霧の中の幻影

笹岡耕太郎

君を知るために、僕は・・・。

プロローグ


 軽井沢の朝は、霧の中であった。車内にある外部温度計は、氷点下を表示している。幾筋かのスポットライトに路面が照らされ『ブラックアイスバーン』が浮かび上がる。来生健二は、薄い氷の膜を避けながら慎重に車を走らせた。二日間の短い滞在を終え、東京に向かっていたのである。

 六本辻のロータリーを左折し、しばらく進むとハザードランプを点灯させ止まっている白い車が目に入った。ウールらしい黒いコートを着た女が遠慮がちに、こちらに向かって手を振っている。

来生は、スピードを落とすと女の車の後ろにつけた。

「どうかしましたか?」車を降りながら、声を掛ける。

「車が急に動かなくなってしまって……」綺麗な女である。困惑が顔に浮かぶ。

「あまり詳しくはないけれど、見てあげましょう」

しかし、来生の手に負えるものでは無かった。単純なバッテリー上りではなく、どうやらコンピューターの制御基板の不具合のようである。

「知り合いの修理工場をご存じですか?」

「いいえ、東京が住まいなので良くは知らなくて……」寒さと不安感からなのか、女の身体が小さく震えている。

「じゃあ、知り合いの工場に連絡を取ってあげますね」来生の性格からして、このまま放っておけるはずもなかった。幸いすぐに工場に連絡をつけることは出来たが、しばらく車を預かる必要があるという事であった。

「良かったら、ついでにと言ってはなんですが、僕の車に乗って行きませんか?

僕も東京まで帰りますので・・・」

「助かりますけど…、ご迷惑では…」女の顔に、不安な気持ちが揺れている。

「失礼しました。僕は、こういう者です」上着から名刺を取り出すと、女に手渡した。来生の名刺を目にした女は、少し安心した表情を見せた。


 来生健二は、北青山で社員三十名あまりのテキスタイルの会社を経営していた。

業界の中では中規模であったが、商品開発に力を入れておりかなり名の知れた存在である。

女は、少し口元に笑みを浮かべながら白いバックから名刺を取り出すと、上品な動作で来生に手渡した。

「遅れました。私は、野添純香です。同じファッション業界なんて、偶然ですわね。

『Orion』でチーフデザイナーをしています。ご迷惑でなければ、ご一緒させて頂きます。よろしく、お願いします」挨拶をする野添の顔に赤みが差していた。

『Orion』と言えば、業界でも最大手である。

しかし、現実にはいまだ変わらず百貨店での店舗展開が売り上げの大部分を占めていることから、SPAなどの台頭により苦戦を強いられていた。

一方、来生の『リフレック』は、時代の流れを読み、従来の単にアパレルに生地を卸す形から業態を代え、原糸の段階からSPAと取り組みいわば『素材の共同開発』により取引高の安定を見せていたのである。


 二人を乗せた黒い『アルファロメオ』は、軽井沢プリンスホテルを左に見ながら通り過ぎると、碓氷軽井沢ICから高速に入り東京に向かった。幸い渋滞に巻き込まれることもなく二時間三十分程で都内に入ることが出来た。

『野添さん、折角ですから、ランチでもご一緒しませんか? このままお別れしてしまうのも、残念な気がして・・・」

二人は仕事の話が中心であったとはいえ、大いに盛り上がっていたのだ。

来生はこの時はすでに、純香に魅かれ始めていたと言える。久しぶりの高揚感であった。純香の気持ちを考えて、勤めて明るく誘ったつもりである。

「ごめんなさい。仕事が待っているものですから…。今度改めてお礼のためにご連絡を致しますので…、今日は、本当に助かりました。ありがとうございました」

純香も、来生には好意を感じていたのだ。今までにないタイプの男性として……。


 青山一丁目で純香を降ろし、青山通りを渋谷方面に向かい表参道を右折すると、すぐに左折をした。来生の経営する『リフレック』は、北青山にあった。

スロープを下り地下の駐車場に車を止めると、三階にある社長室までエレベーターで上がる。ドアに手を掛けると中から、由夏の声が聞こえて来た。

「社長、遅刻ですよ。確か、十時までには出社されると、おっしゃってましたよね」壁の電波時計は、十時を十分程過ぎていた。

「いやぁ、ゴメン、ごめん、ちょっとトラブルにあってね」

来生は、あのまま少し早いランチに行っていたらと想像すると、冷や汗が流れた。

秘書の長澤由夏は、38歳。繊維商社最大手株式会社蝶璃(ちょうり)の取締役執行役員長澤隆二の次女であった。由夏と来生の出会いは五年ほど前に遡る。


1 由夏との出会い


 当時、(株)アルプの取締本部長職にあった来生は、社内抗争に疲弊していた。

主力商社(株)三林物産から派遣されていた副社長狭間昇との営業方針を巡る戦いであった。狭間は、あえてリスクを冒さず、安定を取るには変化を求めないとする考え方であった。一方、来生は将来を見据えれば、このままの業態であり続けることは、SPAの台頭によって明らかなように危険であると、事あるごとに発言をしていたのである。狭間にとっては、邪魔な存在が来生であった。 ある日、三林物産の役員に呼ばれ、来生に対しての聴取が突然に行われることになった。


「来生くん、うちが派遣している狭間にことごとく反発している異端分子がオタクに

いるようだが、あなたはご存じですか?」専務の三枝である。

「誰が言っているのですか? それは、狭間副社長ですか?」来生は、反発した。

「狭間くんだけじゃないよ。君の直属の吉田も言っているらしいな」

吉田とは、最も来生が信頼を寄せている部下であった。

「狭間くんが、アルプの将来を憂いそれこそ必死の経営立て直しの努力にもかかわらず、協力もしない自己の身の保全に終始している人間がいるらしいですね。   アルプは、うちが資金的に支えているから存在出来ている。その恩義も感じない非常識な人間らしいですな」

「三枝専務、はっきりおっしゃたらいかがですか? その非常識な人間は、私だって!」来生は、自分を押さえられなかった。

「来生くん、自分が分かってるじゃないか。狭間くんの言う通り反発心の強い男だ」

「専務、私にどうすればいいと?」

「そんな事、自分で考えれば分かりますよ」三枝は、言い放った。


「・・・、失礼します!」来生は、二十年間必死に働いてきた結果がこのようになるとは、夢にも思っていなかったのである。悔しさに涙が滲んだが、人前で見せることはなかった。

来生は、会社に戻ると私物をまとめ始めた。副社長狭間の姿は見えない。

総務課長に、ごく少量の私物の宅配を頼むと、一冊の手帳だけを手に会社を出た。退職届は、出さないと決めた。最後の意地であった。


 来生は、独身である。妻とは、三年前に別れていたのだ。理由はいまだに分からないでいる。憎まれて別れに至った訳ではないことだけは、明らかであった。

子供のいない身軽さにも救われていた。妻子がいた状況を想像してみると、自分の意見をまげ会社にしがみついていた可能性もあった。惨めさだけが残る人生であったかも知れない。

