にゃんこ踊り

千歌と曜

第1話

 朝目覚めると、頭に猫耳があった。

「……」

 触ってみる。柔らくてさらさら、気持ちいい。

「……」

 つっついてみる。抵抗なく形を変えた。

「……」

 引っ張ってみる。取れない。少し、痛い。

「……」

それは、作り物ではなく、生の本物だった。頭から実際に生えていた。

「……」

 夏休みのお昼頃。

 相原舞は、そんな状況に陥っていた。

「……」

 ベッドから降りて、パジャマのまま洗面所へ向かう。

 鏡の前に立って、鏡に映る自分の姿を見る。

 間違いない。

 頭に、猫耳が乗っている。いや、生えている。

「え……と」

 混乱。

 夢としか思えないけれど、これが現実であることを、身体の感覚が教えている。

「お母さんっ」

 ダッシュ。

 舞は、台所にいるであろうお母さんのもとへ。

「お母さんっ」

「あら、おはよう――あら」

 お母さんの視線が、自然と舞の頭――の猫耳に引き寄せられる。

「あらあら、まあ……ふふ、可愛い」

「いや、あのね、お母さん……」

「どうしたの、それ? 萌え萌えキュン?」

「そうじゃなくて、これ、本物なのっ、生えてるのっ、頭からっ」

「ええ?」

 笑いながら、お母さんは舞の猫耳に触る。

 触られていると、なんだかくすぐったくて、身をよじる。

「……これ、本当に生えてるの?」

「うんっ」

 お母さんは、吹きだした。

「あはは」

 猫耳から手を放して体を折って笑って、また舞の猫耳に手を伸ばして触る。

「えー、どうしたのかしら――あはは」

 驚いて混乱しているお母さん。

 舞もどうしたらいいのかわからない。

「これ、夢かな?」

「どうかしら? さっきまでは目が覚めているつもりだったけれど」

「どうしよう、お母さんっ」

 頭から生えた猫耳。

 たしかに、このままでは日常生活を送れない。

「お医者さんに行った方がいいのかしら?」

「……う~~、いや、なんか、人体実験とかされたらどうしようっ」

「そうねえ……たしかに、このことが広まったら、舞は有名人になっちゃうわね」

「どうしよう、お母さん」

「……体調はどう? どこかおかしなところはない? 痛いとか」

「……特に、なんともない。いつも通り」

「そう。じゃあ、とりあえず、様子を見ましょう。朝ご飯を食べちゃいなさい」

「……う、うん」

「用意しておくから、着替えてきちゃいなさい」

「は、はい」

 お母さんが冷静なので、舞も落ち着きを取り戻し、自分の部屋へ戻る。着替えを済ませてからダイニングキッチンへ行き、お母さんが作ってくれたご飯を食べる。

 何があっても、お腹は空くもの。頭に猫耳を生やしたまま、舞は食べる。その様子をじっと見るお母さん。

「……でも」

「ん?」

「可愛いわね、それ」

「え?」

 頭に猫耳を生やした愛娘の姿――そのあまりの可愛らしさに、お母さんは喜んでしまう。

「びっくりはしたけど……うん、すごく可愛いわ、舞」

「そ、そうかな」

 まんざらでもない舞。でも、

「で、でも、このままじゃ困るよ」

「そうよね。う~ん、どうして猫耳が生えてきたのかしら? 昨日はなんともなかったわよね」

「うん、なんともない。猫耳は生えてなかったよ」

「そうよねえ……」

 そこで、舞はあることを思いつく。

「そうだ、友達にも相談してみる」

 こういう時、様々な選択肢があるだろう。

 一つ目、なりふり構わず、すぐさま医者に行く。

 二つ目、現状を嘆き、現実逃避で部屋にこもり、時間が過ぎる。

 三つ目、あまり気にせずいつもどおりの日常を送る。

 しかし、たいていの人間は、二つ目の選択肢を選ぶだろう。たとえ、選びたくなくとも。

 いかに友達と言えど、気軽に明かせることではない。もしかすると、うわさを広められて、本当に人体実験される羽目になってしまうかもしれない。

 けれど、舞の頭には、そんな懸念はなかった。単純な話、舞は友達を信じていたし、舞の友達はたしかに信頼できる人達だった。秘密をばらされるかもしれないなんて心配はまったくなく、それよりも自分の現状を知って欲しいという気持ちの方が強かった。

