迷いの森の半妖少女、幼馴染の皇子に退治されると思いきや使い魔にされて可愛がられてます
ちぴーた
第1話 プロローグ:半妖のジョゼ(1)
中央大陸の空には、聖なる島が浮かんでいる。
天翔族と呼ばれる、いと高き存在が棲まうその島には、豊かな大地と清らかな水を湛える無数の泉があり、中心部には天翔族の王、鳳凰帝がおわす荘厳華麗な宮殿があるという。
輝くばかりの美しい羽根をその背中にもつ天翔族は、いつからこの地にいるのかは定かではないが、強大な力をもって人々を妖魔から守ってくれている、大陸の守護者だ。
この地にかつて跋扈していた妖魔たちは天翔族から逃れるように各地に散らばり、人間と関わらないようにしながらできるだけ息を潜め、ひっそりと生きている。
大陸の西の果ての森林地帯は、そんな隠れ妖魔たちが多く暮らす土地のひとつだ。
天翔族の浮遊島からはるか遠く離れた、迷いの森とも呼ばれる辺境の森。
————これは、その地に隠れ棲む一人の半妖の少女のお話————。
「ごめんなぁ、嬢ちゃん。今月の分はもう足りちまってるんだよ」
馴染みの施療院の医者の言葉に、ジョゼは耳を疑った。
頭の後ろで無造作に束ねただけの蜂蜜色の髪が大きく揺れる。
水色の瞳が大きく見開かれ、医者の襟元を掴みかからんばかりにして乗り出した。
「ちょっと、話が違うじゃない! 今年は春に赤ん坊がわんさか生まれたから、乳飲み子がよくかかる病気の薬草が秋にはたくさん必要になるって……!」
「それはそうなんだがなぁ」
医者は悪びれもせずに薄い頭をぼりぼりと掻いた。
「今ちょうどガロフの方から行商人が来てるんだ。そいつが安い薬草を大量に持っててな〜。女房のやつが買っちゃったんだわ、実は。今月分どころか一冬分……」
「一冬分ですって!?」
視線を左右に走らせると、薬倉庫の壁に罪人のように逆さ吊りになっている薬草の束が、普段より大分多いことに気づく。
この辺りでは手に入らない東方のものまで混じっているのを見て取り、思わず舌打ちが漏れそうになった。
(こんな辺鄙な村でまさか商敵がいるなんて……! 想定外だったわ……!)
がっくりとうなだれるジョゼの手から医者が苦しそうに襟を取り戻した。
一応は悪いと思ってくれてるのか、白髪交じりの眉が下を向いている。
「ほかから買っちまって悪いことしたけどな、あんたももっと頻繁に売りに来ないといけねえよ、嬢ちゃん。物の手に入りにくいこんな田舎の村じゃあ、あんたが来ない間に別の売り手が来たら素通りはしづらいぜ」
「……っ」
ジョゼは正論にぐっと言葉を詰まらせた。
ここはバルディア王国の西端に位置する、マイア村という小さな村だ。
たったの百人ばかりのこの村よりさらに北西には、迷いの森と呼ばれる広大な森林地帯が広がっている。
ジョゼがマイア村を訪れるのは、せいぜい一月に一度だ。
流通事情の悪い田舎の村では、貴重な薬草などは手に入りにくい。
安価に大量の薬草が買えるとなれば、医者としては仕入れをしないわけにはいかないだろう。
反論の言葉が見つからず、ジョゼの心に苛立ちだけが募る。
今はもう秋。
そろそろ冬ごもりのためのあれやこれやを準備したいと思っていたのに、その資金のあてがなくなってしまったのだ。
こちらとしては恨み言のひとつも言ってやらねば気が済まない。
「冬が越せなくって野垂れ死にしたら先生のせいだわ……。畑をひとつ潰して一生懸命薬草を育てたのに……」
「おいおい、随分大げさだなぁ。街まで出れば施療院はたくさんあるんだし、そう悲観することもないだろ? 行商人はこの村にしか寄っていないみたいだったし」
「なんだってここだけにわざわざ来るのよ! ……ちなみに、買値はいくらだったの?」
恨みがましい視線を送りつつも、しっかり商売根性を出すのは忘れない。
持っている薬草でここにない物があったらそれだけでも絶対に買ってもらおう、と心に誓う。
医者が口にした金額は驚くほど安価で、ジョゼは目を丸くしつつも首を傾げる。
「どうしたらそんな値で売れるのかしら? 品質が悪いんじゃない?」
「それはちゃんと確認した。大丈夫だったよ」
「それならどこからか盗んできたんだわ、きっと」
「まあ、最初は少し怪しいかと思ったんだがな。本業は魔術師らしい。なんでも、修行のために辺境をまわっているとか。話してみたらなかなかきちんとした感じだったし、何より身体が不自由そうだったから、つい買ってやりたくなっちまってなぁ」
「魔術師?」
「ああ。しばらくこの村に逗留してから、また出発するってさ」