急に夜景を見たくなった来生は、横浜に向かった。ランドマークタワー69階にある展望フロアーから見る景色に圧倒された。人間は、小さすぎて存在を消している。

この世界を支配しているのは、人間ではないのだ。もっと、大きな存在であることを

確信したのである。そして、新たに決心をした。もう一度、ゼロからやってみよう。


 翌日、来生は大学時代のクラブの大先輩長澤隆二のもとを訪ねていた。

 来生と長澤は、20歳近くも離れてはいたが、面倒見の良いOB と部員の中では知られており、同じ繊維業界という事もあって、卒業以来交流は続いていたのである。

繊維商社(株)蝶璃は、品川駅前のインターシティA棟にあった。

「先輩、ご無沙汰しております」久しぶりの対面であった。

「おう、元気にしてたか? それほど元気そうには見えないな。どうした?」

長澤一流の優しさである。

「会社を辞めました」きっぱりと話す、来生の気力は蘇っていた。

「そうか、20年も良く頑張ったじゃないか。偉いもんだよ」

「先輩! そういう慰め方ってあります?」二人は、大らかに笑い合った。

「で、これからどうするんだ?」

「会社を作り、自分なりのやり方で社会にチャレンジします」

「分かった。その気持ちが大事なんだ。俺に任せてくれ。その代わり、一つ条件があるんだ」

「何ですか?それは」

「次女の由夏を使ってやってくれないか? 歳は、33だが今だにやんちゃでね。

俺の手に負えなくて、困っているんだよ。でも、仕事は出来るぞ。それは、保証しても良い」

「分かりました。喜んで、お引き受けします」



来生と由夏は、厳密に言うと10歳ほど離れていたのだが、初対面で気が合った。

「由夏は、長年蝶璃傘下のアパレルに勤めていたんだが、先月急にやめてしまってね。理由を聞けば、意見の相違だそうだ」

「由夏さん、僕も止めたばかりなんです。僕にはやりたいことがある。どうか、手伝ってもらえないだろうか?」

「来生、頼んでいるのはこっちの方だ! さあ、由夏もお願いして・・・」

「来生社長、こんな私ですが、よろしくお願いします」


 (株)リフレックは、資本金二千万円で設立され、来生が筆頭株主となり、30%を蝶璃が持ち、残り10%を長澤由夏が出資をしたのであった。

リフレックは、来生が作った造語である。反射や投影、響きなどの意味あいを持つ

『reflection』が由来であった。

 あれから、すでに五年の歳月を重ねていた。

社員はすでに、30人は超えている。リフレックの飛躍的な成長は、来生のアイディアによる貢献度が高かったが、やはり蝶璃の大手株主(株)東京レーヨン(東レ)の存在が大きかったと言えるのである。もはや、現在にあって、合繊繊維の開発力は業界一である。SPAの成長力に比例して格段の開発力と成長力を示していた。


蛇足ではあるが、(株)アルプは、二年前に解散となり、整理がなされていた。

全てが、(株)三林物産の当初からの計画であり、五年も前から決まっていたとの事実があった。狭間昇は、本社に戻ることが許されず、生まれ故郷に帰ったとの噂がある。



2 『レストランテ・オリヴィエ』にて・・・


 由夏は、大事なパートナーでもあるが、秘書としての仕事に才能を開花させ、

脇からはみ出そうとする来生をうまくコントロールしていた。

肩書は、執行役員取締役秘書室長である。室長と言っても一人であることには

変わりがないのである。


「社長、『日本化成』の内川所長さんと、一時から打ち合わせ予定です」

「了解!」内川は、偶然にも大学の後輩であった。

「由夏、じゃあ、早めの飯にしないか? 昨日からろくなもの食べてなくて・・」

「私のせいじゃありませんからね。でも、社長のおごりなら、お付き合いしますけど……」

「じゃあ、オリヴィエに行こう」 「了解です!」

「まったく、現金な奴だな。由夏には、皆と違って秘書手当まで出しているんだけどな」

「それだけ、社長に手が掛かるってことですよ」                口では到底由夏に敵わないのである。しかし、ベストパートナーであることに、疑いようはなかった。

(株)リフレックの事業の中心はテキスタイルであるが、事業拡大のため昨年表参道ヒルズ内にある『レストランテ・オリヴィエ』を傘下に置き、経営に乗り出していた。


 冬晴れの表参道であるが、道行く人影は少ない。ケヤキ並木は一葉も纏わず、かえって冬の寒さを増幅させているようである。

『オリヴィエ』は三階にあり、表参道が一望出来るスペースを持っていた。

表参道ヒルズは、同潤会青山アパートの跡地にあり、建築家の安藤忠雄が設計を担当した周りの景観に配慮した造りになっている。

「これは、社長よくおいで下さいました」二人に気が付いたフロアー長が丁寧に頭を下げる。

「社長は、止してくれよ。空いているかな。急に思いついたものだから・・・」

来生は、誰に対しても丁寧な態度をとった。人の心の痛みを知った男である。

「何を、お持ちしましょう?」フロアー長は、二人を席に案内すると言った。

「そうだな。急ぐから君たちの賄いで良いよ。なぁ、長澤君・・・」

「そうですね…時間もないことですし…」由夏は、少し不満な様子である。

「ほんとによろしいですか? 承知致しました。少々、お待ちください」

賄いと言っても一流店である。味は、申し分のないものであった。

「いつもと変わらず、美味しかったです」由夏の言葉に、フロアー長は相を崩した。

来生が、請求より少し多めの金額をテーブルに置くと、二人は席を立った。

  

 一時きっかりに内川は現れ、由夏の案内で商談室に入るとすぐに商談が始まる。

「内川君、上手く進んでいるかな」

「先輩、ようやく目途が立ちましたよ。間に合うと思います」

「そうか、これで『インテグリティ』とのプロジェクトも一歩前進するよ」

内川は、勤務する『日本化成』の開発部門『日本化成繊維研究所』の所長である。

来生の依頼で、新しい繊維開発に取り組み、今日はその成果の報告であった。

時代は、限りある資源のリサイクルを求めていて、また同時に自然に優しい新しいリサイクル技術の開発を求めていたのだ。

このプロジェクトは、『NFTP』すなわちニューファブリック・テクノロジー・プロジェクトと名付けられ、来生と内川の間で極秘に研究が進められてきたものであった。従来の再生技術と大きく異なり、水資源や化学薬品の使用を大幅におさえ、代わりに新しいバイオ技術を用いて繊維の分解や再生を促す点にある。

来生としては、この技術をパテント化することにより、他社テキスタイルとの差別化を図ろうとしていたのだ。

「内川君、この技術の流出には十分注意するようにしてくれ」

「先輩、心配はいりませんよ。うちの研究所内でも助手を含めて三人しか知らないプロジェクトなのですから・・・」

しかし、業界内において、『リフレック』が新しい繊維再生技術を手にしそうだ、という噂が事実広がりつつあったのである。


「由夏、『インテグリティ社』の瀧澤さんに、アポ取ってくれないか」

インテグリティの意味は、首尾一貫であるらしい。まさに瀧澤らしい社名である。

「承知しました」

通称『インテグ』は、日本におけるユニクロの後を追うSPA形態の企業であった。

SPAとは、「製造小売業」を意味し、自社製品を自前の小売り店で販売する企業を差す。アパレルメーカーと専門店の機能が一体化した業態であり、1980年代後半の

アメリカの『GAP』が最初であると言われている。

『ユニクロ』が『東レ』と原糸の段階から共同開発を行っているのと同じように、

『インテグ』と『リフレック』も素材の共同開発を模索中であったのだ。

「明日の午後一時で、よろしいですか?」

「OKです!」

由夏は、インテグ社の秘書と打ち合わせをし、瀧澤のアポイントを取った。

 翌日の午後、来生と由夏の姿がインテグ社の会議室にあった。

「来生さん、ご無沙汰です。今日は、良い報告を持って来てくれたんでしょうね?

