第15話・元お姉さま、苦悩する

 理津の様子がおかしいんです。

 いえ、最近そう思うことが多いような気もしますけど、それとはまた違ってですね。

 思えば年明け早々に、まだしも「ねーさん」と呼んでくれていたのに、「阿野」って呼び捨てですよっ?!…ああいえ、それに間してはわたしからの異議申し立て及び理津と安久利ちゃんのお母さまであるところの恵留智さんから流石に注意がありまして、「阿野っち」とか「あーさん」とか幾分砕けた呼び名に変わったのでそれはまだいいとしましょう。でもわたしを「お姉さま」たる存在として理津が認めてくれる、素晴らしき関係からは一段遠ざかってわたし哀しい…。


 ああいえ、それも、なんとか…本当になんとか!…ですが甘受します。一歩後退はしましたけれど、わたしに至らないところがあってそうなった、と思えば更に前に進む原動力となるのです……うう、やっぱり寂しいです…。

 …ではなく。話が横に逸れまくってますね。この先を考えるとわたしの混乱に拍車がかかるので仕方ありません。


 「阿野っち、ぼけーとしてるけど、だいじょうぶ?」

 「え。あ、はい。大丈夫です。次は…南蛮漬けのタレですね。これは鷹の爪の切り方で辛さが変わってきますので…」

 「今日作ってるのチーズ入りのメンチカツじゃなかったっけ?それとも揚げたあとに南蛮漬けにする?」

 「………それはまた次回、創作料理をする時にでも」

 「しっかりしてよ、阿野っち。なんか最近おかしーよ?」


 おかしーのはあなたの方ですってば…。

 わたしの失敗がよほど面白かったのか、理津はクスクスと口元に手を当て、くすぐったそうに笑ってます。

 …そう、それ。最近、あの理津の妙ちきりんな宣言の夜からですね。なんだかすごく、理津の仕草とか言葉づかいが………女の子っぽくなってきたんです。ってそれはもともと女の子ですし?それもこれからきれいになってく可愛い女の子、ですし?そもそもわたし的にはごくじょーの美少女ですし?…そう、わたしにとっては、だったものがなんと言いますか、自分の女の子としての魅力を自覚して意識してる、って感じなんです。誰にとってもかわいく素敵な美しい少女、って感じなのです。

 今までは割と雑な物言いとか笑う時もケタケタと大口開ける雑な様子で、「これはわたしが導いてあげなければっ」という使命感を強く刺激させるものだったんですが…これではもうわたしのやれることが無いじゃないですか。わたしをほっといてひとりだけ高いとこ行っちゃったみたいじゃないですか。


 …いえ、待ってください。それはつまり、わたしのこれまでの、お姉さまとしての振る舞いが、理津をこのように育てた、ということなのでは?……って、それは無いですね。だって理津のわたしに対する態度に、そういうものが感じられないんですから。

 きっと理津は、わたしなんかいなくてもこうして素敵な女の子として誰をも瞠目させる存在になっていくんですよ…。あーもー、帰りたいです。帰って不貞寝して、ひとりで脳内反省会を開きたい。一体どうしてこうなったのでしょうか。


 「よし、と。じゃあメンチのタネはこれで出来たから、阿野っちー、ソースにいこ?」


 あとは丸めてパン粉をつける、という段階になった材料を冷蔵庫にしまい、理津はスカートを翻して「さあ次はなんだ」とばかりに、両手を腰に当ててわたしを急かしました。

 ええ、これも最近の理津の変化。

 そうです、理津がスカートをはき始めたのです。もちろん制服の時はこれまでもスカート姿でしたけど、今は自宅でも、なのです。

 しかも、今までの生足を見せつけるようなショートパンツと違い、膝丈の、ごく普通の長さ。生地こそ柔らかいデニム地の、活動的なものが多いようですが、それでもあの理津がスカートとわ…。

