第20話・荒ぶる妹の恋指南

 「ねーちん、ただいま」


 すっかり暗くなってしまった部屋に、安久利が帰ってきた。

 灯りも点けてなかったことをおかしいとも思わなかったのか、黙って台所の電気をつけると、あーしが横になってるのを見つけて、


 「ねーちんが死んどる」


 と、とんでもなことを言っていた。

 いんやまあ、気分としては大体そんな感じなんだけど。


 「おかえり」

 「うい」


 それでも普段から、いってきますとただいまはちゃんと言えよ、と言い聞かせてる身としては死にっぱなしというわけにもいかなくて、それ位のことは言わなきゃならんわけでだな。


 「なんだこれ?」


 けど床に転がってたチョコを拾い上げてるトコにまでは応える気力も無くって、ただ「ほっとけ」とだけ言って、あとは放置することしかできないのだった。

 それでも安久利は何かあったことくらいは察してくれてか、ふーん、と部屋に引っ込んでく。

 襖の向こうで安久利の着替える音を聞きながら、あーしはついさっき半泣きで、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し言いながら帰っていった阿野のことを考える。


 …別になー、コクったからって大喜びされて、その瞬間から二人は恋人同士になりましためでたしめでたし…って期待してたわけじゃねーけど、まさか泣かれるとは思ってなかった…。

 そして、気持ちは嬉しいとか言ってたけど、でもそれもあーしを傷つけないように気をつかってただけなんじゃねーか、って考えてしまう。


 「どーこで間違えたんかなあ……」


 そりゃ、さ。女同士で好きとか言うのがいいことじゃないのかもしれないけど、姉とか妹とか言ってきたのは阿野のほうじゃん。好きっていうのとどう違うんだよ。いろいろ細かいことごちゃごちゃ言ってて、でもあーしにはわかんねーよ。あたまわりーし。

 それにな、女同士がダメだって、阿野が言ってたとしても、そうですねとはぜってー言えねーんだ。でなけりゃ、昨日芦原さんが泣きながら告白してくれたことを否定しないといけなくなる。そんなこと自分にさせられるわけねーじゃんか。

 寝返りをうったみたいにごろんと反対側を向く。安久利が拾って、そのまんまほったらかしにしたらしいチョコの包みが目に入った。

 …これ、昨日芦原さんちから帰って来る途中で買ったんだよな。

 たまに行くケーキ屋で、もうバレンタインも終わりっつーことで半額で売ってたのを、あーしの気持ちまで半額にされてしまうみたいに感じて、割引き前の値段を押しつけてきたんだ。したら、お店のひとが「がんばって!」ってすげー応援してくれてさー…。次にお店行ったらどんな顔すりゃいいんだよ、もう…。


 「…で、何があったん?」


 てな感じにたそがれてたら、着替えの終わった安久利が出てきて、こう聞いた。

 んー、チョコが転がって、姉もおんなじように転がってたんなら大体想像はつくと思うんだけどな。

 …まーいいや。安久利にも無関係ってわけじゃねーんだし。

 あーしは身体を起こして座布団に座り直し、対面にあった座布団を指さして言う。


 「安久利。説明しちゃるからここ座り」

 「ん」


 あーしの言いつけには素直な安久利が、言われたように腰を下ろす。あーしは胡座で、安久利は女の子座り。

 で、そこはついさっきまで阿野が座ってた場所だ。だからといって何がどーするってわけでもねーけど。 


 「で、何があったん?ねーちん」


 そう急かすなっての。こっちにも気持ちの整理ってもんがあんだから、と口にしたわけじゃないけど、安久利は大人しく待って…。


 「お腹空いた。はやく終わろ?」


 …はくれなかった。や、確かに腹減ったけどさ。かーさん今日は遅くはならんってたけど、支度くらはしなけりゃなんねーけどさ。

 しゃーないか。空腹に背中押されて言いにくいことを言う、っつーのもあーしらしいっちゃあ、あーしらしいしな。

 こほん、と咳払い。そういやこれって勿体ぶるときの阿野のクセだったな、となんとなく苦笑。したら、妙な気負いは消えたみたいだった。


 「安久利」

 「ん」

 「ねーちゃんな、フラれたわー」

 「…かわいそうにな」

 「同情してくれるかー?」

 「うん。ねーちんに惚れられた相手が気の毒で」


 てめそりゃどーいう意味だよ、と手を伸ばしたらひょいっと躱され、空ぶったあーしは思いっきりずっこける。


 「だってなー、にぶちんのねーちんが自分からゆったんだから、諦めるわけねだろ?そんなんに狙われたらもうお終いだ、って思うもんじゃん」

 「……………はあ?」

 「せんせも大概にぶちんだしな。けどねーちんが先に気付いてしまったんだもんな。そんでいー加減焦れたねーちんは、差し違える覚悟で、せんせにソレを突き付けた。で、好きだから付き合え、とゆった。違う?」

