第18話・姉妹以上?恋人未満?(前編)

 葛葉さんが脅…なんだか意味深なご助言を下さったので、わたしとしてはいくらか構えていたのですけれど、ここしばらくの間は理津も大人しいものでした。

 あなたも期末試験があるでしょうし、勉強みてあげましょうか?という申し出にしばし考えたのち、「タダでしてもらうのも気が引けるから遠慮しとく」と言われたくらいのもので、これまで通りに週二回、安久利ちゃんの勉強をみて理津に料理の手解きをして、という日々が続いています。平和そのものです。

 ただ理津はやっぱりですね…頑なにわたしとの契りを拒むことに違いはなく、どうにもわたしとしては手詰まり感があるのですよね…それなりに充実していますので不満はありませんが、なんだか寂しいなあ、とは思うのです。

 で、そんなこんなで二月十四日の夜のこと。いえ、二月も半ばになると大分日が長くなるもので、夜というには少しばかりはばかりのある、空も紫に染まった頃合いでした。

 ちなみに今日がどんな日かは、いくらわたしが世情に疎いと申しましても気がついています。恋する女性が愛しい男性に文など添えて菓子を贈ることの許される、日本の恒例行事ですよね。素晴らしきかな我が国の文化。これほど長く続く伝統は世界的に見ても希なのではないでしょうか?………って、ええはいそうですよ、ばれんたいんでーとかいう俗世のよくぼーにまみれたお菓子会社の陰謀行事ですよねはいどーせわたしには縁がありませんよもうそれは中学の頃思い詰めて兄の友人に贈ろうと準備までしましたけど直前に彼の御仁のご婚姻を知らされましてお小遣いで用意したチョコは自分で半分泣きながら食べた思い出しかありませんがなにかっ?!……こほん、取り乱しました。我ながらみっともないことです。


 まあそんなことが昔あったので、若い娘としてはそれが正しいかどうかは別として今年も何ごともなかったとホッとしていた時です。

 わたしは自分の部屋にて、こちらも迫る期末試験のために勉学に励んでいました。

 勉強時、わたしはスマホなどは手元に置かず、マナーモードにしてベッドの枕元に置いておくのですが、ちょうど集中も途切れていたためか、振動で着信に気がついたのでした。


 「あら…こんな時間に誰でしょうか…って理津?どうしたんでしょうね…はい、もしもし?」


 少し前に比べると理津から電話が来る頻度は減っていましたので、わたしは「珍しいですね」と思いつつ着信ボタンを押して耳に押し当てます。


 『…あ、あー。ねーさん?』

 「……それ、もとに戻したんですか?」


 うう、なんだか耳元に懐かしく響く理津の「ねーさん」呼ばわり。まだわたしを姉と慕ってくれているのですか、あなたは…?


 『あ、ごめん言い間違えた。阿野ー?』


 がくっ。

 ぬか喜びとはこのことですかっ。


 「…別に間違えてはいないと思いますけど。あと流石に呼び捨てはまだ抵抗あるので少し控えてもらえるとありがたいです。それで何かご用です?家庭教師なら明後日だったと思いますけれど」

 『……つれねーなー。まーいいや。明日さー、その……どっか外で会えねーかな?』

 「お外で?」


 …また理津にしては珍しいことを言うものです。安久利ちゃんも一緒にしてのお出かけとなると、年始の初詣のお誘いを断った手前もあるので応じてあげたいところなのですが。


 「…ごめんなさい、三人でお出かけとなりますと今はちょっと時期が。というかあなたもそろそろ試験があるんじゃないですか?」

 『去年まで高校生だったくせに何言ってんの、阿野…っち。期末ならまだ余裕あるっしょ』

 「…そうでしたっけ?まあ学校が違いますので時期にズレがあっても不思議ではないですね。ああそうじゃなくて、わたしも試験が近いんですよ。安久利ちゃんの家庭教師なら構いませんけれど、流石に一緒に遊びに行くというのも…じゃあ三人とも試験が終わったら少し遠くに行きませんか?泊まりとまでは行きませんけれど、一日の小旅行くらいなら…」

 『じゃなくって!!』

 「わっ」


 いきなり叫ばれて思わずスマホを取り落としました。

 こういうデジタル機器が大好きな上の兄に奨められて購入した、割と高いものですので外で落としたりするとちょっと大変なのですが、家の中でよかったです。拾い上げて通話が切れてしまったりしてないか確認の上、会話を再開します。


 「…いきなり大声出さないでくださいってば。どうしたんです」

 『あ、わりー…。えとさ、じつわー二人きりで…そのー、話があって。明日でいーんで』

 「はなし、ですか?明日?お出かけじゃないんですよね?」

 『………うん』


 何だろう、と考えてみます。

 バレンタインデー…は今日なので、明日となると違いますよね。明日に何かあるんでしょうか?