 その上、制服のスカートも今までの、スパッツの裾が見えそーなくらいに短い奔放な装いから、清楚な印象を与えるかのような、膝上の長さにしているとのこと。その下がどーなっているのか気になって安久利ちゃんに突っ込んで聞いてみたところ、「スパッツはいてない」だそうです。そのためか、制服姿でも歩幅の広い大股歩きから、物腰さえ嫋やかに見える落ち着いた歩き方になったとかなんとか。安久利ちゃんが半ば怯えながらそう言っておりましたから、誇張もないのでしょう。ああわたしもいっぺん見ていたい…じゃなくて。


 「てい」

 「ひゃぁっ?!…な、なにするんですか」

 「なにって。またぼーっとしるから」


 わたしの頬を指で突いたままの格好で、理津が息もかかるくらいの距離でにこりとしました。思わずみとれる笑顔です。


 「…ねーちんとせんせがいちゃいちゃしとる」

 「してないって。ほら、阿野…っち。続きしよ?」

 「そうですね…」


 安久利ちゃんの勉強が終わってからの夕食の支度は、理津に何かを教えてあげられる、わたしにしか出来ない数少ない活躍の時間です。勉強を教えて、と言われれば出来なくはないと思いますが、高校生の数学は流石にちょっと自信がありません。

 ついでに言えば理津も就職希望とのことで、付け加えれば定期テストも落第を心配するほどひどいわけではなく、この面でわたしの出番は無さそうなのです。


 「材料並べたよ。何から始める?」

 「あ、じゃあ切るところから…ソースの材料なのでいつもと切り方違うんですよ。まずやってみますから、よく見ててくださいね」

 「あいかわらず阿野っち指きれーだね」

 「どこ見てるんですか、もうっ!」


 心底感心したように言われ、なんだか口説かれてるような気分のわたしでした。

 …って、男の人に口説かれたことないんですけどね、と少し落ち込み。




 「じゃ、おやすみ、阿野っちー」

 「せんせ、おやすみなさーい」

 「ありがとうございました、砥峰さん」

 「はい、おやすみなさい」


 三者三様のお見送りを受けて、わたしは桐戸家を辞しました。

 これも最近の理津の変化といえば変化なんでしょうけれど、前は階段の下まで理津ひとりでお見送りに来てくれて、そこで少し立ち話をしてから帰る、というパターンだったものが、玄関であいさつしておしまい、という形になっています。

 まあ寒いですし、変化といってもささやかなものですしね。帰り際の理津との会話は、ちょっとしたお楽しみではあったんですけれど。


 「はぁ…」


 物思いに耽りながら、吐く息の白さを確かめる。なんだか漫画で読んだことのあるような真似をしてしまいます。こういうのは恋愛を題材にしたお話で、主人公の女の子がよくやっていたように思いますけれど、わたしがそんな人物と同じことをやって似合うのか、と言いますと、我ながら「それはないですね」と苦笑する他ありません。まったく、考えたいことはあるというのに余計なことばかり頭に浮かびます。

 こんなとき相談の出来る知人がいれば、と思うのですが、自分が何に困っているのかも分からないのでは誰に相談したらいいのかも分かりませんし…。

 と、コートのポケットに入れてあったスマホが着信の鳴動をしてました。理津の家にいるときはスマホに触らないようにしているので、いつもなら帰り道ですぐに各種着信を確認するのですけれど、それすらもやってませんでしたね。何度も電話がかかってきていたら申し訳ない、と思いつつ画面に表示されていた名前に納得して、スマホを耳元に当てます。