 「………だいたいあってる」


 だろ?と安久利はすげードヤ顔。なんだか姉としての立場がなくて、困る。

 ていうか。


 「…なんで相手がわかった?」

 「ねーちんは時々すげーアホ」

 「なんだとこのやろー」


 ポーズとしては怒ってみせたけど、時々、で済んでるあたり、安久利の評価はそんなに低いもんでもないらしい。なにせ本人は年中無休でバカだと思ってっから。


 「なんでも何もだなー、せんせがウチに来るようになってから、ねーちん家に帰ってくるの早くなってんもん。それにそれほど好きでもなかった料理、ずんずん上手くなってったのはせんせにいいとこ見せたかったから。ちがうか?」


 どうなんだろ。

 阿野が来る時に安久利と二人きりにさせなかったのは、安久利にまで姉だの妹だの言い出させないように、だったし。

 …いや。まさかとは思うけど……いんや、もう取り繕う必要もねーよな。安久利に嫉妬してたんだわ。勉強してる二人が羨ましかったっつーか、あーしの出来ないことで仲良くしてるのが、面白くなかったんだ。

 …なーにやってんだかな、あーしも。

 けど料理については安久利の指摘は多分間違ってる。純粋に、美味いメシ作るのが楽しくなったからだ。メシ作って家族や阿野が喜んでくれるのが、素直に嬉しかったんだ。

 そんで、メシ作る時に、作ったメシ食ってる時に、阿野とあーでもないこーでもないって話をするのが…すげー楽しかったんだ。

 それで、それはあーしにとっては自慢したくなるくらいのことだから、安久利にも分かってほしくって、そう言ってやる。


 「そか。せんせもねーちんと並んでご飯作るときはむっちゃ楽しそーだったもんな」


 妹のくせに、親のよーな顔でほんわか言いやがった。くそー、自分のことみてーに喜びやがって…ねーちゃんは嬉しいぞ! 

 でも安久利の顔は一転して曇る。で、首をひねりながら、言った。


 「…だけどわかんねーのは、なんでねーちんがフラれたか、なんよ。せんせもねーちんのことは割と好きだと思ってたんだが。なんで?」


 だなぁ。こればっかりは当人から聞かねーとわかんねーもんな。

 でも悪い、安久利。きっとこれは、あーしが考えないといけないことなんだと思う。

 自分で考えて、それで結論出さないと、阿野にチャレンジすることが許されなくなる。なんとなく、そう思う。


 「さーてな。あ、でも安久利。一つ聞いていーか?」

 「ん?一つと言わず二つでも三つでもいーぞ?」

 「さんきゅ。あんさ、女が女を好きになるって、どう思う?」

 「…………………………わからん」


 長考した割には頼りない答えだった。


 「だってな、かーさんに孫の顔見せてやりてーもん。女だけじゃ子供産めねーし」

 「……意外と難しいこと考えてんのな」

 「ねーちんが考え無しなだけ」


 ちぇっ。妹に現実突き付けられた感じ。


 「まー、でもな。ねーちんの好きにすればいーと思うよ。孫とかそーいうんはこっちに任せとけ」

 「任せとけ、はいいけどおめーこそどうなん。好きな男の子とかいるのか?」

 「おるよ?」

 「……え」


 思わず固まるあーし。

 いや、安久利にそーいう話があるかどうかは…確かめたこと無かったけど、そもそもあーしよりもずっと変わりモンだと思ってたから、てっきりそういう話とかは縁が無いものと…。


 「ちゅーか、彼氏おるし。今度連れてこよか?」

 「ちょっ、お、おいそーいうことは軽々しく言うもんじゃねーと…」

 「いや、かーさんも知ってるし」

 「どぉいうことだよぉぉぉぉぉぉっ?!」


 …家族であーしだけがハブられてた気分だった。


 「ねーちんに言うとヘンに焦ってつまんねー男つかまえそーだから内緒にしてて、とかーさん言ってた」


 ……しかもかーさんが容赦なかった。




 「ん、分かった。メシはてきとーにしとくわ………んなことねーよ、まだまだかーさんの方が上だって。手際とか。あ、いやそういうわけじゃー………分かってるって。んじゃ明日の朝な。うん、気をつける。おやすみ…仕事がんばってな。仮眠ぐらいとれよ」


 安久利との話も終わって(いや安久利の彼氏発覚で大分紛糾したんだけど)メシの準備始めるっか、という頃合いにかーさんから急患が入ったのと同僚が急病で来られなくなったのでそのまま夜勤に突入する、という電話が来た。

