第5話 堕ちるつもりか同じ世界に 戻るしかない元の世界に
ある日、私は店長に呼ばれた。
「呉田と組んで、いろいろ苦労かけるな。ここだけの話、内緒にしといてほしい。
もう薄々気付いていることと思うが、呉田は精神疾患なんだ。
もちろん、本人が好んでなったわけではない。恵まれない不幸な女性なんだ。
呉田は山陰地方の出身で、離婚して三人の息子の親権は夫にあり、単身都会に出てきたのであるが、あの性格だろう。自分勝手でわがままで、人にケンカばかり売り、一時はスナックに勤め、おつまみなどをつくっていたんだ」
そうか、それで揚げ物や餃子焼きだけは正常だったんだな。
「それでもまだその当時、呉田は月に一度、元旦那と三人の息子と会っていた。
しかし、元旦那が再婚して以来、息子とも会わせてもらえなくなったのだ。
ところが、勤めていたスナックも閉店し、呉田はだまされる形で風俗に行くことになってしまったんだ」
私は思わず身を乗り出した。
「えっ、どうしてだまされたんですか?」
「呉田が勤めていたスナックの客が
『君と共同事業をしよう、君なら、料理もうまいし、まあ、物おじせず気さくに誰とでも話ができるという長所があるから、繁盛するかもしれない』
と持ち掛けられ、呉田は印鑑証明と実印を差し出したのだ。
ところが、その男は呉田の印鑑証明と実印を、呉田に内緒で保証人欄に無断使用し、呉田はその男の借金を背負うことになってしまったのだ」
なるほど、地方出身の孤独な人を狙った詐欺は多いというが、呉田も例外なくそれに引っ掛かったのだな。
あとはもう店長の説明を聞かなくても予想がつく。
「借金のカタに、呉田は風俗に沈むことになったという通例パターンですね」
店長は、無言で頷いた。
「まあ、あんたも悪い男と甘言には気を付けなよ。といっても、この頃は女性だけでなく、イケ面男性もレイプされた挙句にDVDや風俗店に売られる時代だからね」
私は思い切って聞いてみた。
「私の失礼な想像だけど、呉田さんは性病の毒がまわってたりしてね」
店長は、沈んだ顔で答えた。
「そうだな。その可能性大だな。しかし、あんたは間違っても呉田に攻撃してはならない。すると、呉田と同じ土俵に上がることになってしまうぞ」
もちろんですと言い終わらないうちに、店の電話が鳴った。
呉田が風邪をこじらせ、二、三日休みたいという。
やはり、そういえば性病になると風邪をひきやすくなるという。
呉田も例外ではなかった。
店長は遠くを見つめて言った。
「『堕ちるつもりか同じ世界へ 戻るしかない元の世界に』という言葉、俺が考えたんだけどね、一度堕ちた人間はまた、元の世界へと戻るケースが多い。
まあ、なかには地獄さながらの道連れを求め、ケンカを売るタチの悪い人もいるけど、そんなのにひっかかっちゃ、同じ地獄へと堕ちてしまう危険性アリだぞ」
世の中の裏側を垣間見た気がした。
結局、呉田は退店することになった。
以前、呉田を見てあっと言った客は、風俗時代の呉田を知っていたかもしれない。
呉田は、人に言えない秘密と傷を抱えた女性だったんだ。
しかし、誰でも一歩間違えれば誰でも呉田のようになる危険性をはらんでいる。
私は店長に「呉田さんのことは、勉強になりました」
店長は「あと一人、あんたに面倒を見てもらいたい女性がいるんだ」
私は一瞬ひるんだが、もう呉田のこともあり、度胸がついていた。
誰だろうが、どんと来い。
もう以前の気弱な私ではなかった。
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