 だから、トークアプリを立ち上げ、舞はヘルプを出す。


『助けてっ、頭に猫耳が生えてきた!』


 すぐさま、友人達から返事が返ってくる。


『猫耳www』


『舞、どうしたの?』


 爆笑しているスタンプ。


『何かあったの?』


『今俺、公園にいるけど』


『どこの?』


『パンダ公園』


 ……。

 とりあえず、公園で話を聞こうという流れになる。

「お母さん、この頭のまま公園に行っても大丈夫かな?」

「そうねえ、帽子を被れば大丈夫じゃないかしら?」

「本当は外に出たくないけど、公園ならみんなすぐに集まれるっていうし、わたしの家にわざわざ来てもらうのも悪いし……」

「それか、そのままでもいいんじゃない? 可愛くてみんな喜ぶわよ?」

「お母さんっ」

 帽子をかぶり、家を出る。

 自転車にまたがって、公園を目指す。

「いってらっしゃい。気をつけてね、舞」

「うん。いってきます」



 ――公園に到着する。

 公園には、すでにみんながいた。

 クラスメイトの女子・橘莉乃(たちばなりの)、淡(あわい)沙織(さおり)、御木本栞奈(みきもとかんな)。

 クラスメイトの男子・安藤(あんどう)ナツ、加藤(かとう)雅(みやび)。

 栞奈とナツと雅が、昔からの幼馴染。

 栞奈が莉乃や沙織を気に入っていて、よく声をかける。

トークアプリのグループも、栞奈が中心となって作ったもの。

「みんな、おまたせ。ありがとう」

「おー」

「舞、おっはー」

 様々に挨拶を交わす。

 夏休みの昼間ではあるが、公園にはほとんど人がいなかった。暑さのためと公園の規模の小ささのためか、子供が二、三人いる程度。パンダの遊具が存在している。

「で、どうしたって?」

「猫耳がどうとか言ってたけど」

「それは――ぅ」

 助けを求める時は、怖くなかった。けれど、実際に自分の頭に生えた猫耳を見せる状況になると、疑念や恐れが生まれてきた。――ううん、みんななら、大丈夫。

 舞は、被っていた帽子を外した。現れる猫耳。


 にゃーん❤


「――可愛い」

「ふふ」

「かわい~❤」

 思わず笑みが零れる女子達。

 男子は衝撃のあまり固まったまま、目が離せない。というか、自然に効果音が聞こえたり、舞が光を放っているように見えた。

「か、可愛いな」

「あ、ああ。実物は初めて見たが……想像以上の破壊力だ」

 みんなから可愛い可愛い言われ、顔を赤くする舞だが、話を始める。

「こ、これ、生えてるのっ。本物の猫耳なのっ」

「ふふふ、ホントに?」

「ちょっと触ってもいい? ――うわー、本物みたい~♪」

 舞の訴えに、しかし、信じていないみんな。――しかし、

「あれ?」

 直に触って気付く栞奈。

「――これ、ホントに生えてない?」

「うそ」

「えっと……ホント、に?」

 交代で舞の猫耳を触る莉乃と沙織。

「生えてる――よね、これ」

「う……うん」

「えーと、……嘘」

 呆然とする莉乃と沙織。

「あははっ、ホントに生えてるよこれ、すごい、えー、嘘――!」

 爆笑して騒ぐ栞奈。

「え、ちょ、マジで?」

「俺達にも触らせてくれっ」

「男子はダメ~」

 触ろうとする男子達を止める栞奈。

 みんなが状況を把握したところで、舞は、

「こ、こういうことなのっ、だから、――助けてっ」

 もう一度、助けを請う。

 ……。

 少しの沈黙が下りた後、

「わかった。任せて!」

「な、なんとかするよ」

「心配ない」

「そうだ、俺らに任せろっ」

「必ず助けるっ」

 ――心強い、みんなの答え。

「――みんな」

 感動のあまり、涙が溢れる舞。

「泣かないで、舞」

「大丈夫だから、ね」

 舞を労わるみんな。

 舞は、そんなみんなに、お礼を言った。何度も何度も……。

「……ありがとう、みんな。ありがとう……」



 場所が変わって、ファミレス。

 人目が多いのは、やばいんじゃない?

 誰かの家に行く?

 図書館とかは?

 すぐ近くにあるファミレスは?

 帽子を被ったまま入店するのはまずくない?

