研究者に憧れた僕はコミュニティに飛び込むことが苦手だ

@kuragenoongaeshi

第1話 教育プログラムを考えた

 ひょんなことから社会学を勉強することになった。

 一応理系の大学を出て、理系の仕事をしてきた自分には、かなり未知の世界だ。授業を受け始めても、まず講師の話が全然頭に入ってこない。今何について話しているのか、どこで話が変わったのかについていくのが精一杯だし、ディスカッションの課題が与えられても、どうもその理解や解釈がスタート地点からずれているらしい。「なぜ〇〇は発展したと思いますか」と聞かれて、一生懸命調べた歴史的な経緯を答えたところ、周りの学生は人々に受け入れられた理由をさまざまな角度から考えて分析しようと思っていたらしく、冷たい反応をされた。そうかと思って、「〇〇を解決するには何が必要ですか」と聞かれて、現状の問題とそれを解決しうるいろいろなアイデアを出そうとしたら、政策!予算!といった話になるのであった。どういうときに大枠の話をして、どういうときにアイデアを出せばいいのか、相変わらずさっぱりわからない。

 基礎知識が足りないと思って、Youtubeの講義動画なんかも見てみた。どうしてこの人たちはなんというか、自分に酔ったような話し方をするのだろう。ただ、見続けているとそれがクセになるような感覚もあるので、一定のファンというか信者というかがつくのはそういうことなのかな、と思った。



 苦戦は続いていたが気付けば前期も終わりに近づいている。基本的にはテストではなくプレゼンテーションやレポートが最終課題だ。今日もまた課題の解釈を間違えたままリアクションペーパーを出していたことにへこんでいた自分は、示された課題の日本語の理解できなさに頭を抱えた。


「『買い物』を社会学の視点から分析せよ。また、生産に関してはどうか。ポスト・フォーディズムという用語を用いて同様に述べよ。」


 これは、なんというかアバウトすぎないか。「社会学の視点から」というのはまだわかる。授業で習ったことをいかせという指示だと理解した。しかし、「分析せよ」というのは具体的に何をすればいいのか。そんなことは授業で習っていない。「どうか」というのもどうか。なぜ「買い物」に対して「生産」という表現なのだろうか。これは対比ではないのだろうか。何か考えるべき段階に違いがあるのだろうか。そう思ったら、「同様に」と書いてある。「分析せよ」と「述べよ」は同じことを要求していると理解していいのだろうか。

 適当に単語を入力して検索を試みるも、「社会学ではあなたの視点で分析することが求められます」みたいな記事ばかりでこちらが求めている答えは見つからない。まあ、こうして検索して答えが見つかってしまったらレポート課題にならないからな。とはいえルールがわからない中で得点をあげるスポーツなんてこの世にあるだろうか。何かしら演技をして、採点者のツボをついていたら高評価なんて、そんな勝負はやってられない。

 さらに調べていたら、もうひとつ衝撃的なことに行き当たった。「フォーディズム」と「ポスト・フォーディズム」が別物だなんて話は納得いかない。授業では確か、ポスト・フォーディズムのことを「フォーディズム以降の生産体制」と言っていたと思うのだが、これは、「フォーディズムが発明されたそのときからの生産体制」ではなく、「フォーディズムから生産体制」だというのだ。そう言われてみれば、なんとなく授業で違和感があったところがすっきりする。すっきりするのだが、それでは「平成以降の文化」といったときには平成を含まないのか、ということだ。以上も以下もその数を含むというのは全世界に通じる常識だと思っていた。これは0を自然数に入れる入れないという論争よりも問題である。


 一気にやる気を失ったが、切り替えて別の課題に手をつける。こちらはもう少し手の出しようがある。


「現代社会の課題を解決する教育プログラムを考え、ポンチ絵にまとめよ。」


 教育プログラムというのがこれもやや幅広いが、それに関しては、誰を対象としても、どの範囲を対象としてもいいそうだ。小学生向けの塾を考えてもいいし、大人が学ぶ大学院の制度を考えてもいい。ある程度対象を具体的にしぼるところで個人の視点の独自性が出せるということだろう。一応、日本に限定をするという補足はあった。この状態で他の国の課題を考える人がいたら、それはちょっと変わり者だ。



 数日後、出張で地方のある駅を訪れた。県庁所在地の駅ではあるが、ターミナル駅ではない。駅前は驚くほど閑散としていた。すぐ近くのホテルにチェックインすると、提携している飲食店の割引チケットをもらったのだが、「閉店」や「臨時休業」の文字が気になる。

 少し調べてみたところ、どうやら町の中心地は駅から少し離れたところにあるらしい。古くからある町にはありがちだ。そういえば観光案内所の前にあった地図もそんな感じだったと思い出しながら、夕食を買いに駅に戻ることにした。普段なら地元感のある惣菜をスーパーや駅ビルの店で手に入れるのだが、そういったところもない。コンビニかファーストフードかで迷って、結局ハンバーガーを買う。

 この駅にも駅ビルはある。ちょっとした展覧会をやっているらしいが、入場料を払って見に行く人がどれくらいいるのだろうか。テナントの空きが目立ち、なんと一番上のフロアーには高校生用の無料自習室が入っている。


 ホテルに戻ってハンバーガーを食べながら、この町に住む子どもたちの生活を考えた。いったいどれくらいの高校生が自習室を利用するのだろう。自分の住んでいる町では、近くの高校の定期試験が近くなると、あちこちのカフェに夜遅くまで勉強する高校生の姿がある。何百円もする飲み物によく小遣いがなくならないものだと見ていたが、家で勉強できない気持ちは自分としてもよく理解できる。

 これだ、と思った。「勉強をするつもりはあるが勉強できない高校生」をペルソナとして考えよう。「現代社会の課題」はもうちょっと幅広く捉えて、勉強環境の格差とすればいけるだろうか。「解決する教育プログラム」はどこまで具体的にすればいいのか迷うが、企業のCSR活動あたりと絡めて企画を作ると考えれば、仕事の資料作成と同じように取り組めそうだ。

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