もちろん、例のプロジェクトの進行状況など・・・」

瀧澤は、大柄な体に合う豪快な性格の男であった。来生とは二十年前に、テキスタイルとアパレルの営業として知り合い。立場は違っても、親交を温めて来たのだった。

「瀧澤社長、共同プロジェクトに目途が立ちましたので、今日はその報告です」

「それは良かったですね。これで一安心です。これからの時代は、単なる製造販売からファブリックメーカーと一体化し原糸の開発までワンチームでなければ生き残っていけません。その点、御社は良きパートナーです」

「ありがとうございます」来生は五年にして、ここまで来れた感慨に浸った。

「瀧澤社長、問題はこれからです。この原糸を使ってどんな組織のファブリックを作り出せるかという事です。常に消費者のニーズを読み取って行かなければなりません。企業が続く限り我々に与えられた義務ですから・・・」

「確かに、来生さんの言うことは正しいですよ。出来るだけ協力しますので、ニーズに合った新しいファブリックを一刻も早く生み出して下さい」

リフレックとインテグの共同開発は一歩前に進むことになり、関係はより強固なものとなった。


「社長、今日オリヴィエの予約が取れたなら、前祝いといきません?       デザイン室の二人も呼んで…」帰りしなの車の中で、由夏が提案をして来た。

「そうだな。これから、彼女たちに頑張ってもらうことになるしな」

社員であっても、予約は必要であった。これも来生の公平性を重んじる方針である。


3 軽井沢での再会


 二週間後の金曜の午後、仕事に目途を付けると、来生は軽井沢に向かうことにした。

「由夏、これから軽井沢に行くけれど一緒に行くか?」

「社長、ゴメンなさい。今日、先約があって………」

「分かった、気にするな。由夏は、もっと自分の時間を優先して良いんだから」

「そんなんじゃ、ないですから………」


 軽井沢の一月は、年間でも一番寒いと言える。

気温は、一日中氷点下であることも多く別荘内での滞在が中心となる。寒さが苦手な由夏が避けるのも当然であった。

来生は、午後八時前には軽井沢に着くことが出来た。雲場池通りの中程にある会社の別荘にアルファロメオを入れると、近くにある『バルカッチャ』に予約を入れた。この店は、イタリア田舎料理が売りであって一人で滞在の時には良く利用していた。やはり、一人での食事はいくら料理が美味くても味気のないものである。   来生は、食事が終わるとタクシーを呼んでもらい、プリンスホテルに向かった。