 夏の太陽が輝く公園で話を続けるのは熱中症の危険があるので、どこか落ち着いて話せる場所に行こうという話になり……けれど、舞の猫耳のことがあるので、どこがいいのか相談した結果――まあ、仮に見られても、本物とは思わないでしょ? という結論になり、近くのファミレスに移った。

「涼しい」

「ファミレス最高~」

 ぐで~、となる。

 かいていた汗も消えていく。

 みんなを席へ案内したウエイトレスがスマイルと共に、

「いらっしゃいませ、こちらメニューになります。ご注文がお決まりになりましたら、呼び出しボタンを押してください」

 適当にメニューを見た後、それぞれ冷たい飲み物を注文する。

「かんぱ~い」

「「「「「かんぱ~い」」」」」

 とりあえず、乾杯する。

「うまいっ」

「最高っ」

「ね~」

 存分に味わってから、話し合いが再開された。

「では、みんな、話し合いをしようっ」

 仕切り屋の栞奈が司会を務める。

「そうだな」

「おう」

 男子二人も声を上げる。

「――けど、具体的に何を話し合えばいいんだ?」

「ていうか、これって、何? 病気? なんかの呪い?」

「だよね~。でも、病気とか呪いにしては、可愛すぎる」

「たしかに」

「同感だな」

「メイドカフェで働いたら人気出そうだよね」

「たしかに!」

「なにせ、本物だしな」

「舞、働いてみる気ないか?」

「ええと……」

 話し合いを始めて早々、ふざける栞奈・ナツ・雅。

 自分が事態の渦中にあるだけに、三人のおふざけについていけない舞。

「みんな、相原さん困ってるよ?」

「ちゃ、ちゃんと相談に乗ってあげた方がいいと思う」

 クールな莉乃と、引っ込み思案だけど思いやりのある沙織が窘める。

「だよね、ごめんごめん。じゃあ、ナツ、雅、ちゃんと話し合うよ」

「お、おう」

「わかった」

 ……。

 沈黙。

 しかしながら、やっぱり、何を話せばいいのかわからなかった。

 それもそのはず、勉強とか人間関係とか、そういった常識的な範囲から逸脱している事態なのだ。

 まして、医学的な知識もない高校生たちには、荷が重すぎる議題だった。

「……え、と、――あの」

 沈黙を破ったのは、沙織。……かと、思ったが、黙り込んでしまう。

「……」

 察した栞奈が気遣いの言葉をかける。

 彼女は、沙織が引っ込み思案であることをよくわかっていた。

「大丈夫だよ、さおりん。何か意見があったら何でも言っていいんだよ」

「う、うん――ありがとう」

 勇気づけられた沙織は、発言する。

「先祖返り――ていうのを、本で読んだことがあるの」

「先祖返り?」

「なにそれ?」

 先祖返り。遠い先祖の性質が、何代も後の子孫に現れること。

「医学的には、遠いご先祖様の遺伝子の特徴や情報が、現代を生きる自分に現れるっていうものなんだけど……オカルトみたいな類の本では、人間が進化する前の猿の特徴が色濃く表れたりするとか、ご先祖様が妖怪と交わっていたりすると、その性質が現れたりするって……」