 とはいえ、電話口の向こうの理津は、普段のごーほーらいらくを絵に描いたよーな少女っぷり(十七歳の女子高生に対する形容としてはどーかと思いますが)が影をひそめ、なんだか心細いことのあるごく普通の女の子、という印象でしたので、姉ゴコロがむくむくと沸いてきてしまったわたしに否も応もありません。


 「分かりました。そういうことなら構いませんよ。それで場所はどうします?深刻なお話のようでしたらどこか場所を確保しておきますけれど」

 『あ、じゃ、じゃあ…ウチでいーから。安久利も明日は友だちンとこ行くように言っとく。時間は…四時頃でもいい?』


 それは安久利ちゃんに申し訳ないのでは?と思いましたが、この時の理津…なんだかわたしの記憶にないくらいに思い詰めたような声に聞こえましたので、そこはいいようにさせることにして、手帳を確認。わたし、スマホになんでも記録する、ってことに慣れておらず、中学の時からずうっとペーパーを手放せないんですよね、って話がずれました。四時…うん、補講も入ってませんね。「大丈夫ですよ」と理津に伝えると、なんだかほっとしたほうな空気になっていました。ほんと、理津にしてはいろいろ珍しいです。


 まあともかく、わたしはちょうど休憩してもいいかな、と思っていましたので、どうやら帰り道らしかった理津と少し話をし、そして「もう暗いですし早く帰るんですよ」と姉っぽくたしなめてから、電話を切りました。

 うん、我ながら良い仕事をしました。今日のわたしはまた姉力が上がったと言えます。理津も…ちょっと不満っぽくぶーたれてながら、わたしの注意したことにも「はぁい」と素直に頷いてくれてましたから、より良き姉妹関係は築けたものと思います。

 ふふふ、最近理津とは少し距離感にズレがありましたので、ちょうどいい機会です。相談があるということのようですし、この際わたしの姉力を思い知らせて正しき姉妹関係を築き上げられるよう、全力を尽くす所存ですっ!!


 …ええ、この後は勉強がさっぱり捗りませんでした。姉力ではなく妄想力が暴走してくれたおかげで。



   ・・・・・



 そして翌日の、夕方四時ちょうど。わたしはいつもの通り、桐戸家を訪問しております。といっても、いつもの通りの家庭教師のためではなくって。

 そういえば家庭教師以外でうかがうのは去年のクリスマス以来ですね。その後の理津の様子が、というかそれ以後の理津は、わたしにとってはなんとなく、難攻不落、という表現が似つかわしい存在になってて、良い思い出でした、とは言い切れないのがちょっと無念なわたし。


 …なんでしょうね、あの子は。わたしにとって。

 わたしがわたしであるためのアイデンティティを確立するためには、わたしが姉たる存在であることを自分に認めさせるコトが必要だった。

 大げさに言えば、そういうことです。もちろん自分の趣味も多くは占めますけれど…むしろそれがメイン…いえ、なんでもありません。

 えーと、とにかく今日理津の求めに応じてわたしがここにいるのは、まず第一に理津のため。そして第二にわたしのため。順番を間違えてはいけない、ということです。さあ、心の準備は出来ました。扉を開けましょう…って、どうして心の準備とかいるのだか。変なことをいうわたしです。


 「理津ー?来ましたけど…開けてもいいですか?」

 『ういー。どーぞー』


 …なんだ、いつも通りじゃないですか。

 昨日の様子がなんだかちょっと気になる感じでしたので、少し心配していたのですが、その必要はなかったみたいですね。

 ではお邪魔します、と気楽に扉を開くわたしです。


 「いらっしゃい、阿野…っち」

 「…いえ、別にいいんですけど、その名前のあとに無理矢理『…っち』って付ける感じの言い方、なんとかなりません?」


 お姉さま、とまでは言いませんけど以前の「ねーさん」って言い方も、今となっては結構気に入ってたんだなあ、ってわたし実感。やっぱり理津には名前で呼ばれるのって、違和感ありますよ。


 「なんとかと言われてもー。別に意識してやってるわけじゃないし。それよりいーから上がって?」

 「は、はあ」


 もう一回、お邪魔しますと告げて部屋に上がりました。

 膝を床につけてしゃがみ、自分の履き物を揃えます。なるほど、いつもだったらあるはずの安久利ちゃんのスニーカーが置かれていません。今日はお友だちのところへ行ってもらった、というのは本当みたいですね…って、二人きりでする話って一体何なんでしょう?


