第13話・釣っておいてそれは、ない

 「ああ~~~~っ!やってしまったやってしまったやってしまいましたーっ!」


 わたしは家に帰ると、かろうじて家族に帰宅の報告をし、そのまま自室に駆け込んで布団に潜り込み、そしてこう悶え転がり叫びました。頭からすっぽりと布団を被っていますので、階下には聞こえないはずです。篤子さんも年末年始のお休みに入っておりますし。

 わたしは一しきり悶絶を繰り返していい加減落ち着きを取り戻すと、さっき別れたばかりの理津の顔を思い出します。

 …割といー感じに距離を詰めてきてる気がしたんですけどね……。今日のもてなしはとても心に染みましたし、初めて会った頃のようなトゲも最近はすっかり無くなっていましたし…。

 何よりも、わたしを信頼してくれてるのが分かります。そのために努力してきたつもりもあります。その成果を確認したくて、ついまた例のアレをしてみましたら、ヤダ、って……うう、つれないにも程がありますよぅ。あとひと息というわたしの見立てに誤りがあるのでしょうか…?

 それにしても、最近どんどんと女の子っぽくなっていく理津には、心の姉…いえもちろんわたしが勝手に思ってることですけど、ともかく女の身ながらドキリとさせられることがあります。

 きっと同級生の男の子などがいたら、さぞかしモテまくることでしょうねえ。キレイで気易くて、近頃は時々自分でお弁当なんかも作っていってるそうですし。

 残念なことにあの子の学校は女子高なので、そんな相談とか受けることもないのが少し残念です。


 『ねーさん…あんさ、こないだ…クラスのやつにコクられてしまって……どーしたらいいと思う…?』


 …などと相談されてわたしが的確なアドバイスで明るい顔になるところを想像しただけで…うん、その思い出を胸に生涯を過ごせそうな気すらしますね…って、それでいいんでしょうか、わたし…。

 いえ、理津の心配もそーなんですけど、わたし自身がどうなのかといいますと、家に帰ってきてる下の兄などにも心配されてしまいまして。いい歳して恋人のひとりもいないのか、って。

 それはまあ、家族として心配になるのも分かる気はしますよ。幼稚園からずっと女子だけの環境で、父も母もそういうことには比較的厳しくって、この歳まで男っ気皆無ですからね。いえ、小学生の頃に兄の友人に憧れたことがあったりもしましたし…うう、それが中学生まで引きずって恋文などしたためたら先方が結婚してしまった、なんてことはありますけど。あれは我ながら黒歴史と称しても構わない痛恨事だったのでした…。


 ああいえそうじゃないそうじゃない。今は理津のことです、でもない自分のことです。

 とは言いましてもね…やっぱり今は自分のことはあの子とセットでないと考えられなくって。日に日に素敵な女の子になっていく理津を見てると、ああこの子の成長していくところを家族以外では一番近くで見てられるんだなあ、わたし…って感慨も生まれようってんですよ。

 そんな話を高校以来の同志に(葛葉さんじゃなく、同級生の友人です)対して熱弁を振るったら、「そろそろひとのことだけでなくご自身のことも考えた方がよろしいのでは…?」とか言われてしまいましたけど。

 その時はわたし、あの子の成長を手助けすることが、わたしの成長にも繋がるんです、って少しムキになって言い返したものです。そして少し険悪になってしまい、互いに謝って話は済んだのですけど…そうですね、確かに周囲に心配をかけるのも本意じゃないので、少し理津とは距離を置いた方がいいのかもしれません。といって安久利ちゃんの家庭教師をやめるつもりももちろん無いので、顔を合わせないようにするわけじゃありませんけど。

 何度か家の外で会ったり、一緒にお夕食の買い物をすることもありましたので、それを控えてみましょう。空いた時間は…わたしの交友関係をもう少し広めるのに使ってみてもいいかもしれません。近所の英会話サークルには同年代の方はいませんけれど、その伝手で紹介をお願いしてもいいかもしれませんね。皆さんとても良い方ばかりですし。


 …うん、なんだか来年の目標のようになりました。

 でも、理津だけじゃありません。わたしだって成長しないといけないんですから、って考えがまとまったところで、インターホンで母にお風呂に入るよう言われました。

 わたしはスッキリして…いえ、ちょっとモヤッとしたものもあったので、完全にではないですけれど、聖夜と呼ぶに相応しい静謐な心持ちで、着替えを抱えて階下に降りていくのでした。



   ・・・・・



 年も明けまして、中学も高校も始まっています。

 ただ、大学生のわたしはまだ正月休み、には大分遠くなってすっかり正月気分も抜けてますので冬休み、としておきましょうか?

 ともかく、授業の再開した安久利ちゃんのために、二週間ぶりに桐戸家を訪れています。

 …なんですが。


 「………」


 うう、なんか理津の醸し出す空気というかオーラというかが…。


 「せんせ?」

 「…あ、はい。なんでしょう?」

 「…ねーちん邪魔だったら、追い出しとく?」

 「いえ、それには及びません。気にせず進めましょ…」


 ダンッ!!