 「もしもし、砥峰です。お久しぶりですね、葛葉さん」

 『ふふ、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いしますね』


 あ、そういえばそうでした。といっても一月もそろそろ月末なんですが、わたしなんかよりよっぽどお嬢さまな葛葉さんは、割とこういうところが呑気です。


 「ちょうどよかったです。少し相談したいことがありまして」

 『相談ですか?ええ、いいですよ。明日大学で構いませんか?』

 「…話が早くて助かるんですけれど、ほんとうにいいんですか?」

 『構いませんとも』


 お暇なはずないんですけれどね。後期試験も近くて図書館の利用者も多いはずですし。

 ううん、その忙しいときにこんな相談してもいいのでしょうか…と、自分が言い出したことであるにも関わらず、余計な心配をしたわたしは、続く一言に思わず息を呑みます。


 『きっと例の桐戸さんのことでしょうから。私としても無関心ではいられませんしね』


 …どうもお見通しだったようです。

 去年お話した以降は、この件について何も話はしてないはずなんですが。


 「…そういうことでしたら、遠慮無くお願いします。何時頃にうかがえばよろしいでしょうか?」



   ・・・・・



 案の定、図書館は少々デリケートなお話をするには適さない人混みでしたので、少し離れた喫茶室で相談をすることになりました。

 ここも一応は大学の施設なのですけど、学生よりも教員や職員の方の利用が多いところで、学生的には穴場なんですよね。


 「………ううん、ちょっとむつかしいお話ですね」


 その隅の、薄暗い店内でさらに目立たないボックス席に陣取るわたしと葛葉さん。理津の様子がおかしいな、と思って近況を話したところ、葛葉さんは随分と深く考え込んでおいでのようでした。

 普段の様子は鷹揚そのもの、といった具合の葛葉さんにしては珍しいお顔です。常ならばわたしの質問や相談にも、あらかじめ用意しておりました、とでも言わんばかりにすらすらと答えを与えてくれるのですけど。


 「あの、そこまで葛葉さんが悩むほどの…ことなのでしょうか?もしかして理津になにか…?」

 「ああいえ、桐戸さんに何かあると言うよりも…そうですね」


 と、ポットから二杯目の紅茶をカップに注ぎながら葛葉さんは言葉をまとめているようです。わたしは無意識に膝を揃えなおして、大人しく待ちます。


 「…むしろ砥峰さんに何も起きてないのが不思議、なんでしょうね。この場合」


 …どうも、待った甲斐は無かったみたいです。

 いえ、葛葉さんの言葉は、いつも啓示を与えてるようでいながらその実、わたしの中にある答えをさらりと拾い上げて、わたしの前に「これですよ」って見せてくれるものでしたから、このように「自分で考えてみなさい」とでもいう答えは本当に珍しいんです。


 「ふふ、けれどそのように悩みを隠さない砥峰さんも悪くはないですよ」

 「からわかないでください、もう…」

 「気を悪くしたのならごめんなさい。でもこればかりは砥峰さん自身が気がつかないと意味が無いと思うものですから」


 ですがそれはわたしの悩みを放り投げるようなものではなくて、いつもの葛葉さんのようにきちんとわたしが気付くのを促してくれるような、優しい物腰のままでした。

 だからわたしも、ちゃんと自分に何があるのかと自問してみます。


 「…………………わかりません」


 そして降参しました。だって本当に分からないんですもの。

 すがるように葛葉さんを見ると、今度は出来の悪い弟子を見るような、ちょっと気の毒な視線。あう。


 「…だとすると、桐戸さんもなかなか浮かばれないことですね」

 「浮かばれないって…そこまで言います?あの、せめてヒントだけでも」

 「ヒントと言われましても、ね…」


 たっぷりのミルクと砂糖を入れたわたしのコーヒーはだいぶ冷めてしまっていて、カップに口をあてると同時にコーヒーの香りもなにもない、ただ甘くて温くて苦いだけの液体が舌の上を通り過ぎていきました。それがなんだか今のわたしと理津の関係のようでもあり、いつもなら好みであるはずのコロンビアも、もったいないことをした、としか思えなくなります。

