(二) 四葩(よひら)の花

 ことの始まりは、兄たちの急死であった。


 三河以来という家名さえなければ、貧乏旗本を地でいくのが、私の生まれた河本家である。その無用の三男として生を受け、運がよければ他家の婿養子、悪ければ一生を兄の厄介者として過ごす生涯と思ってきた。

 だからといって文句があるのではなく、むしろ気楽な日々に、嬉々としていたほどだ。


 最初は次兄だった。剣術に長けた、竹を割ったような気持ちの良い人柄で、流行りの一刀流の町道場へ通い詰めて腕を磨き、そこのひとり娘との縁談も進んでいた。


 それがある日、いつものたなご釣りで竪川へ落ちた。

 泳げるはずが落ちて溺れ、浮かんでいたのを、地場の御用聞きが知らせてくれた。これが、昨年の梅雨の季節だった。


 そして今年だ。長兄が亡くなった。どこかで悪い風邪をもらい、床に就いて三日目の朝には冷たくなっていた。葬儀はやはり梅雨の最中で、じとじとと降る雨の中を、兄の棺桶は菩提寺へと向かった。

 そうして、昨年嫁いだばかりの義姉は子も居らぬことから実家へと戻り、私が河本家を継ぐこととなったのである。





「なるほど。それはお大変で」

 助六は興味なさそうである。兄弟全員が成人する方がめずらしい世だ。ひとり、ふたり欠けても、間々あることだった。

 私は、腿に置いた拳を握った。


「ならば、これはどうだ」


 衿元をくつろげる。懐に手を入れ、片肌脱ぎになった。頸を傾け、心の臓と胸乳あたりまでを晒す。正直、恥である。見知らぬ町人へ肌を見せ、身の上話をしているのだ。


 助六は、さすがに驚いたように目を見張った。

「そりゃ、どういう理由わけで」

 途端、空笑いする。だから、来たのだと思い至ったのだろう。

 私は、話を続けた。





 初めは、花弁一枚だった。胸元あたりに痣ができた。どこぞへでもぶつけたか、道場で受け損なったか、覚えのない痣だから、気にもしなかった。次兄が故人となった直後である。


 その後、長兄が亡くなるまでの一年で、は伸び続けた。風呂へ入る度に首を傾げたが、それでも気に留めなかった。

 たかが痣である。痛みも、痒みもない。


 だが、やがて花弁一枚が二枚、四ひらとなり、茎が葉がつき、さらに細かい花らしきもの、さらには年が明け、季節が春から初夏に向かうあたりで色あざやかに、艶やかに、かつ楚々とほころび始めるに至って、地が雨に打たれる度に、その彩はよりあざやかに、青や紫の鞠のように、とうとうおのれの上で跳ね始めたのである。その頃、──長兄が死んだ。





「ああ、確かに。これは紫陽花ですなあ」

 弾んだ声で言って伸びて来た指先を、私は目を閉じて受け止めた。頬、首筋、そして胸元へと這い下るのを、歯を食いしばって我慢した。医者が診立てるように、指先が触れては離れ、また触れていく。


 助六は私の痣を眺めるだけ眺め得心いったのか、ようやく、

「見事な、なんと見事な」

 と、嘆声を上げ離れた。

 その妙に愉しげな口調に、人の不幸を活計とする男を、改めて見遣る。


 そもそも八卦見というのは、卦を占じるなりわいである。私の知る八卦見は、儒家のような総髪で、辻に卓を構えて筮竹で易を立てる。失せ物から縁談まで、何でも占じると聞く。

 だが、この男の住居に、そのような道具は見当たらない。唯一目につくのは、隅に置かれた大ぶりの漬物の壺、常滑の甕のようなものばかりで、ひい、ふう、三つばかりが横一列に並んでいた。味噌か梅干しか、乾物でも入れているのだろうが、殺風景な長屋の一室で、異様と言えば異様であった。


「それで、旦那は手前に、なにを占じろとおっしゃいますんで」


 助六の目は、私の痣に吸い付いて離れない。

 私はまさに、を指した。


「痣の所以ゆえんを知りたい。何かの呪詛か、因縁か。当家の不幸はこれ──私ゆえなのか。それを占じてほしい」

由縁ゆえんですな」

 にやにやと笑う。

「やるのか、否か」

「いたしましょう」

 呆気なく言って、助六は部屋の隅から、例の甕をひとつ抱えて来た。重たげなそれを、私とおのれとの間へ置く。


「これは何だ」

「手前の筮竹がわりでございます」


 助六は重たげな蓋を取り、脇へ置いた。袖を捲り、指を幾度か開いて閉じて、そうして無造作に手を入れる。そして、を掴み出した。






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