10. 誘惑

 山の樹々が紅く色づいた頃、二人はまた会うことが出来た。湯小屋の外で自転車の止まる音がすると、少し経って少しだけ開けた戸から秋子が顔を覗かせた。十月に入った山里は肌寒く、彼女は膝下まで覆う紺色の学生コートを着ていた。

 俊彦の他に人がいない事を確認して秋子は戸を閉めた。いつものように手早く制服を脱ぎ捨てるものだと思っていたら、彼女はコートの襟を両手でつかんでそっと前を開けて見せた。


 中は長袖の制服だった、だがスカートが見当たらない、代りに穿いている小さな夏の体操着の黒い色が、裾から伸びた彼女の脚を今までのどの時よりも際立って白く見せていた。


「どうです、グッときますか?」


 秋子はそう言いながら、アフロディテのように脚を縊れさせた。わざわざそんなポーズをしなくても、俊彦の胸は高鳴りっぱなしだというのに。


「中学のお掃除の時間が本当にこの格好だったんですよ、雪国だから真冬だけはジャージ穿いてましたけどね」

「真冬だけ?」


 それほど脂肪が厚いとは思えない秋子の脚を見ると、雪国育ちの娘の耐寒力に驚嘆する。高校生の頃までは女子のこんな姿を偶然目にしても少し胸がざわつく程度だった。それが特別なものだったと気づいたのは、高校を卒業して彼女たちの姿が日常の一部では無くなってからだ。


「ねえそれ、今でも?」


 訊かずにいられなかった、この姿を見て同級生の少年たちはどう思うだろう、皆が皆、あの頃の自分のように鈍いとは限らない。


「気になりますぅ?」

「……うん」

「んふ。高校は上下ジャージですよーだ!」


 秋子はおどけながら答えた。ほっとした俊彦の顔を見て、秋子は満足そうに笑ってみせると、服を脱ぎながらしみじみとした口調で言った。


「やっぱり、そうなんですねぇ」

「何が?」

「大人の男の人ってこういうの好きなんだなぁって」

「そんなの何で知ってるの?」

「雑誌で見ました」

「どんな?」

「どんなって、本屋さんにいっぱい並んでるじゃないですか」


 このところ書店やコンビニの本棚に制服を着た女の子を表紙にした雑誌が多くなった。社会現象と言われるほど人気があった女子高校生アイドルグループがこの春に解散してから、急に増えた気がする。

 彼女たちが解散してから、それまで大学生のヌードを売りにしていた雑誌がモデルに制服や体操着を着せるようになった。

 見た目が若いモデルに消えたアイドルたちと同じ年頃の服を着せれば、アイドルを失ったファンたちが飛びつくはずだと考えたのかもしれない。雑誌としては衣装を着せかえるだけで毎号新しい即席アイドルを作れるし、本物のアイドルにはけしてさせられない事だってさせる事ができる。


 ブラを外したところで秋子が振り向いた、目尻が下がっているから、たぶんまだ何か企んでいる。


「これはどうですか?」


 そう言いながら秋子は向き直った、穿いていた体操着だけを残して上は何も着ていない、これも最近グラビアでよく見かける格好だ。

 下だけとはいえ一応服を着ているのに秋子は恥ずかしそうに身をよじった、秋子の肌を見慣れているはずの俊彦が目を逸らす、その様子を見て秋子が吹き出すように笑う。


「アハハハ、おっかしぃ。これってそんなに恥ずかしいんですかぁ?」


 秋子はすのこをバキバキ言わせながら、激しく足踏みをしている。


 君だって恥ずかしがってたじゃないか――。

 そう思うのだが桜の花を貼り付かせた二つのソフトボールが小刻みに弾むのを見ていると、口を開けたらそこから心臓が飛び出そうで言えなかった。


 いっそ真っ裸のほうがマシだよ――。俊彦はまるではにかむ少女のように目を伏せた。クックックとかみ殺すような笑い声と、かけ湯をする音が聴こえて、秋子がいつも通り俊彦の向かいに体を浸けた。目元はまだ笑っている。


「どうやって見たんだよ、そんな雑誌」


 俊彦がぶっきらぼうに訊いた、目の前に裸の秋子がいると言うのに、心臓はさっきよりも落ち着いている。服を着ているより裸のほうが落ち着くなんてなんか変だ、これも慣れなのだろうか? もしそうだとしたら、ここに住んで秋子と風呂に入り続ければ、自分もいつかは里の男たちと同じ”動じない男”になれるのだろうか――。


 秋子がまだ笑みの消えない顔で答えた。


「立ち読みしてる人の後ろから棚越しに覗くんですよ。私、目がいいんです」


 視力とかの問題じゃ無い――。


「それさ、店員にはバレてるんじゃない?」


 書店の最大の敵は万引きだと聞いたことがある、いくら田舎でも店員は客に目を光らせているはずだ。 


「そんな事ないですよ、たぶん」秋子が言った。

「そんな事あるよ、たぶん」


 俊彦がそう言っても秋子は本気にしていないようだった、だがこんな美しい娘が店に入ってきたら本屋の店員でなくても男は目が離せない、秋子はまだ自分の魅力を理解していない。


「本物の女子高校生がいやらしい雑誌を盗み見かあ、それはそれでなんだか興奮するよなあ……」


 わざと思わせぶりに言った、恥ずかしがって顔を伏せると思っていたら、秋子は悪戯っぽい笑みを浮かべてこう答えた。


「大人の男の人がじっと見てるページってだいたい同じなんで、真似してみました。トシさんにも効くのかなって」


 確かにかなり……効いたけど――。


「考えてみたらいま私、本物の女子高生ですからね。じゃあ使わない手はないかなぁって。そしたら案の定なんだもん、おっかしくて。男の人ってみんなああいうのが好きなんですか?」


 秋子は一気にしゃべって、何かを思い出したようにくすくすと笑う。俊彦は自分を守るために世界中の男たちを躊躇無く巻き添えにした。


「そりゃまあ、世の中にはいろんな趣味の男がいて、熟女とかが好きな人もいるらしいけど、大抵は……」

「トシさんも?」

「嫌いでは……ないかな」

「熟女が?」

「違う」

「じゃあ誰? 誰?」


 もしこれにああ答えなかったら、僕はどうなるんだろうか?――


 秋子が湯の下でまた脚をくねらせた、この上まだ挑発する気なのか? その余裕が癪に障る。俊彦は言った。


「うん。あっちゃんの……あっちゃんのそういうのが好きです。次はぜひもっと凄いのをお願いします。本当にすっごいのがいい! 特別すっごいの!」

「それは……調子に乗りすぎです!」


 どうだ、ザマーミロ――。


 次に小屋を訪れた時、秋子はコートの下に何の変哲も無いテニスウェアを仕込んできた。なんだよ、普通だなと思っていたら、彼女はすぐに後ろを向いて、なぜかスコートを先に降ろした。

 短いスカート越しに少しだけ見えるお尻がこんなに嫌らしいとは知らなかった。そのままの格好で顔だけ振り向いた秋子は、俊彦のその場所を見て、右手で小さくガッツポーズをして見せた。実験動物にされた気分だった。


「何て雑誌で見たの? その格好」俊彦が訊くと、秋子は「他のの裸は見ちゃダメです!」と口を尖らせて教えてくれなかった。いつの間にか習性まで把握されている。


 それにしても秋子は一日何時間本屋に入り浸っているんだろう、勉強は得意らしいが、こういうのも“勉強家”と言って良いのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る