「な、なるほど」

「さすが、淡さん。よく本を読んでるもんな」

「知らなかった」

 感心する栞奈達。

「だと、すると……でも、猫耳なわけだから……え、相原さんのご先祖様って、猫の妖怪?」

「わ、わかんない」

「その前に、妖怪って本当にいるの?」

「おい、そこの妖怪、何か用かい?」

「ははは」

 冷静な発言をした莉乃の前でふざける男子二人。莉乃の様子を見て、「すいません」と謝った。

「いや、じゃあさ、妖怪って言うならさ、やっぱ、呪いとか祟りとかじゃね?」

 今度は、真面目に、ナツが発言する。

「妖怪が本当にいるかはわからないけどさ、でも、呪いとかは本当にありそうな気もするし、実際、こうやって相原さんの頭に猫耳が生えてるわけだし」

 改めて、事実を確認され、みんなの視線が舞の頭に向く。

 帽子を被っているから、猫耳は見えないが……そこには確かに、猫耳がある。

「――て、……え?」

「あれ?」

「? ど、どうしたの、みんな?」

 自分に注目したまま、固まってしまうみんな。

 その尋常ならざる様子に、舞は戸惑う。

 ……けれど、みんなの視線が、自分というよりは、自分の『後ろ』に向いているような……。

「――え」


 にゃ~ん❤


 しっぽ。


 猫の可愛いしっぽがふりふり揺れている。

「相原さんっ」

 慌てて、莉乃が舞の口を押える。

 舞が、とっさに悲鳴を上げそうになったからだ。

 冷静さを取り戻した舞は、こくこくと頷く。

 とりあえず、しっぽを隠す。

「……ど、ど、ど、どうしよう」

「ええと」

「さっき……までは、生えてなかったよね?」

「なんか、進んでない? 猫になるの」

「……まさか、このままいくと、相原さんは本物の猫に」

「おい、ナツっ」

 不謹慎な発言をするナツを窘める雅。しかし、驚きはみんな一緒だった。

「やばくないか? 早めになんとかしないと」

「で、でも、何をすればいいの? どうすれば?」

「医者? 神社でお祓いしてもらうとか? 呪いなら解けるかも」

「でも、このことがみんなに広まったら……」

「いや、でも……」


 ~~~~♪ ~~~♪


 その時、舞のポケットから音楽が流れる。

 ポケットからスマホを取り出して見ると、お母さんからの電話だった。

「も、もしもし、お母さん?」

『もしもし、舞?』

「あ、あのね、お母さん、今、しっぽ、しっぽが……」

 舞の声は震えている。

『あのね、舞。今ね、おばあちゃんに電話して聞いたんだけど、舞の猫耳と関係ありそうなことがわかったの』

「っ」

 突然の、お母さんの電話。

 突然の急展開。

『とりあえず、帰ってこられる?』

「う、うん、うんっ。すぐ帰るっ」

 通話が終わる。

 舞はみんなに事情を話す。

「お母さんが、おばあちゃんから話を聞いたんだって。何か、わかったみたい」

「マジか」

「よかった」

「舞、帰るの?」

 栞奈が尋ねる。

「う、うん」

「じゃあ、わたしも行っていい? 心配で放っておけないよ」

「……ありがとう」

「お、俺も行くっ」

「わたしも」

「俺も俺もっ」

 結局、みんなで舞の家に行くことになる。

 しっぽがばれないようにしながら、ファミレスを後にした。



「ありがとうございます」

「どうも」

「いいえ、みんな、舞のためにありがとうね」

 舞の家。

 クーラーのきいたリビング。

 長いソファに、舞たちが座っている。

 とりあえず、みんなに冷たい飲み物を出し、キッチンへ引っ込むお母さん。

「なあ、雅」

「なんだよ、ナツ」

「舞のお母さんて、めちゃめちゃ若くないか?」

「……ああ、ぶっちゃけ、女子大生でも通用するレベルだよな」

「だよな。最初見た時お姉さんかと思ったよ」

「……いいよな、ああいうお母さん」

「……ああ、いいよな」

「おい、スケベ男子二人」

「いっ」

「こりゃ、どうも」

にこー。

 栞奈の威圧的な笑顔に恐縮する男子二人。大人しくしておこうと思った。

 最後に、お茶菓子を用意して、お母さんもソファに座る。

「みんな、改めて、舞のためにありがとう。娘にこんなにたくさん、いい友達がいてくれるなんて、とても嬉しいわ」

「どういたしまして」

「舞のためなら、何でもしますよっ」

 栞奈が自信満々に言い切る。

 男子二人も続く。

「そうですっ」

「俺ら、何でもしますいてえっ」

 ナツが栞奈に叩かれた。スケベ心から、わざわざいいカッコをしていると思われたのだろう。