魔術師という言葉にどこか引っかかるものを感じたものの、所詮商敵である。
「そうなんだ……。それより先生、シャクヤの根とナーリスの葉は見当たらないみたい。せ・め・て・それだけは買ってくれるでしょ!?」
ジョゼが凄みながら手で値段を示すと、医者は「あー、はいはい」と頷いて、懐からその金額を出す。
その内心、一目見ただけで足りない薬草の種類を正確に言い当てる少女に舌を巻いていた。
「そういえば、天翔族が迷いの森の討伐に乗り出すんだってよ」
聞き捨てならない情報に、思わず声が上ずった。
「先生、それ本当?」
「ああ。以前この辺りで家畜が頻繁に襲われてただろ? それで天翔族が討伐隊を編成してくれることになったらしい」
「家畜を襲ったのは妖魔の仕業ってわけ?」
「そうとしか考えられないだろ? 俺も呼ばれたが、ありゃあ普通の獣にやられたような傷じゃなかったぜ。相当の力で八つ裂きにされて、喰い荒らされたみたいな酷い状態だった」
「そう……」
ジョゼが村を訪れる理由のひとつに、人里での情報収集も含まれている。
この施療院では患者と井戸端会議ばかりしているので、噂話の宝庫なのだ。
おまけに、ここの医者はたいそうな話好きであった。
「あんなけったいな森が近くにあっても、この辺りには妖魔なんか出たことなかったってのによ。最近妖魔が力をつけてきたって噂は本当なのかもしれねえよな。あーあ、聖女様がまた現れてくれりゃあ万事解決なのになぁ」
「聖女なんてただの伝説でしょ?」
「いやいや、お前さんは若いから知らんだろうが、つい二〇年前にだって聖女様は現れたんだぞ。そのおかげで凶悪な妖魔を退治できたんだから」
「ふぅん、聖女サマねぇ……。今もいるの?」
「いや、当時の戦乱の最中に亡くなったらしい。そもそも迷いの森に妖魔が出没しだしたのもそれからだなぁ。昔はなんの変哲もない普通の森だったんだぜ」
バルディアには古来より聖女の伝説が息づいている。
国の窮地に現れては、聖なる力で邪を滅するという救国の乙女の伝説は、大人から子供に至るまで大人気だ。
「あとな、天翔族の目的は特別な妖魔だってよ」
「特別な妖魔……?」
「ああ、半妖とかいうやつらしい。半分妖魔で、半分人間の血を引くっていうんだから、気色悪いよなあ」
硝子玉のような水色の瞳がびくりと一瞬揺れたが、医者は気がつかない。
「それは、恐ろしいわね」
「半妖の生き肝はすごい薬になるらしいけどな。寿命が延びるとか、死んだ者が蘇るとか。ま、嘘か真かわからんがね。施療院を何十年と営んでいるが、半妖の生き肝なんて代物にお目にかかったことはないしなあ」
ジョゼは黙ってフードを深く被った。
「真面目な話だが、この冬はどうするんだ? ナディーヌさんが亡くなってからもう三年だろ。そろそろ村に越してきたらどうだ。宿屋の食堂で給仕として雇ってもらえるように口利きしてやることだってできるんだぜ?」
突然静かになった少女を案じるように、医者が躊躇いがちにそんなことを言い出した。
どうやら、ジョゼが冬越しの心配を本気でしているものと誤解しているようだった。
マイア村には一軒だけ宿屋があり、その食堂は村人たちの憩いの場にもなっている。
住み込みで働けば賄い飯も出るだろう。
じゃあお世話になります、と言いたくなる気持ちをぐっと飲み込む。
「ありがとう。でもわたし一人だしなんとかなるわよ。それに母の墓があるから……」
ジョゼの母のナディーヌは突然の流行り病で三年前にこの世を去った。
以前は二人でこの施療院に薬草を売りに来ていたけれど、今はジョゼ一人だ。
「だけど、この村よりもっと森の近くに住んでるんだろ? 天翔族が妖魔退治なんかおっ始めて、嬢ちゃんの家のほうまで妖魔が逃げてきたら危ないじゃないか」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」
「そうかい? でも、何かあったらいつでも相談してくれよな」
医者はまだ何か言いたげではあったが、これ以上詮索されても面倒だ。
「じゃあね、先生。また春に」
「もうこの冬は来ないつもりか?」
「そりゃそうでしょ。得体のしれない魔術師から買った一冬分の薬草がなくなる頃また来るわよ。それじゃ」
ついつい恨み節でそう言い放つと、気まずそうにする医者を後目にさっさと施療院を後にした。
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