馬の耳に念仏

「まさかあなた‼︎」

 短く叫んだタエは素早く一歩退くと両手を使って印を結んだ。

「おんばたまく!なうばばや!」

 次々と結んでは切った印の最後に、彼女の揃えた三本の指が謎の男にビシリと向いた。

「そばか!!!」

 不可視のエネルギーの塊がその指先からほとばしり、肘掛け椅子に腰掛ける優男に向かって矢のように飛んだ。


 ふわっ


 男の前髪が持ち上がり、その手入れされた端正な眉が露わになる。


「良く練られた法力だ」


 男は立ち上がる。


「だが、この体は正真正銘人間だよ。対魔の呪法は効果がない」


 タエは構えを解くと溜息を付いた。


「じゃあ誰なのよ」


 彼女は着たままだったジャケットを脱ぎ、肩袖にハンガーを通して壁のフックに掛けると少し形を整えた。


「父からこの事務所を継いだ時、初めは鈴川タエ除霊事務所でやってた。でも、全然依頼が入らない。たまに来た依頼人も、スタッフが私一人と知るとキャンセルになった」


 続きを謎の男が継いだ。


「だから君は一計を案じた。即ち、架空の男性霊能者を設定し、その男が所長だとし、自分は助手だと言って依頼を受けた」


 タエは頷いた。そして男の説明の続きを引き継いだ。


「そのアイデアは大成功。明治初めの廃仏毀釈の頃に敷設された様々な封印や護法はそろそろ軒並み期限切れで、全国的に霊的トラブルが増加傾向にあったのも経営には追い風だった。私は時には一人で、時には組合に協力して貰って、光熱費も税金も、組合の会費もきちんと払って儲けが出るようにはなった。諸々の借金も、もうすぐ完済できる」


「全てはその所長、黒金忠孝のお陰──」

 男はタエに向き直り、ネクタイを直しスーツの襟をピッと引っ張った。

「──つまり僕だ」


「……誰から聞いたか知らないけど、働きたいなら妙な押し売りはやめて履歴書持って面接に来なさい。大方異能も何も持ってないノーマルでしょ、あんた。労働基準法ギリギリ低賃金で良ければ、ボディーガード兼荷物運びとしてなら考えなくもないわ」

「僕がノーマル?」


 黒金忠孝を名乗る男は不敵に笑った。


「ではお見せしよう。僕の独創的かつ強力無比、空前絶後にして驚天動地の異能を!」

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