「よかったわね、舞」

「――うん」

 お母さんは、微笑んでから、本題に入る。

「それじゃあ、一つ、みんなに物語を聞いてもらいます。わたしも、さっきおばあちゃんから聞いたばかりだから、うまく話せないかもしれないけれど……舞の猫耳と関係のありそうな話だから、ご清聴ください」

 ――そうして、お母さんは、話し始めた。

 舞の、ご先祖様の話を。



 江戸時代の頃。

 舞のご先祖様に、与作という少年がいた。

 与作は、次男だったので、奉公に出されていた。

 ある日、奉公先に頼まれた仕事で帰るのが遅くなり、暗い夜道を一人で歩いていた。

 すると、曲がり角で、何かにぶつかった。

 見ると、倒れているのは自分と同じ年くらいの少女。

 ひどいことをしてしまったと思い、手を貸そうとして――ぎょっとする。

 なんと、少女は頭から猫の耳を生やし、お尻からはしっぽが伸びていた。

 妖怪だ。

 そう思った与作は恐れおののき、わが身を守るために警戒した。

 科学が発達しておらず、妖怪の存在が信じられていた時代。

 おまけに、身の毛もよだつような妖怪の話を聞いたことがあった与作は、喰われるのではないかと本気で心配した。

 ――けれど、


 雲が晴れ、


 月明かりが零れて、


 少女の姿が明らかになると、


 与作は――目を見張った。


 猫耳を生やした少女は、とても美しく、可愛かった。

 その幻想的な、この世ならざる愛らしさに、与作の恐れは吹き飛んだ。

 それに、こちらを見て怯えている様子から、とても邪悪な妖怪とは思えなかった。

「大丈夫ですか?」

 与作は、優しく声をかけ、手を差し伸べた。

 猫耳少女は、じっとその手を見ていたが、やがて、その手をとった。

 見ると、猫耳少女は、足に怪我をしていた。

 自分のせいでできた傷かと思ったが――どうも、そうではないようだった。

 しかし、放ってはおけないので、近くの小川で傷を洗い、布で手当てをしてあげた。

「ありがとう」

 言葉を話せないかと思っていたら、突然、猫耳少女の口からお礼の言葉が降ってきた。

 とても美しい声だった。

「どういたしまして」

 ――その日から、

 二人は、たびたび会うようになった。

 一度は、名前も聞かずに別れた二人だったが、後日、猫耳少女の方から、与作のところへ会いにきた。

 少女は、名を凛と言った。

 与作も、自分の名を名乗った。

 二人は、周りに悟られぬよう、幾度も幾度も、逢瀬を重ねた。

 ある日の夜祭の時。

 二人は、人気のない場所で、祭りの灯りや人々が踊り騒ぐ様子を見ていた。

「綺麗」

 凛は、感動している様子だった。

 そんな凜を見て、与作は嬉しくなった。

「本当は、わたしも踊りたい。あんな風に」

 楽しそうに踊る人々を見ている凛。

 与作は、凛の足を見た。

 最初に会った時、手当てしてあげた怪我。

 妖怪である凛が、猫の姿の時につけられた傷とのことだった。

 思ったよりも悪いらしく、まだ治っていなかった。

 詳しくは聞かせてもらえなかったが、どうも、普通の傷ではないらしい。

 立っていても、歩いていても痛いと言うのだから、踊りなどとても無理だろう。

「来年のお祭りで、一緒に踊ろう」

「……」

「足が治れば、他にも色んなことができる」

「……うん。――ありがとう」

 微笑み合う二人。

 それは、一緒にいることで安心できる――幸せを感じることのできる……そんな二人にしかできない笑みだった。


 ――。


 猫の、鳴き声。


 それは、可愛らしいものではなく、とても邪悪で、醜く、恐ろしい声だった。


 その声が増えるとともに、二つの赤い光が、次から次へと、増えていく。


 与作と凛の周りは、恐ろしい鳴き声と赤い光でいっぱいになった。


『去れ、人間』


 人間の言葉。

 けれど、その声を発しているのは、人間ではないと、与作にはわかった。


『我が一族の者を惑わすな、人間』


『離れよ、人間』


『食い殺すぞ、人間』


 猫。

 夥しいほどに集まった猫たちの姿、声。

 暗闇の中でわずかばかり確認できるそれらの存在に、与作は、立ちすくむ。

「……」


『凛、その人間から離れよ』


「……」


『離れよっ!』


「っ――……」


 凜は、涙を流しながら、与作から離れた。

「凛――」

 与作はとっさに手を伸ばす。が、殺気を感じ、手が止まる。