 葛葉さんはそんなわたしの表情を見て、ポットに入っていた分わたしよりはましでしょうけれど、きっと温くなってしまっているだろう紅茶をひと息で飲み干します。砂糖もミルクも入れないストレートティーですから、わたしのコロンビアよりは味は悪くはないと思うのですけれど、それでも苦みだけは際だってしまったのか、僅かに顔をしかめていらっしゃいました。


 「…すみません」


 それはせっかくのアッサムの逸品を無駄にさせてしまったことに対する詫びだったのですけど、葛葉さんは少しあわてて「責めてるわけじゃありませんよ」とフォローしてくれました。

 いえ紅茶を不味くさせてしまってごめんなさい、ってことです、とこれも焦って答えると、一瞬顔を見つめ合って笑い合うわたしたち、なのでした。店内の他の方々から見咎めるような視線が向けられてしまったようで、ちょっとごめんなさい。

 でもそのお陰で沈溺した空気は晴れたみたいです。

 気を取り直してか、口調も軽やかに戻った葛葉さんは、ソーサーの上に置かれたカップの縁を指でなぞりながら言ってくれました。


 「それで、どうしたらいいかといいますとね…いくらか責任を感じますので、アドバイスを少々」

 「はい…え、責任?ですか?」

 「ええ。私のしてきたことが間違いだとは思いませんけれど、それが唯一の、誤りのない道だと思わせてしまったかもしれませんし」

 「そんな…葛葉さんは行き場のなかったわたしの鬱屈したものに進むべきところを示してくださったんですから、責任なんかありません。感謝こそしても、です」

 「ありがとうございます。後輩にそう言ってもらえるのは少し早く生まれただけの身には嬉しい限りです。でもですね、これは砥峰さんだけのことではありませんから」

 「…理津のことも、想ってくださるんですね」

 「ふふ、むしろ桐戸さんの方が大切に思えてるかもしれませんよ?砥峰さんのお話でしか存じませんけれどね」


 うん、会ったことのない葛葉さんまで籠絡してしまうとは理津の妹力も半端ないですね。お姉さまのわたしとしても鼻高々です。


 「ただ、そんな難しいことを言おうというつもりはありません。桐戸さんとちゃんと向き合って、言葉や態度には真摯に応えてあげてください。それだけです」

 「…あの、今までだってそのつもりではいたのですけど」

 「砥峰さんの真剣と、桐戸さんの真剣がどこかすれ違っているのかもしれませんよ?聞いた限りではお二人とも…いえ、むしろ砥峰さんの方が、ちょっと、ですね」


 ちょっと、の先を口にしようとはせず、葛葉さんはなんだか楽しそうに微笑むだけでした。ちょっと、なんなんでしょうね。わたし鈍いところがありますから、よく分かりません。


 「そこもまた砥峰さんの魅力ですよ。鋭敏なだけがひとの良いところじゃありませんから…ああ、そうだ」

 「はい?」


 そろそろ仕事に戻る時間なのか、腕時計をちらと見て伝票を気にした葛葉さんは、とてもイタズラっぽい表情になってこんなことを言います。


 「二週間もすれば少しは事態が進展するかもしれませんね。女の子にとってとても大切なイベントがありますから」

 「は、はあ…」


 何を言われてるのかよく分からないわたしを、特に苛立った様子も無く笑顔で見つめて葛葉さんは「仕事に戻る時間ですので、出ましょうか」と立ち上がりました。

 今日は理津の家に行く日でもなく、わたしはもう少し考え事をしていたいところではありましたけれど、葛葉さんの言葉を歩きながら考えるのも悪くないかな、と会計に向かう背中についていきます。


 喫茶室を出ると、なんだか雪でも降ってきそうな空模様でした。

 その場で葛葉さんと別れ、わたしはひとり考え事をしながら家路につきます。


 …このときわたしは、いっぱい考えていながらさっぱり気付きもしなかったのです。愚鈍にも程があろうというものですが、一月の月末から二週間、女の子にとって大事なイベントといえば、バレンタインデーしかないというのに。本当、愚鈍なことでした。

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