ルポ『戦争は女の顔をしていない』

 ウクライナ出身で、執筆当時ベラルーシ在住の著者が、ソビエト軍に従軍した女性たちの証言をまとめたルポルタージュ。

 著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはノーベル文学賞を受賞しています。


 まったく知らなかったんですが、第二次世界大戦時(ロシアでは「大祖国戦争」と呼ぶようです)、ソビエト軍には女性もたくさん従軍していたらしいんです。

 男女問わず国のためにできることをすべし、と育てられた愛国教育の賜物。

 『モスクワは涙を信じない』でもそうでしたが、男女平等という点では旧共産圏はかなり進んでいたようです。


 とは言え男女比は決して半々ではなく、初めて上官の元へ行った時には兵卒になると信じてもらえなかった、という証言が多数出てきます。

 敵軍のドイツ兵が驚くのは納得としても、ソビエト軍でもそれなりに珍しかったのは事実の模様。


 アレクシエーヴィチがインタビューした人数は数百名にのぼり、500ページ近くの分厚い本に、その人たちの証言が延々と載っています。

 彼女たちの出身地はウクライナだったりベラルーシだったりロシアだったり、戦時中にいた場所も様々。

 パン焼きや洗濯、医師、従軍看護師をしていた人もいますが、狙撃兵や飛行士など前線の任務にも多くの女性が従事していました。

 そうした多岐にわたる背景を持つ彼女たちですが、誇らしげに戦争のことを語る人はほぼいない。

 多くは戦争が終わったあとも心身症に悩んだり、戦場の記憶を忘れたいけれど忘れられない葛藤を抱えたりしていました。


 人の死を多数目撃したり、自分も死の恐怖を味わったことで、日常生活に戻っても漠然とした空虚さに苛まれる、というのは、第一次世界大戦で従軍した男性を描いたドイツの『西部戦線異状なし』に通じるものがありました。

 恐ろしい夢を見ては夜中に飛び起きる、自律神経がぼろぼろになる、など痛々しい証言を聞くと、戦争が終わっても、戦場を見た人の中では戦闘がまだ続いているかのような気になります。


 負傷兵のちぎれかけた手を、ナイフも鋏もないため歯で切り離したとか、包囲された町で共食いの噂を聞いたとか、彼女たちの経験はとにかく凄絶です。


 極限状況を経験してしまうと、それを知る前の自分に戻ることは非常に難しい。

 新しく穏やかな日常生活の基礎を作り、その中で心を癒していくしかないのでしょう。

 家庭を持ち、子供をもうけるよう医師に助言された人の証言があるのも、意図としてはそういうことなのではないかと思います。


 上記は男性であれ女性であれ経験するトラウマかもしれませんが、女性たちにはさらに厳しい負担が待ち構えていました。


 男性としての素晴らしさと、戦争で戦う兵士の像は、あまり齟齬がありません。とくに当時はそうです。

 塹壕の中で厳しい環境に耐えながら、一人でも多くの敵兵を倒し、祖国を守る。

 極限状況の中で、従軍看護師や、戦地の女性とのロマンスもあったかもしれない。


 一方、女性としての理想像と、愛国の戦士の像は、さすがのソビエトといえども重なりませんでした。

 戦争が終わって故郷に帰ったら、「あんたが家にいたら姉妹がお嫁に行けなくなる」と言われて家を出た人の証言が出てきます。

 もちろん本人も、お嫁さん候補としては多分にハンデを負いました。

 戦後に結婚した人も多数出てきますが、「戦争で男と同じような戦った女性なんて、とても妻として見られない」と思われてしまうらしいのです。

 戦時中に会って戦士同士で結婚した人たちは、「命の掛かった状況で信頼し合えた人と結婚できるなんて、これほど頼もしいことはない」と言っている一方で、です。


 女性用の下着も制服もない中、男性と同じ重さの銃器を操って戦った結果はそれではあんまりです。

 男性からの目線がそうだった上に、「男だらけの環境でふしだらに過ごしていたんでしょ」という女性からの偏見も辛かったとのことで、世知辛すぎる……

 結婚できないことに絶望し、従軍を証明する書類を破いてしまったけど、今でも独身だから恩給を受けるために取っておけばよかった、と嘆く人の姿は衝撃的です。


 これらはすべて、戦勝国であるソビエト側の証言なんですよね。

 ソビエト連邦は、数千万人の犠牲を出してこの戦争に勝利しました。

 勝った側の戦士たちが、これほど傷つき、一生を変えられてしまっている。

 戦争の勝敗に関わらず、戦場の環境はすべての人に、傷つかず帰ることを許さないのだと思います。


 ウクライナで戦っている人々は、ロシア側であろうと、ウクライナ側であろうと、一人一人が心身に傷を負うことになると思います。

 肉体的な負傷だけでなく、壮絶な状況に身を置いたことでの心身症だったり、人の命の結末を変えてしまったことへの罪の意識だったり。

 そうした人が一人でも少ない結果になるよう、願うばかりです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る