目的は、一階の『バー・ウィンザー』である。

時間が早いせいか、先客は奥のスツールに座っている一人のみであった。

来生は、先客の横顔に見覚えがあった。まさしく、野添純香である。

横顔を見つめる視線に気が付いたように、純香が来生を見た。

「もしかして、きすぎさん………ですか?」

来生は、縁がなかったと諦めかけていた女性の出現に驚いた。

「そうです。やっぱり野添さんでしたか・・・」来生の顔に生気が戻る。

「あの時のお礼のご連絡も差し上げず、大変失礼をしてしまいました。言い訳めいていやですが、忙しさに追われてしまっていて………」

「お礼なんて、いりませんよ。僕も楽しかったんですから・・・」

来生の言葉に、純香は救われたように甘い視線を返して来た。

純香は少し酔っているらしい。来生は、純香の承諾も得ず隣のスツールに移動した。

思わず純香の白いセーターの下で隆起を繰り返す丘に目がいってしまう。

「純香さんは、何を飲んでいるのですか?」自然に名前を呼んでいた。

「仕上げは、いつもジントニックなんです」

「じゃあ、僕も同じものを・・・」来生は、バーテンダーに告げた。

「純香さんは、何故ここに?」

「夫の会社の別荘が、雲場近くにあるんですけど、そこの管理を任されていて…

体のいい、お掃除のおばさんかしらね。気が滅入った時に来るのですよ」

冗談を言いながら微笑む純香は十分に魅力的であった。

「純香さんにも気の滅入ることなんか、あるんですか? 似合わないな~」

「私だって、ありますわ」純香は、口を尖らせながら反論した。

「意外だな。僕はもっと、自信満々に生きている人かと思っていましたよ」

この言葉に反応したかのように、純香の顔がわずかに陰ったのを来生は見落としていたのだ。来生も酔っていた。

純香が無意識に長い脚を組み替えるたび、意識が次の展開を想像させるのだった。

「私、もう帰らなければ……」純香は、唐突に細い腕に巻かれた時計を見ると言った。来生が自分の腕時計を見ると、十一時過ぎであった。

「僕も雲場ですから、お送りしましょう」来生の言葉に、純香は頷いた。

純香は、タクシーの中で自分の酔いに気付いたようである。

「こんな気持ち、久しぶりだわ」

タクシーが揺れる度、お互いの体温が伝わってくる。

二人の会話は、自然にお互いの身の上話に流れた。

「僕は、一度結婚をしたけれど八年も前に別れてしまって・・もっか、独身です」

「正直に言いますね。私は、結婚しています。今はまだ、人妻には変わりないのですけれど…、でも、別居してから五年も経っているのです・・・」

来生に次の言葉が続かない。人妻という言葉に反応したと言えた。

「来生さん、私いくつに見えます?」女性の歳を当てるのは、難しい。

「三十八になりました。無駄な五年間だったと言えるわね」来生は、顔を見た。

来生は、純香の心の内が計り知れなかったのである。


 タクシーは、来生の別荘に近づいていた。

「純香さん、ちょっと寄って行かないか?」来生に他意はなかった。ただ、離れがたかった。来生の提案に純香が頷く。

二人がタクシーを降りると、雪が舞い降りていた。深遠な暗黒からやって来たそれは、白い羽のように二人に纏わりつく。

「今年初めての雪かしら…、綺麗!」

来生は、当然のように純香の肩を抱いた。来生は、純香の重さを右肩で感じ取っている。

「ずっと、こうしていられたら、どんなに幸せかしら…………」

純香の熱い思いが、白い吐息に変わって消えていく・・・。

舞い降りた白い羽だと思っていたものが、二人の髪を濡らしていた。

「純香、風邪をひくから中に入ろう」人気ない家は、外と同じく冷たい。

玄関の扉を閉めると、来生は思いがけない衝動に突き動かされていた。

純香を抱き寄せ、唇を近づけた。純香の胸が大きく揺らいでいる。

冷たい唇と唇がわずかに触れた瞬間、「駄目なの……」と、喘ぎながら純香は、

来生の胸を強く押し返していた。

「悪かった・・・」失意の言い訳であった。

「ごめんなさい。私が悪いの……」

純香は、降り続く雪の中に駆けだすと、白い羽毛に包まれたかのように見えなくなった。


4 再びの霧の中


 翌日の早朝、来生は雪の軽井沢から逃げるように東京に向かっていた。

すこし酔っていたとはいえ、結果的に純香を傷つけてしまった自制の効かない自分が許せないでいたのだ。自分に好意を寄せてくれたと思い込んだ自惚れである。

純香と初めて出会った日の出来事、そして思いもよらぬプリンスホテルでの再会、 そのすべてが、二人が出会うための必然であったと思い込んだ自分が滑稽ですらあった。

 来生が東京に戻った一週間程あとのことである。

「社長、オリヴィエの鈴木フロアー長から連絡がありまして、直接話したいことがあるそうなので、時間を取ってもらっていいですか?」

秘書の由夏が、アポイントを求めて来た。

「OK!でも、何だろうね」フロアー長からの連絡は、珍しい事であった。

正午前、鈴木フロアー長は、リフレックの会議室に姿を現した。

「鈴木君、先日は突然押し掛けて申し訳なかったね。ところでなんだ、話って?」

鈴木フロアー長は、話し出した。

「昨晩、大手アパレルの『Orion』さんから三名の予約が入っていましたので、前職がOrionの営業だった私としては、どなたがお見えになるのか興味を持ちながらお待ちしていたのです。お見えになったのが、デザイン部の新垣部長、チーフデザイナーの野添さん、そして、『テキスタイル藤井』の藤井社長だったのです」

「鈴木君、野添さんて・・・野添純香さんのこと?」来生は、純香の唐突な出現に驚いた。

「社長、野添さんをご存じなのですか?」鈴木の言葉に、由夏が来生の顔を見る。

「いや、そういう訳じゃないんだけど、名前を知っている程度だよ。それで、・・」

「オリヴィエが、リフレックの傍系だとは分かっていないらしく、来生社長の話題が出たのです。確か・・・、藤井社長がリフレックと日本化成の共同開発が最終段階にあるとか、どうとか・・・後は、はっきりとは聞こえなかったのですが・・・」


「その中で、野添さんは何か言ってたのか?」来生の確認したい点であった。

「黙って、藤井社長の話を聞いているような様子でしたが・・・」

「鈴木君、貴重な情報をありがとう。恩に着るよ」

「いえ、何かお役に立てたならと、思いましたので・・・」


 来生は、一週間程前の軽井沢に思いを馳せていた。純香と仕事の話に触れたことは確かであったが、『再生繊維技術』を話題にしたことが、あっただろうか・・。

純香の気を引くためのバーカウンターであったか、それとも二人の気持ちが高まったタクシーの中であったであろうか、逡巡するが疑問は、解けないままである。

あの来生を誘うよう波立つ隆起、そして酔いに任せた思える甘えた口調もすべて計算されたものであったのか・・・。

来生が唇を求めた時の不自然な拒絶も、いまとなっては、それらを証明しているかのように思えるのだ。来生は、初めて純香と出会った時の霧が一段と濃さを増し、再びその中に引き戻されて行く思いに包まれていた。


 来生は、共同経営者である由夏に、すべてを正直に話した。

「まったく、自分がモテたと思って鼻の下伸ばすからこうなるんです。経営者だったら、もっと慎重に行動してください」由夏には、頭が上がらない。

「社長、私ちょっと出掛けてきますから、私の代わりに『オリヴィエ』に、20時から二人分のリザーブ入れておいてください。理由は、後で分かりますから」


 『Orion』の本社ビルは、原宿駅から歩いて五分ほどの千駄ヶ谷小学校前交差点の角にあった。ショウルームは、二階フロアーに併設されていた。

すでに春夏物の商品が展示されており、ここだけは別世界というる華やかさに満ちていた。由夏は、一通り商品を見終わると受付の若い女性社員に声を掛けた。

「こちらのブランドのデザインは、全て野添純香さんによるものですか?」

「はい、すべて野添の作品になります」

「という事は、ファブリックまでご自分で決められているという事ですね」

「はい、さようでございます」

「私、(株)リフレックの長澤由夏と申しますが、野添さんにお会いできないでしょうか?」

「失礼ですが、お約束は?」

「いいえ、作品に感動してしまって……。急に思い立ったものですから……」

「そうでしたか…、連絡を取ってみますのでお待ちください」

由夏は、リフレックの名前を出したことで、野添の好奇心を揺さぶろうとしたのだ。由夏の思惑が野添を動かした。

「野添が、お会いするそうです。どうぞ、第一商談室でお待ちください」

役目を果たせた社員は、由夏に微笑み返した。


 商談室に現れた野添は、三十五、六歳の穏やかだが真が強い女性のように見えた。デザイナーにありがちな派手なタイプではなく、密やかに古風な面を持ち合わせているのではと、思わせた。

「お忙しいところ、申し訳ありません」由夏は、丁寧に頭を下げていた。

「どういう、ご用件でしょうか?」純香は、半信半疑である。

「私、ファブリックを扱っている会社の者ですが、新規のお取引をお願いしたいと思いまして……お伺いしました」

由夏は、恐縮した様子で名刺を差し出した。野添の顔に変化があった。

「リフレックさんて、来生さんの?」

「来生を、ご存じなんですか?」思惑通りの進行に、かえって由夏が驚く。

「ええ、軽井沢で車が故障した折に助けて頂いたのですが、お礼も言えずに失礼をしたままで……」

多少、事実とは違う説明ではあったが、純香の誠実さは伝わってくる。

由夏の直感であったが、人を騙し裏切るような人間には見えないのである。純香に不信感を持っているのだとすれば、来生自身が解決すべき問題ではなかろうか。

「差し出がましいとは思うのですが、今日八時にオリヴィエにいらして頂けませんか? 来生が純香さんを待っていると思いますので……」

「オリヴィエって、確か表参道ヒルズにある?」

「そうです。純香さんは、ご存じだと思いますが…、」

「ええ、でも私を待っているという意味が分からないわ」

「いま、私の口から詳しくは……」

「あなたは、来生さんから頼まれて来たのですか?」純香は、語気を強めた。

「いいえ、私の独断なのです。来生は何も知りません」

「あなたのお話は分かりました。でも、お約束は出来ないわ。私の方にも色々と都合がありますので……」

「どうか、よろしくお願いします」由夏は、頭を下げた。

「お仕事の話は、よろしいのですか?」

「今度、改めて来生と参りますので……」

純香は、退出する由夏の後ろ姿をいつまでも追っていた。


5 『オリヴィエ』での再会


 来生の姿は、横浜港南区にある日本化成の繊維開発研究所にあった。

内川所長から、電話で緊急に呼び出されていたのだ。

「来生さん、実はこんな手紙が自宅に届いたんですよ」

内川は、声を潜めながら手紙を来生に見せた。文面は、穏やかだが明らかに内川を脅迫するものであった。

【リフレックとの共同研究を直ちにやめて頂きたい。綺麗な奥さんと可愛い娘さんがいる家庭の平和を守るためです。幸せだった家庭の崩壊など、訳もない事です。

それをわざわざ、あなたが早めることはないでしょう。考えてみれば分かります】


「内川君、以前にこのような脅しと取れるような行為はなかったかな?」

「それが、今回が初めてなんです。完成間近なことを知っているみたいですね」

「ということは、研究それ自体を最近知ったという事にならないかな。例えば一週間以内とか・・・。  この程度では、警察も動かないだろうし・・・        内川君、もう少し様子を見てみよう。研究の完成だけは、早めてくれないかな」