『人間と我らがそのように交わるべきではない』


『去れ、人間』


『今すぐこの場を去らねば、貴様を食い殺す』


『二度と、凛と関わるな』


 恐怖。

 猫たちの、『殺す』という言葉が真実であること。

 その気になれば、この夥しい数の猫たちは、簡単に自分を八つ裂きにできること。

 それらすべてを理解して、与作は、震える。

「……いやです」

 ――それでも、

「僕は、凛と離れたくありません」

 与作は、自分の気持ちを正直にぶつける。

 猫たちの毛が一斉に逆立ち、体勢が変わる。

「僕は、凛と――」


「与作っ」


 叫んだのは、凛だった。

 与作は、凛を見た。

「っ」

 凜は、――泣いていた。けれど、笑っていた。そうして、何かを伝えるように、首を振った。

 それで、与作は悟った。

 自分は、殺される。

 このまま、自分の気持ちを正直に全部言ったら――確実に、殺されてしまう。

 心のどこかで、そうはならないと思っていた。

 自分の気持ちを伝えれば、猫たちはわかってくれるのではないか。

 そう、思っていた。

 けれど、そうではないことを、

 自分の考えが的外れなものであることを、与作は、凛に教えられた。

 ……このまま、自分が食い殺されたら、どうなる?

 何が怖い? 何が一番怖い? ――それは、凜が悲しむことだ。

 自分がここで殺されたら、凛は、悲しむ。

 ――それは、死よりも怖いことだった。

「……」

 一歩、……二歩。

「……」

 三歩、四歩……。

 与作は、歩き出す。

 すると、猫たちが道を開く。


『去れ、人間』


『そのまま、去れ』


「……」

 このまま逃げたら、どうなる?

 生きられる。

 そんなことは、どうでもいい。

 ……凜に、もう二度と会えなくなる。

 いやだ。

 そんなのは、絶対にいやだ。

 ――けれど。

 与作が、猫たちの開けた道を通り過ぎると、猫たちはその道を塞いだ。

 凜を守るように、円形になる猫たち。

 与作と凜は、完全に分断された。

 猫たちの姿が、静かに、闇に溶けていく。――凛と共に。

 その光景を見ながら、与作はたまらずに叫んだ。


「凛っ!」


 喉が裂けるかと思うほどに、叫ぶ。


「また、いつか、必ず会おうっ!」


「約束通り、一緒に踊ろうっ!」


「必ずっ! ――必ずっ!」


「――――っっっ、うんっ!」


 与作の声は、凜に届いた。

 凜の返事が聞こえる。

 やがて、凛の姿も声も、猫たちの姿も声も消え失せる。

 風が、吹く。

 目の前には、闇が広がっている。

 遠くには、祭りの灯りが輝いている。

 もう、いくら名を呼ぼうと、叫ぼうと、凛に届くことはなかった。

 与作は、くず折れ、涙を流した。

 ――それから、与作と凜は、もう二度と、出会うことはなかった。

 数年後、与作は商屋の若い娘と結婚する。仕事にも精を出し、子をもうけ、幸せな家庭を築いた。

 けれど、猫耳を生やした少女と、その少女と交わした約束が、胸の中から消えることはなかった。

 臨終の際、年老いた与作は、自分の子供に話を聞かせた。ある日出会った、猫耳を生やした少女のこと、その少女と交わした約束、その結末――自分が初めて恋をした時の話を。

 息を引き取る与作。葬儀も済ませ、全てを終わらせた与作の子供は――その話を、書に記し、自分の子供に聞かせた。

 もう、与作はいない。凛という少女がその後どうなったのかもわからない。

 それでも、いつか……。

 いつか、その約束を果たすことができればいい。

 それは、いつか? どのようにか? それは、わからない。

 それでも、この物語を忘れてはいけない。そう思った与作の子孫たちは――この物語を代々伝え続けた。



「――これが、私たちのご先祖様の話よ、舞。みんなも、聞いてくれてありがとう」

 そんなお母さんの言葉で、話は締めくくられた。

 暑い夏の日。

 まだ太陽は高く、外では蝉が鳴いている。

 けれど、部屋の中は水を打ったように静まり返り、違う雰囲気を醸し出す。

 感受性の強い沙織は泣いていた。

 莉乃も真剣な表情をしている。

 他のみんなも、似たような状態だった。

「――え、と」

 ナツが質問する。

「それ、本当の話……なんすよね?」

「どうかしら、昔から私たちの家に伝えられていることは事実みたいだけど、作り話の可能性は、もちろんあるわね。おばあちゃんも、わたしに伝えることというか、そういう話があったことも忘れていたみたいだから」

