』」


 不本意な通り名に、ジョゼは奥歯をぎりぎりと噛み締めながらかろうじて唇を動かした。


「…………その名で呼ばないで」


 ジョゼの頭部には獣の耳、スカートの中には長い尻尾、口の中には犬歯というには大き過ぎる牙、ちょっとだけ鋭く見える爪。

 それ以外に変容した部分はなく、人間の姿のままだ。


 変化の術が大の苦手な、迷いの森に隠れ棲む半分人間、半分が狼の妖魔の半端者。

 それが「半妖狼」と揶揄されるジョゼだ。


 ノクトゥルは、心底どうでもよさそうにひとつ欠伸をすると歌うような口調で問いかけた。


「それでぇ? どっちにするか決めたのぉ? 冬を迎える前に天翔族に討伐されるか、逃げおおせたとしても冬を越せずに野垂れ死ぬか」


 いきなり核心を突く。

 今の自分の差し迫った未来をずばり指摘されて、改めて焦燥に駆られる。


「……あんたは天翔族が討伐に来るってこと知ってたの? 本当にわたしなんかを狙って彼らがわざわざ出張ってくるのかしら」

「さあねぇ。あいつらが半妖の生き肝に興味があるとは思えないけど、もしかしたら意外に隠れた需要があるのかなぁ?」

「その話、気分悪くなるからやめてくれる? 知ってるでしょ。半妖の生き肝に特別な力があるのなんて嘘だって」


 くだらない、とフードを被りなおそうとするジョゼの手首が、突如捕らえられる。

 声を発する間もなく、ジョゼの身体はノクトゥルの胸に引き寄せられていた。

 手首をぎりりと捻られ、思わず小さく悲鳴をあげる。


「何するのよ!」


 驚いた。

 これまでノクトゥルは自分をからかうことはあっても、こんなふうに強引に迫ってくるようなことは一切なかった。


 ノクトゥルの橙色の瞳が妖しく光り、こちらに近づいてくる。

 耳元に熱い息がかかり、ぞわっとした怖気に襲われた。

 

「やめて! どうしちゃったの? わたしたち、仲間……でしょ? 同じ妖魔同士じゃない」

「何言ってるのさぁ。半妖なんて妖魔のうちに入らない。仲間だなんて、思ったことないよ」


 耳元で囁かれた言葉は、ジョゼの身体を強張らせた。

 ノクトゥルは何かにつけジョゼにちょっかいを出してくることはあったが、その分半人前の自分の世話を焼いてくれることも多かったのだ。

 ほかに友人のいないジョゼにとって、迷いの森で唯一の話し相手でもあった。

 それなのに……。


「天翔族に殺されるくらいなら、僕が君を殺してあげるから、ね?」

「そんなことを優しく言われても嬉しくない!」

「半妖の生き肝、喰ってみたいんだよぉ」

「このぉ……変態妖魔!」


 悪寒に身を貫かれ、力を込めてノクトゥルの手を振りほどく。

 ジョゼの手には鋭い爪が光っていた。  

 そのままノクトゥルの顔を引き裂いてやろうと腕を振りあげる。

 だが、ノクトゥルの身体が突如消えてしまう。

 ジョゼの手は空中をむなしく泳いだだけだった。

 きょろきょろと見回すと、いつの間にかその姿は木の上にあった。


「今やり合う気はないよぉ。本気で戦ったら僕が勝つだろうけど、半人前の力も侮れないからねぇ。今日はただ宣言しに来ただけさ」

「……なんの宣言よ」


 邪悪な笑みがノクトゥルの顔いっぱいに広がる。


「君を手に入れるのは、他の誰でもない、この僕だよぉ。それだけ言いにきたんだ」

「……そんなの、まっぴらごめんだわ」

「ふふふ。じゃあねぇ」


 再び空間が歪む。

 元に戻った時には、ノクトゥルの姿はその場から消えていた。

 友好的な関係だと思っていたのは自分だけだったのか。


(半分妖魔で、半分人間の血を引くっていうんだから、気色悪いよなあ)

(半妖なんて妖魔のうちに入らない。仲間だなんて、思ったことないよ)


 医者と、ノクトゥルの声が頭の中でこだまする。


 ジョゼは下を向いて唇を噛んだ。

 泣きたい気持ちだが、そんな場合ではない。


 天翔族に討伐されるか、冬を越せずに野垂れ死にするか、はたまた友人と思っていたはずの妖魔に生きたまま喰われるか————。


 これから起こるであろう絶望的な未来を思うと、腹に冷たいものがじわりと広がっていった。

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