第11話・蕾はいまだ固いままに

 「近頃ご機嫌ですね、砥峰さん」

 「そ、そうでしょうか…恐縮です」


 別に恐縮がることでもないでしょうに、と葛葉葵くずはあおいさんは楽しそうにコロコロ笑っていらっしゃいました。

 葛葉さんは大学の図書館の司書です。その雅なお名前の通り、さかのぼれば摂関家にまで連なる家柄の方で、今年確か三十歳になられるそーですけれど、ご結婚のお話もなく、割と飄々と生きている方ですねー、とわたし含めて周囲の評判です。

 わたしは高等部の頃から、離れた大学の学舎にある図書館をよく利用しており(その割には大学への道をなかなか覚えられなかったのは…うぬぅ)、葛葉さんとは、蔵書の案内などでよくお世話になっていたのです。

 ですが何よりも、同好の士のわたしを良く指南してくださる先達として、姉とも慕う方なのです。

 もっともわたし自身は「お姉様」指向なので、実際に葛葉さんに「わたしのお姉様になってくださいっ!」とか言ったりはしませんでしたけれど。


 「それで先日お話された、理津さん?でしたかしら。随分仲がよろしくなったようですね。砥峰さんの上機嫌もそのおかげなのでしょうね」

 「あの、そこまでバレバレなのでしょうか…?」

 「それはもう、高等部の砥峰さんを知っている身としましても、これほど浮かれているあなたは初めてですから。願いが叶って良かったですね」

 「そうなんでしょうか…でもわたしが理想の『お姉様』になるにはまだまだ修行は足りてないと思うんです。理津も一見よく遊んでいそうな印象ではあっても実はしっかりした子ですから、彼女よりも賢く気高く美しく在らねばいけないって、そう思う日々です」

 「修行、ですか。クスクス…お侍様のようなことを仰いますね」

 「あ……」


 言葉の選び方を失敗して、思わず恥じ入るわたしです。

 大学のカフェコーナーは、冬の日差しが低く差し込んで、とても柔らかな暖かさにくるまれており、お昼寝にはちょうどいい按配でした。

 わたしは、冬休みに入る前に親しくしている方と近況の交換などを、と思ってお仕事が一段落した葛葉さんを誘ってお茶を一緒しているところです。

 休み前の講義はもう全部終了した学生も多いのか、普段に比べれば隣接する食堂に出入りする人も少なく、そしてこちらのカフェテーブルを埋める人影もまばらでしたので、わたしは普段なら遠慮がちにするお話も、声高に、とは流石にいきませんけれど気兼ねなく楽しく、そしてごく真面目にできています。

 なにせ、高等部の時にわたしの抱えていた、他人に対するもやもやした感情をズバリ言い当ててくださったのが、他でも無い葛葉さんだったのですから。


 『それはあなたが、互いに認め合って高め合うことの出来る存在を欲しているからなのですよ』


 大学部に高等部の生徒が出入りすることは特に禁じられてはおりませんでしたが、それでも実際にそのような真似をする生徒は珍しかったですから、きっとわたしは目立っていたことでしょう。

 葛葉さんがそんなわたしに声をかけてくださったのは、図書館の司書という立場もあったのでしょうけれど、一人で出入りしていたわたしを見かねてのことなのかもしれません。実際、家族のことですとか多くは無い友人関係の相談などもしてしまいましたから。

 葛葉さんには迷惑だったかもしれませんけれど、でもお陰でわたしの欲するものが明確になり、わたしはそれに向けて精進することは出来ましたからね。

 その結果、わたしが助けることが出来て、そしてわたしを高めてくれる「妹」を見つけることが出来たのは僥倖でした。ほんと、葛葉さんには感謝しかありません。


 「…でも、少し心配はありますよ」

 「心配、ですか?ええと、どのような?」

 「ええ。砥峰さんのお話をうかがっていますとね…その、桐戸さんの、砥峰さんへの懐き方に少し危ういものを覚えてしまって、ですね。杞憂であればいいのですけれど…」

 「それは大丈夫だと思うんです。だって理津は…ええとその、初対面のときからわたしにとても手厳しかったですもの。ヒドいんですよ?わたしの親しみを込めた申し出に、『キモいから』ってバッサリですもの」

 「それは仕方ありませんわね。ふふ、一目で妹を見出した砥峰さんの慧眼は讃えられて然るべきかもしれませんけど、その桐戸さんのような奔放な少女にいきなり理解を求めるとは、随分思い切ったことをしたものだと感心しますよ」

 「あはは…恐れ入ります」


 紅茶の入ったティーカップを手に、嫋やかに微笑む葛葉さんです。

 むしろわたしの理想の「お姉様」像なんですよね。妹として慕うのであれば、この方しかいなかったかもしれません。

 実際、聞けばこの学校のOGである葛葉さんは、在学中もそのような関係を幾度も築き、何人もの後輩を善く導いたとのこと。そんな事績も実は高等部、大学の中で伝説じみた噂になっているというのも、迂闊ながら最近知ったことなのでした。