 おばあちゃん――つまりは、舞のお母さんのお母さん。

 危うく、そこでこの物語がストップするところだったようだ。

「でね、このお話に出てくるお祭りが行われていたのが、この近くの柊神社なんですって」

 柊神社。

 舞の家から少し歩いて行けるところにある小さな神社。

「? 莉乃、どうかしたの?」

「え――いや、別に」

「そう?」

 舞のお母さんが提案する。

「だからね、もしかしたらなんだけど、その神社で舞が踊れば、想いが成就されて、猫耳の呪い(?)が、消えるのかもって、お母さんは思うんだけど、どうかしら?」

「ああー、なるほど」

「そうっすよね」

「その神社のお祭りの踊りを見て、凛ていう猫耳の女の子が踊りたくなって――」

「それで、一緒に踊ろうっていう約束をして、でも、その約束が果たされないままだから……」

「あり……かな?」

 みんな、舞のお母さんの意見に賛同し始める。

「ち、ちょっと待って、お母さん、みんなも」

 けれど、舞が慌てる。

「踊るって、わたしが? 一人で?」

「どうなのかしら? 誰かと一緒の方がいいのかしらね? やっぱり、男の子と?」

「あ、なら、俺が」

「いや、俺が……あ、そうだ。どうせなら、舞のお母さんも一緒に」

「おお、いいね。どうすっか、舞のお母さん……」

「ナツ、雅」

「……」

「……」

「ナツ、雅」

「いや、やっぱ俺じゃ役不足かな」

「そうだな、お母さんまで一緒に踊ることないしな、うん」

 栞奈から名前を二回呼ばれた男子二人が自重する。

「でも、舞。他にできそうなことはないんだから、とりあえず、やれそうなことをやってみたら?」

「で、でも、わたし、踊りなんて全然知らないし。やるとしても、どんな踊りがいいの?」

「適当でいいんじゃないかしら? こう、心の赴くままに」

「いやいやいや、できないから」

「じゃ、わたしたちで作ろうよ」

 言い合う舞とお母さんに、そう声をかけたのは栞奈。

「わたしたちで、オリジナルの踊り――ダンスを。猫っぽい可愛いやつ」

「ええっ」

「今の話が本当にあったことなのかなんて、確かめようがないし、でも、舞の頭には実際に猫耳が生えてるし、それに、このお話が代々伝えられてきたことは確かなんだからさ。やるべきだと思うよ、踊り」と、栞奈。

「わ、わたし、踊りの本、いっぱい借りてきますっ」と、沙織。

「……知り合いに、踊りに詳しそうな子いるかも」と、莉乃。

「猫耳なんだから、どうせならメイド服とかで」と、ナツ。

「いや、いっそのこと、水着とか。猫耳水着。あ、スク水っ!」と、雅。

「あら、可愛くていいかもしれないわね」と、舞のお母さん。

「でっしょー、舞のお母さんっ」

「どうせなら、舞のお母さんもどうですか?」

「あら、そう?」

「そうですよっ、絶対似合いますって!」

「もう最高ですよすいません栞奈さん許してくださいごめんなさい」

 懲りない男子二人は栞奈の制裁を受ける。

「……ほ、本当に、やるの?」

 盛り上がるみんなを見て、困惑する舞。

 そんな舞に声をかけるお母さん。

「楽しいわね、舞」

「いや、楽しくないし……ええ?」

 かくして、舞が踊ることが決定した。



 数日後。

 踊りを完成させた舞たちは、柊神社にいた。

 この数日間、みんなで舞の家に集まったり、図書館やインターネットで調べたり、莉乃の親友の子に話を聞いたり、公園で練習をしていたら子供に見られてからかわれたり、色んなことを経験して、今日に至る。

 結局、踊りは舞が一人で踊ることになった。

 踊りの名前は「にゃんこ踊り」。

 可愛らしくも江戸時代っぽさを表現できるようにした。

 栞奈が、スマホに移した音楽データの準備をする。

「いい? 舞、行くよ」

「……う、うん」

 ここまで来ても羞恥心が消えない舞。

 というか、お母さんから聞いた話が全て作り話で、踊っても猫耳としっぽが消えなかったら恥ずかしすぎる。……そんな風にしか思えない。

 幸い、今、神社には自分達しかいないけれど……。

「スタート」

 スマホの画面のボタンを押す。

 オリジナルの曲が流れ始める。

 それに合わせて、舞は踊りを始める。頭に猫耳、お尻にしっぽを生やしたまま。

 音楽に合わせ、手を猫の形にして、可愛らしい動きを繰り返す。

「……可愛い」

「うん」

「可愛い」

 栞奈、沙織、莉乃は、そのあまりの可愛らしさに感動する。

 それは、ナツと雅も同じだった。