 しょっちゅうではないけど、たまーにあることだからあーしも安久利も心得たもので、今晩は姉妹水入らず、ってわけだ。


 「安久利ー、かーさん今日…」

 「わーった。風呂沸かしてくる」

 「頼むー」


 聞き分けが良すぎてすこし不憫になる。安久利が小学生であーしが中学生のときなんかは、寂しがって結構泣き出してたもんだけど。

 ちなみに、もっと小さい頃はもう引っ越していった隣の青木さんちに泊めてもらってたりしたなあ。青木さんとこのばーちゃん、元気なんかな…と、浸ってる場合でもねー。


 「さぁて、明日帰ってきたときのために、なんかガッツの出るモンでも作っといてやっかあ」


 壁に引っ掛けてあるエプロンを取りに行く。

 そうしたら、あーしのエプロンの隣に掛けられてた阿野のエプロンが目に入った。

 …なんだかな。このまんまでいいとは思わねーけど、かといって勢い任せの力押し続けてもうまくいくとは思えねーんだよな。

 阿野の事情は、まあ分かった。あーしのことを恋的な意味で好きというのとは違うんだと思う。多分、だけど。

 口説きに自信があるか?といわれりゃあ…あるわけがねー。だってコレがあーしの初恋なんだもんな……って初恋とかってガラじゃねーよあーしはっ!


 「…ねーちん、せんせのエプロン握りしめて悶えるほど恋しいのけ?」

 「ちがうわっ!…あ、いや違わねーけど、そういうんじゃねーから」

 「どっちでもいいけど」


 いいのか?

 あーしが考え事をしてるうちに風呂の準備が終わった安久利は、ふと気付いたように阿野のエプロンを見ながら、聞いてきた。


 「あんさ、ねーちん。一つ聞いてもいーか?」

 「なんだよやぶからぼーに。いっぱい話聞いてもらったから構わねーけど、あんま長くなるよーだとメシが遅くなるぞ」

 「いや、せんせなんだけど」

 「……うん」


 エプロンを首にかける手が止まる。この期におよんで何を言うつもりなんだ。

 我ながらビクついてるあーしの顔を、安久利はすんげぇ疑わしげに見ながら言う。


 「明日、かてきょの日なんだよな。どーすんの?」

 「……あ」


 わ、忘れてた…こんなくっそややこしい時にいつも通りの顔するなんていくらなんでも無理だぞ、あーし……いやそれ以前に阿野の方だって顔会わせづらいだろーし……。


 「…あ、明日はねーちゃんがみてやっても、いい…ぞ?」

 「ねーちんアホだから無理」

 「おぃぃぃっ?!確かに成績良くはねーけど中坊の勉強くらい…」

 「ねーちん、な?今せんせにはさ、中三のべんきょみてもらってんの。出来る?」

 「げ……お、おい安久利おめーまだ二年だろ…?そんな急いでやんなくても…」

 「出来るん?出来ないん?」


 にじり。そんな感じで一歩踏み出した安久利には、普段ぽやんとした妹らしからぬ迫力があった。

 そして中三の勉強と言われてあーしは…受験の時の体たらくを思い出し、がっくりと項垂れる。


 「………ごめんなさい、できません」

 「ん、よろしい。んじゃ、コレ」

 「これ?」


 そんな殊勝な態度をとったあーしに、妹が追い撃ちをかける。


 「……あの、安久利…さん?これはスマホというものですが……ま、まさか…」

 「ん。今からせんせに電話して、『明日の家庭教師は来てくださいね』と言う」

 「鬼かお前はっ?!」


 ついさっきフラれた相手に、明日来てね、とか言えるわけねーだろっ!!


 「…ねーちんは往生際が悪い」

 「まだ往生してねーよっ!」

 「ねーちんはヘタレ」

 「やかましいわっ!!」

 「諦めるつもりはないんだな?」

 「あるわけあるかっ!」

 「じゃあ、はい」

 「う…」


 更にあーしのスマホを突き付ける安久利。

 …いやさあ、確かに阿野を諦めるとかありえねーよ。けど昨日の今日とか言うけどこの場合ついさっきだぞっ?!舌の根も乾かないってこーいうことを言うんだろ?!


 「それぜんぜん違う。舌の根も乾かぬうち、ってーのは…」

 「ああもう分かったよ!電話すりゃいいんだろコンチクショウ!」


 安久利の手からスマホをかっさらい、代わりに握ってた阿野のエプロンをぶん投げる。

 顔でそれをキャッチした安久利だったが、ポトリと落ちたエプロンの下からあらわれた顔には満面の笑みが浮かんでた。


 「それでこそねーちんだ」

 「うるせーこうなりゃもうヤケだ!妹にここまでコケにされて黙ってたら女がすたるわっ!………あーもしもし阿野?」


 そして、履歴の上から二番目にあった名前をタップするだけで、阿野に繋ぐ。

 正直勢いだけでとった行動だけどそれでも、阿野の声が聞きたくて、電話の先でもいいからその息づかいを感じたくて、心は逸っていた。

 それはきっと、あーしなりの恋情のしるし、ってやつなのだろう。

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