 「ひいっ?!」


 台所で理津が力任せに下ろした包丁が、まな板を苛んでいました。あの、理津?そんな乱暴に扱ったら包丁欠けますよ…?


 「………」


 無言でした。わたしの物言いたげな気配くらい理解してると思うのですけど…。


 「せんせ、ねーちんな?正月の間せんせに会えなくてめっちゃ機嫌悪かった」


 え?

 と、思わぬことを言う安久利ちゃん。

 そういえば去年の最後に初詣に行こうと言われて、実際年が明けてから誘われたりもしましたけど、その時は折り悪く親戚の集まりがあって顔を出せず、その旨を伝えたらあっけらかんと、じゃあしゃーないな、って。それだけですよね?

 直接会ったりは確かに無かったですが、LINEのやりとりは頻繁で電話でお話も何度もしてます。ほとんど理津からばかりでしたけど。

 ああ、そういえば三日前に家庭教師の日取りの件で電話したときは、ひどく重苦しい声でしたね。

 …でもそれくらいのことしかなくって、普段から明るくて気遣いの出来る理津がわたしにそんな怒るようなことって…あるんでしょうか?全っ然分かりません。


 「…はぁ~」


 わけが分かりません、と首を捻ってたわたしを見て、安久利ちゃんが盛大なため息を洩らします。


 「ねーちんもにぶちんだけど、せんせも大概なのなー」

 「え。あ、あの安久利ちゃん?何かわたし粗相を…しましたか?」

 「粗相っちゅーかね。うーん…」


 安久利ちゃんのような良い子にこんな難しい顔をさせてしまうのも、わたしとしては不甲斐ない限りです。至らないところがあるのでは直さなければなりません。

 わたしは真摯に耳を傾けようと、身を乗り出しちゃぶ台の対面に座ってる安久利ちゃんの顔に耳を寄せたのですけれど。


 「安久利。よけーなこと言うんじゃねー」


 と、珍しくドスの利いた…って言うんでしょうか?やたらと迫力と圧のある理津の声で、二人とも動きを止めてしまうのでした。

 わたしは…というか安久利ちゃんとわたしは、ゆっくりと理津の方に首を巡らします。


 「………」


 包丁片手にこちらを睨んでました。割と洒落にならない図でした。

 わたしはこめかみに垂れ落ちる汗の感触を覚えながら、穏便に事を済まそうと言います。


 「りっ、理津?支度の方は進んでいみゃすぴゃっ?!」


 …噛みました。お姉様の威厳も何もあったもんじゃありません。どうしよう…。


 「……せんせ?」


 そして、こめかみどころか滝のよーな汗が流れ落ちているのでは…と思えるような顔のわたしを見かねてか、安久利ちゃんが助け船を出してくれます。


 「今日はべんきょいーから。ちょっと外行ってねーちんと話したげて」

 「え?」


 いえその…安久利ちゃんとしては気を遣っての申し出なのかもしれませんけれど、正直言って今の理津と二人きりになるのは気が進まないどころかすんごい恐怖を覚えるんですけどっ?!


 「あっ、あのあのあの…」

 「せんせ、いまさらじこしょーかいとかいいから?ほいじゃ、ねーちんも。いってらー」


 自己紹介じゃないですってばっ!

 ちょっ、安久利ちゃん!わたし何かあなたを怒らせるよーなことしましたかっ?!…なんて抗告は全く無視されまして、わたしは自分のコートを押しつけられ、ほとんど追い出されるようにして、部屋を出て行くのでした。


 「ほらねーちんも」


 なんかそんな声が聞こえて、部屋の中でどんなやりとりがあったのかは分かりませんが、いたたまれなくなってそろそろ逃げだそーかと思ったタイミングで、理津も姿を現しました。


 「…ええと、寒く……ないですか?」


 わたしがそう尋ねたのも無理はなくって、何せ理津はいつもの部屋着であるショートパンツに上はセーターという出で立ちだったんですから。

 流石に上にもう一枚、ジャンパーを羽織ってはいましたけれど、いつもなら他のひとに見せるのが勿体なく思える脚線美が、この際余計に寒々しく思えます。


 「ん。へーき」

 「…そうですか」


 寸前のやりとりを思えばまず屈託の無い声でしたので、一応手に包丁を握ってないことを確認してから、わたしは先に立って歩き始めます。

 行き先は…そうですね、とりあえず公園とかで、いいですかね。


 「ねーさんの行きたいトコでいーよ」


 気のない風ではありましたけど、話をしてくれるつもりはあるようなのでした。




 「それで、今日はどうしたんです?」


 先に謝ってしまうとまたさっきのように理津も頑なになってしまう気がしましたので、公園のベンチに並んで腰を下ろすと、わたしは早速話を始めます。

 寒空の下、風の子な子供たちが賑やかです…ってこともなく、誰もいない寂しげな光景です。まあ、もうすぐ日も暮れますしね。


 「…ちょっとガッコーで」


 互いに視線も交わさず理津は口を開きました。

 それなりに長い話になりそうな、そんな予感がありました。

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