「……練習の時にも、思ったけど」

「ああ」

「超、可愛いな」

「ああ」

「奇跡だな」

「ああ」

「ていうか、元々、相原さん可愛いもんな」

「ああ」

「可愛い女の子に可愛い猫耳が生えたらそりゃ最強だよな」

「ああ」

「雅、魂が抜けかかってるぞ」

「ああ、感動のあまりな――」

 踊りは続く――すると、


 にゃあ


 にゃあにゃあ……


「え?」

「うそ」

「……なにこれ」

 どこからともなく、猫が現れる。次から次へと、わらわら集まってくる。

 そうして、舞の周りを円になって歩き始める。

「マジか、これ」

「現実なのか、これ」

「でも、可愛い」

「うん、可愛いwww」

猫耳を生やした少女と、その少女と一緒になって踊る猫。

素晴らしい光景がそこにはあった。

「ちょ、ちょっと待って」

 莉乃が声を上げる。

「あの猫、二足歩行してない?」

 見ると、くるくる舞の周りを歩いている猫に交じって、何匹か、二本足で立って、しまいには両手を左右に動かして踊っている猫がいる。

「……えっと、いいの、これ?」

「……でも、可愛いよ」

「可愛いから、いいんじゃない?」

「え、いいの? 可愛いから、いいの?」

 ぴょんぴょこ踊る猫。

「……ま、可愛いから、いいか」

 ついに、莉乃は受け入れた。

 踊りはクライマックスに向かい、可愛さはますます増していく。

 栞奈たちは、もう目が離せなくなり、最高に癒されている。

 ――そうして、フィニッシュ。


 にゃ~ん❤


 決めポーズを決める猫耳舞と――猫たち。

 最高に可愛い奇跡がそこにあった。

 にゃ~、

 にゃ~にゃ~、

 にゃあ。

「え、ちょ、え」

 猫たちが、舞の足に擦り寄る。

「可愛い~」

 その姿に、栞奈はもうでれでれ。

「踏んじゃう、踏んじゃうから、危ないから、ねえ」

 猫たちは構わずに舞にじゃれつく。

 まるで、愛しいものにそうするように。

「あ、――相原さん」

「え」

「頭。しっぽも」

「……頭……あ」

 頭に手をやった舞は気付く。

 ……猫耳が、ない。

 お尻を触る。

 ない。

 しっぽも、ない。

「……よ――よかったああああぁ~~~~」

 心底、安堵したように、しゃがみこんで涙ぐんで喜ぶ舞。

「よかった。ない。ない。戻った。戻ったよ、わたし」

 にゃあ。

「ありがとう、ありがとうね、にゃんこたち」

 感動のあまり、猫たちの頭を撫でまくる舞。

「みんな、本当に、ありがとう。みんなのおかげだよ。ありがとうっ」

「舞~」

 栞奈は舞に抱き着く。

 喜びを分かち合う二人を見て、みんなも安堵する。

「よかったね、本当に」

「うん」

「てことはさ、あの話、やっぱり、本当だったってこと?」

「だよな」

「……世の中、不思議なこともあるんだねえ」

 まだ喜んでいる舞と栞奈。

 それを見守る莉乃たち。

 天気は快晴。

 流れる雲は美しく、

 神社の中を心地よい風が吹き抜ける。

 こうして、舞の猫耳騒動は一件落着した。



「はあ~」

 夜。

 お風呂上がりでパジャマ姿の舞。

 あとはもう、寝るだけ。

 ベッドに仰向けに倒れる。

 心地いい。

「……」

 昼間、猫たちと一緒に踊りを踊って、猫耳としっぽが消えて、

みんなに、いっぱいいっぱいお礼を言って、お母さんにもお礼を言って……。

 ――終わってみると、なんだかんだで、楽しかったのかもしれない。

 少なくとも、数年後、数十年後、思い出した時、みんなと今日のことを話し合う時……いい思い出として笑い合えることは、間違いない。

「寝よ」

 リモコンで灯を消して、ベッドにもぐりこむ。

 目を閉じて、眠りの世界へ旅立つ。

 ……。

 その夜、舞は夢を見た。

 そこは、とても広い場所で。

 青い空が澄んでいて、白い雲が浮かんでいて、どこまでもどこまでも、綺麗な花々が広がっていた。

 そこで、一人の少年と、一人の少女が、手を取り合って踊っていた。

 少女は、頭から猫耳を、お尻からしっぽを生やしていた。

 二人は、嬉しそうに、幸せそうに、踊っていた。


 くるくる、くるくると――……

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にゃんこ踊り 千歌と曜 @chikayou

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