「分かりました。たぶん、単なる脅かしだと思います」内川は、腹を決めた。


「社長、いま何処にいますか?」由夏から電話である。

「今終わった。七時半までには会社に戻れると思うよ」

「分かりました。私、先に行ってますから送れないようにお願いしますね」

「了解!」

来生は、第三京浜に入ると霧の中を抜け出すかのように、都内に向かってスピードを上げていた。

  

 来生は、リフレックの駐車場に車を入れると、会社には寄らず徒歩でオリヴィエに向かった。冬のシーズンの表参道は、イルミネーションに彩られまるで銀河の中を歩いているようである。輝きが増すほど、闇の色の深さに気付かされる。

来生は、程よい照明設計がなされ冬のオアシスを感じさせるオリヴィエのドアの前に立った。

「お待ちしておりました」フロアー長が、満面の笑みで迎えてくれる。

「今夜は、窓側の個室をご用意しております」

「ありがとう。長澤君は、来ているかな?」

「先ほど、ご連絡がございまして、先に進めてくれるようにと・・・。お客様は、 すでにお見えになっております」

「どういうことだ?」来生は、まだ理解が出来ていなかった。

来生が部屋に入ると、純香が小さく座っていた。

「純香……」言葉にならず、息をのみ込んだ。

「あなたに謝りに来たの……あの時は、ごめんなさいね」

純香の瞳が滲んで見えた。

「僕のほうこそ、君に失礼なことをしてしまって・・・いい大人が・・・」

「ううん、私のほうこそ子供じみたことをして、貴方を傷つけてしてしまった」

二人の距離が、急速に軽井沢の甘い空気感の中に引き戻されて行く。

「私たち、由夏さんの策略に嵌まってしまったみたいね」

「由夏の?」

「そう、昼間に私に会いに来てくれてね。どうしても今晩ここに来て欲しいって…」


 来生は、心では純香を信じていた。いや、信じてあげなければという思いが勝っていたと言える。純香にあの時の気持ちを正直に話して欲しかったのだ。

「私は、別居しているとはいえ、まだ人の妻であることには変わりがないわ。一時の熱情に負けてあなたに迷惑をを掛けるわけにはいかないと思ったの……」

「そうだったんだね。それじゃあ軽井沢でのあの晩のことは、二人の楽しい想い出として心に持っていようと思う。

だけど、もう一つ聞いておきたいことがあるんだ。ここで、君たちが三人で会食をした際に、僕の話題が出たという話を聞いたものだから・・・」

「ええ?、何処からそんな話が……」


来生は、これまでの経過を詳しく説明した。オリヴィエがリフレックの経営であり、たまたまとはいえ、三人の会話を耳にしてしまい、その中で来生が話題になっていたこと。また、新しいバイオ技術の完成が間近であり、それに関係して内川が脅迫を受けていることなどを。

「何から話したらいいかしら……。実は、藤井と私は戸籍上はまだ夫婦なのです」

純香の思いもよらない告白であった。

「何だって? 信じられないよ・・・」 来生は、言葉が続かない。

「じゃあ、僕の進めている再生繊維技術のことが話題に上がっていたという話だけど、純香は僕と知り合う前から知っていたというわけなんだね?」

「そんな事、あるわけないじゃない。私が何らかの意図を持ってあなたに近づいたと言いたいわけなの? あの時そういう話が出たのは覚えているけれど、私には何のことだか理解が出来なかった。でも、あなたの名前が出た時には、本当にびっくりしたわ。あなたに対しての後悔の気持ちもあったからなの」

純香が真実を語ってくれたと、来生は心から納得出来たのである。

「純香、君をわずかでも疑った僕を許してくれないか?」

「あなたは、私をそういう目で見ていたのね。だから、連絡さえ寄こさなかった」

「いや、そういう訳ではないけれど・・・」

「分かりました。許してあげます。あなたの男としての誠実さや経営人としての真面目さが良く理解出来ましたので…、今夜は、高くつくわよ」二人は、わだかまりを捨てると心から笑い合うことが出来た。

「どうぞ、たくさん召し上がって下さい。美味いメシ屋だってことは分かっただろうから・・・」

 来生は、フロアー長を呼んだ。

「今夜は、僕の大事なクライアントだから、よろしくね!」

軽井沢で恋の芽生えを知った二人は、グラスを重ねる度に心も身体もより近づいていった。


6  藤井との話し合い


 二人は、来生の部屋に入ると、ベッドに倒れ込んだ。もはや自制すら忘れていた。来生が純香の唇を激しく求めた。軽井沢以来、さ迷っていた時間が巻き戻る。

それに呼応するかのように、純香も激しく反応する。

隆起を繰り返す狂おしいほどの丘は、それを包むヴェールが乱暴にはがされると、 来生の前に正体を現した。両手で揉みしだくと、純香に明らかな変化が訪れた。

純香も来生にすべてを与える決心で来ていたのだろう。来生が純香の秘所に手を添えると、十分に熱く潤んでいた。まるで花びらから滴り落ちる朝露のようである。

来生の舌が純香の熱い露をすくい上げると、体の中で一体となって行く。

「もう駄目、駄目なの!」純香の高まった喘ぎに答えるように、来生の猛々しい分身が純香の中に埋め込まれていった。

「うれしい……!」純香の呟きと同時に、一筋の涙が流れた。

純香の控えめな咆哮を合図に、来生の熱い思いが純香の中で激しく迸った。

二人はお互いの温もりの中に愛を感じながら、残された時間の短さを憂うと一睡もできずに朝を迎えることになった。

後戻りのできない二人であった。これからどんな未来が待っていようと、前に進む道しか残されていなかったのである。


 翌日の午前10時頃、来生と由夏が打ち合わせの最中、激しくドアが叩かれた。

「オイ、来生いるんだろう!」

三人の男たちが乱暴に押し入ると、テーブルの上に数枚の写真がバラまかれた。

「来生さん、この写真に見覚えがないとは言わせないよ」中の一人が言う。

来生と、純香が来生のマンションに出入りする姿が写されていた。

来生は、昨晩男たちの尾行に気付いていたのだが、あえて写真を撮らせることで出方を探っていたのであった。

「子供じゃないんだから、何もなかったとは言わせないぜ」背の高い男が凄む。

「お前たちの目的はなんだ、言ってみろ!」来生が反撃に出た。

「この写真と、再生繊維技術との交換だよ」背の低い男が言う。

「再生繊維技術が何なのか言ってみろ!」来生が問うた。

「それは、・・・」男たちが戸惑う。

来生は推理していたのであった。反社であれば、このような出方に出ないはずである。現場を押さえ、二人に恐怖感を与えれば済む話なのだ。あえて、純香のいないところでの脅迫となれば、首謀者は純香の関係者だと想像が出来る。

内川に送られて来た脅迫文も、彼らの仕業なのだろうと、来生は思った。


「分かったよ、君たちの要望通り再生技術を渡すことにしよう」

来生には、以前から抱えていた葛藤があったのである。何を目的とする再生技術なのか? 単に、この業界の中で生き残るための企業としての方策なのか?

