機械仕掛けのナイチンゲールは目覚めの歌を歌わない

悠井すみれ

日課

 あたしの一日は、美しく装うことから始まる。起動するのは、いつもきっかり午前八時。それから一時間かけて、ドレスを選んで髪型を整えるの。今日こそはモーリッツが目覚めるかもしれないものね。綺麗にしていないと、彼もがっかりしてしまうでしょうから。

 ああ、でも、メイクはしないわ。あたしの顔は、イーファが一番輝いていた──と、あたしを造った人たちが考える──ころとそっくり同じに作られているから。樹脂の肌にはクマも染みもニキビもなくて、いつでもつやつやでぷるぷるなの。睫毛は長く豊かで、青い目はぱっちりとして。マスカラもアイラインも必要ないのよ。


 今日のドレスは、深い青。イーファの目とお揃いで、イーファの金の髪が映える色。肩を出す意匠が朝らしくないのは仕方ないわね。イーファは夜の鳥だったもの。彼女が歌ったのは、最初は街角。それからバーやクラブの片隅、後には観客一杯の劇場やコンサートホール。夜空に輝くどんな星よりも、さらに眩しい光を放つのが彼女だった。イーファの光は、歌声は、聴衆の心に訴えかけて魂を揺さぶったの。世界がひれ伏す唯一無二の歌姫。それが、イーファ・レルヒだったのよ。




 細いヒールを音高く鳴らして、あたしはモーリッツのを覗き込んだ。何も知らない人が見たら、と呼ぶかもしれないけれど。

 両手を組み合わせて眠る彼の肌は、うっすらと霜に覆われている。彼が冷凍睡眠コールドスリープに入ったのは、四十二歳と三か月と二十七日のとき。イーファが二十六歳のときの姿に造られたあたしとでは、少し不釣り合いかしら。彼も、年の差がますます離れてしまうのを心配して眠ったのよね。でも、霜の化粧が肌の衰えを隠してくれているからかしら、モーリッツはまだまだ魅力的な紳士に見える。と、人間なら言うでしょうね。

 世紀の歌姫イーファとの浮名で社交界を賑わせた、気鋭の実業家は老いさらばえきってはいない。もしも彼が目覚めたら、あたしと並んでかつてのロマンスを再開させるの。きっと誰もが憧れる、美しい物語になるわ。


、モーリッツ。今日も貴方のために歌うわ」


 これも毎朝の日課ルーティンとして、あたしはベッドを覆うガラスのケースを愛情をこめて──と、人間が評するであろう仕草で──撫でた。イーファがかつてしたように。そして、イーファの唇を開いて、歌う。彼女の声で、彼女の歌を、彼女と同じ情感を込めて。それこそがあたしが造られた使命だから。


 世界中から愛されたイーファ・レルヒは、つまらない事故で死んでしまった。なんてもったいないこと。沢山の人が泣いて嘆いて悼んだわ。彼女という星が堕ちたことを。中でもモーリッツは諦められなくて、彼女との再会を望んだの。

 死者を生き返らせることはできないけれど、彼女をもう一度造ることはできるかもしれない。当時の技術ではまだ無理でも、彼の財力と人脈で集めたチームに研究を重ねさせれば、いつかは、きっと。イーファと同じように考えて、喋り、笑い──そして、歌う。そんな存在を作ることができるかも。その時を夢見て、モーリッツは死に似た冷たい眠りに就いた。

 彼を起こすスイッチは、イーファの歌声。彼女の歌を聞いた時と同じ高揚を彼の脳が覚えれば、モーリッツは目覚めるようになっている。


 あたしはイーファの再来。燦然と輝き人々を魅了する異才の再現。そのように造られたアンドロイド。あたしは彼女の分まで歌い続けるの。未来永劫。機械の身体には限界なんてないのだから。

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