 「…ふう」


 そして、ある意味そんな伝説上の存在がわたしの前で見せる物憂げな態度というのは、不安のようなざわざわしたものをわたしの胸中に沸き上がらせるのです。


 「あの、葛葉さん?何か心配ごと、でも?」

 「いえ、何度もお伝えしてあるので、砥峰さんに関しては心配はしていないのですけれど…桐戸さんの方がどうなのか、ということですね」

 「はあ…ええと、理津がなにか?」

 「はい。砥峰さん、仮初めの姉妹関係を結び、相高め合うことにおいて避けなければならないことは何でしたか?」


 また葛葉さんも異な事を仰るものです。ずぅっと以前から、そこはわたしに何度も教えてくださったというのに。


 「ええ、それは一人の人間と人間としての関係に他ならないのだから、恋と混同してはいけない、って。よく覚えて心がけています」


 葛葉さんは別に同性の間での恋愛感情を否定しているのではありません。今日日珍しいことでもないですし、実は高等部の頃にも何度か…それをうかがわせる関係を見聞きしましたしね。

 ですけれど、肩を並べあるいは導き導かれる関係において恋は、時に妨げになります。特に、同性の間で抱く恋情というと、現代においては障害ともなり揶揄もされることがあり、それは自分たちの関係の外にある世界への否定を伴うことが少なくないでしょう。

 成長し、より自身を高みに置くための関係なのですから、踏み込んではいけないことは確かにある。

 葛葉さんは、随分真剣な表情でわたしにそう語ってくれたものです。


 「覚えておいて頂いたようで、嬉しいですね。ですので、大丈夫だとは思いますけれど…桐戸さんの方がどうなのでしょうか、って思うんです」

 「理津が?恋?わたしに?………それは流石に無いと思いますよー。だってまだまだあの子にとってわたしは『ヘンな女』ですもの。至らない身としてはちょっと情けない限りですけれど…」

 「そう思っているのは砥峰さんだけ、ということでなければいいのですけどね…」


 葛葉さんがわたしに見せる表情としては珍しい、深いため息とやや疲れた感じのお顔です。

 わたしは、どこか引っかかるものはありましたけれど、師匠を心配させたくなくて言います。


 「まだまだわたしは、あのしっかりした子の『お姉様』としては頼りない身ですもの。日々そうあるべく努力はしていますから、いつかそう認めてくれると信じていますけれど、そうなったところでそんな関係にはなりようがないです。それにあの子、結構男の子が放っておかないタイプなんですよ?キレイで優しくて、とっても強いところがありますから、きっとそのうち、理津と同じくらい優しくて気の利く男の子と結ばれます。わたしとしては、姉としてそんな姿を見届けるのが…夢、なんですから」


 まあ、わたしも妄想の中ではわたしに頭を撫でられて照れている理津、なんて姿を想像してたりしますけど、それはあくまでも優しく頼り甲斐のある姉と、それを心から慕う妹、という関係の中でのこと。

 だから、わたしと理津がそんな間柄になるなんてことは……まあ、無いでしょうね。うん。


 「ふふ、心意気だけは既に理想の姉として充分なものを持ち合わせていますね、砥峰さんは」

 「はい。早く現実のわたしがそこに到達出来るよう、がんばりますね」


 にっこり笑って、葛葉さんはカップに残っていた冷めた紅茶を飲み干しました。

 それを折に、わたしたちは立ち上がってそれぞれの帰り途につきます。いえ、葛葉さんは年内最後の仕事ということで、まだ残務があるようでしたので、ここで別れてわたしはひとり家路に向かいます。


 「うう、大分寒くなりましたねー…」


 食堂棟を出ると、冬の寒空に吹く風が身を苛みました。

 今年は暖冬だ、などとまことしやかに言われていますけど、十二月も後半になるとこんなものですよね。

 わたしはコートの襟を立ててすっかり日の傾いた空の下を歩き出しましたが、ポケットの中のスマホが、LINEの着信を告げてきます。

 もしかして、と思って取り出してみると、案の定理津からでした。


 【ねーさん 安久利がクリスマスパーティしたがってるんすけど 暇ですか?】


 …暇ってことはないですけどね。上の兄が家族連れで帰ってきているので、今の我が家は賑やかなものですし、子守りを仰せつかっているので早めに帰ってこい、と言われてもいます。

 でも、可愛い妹、それも二人分のお誘いとあれば…。


 【誤解のないよういっときますけど 安久利だけすからねパーティしたがってるの】


 がくっ。

 …うう、理津は相変わらずつれないです…葛葉さん、心配しなくても理津とわたしがどうにかなるなんてことあり得ませんって。


 まあそれでも、理津もわたしが行って邪険にすることはないだろーなあ、と確信のようなものを抱いて、さくさくとLINEの返事を打ち込みます。


 【理津は相変わらず素直じゃありませんね でも安久利ちゃんに免じて参加してあげます】


 理津がどんな顔してこれを読むのでしょうか、と想像すると我知らず笑みがこみ上げます。

 なんだかんだ言って理津にこんな扱いをされてることが当たり前で、そしてそれが決して嬉しくないことはないと思う、わたしです。

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