五年前、(株)アルプを追放されてまで、追った夢の結果がこれであったのかという自問自答であった。


「本当か?」男たちは半信半疑である。

「本当だ。質し条件がある。君たちの依頼人に直接会って資料を渡すことだ。   もう君たちの目的は終わったも同然だろう。このまま、帰ってくれないか」

「分かった。帰ったら、伝えておく」男たちは、来生の意を汲んで引き下がった。

所詮男たちは、反社ではないのである。恐喝が仕事であるとは思えない。

「この写真は、持って帰ってくれ」来生は、由夏の手前処置に困っていたのだ。

「社長、記念に貰っておけばいいじゃないですか」由夏がフォローする。

「由夏、ありがとう。でもな、また頭が上がらなくなってしまうな・・・」

来生のボヤキに、由夏はニヤリと返した。


 その晩、来生と藤井の姿がオリヴィエにあった。

「来生さん、この店は、あなたがオーナーなんですね。大変失礼をしました。  もっと、利用させて頂かないといけませんね。でも、客の話を盗み聞きとは、マナー違反ではありませんか」

「その点は、オーナーとして謝らなければいけません」来生は、素直に頭を下げた。

「ところで、来生さん。私に何の用ですかな?急に呼び出しを頂きましたが・・」 藤井社長は、五十半ばの細身の紳士であった。

「藤井さん、惚けては困りますよ。写真をネタに、あなたから脅迫まで受けたのですから」

「あれですか、あれは離婚するにあたって妻の純香の行動の調査を探偵社にお願いしていたところ、偶然あなたが写真に映っていましてね。まだ、離婚も成立していない人妻の身を自由になさるなんて、道徳的にどうかと思いましたので警告のためでした」

藤井は、詫びれずに説明した。

「この点も、あなたには謝らなければいけませんね。いくら事実上結婚生活が破綻しているとはいえ、夫婦であることには変わりがないのですから。あなたより、

純香さんを愛していると言っても、あなたにとっては、おとぎ話の世界のことだと笑われるかも知れませんね」来生は、心情を素直に話した。


「あなたの純香に対する気持ちは、十分伝わりましたよ。純香も幸せな奴ですね。

あなたのような人に愛されるなんて・・・」

「許していただけるのですか?」

「許すも、許さないも、もうそんな時代ではありませんよね。二人とも立派な大人なのですから、好きなようにすればいい・・・」

「ありがとうございます」


「ところで、本題に入りましょうか」藤井は促した。

「藤井さん、最初に確認しておきたいことがあるのです」

「何でしょうか?」

「日本化成の内川所長のもとへ脅迫状を送ったのは、あなたではないのですか?」

「・・・・・・、」藤井は言葉に詰まった。

「やはり、あなただったのですね。藤井さん、余程のご事情があったのではないですか。あなたほどの人が、私欲から起こした行動とはどうしても思えないのです」

来生の言葉に、藤井は深くこうべを垂れた。


7 愛の深層


「実は藤井さん、私はきょう決心をして来たのです。

新しい再生繊維の技術は、我が社とインテグリティ社が独占するのではなく、やはり日本のファッションに携わるすべての企業に開放すべきでないかと・・・。

あなたもそう考えていたのではないですか? 私は、日本のファッションの行く末を苦慮した上での行動であったと信じたいのです。

でも、あなたはやり方が間違っていた。特に、日本の未来を拓くために日々苦労を重ねながらも頑張っている研究者を脅迫するなど、最も許されない事だと思いますよ」

藤井は、来生のことばに心動かされていた。


「来生さんが、そこまで業界全体のことを考えていらしてくれたなら、私もこれまでのことを正直に話さなければいけませんね。

実は、この計画はオリオンの新垣部長から強要されたものでした。我が社の主力販売先がオリオンであるのはご存じだと思います。ですから、新垣部長に反対の意見を言うことなど出来ない構造になってしまっているのです。彼は、ここを突いてきた。 どこからか、リフレックさんと日本化成さんとの共同研究を嗅ぎつけて来て、我が社にこの技術の情報を手に入れさせることを新垣は目論んだのです。

オリオンが、この技術によって作られた服を独占販売することで大きな利益を上げることが唯一の目的であったのには間違いありません。

私は、それならばいっそのこと、研究が失敗に終わればいいと短絡的に考えてしまった。それが、内川さんに宛てた手紙だったのです」

「良く、分かりました。藤井さん、この技術を日本の企業に広く開放しても構いませんね」

「はい、私もそれが一番良い方法であると思います。後は、来生さんが決めることですから」来生と藤井は、心が一つになった。

「藤井さん、今回の件であなたが不利な立場に追い込まれるのではと、心配なんですが?」来生は、同業者である藤井を憂いた。

「あなたのお話を聞いて、自分を恥じているのです。オリオンとの繋がりが切られれば、会社も一旦は縮小せざるを得ませんね。覚悟しています」


「来生さん、一つ確認させてもらってよろしいですか?」

「何ですか?」来生は身構えた。

「私は、ここで純香を解放してあげようと思うのです。あなたは、純香を愛してくれているとおっしゃっていましたが、結婚をする気持ちをお持ちですか?」

藤井の言葉は、直球であった。

「正直分からないのです。まだ、お互いに何も知らないと言っていいでしょうね。

藤井さんの前ですが、お付き合いと言えるほどの時間を共有しているわけではありませんから・・・。すべては、これからだと思います」

来生の眼は、しっかりと藤井の眼を見据えていた。そこには、誠実に人を愛する者の

偽りのない輝きが宿っていたのである。


 藤井は、納得すると純香との出会いを話し始めた。

「私と純香が出会ったのは、もう十五年も前のことになります。私の会社もまだ小さな時でした。純香は、いわゆるマンションメーカーと呼ばれるマンションの一室で

パターンナーとして働いていたのです。その会社にはチーフと呼ばれるデザイナーがいたのですが、遊び半分に描く純香のデザイン力が勝っているのは素人目にも明らかでした。当時は、DCブランドの隆盛期で、純香を他社に売り込むのにそれ程の苦労はいらなかったのです。実力の世界ですからね。

 三年もすると、純香の入ったブランドは急成長を遂げ一流ブランドとして業界内でも認知されるようになったのです。純香の貢献が大きいことは明らかでした。

私は、純香に求婚をしたのです。私は一度結婚に失敗しており、おまけに十二歳も年上でありながらです。すぐには良い返事はもらえませんでした。後に、分かったことですが、私と同時に経営者からも求婚されていたようです。

結果的に、私は純香と結婚することになりましたが、彼女にとっては愛というよりも 

私に対しての恩義が優先したのだと思います。彼女は、そういう女なのです。現代的でもありながら古風な面も持っている」


「それは、僕も感じています。決して熱情に流されるような女性ではありませんね。

それがどうして、別居をすることになったのですか?」来生は聞いた。

「私は純香を愛していましたから、最初は、一緒になれたことで十分幸せでした。

十年が経った頃です、時代は大きく変化を求めていたのです。DCすなわち、デザイナーズやキャラクターズという名前だけでは通用しなくなったという事です。   これは、来生さんも良くご存じだと思いますが・・・。

