1.氾濫する天の川


――話は数週間前になる。あれは土砂降りになってしまい暗い七夕の日であった。


「……なんだろ、これ……?」


傘から流れる雨の暖簾ごしに道を歩いていると、虚な光の電灯の下に移ったのはぐったりとした肌色。流石に1から始まるダイヤル三桁を打つために胸元から出した携帯電話のロックを解除しようとしたが、どうやらそうではなさそうである。人としては何か良く漫画などで見る『エネルギーを全て吸収された人間』のような薄さでぐったりと神社の瑞垣から垂れ下がっている。この滴る雨はその薄い皮膚に水たまりを作り、このまま放っておけば水かさの増した急流の溝渠に風で飛ばされるか、重みで落ちるか。笹が流れていく川に腕のような部分は浸り、ゆらゆらと力なく揺れる。それをじっくり見回すように背中のしわに目をやると、隠れていたファスナーがカタカタと金属と金属の擦れ合う小さな音を立てていた。つまりはこれは人ではなく、モノ。よかった超常現象でもなければ刑事事件でもない。そうなるとこれは神社の物品……いやそんなことはないと言える。この神社は人が入れるほどの社もない、祠に近い街角の神社。何処にこれを仕舞うというのだ。そしてこのように雑にされている……即ち捨てられたという可能性が高いそれを再び見る。


「……目立って捨てられなかったものかな……?」


何とは言わないけど、そういうものか?しかし見た感じだとその肌はとても綺麗で、質感はとてもリアリティ溢れる傑作のよう。そっと触って見るともう皮膚、そのものと言わんばかりの玉のような肌。実は僕には人には言えない好みが合って……げふん。土砂降りの中、回りを見渡す。人のモノでは無さそうな事を確認して……ひょいっとその皮を持って広げると生気の無い表情の桃色の瞳と狐耳がこちらをくたりと見つめる。さらにいえばとても大きな胸。ごくりと息をのみ、さらに見渡し四回目。捨てられるなんて勿体ない、その皮の水を振り払い、こっそりと濡れたジャケットを包んだビニール袋の中に入れて帰路へとついた。ばれないか、本当にヒトの物ではないのかを気にしながら。


いつもより重く感じるアパートのドアを閉め、いつもはかけないチェーンまでかけて鍵を閉めれば自分の部屋。

「ふぅ……」

大きな安堵の溜息が出る。風呂場に直行してもう纏わり付いて脱ぐのも大変な服を脱いで風呂場の排水口に向かって服を軽く絞って雨を出す。そしてそのままビニール袋から取り出したずぶ濡れの皮を改めて眺めると出るのは感嘆の溜息。


「凄いなこれは……?」


それは今にも中に何かを入れると動き出しそうなくらいの精密さであった。濡れた皮を少しシャワーで流して落ち葉や泥を流すと綺麗な艶のある、まさに皮膚というべきつややかな光沢と自分の濡れた肌と同じような抵抗、滑らかさは人の肌そのもの。しかしつなぎ合わせたという感じでもない。一つも縫い目が見つからない。それは背中に着いたファスナーにも言えた。背中のファスナーはあれど、鍵のかかった首輪の先にスライダーがあるみたいだ。そのファスナーの下の先にはしっぽりとした狐の尾。猫とは違う凄くもふもふそうな萎み方からして、これは狐娘のようだ。尻尾の先は抜けそうにないのでくっついているのだろう。

そして顔。本当に死んでいるかのように開いている口はリアル。舌から紅い朱肉までまさに口といえるべき。そして狐耳は同じく濡れて萎み、こちらも外せないみたいだ。ここまでのクォリティだとどう洗えば良いか。洗おうとして持ってきた中性洗剤を片付けて、石鹸を泡立てて撫でる。平たいそこから感じる肉つきはまさに狐の少女。そしてその皮……すごい犯罪の臭いにごくりと息が勝手に呑まれる。両手で優しく石鹸の泡まみれで撫でているといつの間にか自分の左手に何かを握っていた。ぱっと手を開くと、一つの鍵。どこか撫でているときに皮からこぼれ落ちたのだろうか。どこの鍵かはすぐわかったので泡まみれの手で首のうしろ、鍵がかかっている場所をかちっと入れて回せばぱくっと開く。そして現れたスライダーを下に下ろすとその中から一気にこの狐娘の匂い、そう臭みではない。優しい華の匂いがふんわりと漂う。中は全くの空洞でも、少し肉っぽい。そこにシャワーのお湯を入れて、同じく石鹸でなで回して綺麗に洗う。指の先まで丁寧に作られたところに指を入れて洗っていると再びいけない妄想が飛び出す。


「この皮着たらこの幼女になってしまったりする……?」


しかし試さない。あまりにも出来が良すぎる。もはやオーパーツといって差し支えがないように。これは神様の何かに違いない――乾かしたら明日神社に返しに行かないとマズい。そう思いながら石鹸を落とし、綺麗になったその皮を物干し竿にタオルのように干す。持って帰ってきてしまったことを後悔しながら。天罰下らないかが急に不安になり、心臓がドキドキと鼓動をたてる。しかし目の前を見ればそこには綺麗に逆さ吊りにされ、髪を真下に落とす、まるで怨霊のような……


「この干し方はいかん」


そっと物干し竿から外して、ドライヤーをもってきて一気に乾かす。雫が吹き飛べばそこにあるのは狐の少女。すっかり綺麗になったそれを見ればあまりの美しさに心臓がドキドキと鼓動を立てる。呪いと悦、二つの感情に蝕まれながらそっとそのままたてかけて今日はご飯も食べず、そのままパジャマに着替えてベッドに倒れ込んだ。そこまでがその日の記憶だ。


「実は夢……だといいな……」

「……んっ……?」


何か自分以外の声がしたものの、目をぎゅっと瞑り、布団を被さった。明日は返しに行かないと、そう思い。

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