 「阿野…っち、こっちに座って。はい」

 「なんだか今日はえらく改まってますね」


 いつものちゃぶ台にではなく、フローリングの上に置かれた二枚の座布団の片方に理津は座り、対面のもう一枚の座布団を指さし言いましたので、わたしは言葉に従いそのようにしました。自然、正座したままご対面、というカタチになるのです。なんだか改まってしまって…その、何でしょうか。理津がすごく真剣な顔をして、こちらを見ています。

 そんな有様に思わず気圧されるわたしなのですが、お姉さまとしてそれはイカン、と咳払いをひとつ。そして、聞きました。


 「それで、話ってなんです?理津に困ったことがあるならなんでも相談にのりますから。ただ、前も言いましたけど男の子のことでしたらあまり役には立てないかもしれませんけど…えと、その興味もあるのでお話を聞くだけ、くらいならなんとか…」

 「はい、コレ」


 わたしの申し出の言葉など無視したように、理津は軽く俯き気味に何かを床に置き、それを滑らすようにしてわたしに差し出します。


 「…なんです?」


 見ると、あまり大きくはないもののきれいな赤い包装紙に包まれた小箱で、丁寧にリボンでラッピングなどされております。

 どうもわたしに下さるもののようで、その小さな箱から視線を上げて理津を見ると、受け取って、とだけ言ってそのままわたしから目を逸らそうともしませんでした。

 それがまた睨み付けるような姿でしたので、わたしは逆らうことも出来ずにそのまま箱を取り上げ、一体どんなつもりなのだろうかと正面から見たりひっくり返してみたりします。

 そのうち、リボンをとめているシールの表面に書かれた文字に気がつきました。電灯の点けられていない部屋の中、わたしはちょっと苦労してその字を読み取ります。なになに?…ええと、筆記体っぽいアルファベットで…「St.ValentineDay」………なるほど。聖バレンタインデー、と。ふむ。……………ふむ?


 「……あの、理津?バレンタインとゆーのは、あのバレンタインのことですか?」


 顔をあげて、理津に尋ねます。


 こくり。


 そうしたら、わたしから一切目を逸らさず、理津は頷きました。


 「……一日過ぎてますけど。あ、もしかして今日は売れ残ってたチョコがとても安く売られてたので買ってきた……とか、じゃないです…よね……?」


 …言ってる途中で理津の視線になんだか剣呑な光が宿ってきた気がしました。思わず怖じ気づくわたしです。何か間違ったっ?!

 こ、これは失地回復とゆーか何が何でも正解に辿り着かないと生きてこの部屋を出られない流れになりかねないかもっ!…と、なんだか不思議に回らない頭を必死にフル回転させます。


 「……そ、そうですね。これが名高い義理チョコとか…あ、ああ最近は女の子同士でも友チョコっていうのが流行ってると聞きました。そういうものですよね?うん、理津もそんな気をつかわなくてもいいのに。ふふっ、一日過ぎてしまってちょっと気にしてたんですね。でも大丈夫ですよ、その気持ちだけでも結構嬉しい…あ、でも出来ればかわいい妹からお慕いするお姉さまへの感謝のしるし、ってことだったらもっとうれしー………、あの…理……津…?」


 睨んでました。

 おちゃらけを許さないように、真剣に、わたしのことを睨んでしました。

 いえ、睨むというよりかは…そうでもしてないと、堪えきれないものが溢れてきそうだから。

 …なんだか、そう見えて、わたしはふざけたことを言ってたことなどすっかり忘れたように、表情を改めます。

 今ようやく、葛葉さんの言葉が身に染みて理解出来たような心持ちでした。


 「……何があったか分かりませんけれど。真面目に聞きますから、話してくださいませんか?理津」


 手にしたチョコをひざの上に置き、その上に両手を重ねます。

 わたしがそうしたのを見届けると、理津は一度だけ、短く、けれど深い深呼吸をしてから、言いました。


 「…砥峰阿野さん。わたしは、あなたのことが、好きです」


 ……………………………はい?

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