やはり、ブランドを抱えるという事は大きな資本力が必要なのです。それが、かつての『オンワード』や『ワールド』そして、『Orion』だったのです。

純香の会社も全盛期の勢いを無くしていた時です。そんなときに現れた救世主が新垣部長であったのです。純香がOrionのチーフデザイナーとなったことで、結果的に新垣部長の事業部も衰退することなく発展を遂げた。でも、新垣の狙いは、これだけではなかった。私はそれを黙認することで、我が藤井テキスタイルも飛躍的に成長することが出来たのです。しかし、かえって抜き差しならない状況に追い込まれようとは・・・。 今は、後悔しかないのです。                   黙認したことの内容は、あなたにお話することは出来ません。                   どうか、純香を幸せにしてあげて下さい」


来生は、虚勢を無くし小さくなった藤井の背中を見送っていた。

抜き差しならないとは、何を意味しているのだろうか。この言葉が、何時までも来生の心の中で逡巡していたのだった。


8 新垣との対決


 数日後、来生自らが新垣に連絡を取り、二つ返事で面会の約束を取り付けてい

た。「来生さん、私からも連絡を取ろうと思っていたところでした。では、お待ちしています」

約束の午後一時に受付で面会を申し出ると、商談室に通され待つまでもなく新垣が現れた。「来生社長自らお出で下さって恐縮です」

新垣は、恰幅の良い男で年齢は来生と同じくらいであろうか。いかにも、やり手の人物を想像させる。来生は、相手の出方を見た。

「来生さん、藤井社長から聞きましたよ。『NFT』の完成が間近らしいじゃないですか。気に入らないのは、その技術の特許を取らずに業界にオープンにしてしまうという点ですかね。どうですか、うちと御社で独占契約を交わすというのは・・・。

なんなら、買い取らせていただいても構いませんよ。御社なら、オリオンの主力仕入れ先として保証してもいい。せっかくの新しい技術です。みすみす儲けそこなうことはないと思いますよ」

来生は即座に否定した。

「いろいろと、良い条件を出して頂いたのですが、全てお断りします」

「じゃあ、あんたは何のためにここまで来たんですか?」

「NFTを手に入れるために、善良な技術者を脅かし、また私を貶めるために汚い手を使った首謀者の顔を見るためです」

「なんだと!、」新垣は、威嚇した。

「正直、私も脅迫文が届く前までは、この技術をあるアパレルと独占的に使う協定を結ぼうと考えていたのです。しかし、これが間違いだと気づかせてくれたのは皮肉にもあなた達なんだ。この業界に夢を持ち目指してくれた人達、また真剣に新しい環境作りを考えている人達の未来に目を向ければ、この技術を独占することなく共有すべきであると、思えたのです。この点では、あなた達に感謝ですね」


「なんて言う男だ、あなたは・・・。野添を呼んでくれ」新垣の大きな声がホールに響いた。呼び出しを受けた純香が慌てた様子で商談室に現れた。

「部長、お呼びですか?」

思いもよらない来生の姿に驚きを見せた純香であったが、顔に明るさが灯った。

「来生さん・・・どうしてここに…、」純香は慌てて次の言葉を飲み込んだ。

純香はすでに、藤井から来生の正直な気持ちを聞かされていたのだった。


「野添、ここに座れ!」新垣が乱暴に言い放った。

「来生さん、あなたが素直に私の提案を受けてくれれば、純香をあなたにお譲りしても良いとまで考えていたのです。でも、あなたが変わったように、私の気持ちも変わりました。あなたは、随分と純香にご執心らしいですね。藤井社長が、純香との離婚を承諾した裏にはあなたの存在があったと聞かされましたよ。甘い話をね。


 でも、藤井と純香が五年前に別居した本当の理由をあなたは知らない。

それは、純香の仕事量が増え、展示会前には深夜帰宅が多くなったからだけじゃない。純香と私の密会の場をつくるためだったんだよ!」


「そんなの嘘です! 違います」純香は、強く否定した。

「純香とは、一度や二度ではないですよ」

「それは藤井と打ち合わせて、無理やりに………」

「無理やりだろうが、やった事実は変わらない。簡単に、不貞を働く女なんだよ、 こいつは。それをあえて、もらい受けようとはね・・・」

藤井の隠していた真実があらわになった。                  「そんな、嘘だろう?」心が折れていく・・・。

来生は、意識が遠のき、何も考えることが出来なかった。

純香が来生の眼を見た。

来生の眼は、何も語っていなかった。

「酷い!」純香は、来生を振り返ることもなく部屋から駆け出していた。

この時が、オリオンでの純香の最後の姿であったのだ。

来生は、新垣の勝ち誇った目を見ていたはずだが、何も覚えてはいなかった。

そこからの記憶が抜け落ちている。

夢遊病者のように、会社にたどり着いたのだろうか・・・

由夏は、そんな来生の変化に気が付いていたのだった。

「社長、女に振られたくらいで見っともないですよ。             そんな顔してたらバレバレですからね。仕事だけは、しっかりお願いしますよ」

そんな口調も由夏の優しさの表現である。

 

心が落ち着きを取り戻すには、数週間が必要であった。

季節に来生の心が追い越されていった。三月を迎えると、日一日と、気温の緩む日も多くなる。

「和らぐ風に吹かれると、懐かしい感情が蘇るのはなぜだろう・・・」

「厳しい冬を乗り越えて再び歩き出す歩みの優しさは、何処からくるのだろうか」

来生は意味もなく、そんな言葉を繰り返していた。


9 純香への手紙

 

「由夏、明日からの三連休は軽井沢に行って来るよ」

「わたしも、一緒に行ってあげようか?」

「いや、いいよ。少し用事もあるし」

「まったく、まだ吹っ切れてないんだから……」


 季節は、冬が行き三月の中旬を迎えていた。

軽井沢の春はまだ、冬を引き摺っているようである。

しかし、気温が上がったせいか季節外れの雪の名残はすっかり消えていた。

来生は、二、三日の別荘滞在のために、別荘族御用達で有名なスーパーに出かけることにした。午前中でもあるせいか、『ツルヤ』の駐車場はそれほど混んでいないようだ。

白ワインだけのつもりが、赤ワインも無意識に買ってしまった。純香の好きな銘柄である。カマンベールと共にゴルゴンゾーラも・・・。

消えていたはずの記憶が軽井沢に来ると、無意識に蘇ってくる。心が覚えていた。

来生は、初めて純香と出会った雲場池通りの中程まで来ると、意識して車を止めた。

もはや、無意識ではなかった。自ら意識を持って軽井沢の中に純香の幻影を捜し求めていたのである。

別荘に戻ると、明かりの灯っていない冷え切った部屋だけが待っていた。来生は、自分のために料理をする気も起きないでいた。ただワインとチーズと生ハムを無造にテーブルに並べただけである。テーブルに並べられた二つのワイングラスには、諦めきれない来生のかすかな望みが託されていたのだ。

軽井沢には、何も痕跡が残されていなかった。純香の幻影さえも・・・。   

春の芽吹きは、遠い未来のことのように思えた。               明日の夕方には東京に戻るつもりである。


 来生の携帯に着信があった。藤井からである。

「どうしたんですか?藤井さん」

「来生さん、元気にしていますか。きょう突然純香が荷物を取りに来たのですよ」

「えっ、純香が? 」

「それでね、軽井沢の別荘にしばらく滞在して良いかと聞くものですから、二人して作ったものなんだから、好きなだけ使うがいいと言ってあげたのです。あなたが軽井沢に滞在していると、その後聞いたものですから、慌ててこうして・・・・」

「それは、わざわざありがとうございます。でも、誰からですか?・・・」

「あなたも、いいパートナーをお持ちですね。由夏さんですよ。純香から連絡があったのなら、すぐに私から教えてあげて欲しいと頼まれていたのです」 

「ありがとうございます。藤井さん、ついでと言っては何ですが、あなたの別荘の 住所を教えてもらえますか?」

「分かりました。メールで送っておきます」 藤井の携帯はここで切れていた。

「由夏が・・・、気を使いやがって、でもありがとうな・・・」

思わず、並んだ二つのワイングラスに目をやった。蠟燭の炎が反射してわずかに光った気がした。


 来生は深夜まで掛かって、純香への手紙を書いていた。

明日の朝、純香の別荘まで届けに行くつもりである。書いては何度も破り捨てていた。来生の気持ちが、文字を上滑りしていくのだ。

外には、再び季節外れの雪が降り始めていた。窓ガラスに張り付いた雪が、堪えようもなく滑り落ちていく。


 来生は翌朝、まだ雪の残る脇道を注意深く歩くと車道に出た。

藤井から知らされた住所からすると、五分もかからない距離のはずである。

斜めからの光に反射して路面が白く濡れているのが分かる。しばらく歩くと、

右に折れる脇道の五十メートルほど先に、小さいが良く手入れのされているらしい近代的な木造の建物が見えた。

屋根の傾斜が独特である。自然な光を多く取り入れる工夫であることは間違いなかった。純香の自然に対する思いが、伝わってくる。

来生は、ブルゾンの胸ポケットから手紙を取り出すと、赤いアメリカンポストに 

そっと、落した。


【 野添純香様


  元気でいると信じてます。

 この手紙を僕は、何度書き直したことだろうか。気持ちを伝えようと文字にする 

 ほど、気持ちからは離れて行ってしまうのです。

 もっと、単純な一言で良いのかも知れません。

 僕たちは知り合ってから、わずかな時間でしかないのは分かっています。

 そんな程度で何が分かるのと、言われたら答えようもないのです。

 でも、「あなたを愛している」

 この言葉だけで足りなければ、僕のこれからの残された時間をあなたを知るため

 に使っても構わないとさえ思うのです。

 あなたが、何度霧の中に隠れてしまおうと、僕は彷徨いながらも捜し続ける。

 

 待っています、いつまでも・・・。           

                             来生健二   】



 エピローグ


 三月も下旬を迎えると、東京の満開の桜も散り始めている。

来生は、青山通りから赤坂見付の交差点を左折すると、紀尾井町通りに入った。

東京ファッション協議会の主催による講演を頼まれていたのであった。会場は、

ホテル・ニューオータニ・ガーデンコート一階にある紀尾井町フォーラムである。

わずか、六十六席の小さな会場ではあるが、重厚な革の椅子が売り物であった。

出席者は、日本のファッション界を牽引する重要人物ばかりである。


 まず来生は、協議会会長である野田大五郎から出席者に紹介がなされた。

野田は六十八歳、『Orion』の会長の重責にあった。

「皆さん、ご紹介しましょう。我が日本のファッション業界の救世主、株式会社リフレックの来生健二社長です」

「ご紹介に預かりまして光栄です」来生は、緊張しながらも話し出した。

「私は、褒められるような人間ではありません。当初は、この技術を独占しようとさえ考えていたのですから。しかし、あることをきっかけに気が付いたのです。  日本の将来を見据えれば、独占すべきではないと・・・・・」

来生は、開発した再生繊維技術を独占せず、業界全ての企業が公平に使用できることを出席者に約束をしたのだった。来生の講演が終わると満場の拍手であった。



 三月も中旬の軽井沢でのことである。

野田が、協議会主催による講演会の資料作りのため軽井沢にあるオリオンの保養所に向かっていた時であった。

赤いポストの前で、手紙を握りしめながら泣き崩れている女性の姿が目に入った。

気になりながらも一旦通り過ぎた野田であったが、自責の念にかられ引き返した。

「どうかなさいましたか?」野田は、車から降りると声をかけていたのだ。

驚いて顔を上げた女性に見覚えがあった。

「野添君じゃないのか?」

「会長!………」あとは声にならなかった。

「話を聞いて上げるから、ついて来なさい」

野田は、純香を保養所に招き入れると、良く手入れがされた庭が望めるベランダに椅子を並べて座り、泣いていた事情を聞き出していた。

来生からの手紙は純香の涙で濡れてはいたが、手に取ると静かに目を通した。


「真っすぐないい男じゃないか。来生さんというのは、どういう人なんだね?」

純香は、来生がリフレックの社長であり、この軽井沢で初めて出逢った馴れ初め、そして、別れに至った経緯などを話した。また、人柄に関しては、自身の開発した技術を独占することなく、業界が公平に使用出来るよう考えている人物であると説明をしたのである。

「分かった。オリオンは、君が何といおうと、君を手放さない。ずっと、我が社のために働いてくれないか。それが、業界の発展に繋がっていくと、私は信じる。

あとは、私に任せると良い」

純香は、激しく泣いた。野田の言葉に激しく泣いたのだ。

後日、野田の言葉通り、オリオンから新垣部長を首謀とした一派が追放され、新しい事業部長の下で新組織が構築された。


野田は、優しく聞いた。

「なぜ、君は手紙を読んだあと、来生さんのもとへすぐ走らなかったのかな?  まだ、間に合った可能性もあったはずだが・・・」

「すぐにでも来生の胸に飛び込んで行きたかった…、愛しているのですから…

でも、出来なかったんです。二十代のころなら、後先考えずに行動を起こしていたかも知れません。愛だけを信じて………。

でも、さんざん苦労を重ねてこの歳になった女には、結果が見えてしまうのです。

愛だけでは、暮らせないって…。私には、誰にも頼らず生活の出来る仕事が必要でした。オリオンを飛び出して来てしまった私は、両腕をもがれたのも同然だった。

でも、私には、確信があったのです。来生はいつまでも待っていてくれるって……」


「私も、もう古い人間かも知れないね。君の気持ちがそこまで理解できていなかったのだからね」野田は、照れくさそうに頭をかいた。

「会長は、古い人間ではないと思います。謙遜なさらないでください。私は会長から暖かいお言葉をいただいて感謝しかありません。仕事が落ち着きましたら、走って来生の胸に飛び込んで行きます。今度は、止めても無駄ですからね」冗談が言えるまで立ち直った純香の瞳に、希望の光が灯った。


 

 満場の拍手はまだ続いていた。

その中に、野田から招かれた由夏と藤井の姿もあった。そして、インテグの瀧澤も。

「協議会といたしまして、来生さんに感謝の気持ちを表すためプレゼントを用意させて頂きました」

若い女性のアナウンスを合図に、正面の重厚なドアが開かれた。

満場の拍手の中、階段を降りながら一人の女性が来生に歩み寄ってくる。

逆光の白い光の中ではあったが、来生には分かった。純香であった。

「これからのじかん、ずっと、あなたをしるためにつかっていいかな?」     純香は声には出さず、全身で伝えようとしている。

「もちろん!」来生の声がマイクを通して、大きく会場に広がっていった。



おわり


 

 



 

 

 


 


 












 





 








 


 







 







 






 






 














 





 

 

 


 












 









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霧の中の幻影 笹岡耕太郎 @G-BOY

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