第9話・姉妹?そーこく
理津の様子が少し変でした。
今日は珍しく途中まで迎えに来て一緒にお家へ行こうと言ってくれて、途中わたしもなんだかお姉様らしいことが出来てほくほくだったりしたのです。
でも、なんだか話の途中から落ち着きがなくなり、家に着くと同時に自分の部屋にこもってしまいました。
もちろんわたしは家庭教師としての任を果たすべく、安久利ちゃんの勉強をみてあげました。相も変わらず熱心で、教えることはどんどん吸収してくれる、まことにいー子です。
「理津はどうかしたの?」
「んー?わかんない」
途中、一度の顔を見せない理津を妙だと思って安久利ちゃんに尋ねてみたのですけど、家族でも分からなことがあるのはどこも同じだなー、と理解できただけでした。
それでもきっちり二時間、今日は主に英語の方を見てあげて、勉強が終わると、
「おつかれ、ねーさん」
と、お茶を出してはくれたのですけど、それからがまた大変でした。
安久利ちゃんの家庭教師が終わると今度は理津の料理のお勉強、ということでお夕飯の支度に取りかかったのですけど、また何だか手付きも危なっかしく、包丁を持つときにはよーく監視してないといけない有様で。
それに口数も少なく、むすーっとしたまま。今日は一緒に帰って来るときも随分機嫌がいいなって思っていたのに。
それに、いつもならこーして並んで台所に立っていても、後ろで安久利ちゃんがわたしにやきもちやくくらいに会話も弾むんです。
例えば。
「理津、お料理の味付けの『さしすせそ』って何だか知ってますか?」
「…えーと、味の素、ウェイパァー、出汁入り味噌、カレールゥに……あ、あとあれ忘れたらダメだなー、クック・ドゥ」
「全然違うでしょ。そもそも『さしすせそ』がかすりもしてないじゃないですか、もう」
「あははー。けど役には立つっしょ」
とか、こんな具合に。いつもなら…いつも、と言えるくらいに何度もお邪魔してることに我ながらびっくりなのですけど、ともかく、とうとう見かねて、大根を切ろうとしていた理津の手を止めます。
「……理津?ぼーっと考え事しながら包丁扱うとケガしますよ」
包丁を握っている手に触れるのは本当なら危ないことなのですけど、大根に添えてる左手にそのまま下ろしそうでしたのではそうも言っておられず、わたしは理津の右手に自分の左手を重ね、言いました。
「心配事があるなら今日はわたしのやるところを見ていてくださ…」
「心配事はねーさんのことだってばさ…」
「え?」
そうしたら、なんとも異な事を言いました。わたしの心配?おかしいですね、わたしは完璧なお姉様として、理津のことを正しく導こうとしているだけなのに、って冗談を許さない顔の理津が、なんだか複雑そうにとなりのわたしの顔を、見つめてました。
あ、そーいえばなんだか最初の頃より、こうして近いところにいることを許してくれるようになりましたね、この子も、って言ってる場合じゃなくて。
「理津、今日はなんだか変ですよ。それともわたしにおかしなところでもありますか?」
「ねーちんがおかしーのはいつものことだー」
「安久利!……んや、別にいい。今日はなんか気分のらねーんで、あとは任せる」
「ちょっと、理津…?」
理津はそのまま包丁を置き、わたしの手を振り解くと、投げ捨てるようにエプロンを外して部屋に向かっていってしまいました。
何があったのか分からずわたしはその背中を見送っていたのですけど、調理中の食材を放置するわけにもいかず、どうしようかと躊躇していたら。
「…せんせ、お大根は切っとくから、ねーちんのとこ行ったげて」
と、安久利ちゃんが助け船を出してくれます。うう、勉強熱心なだけでなく気遣いも出来るいい子ですよぅ…。
「分かりました。あの、お味噌汁とサラダ用なので、半分ずつ使ってくださいね。あ、お鍋はまだ火にかけなくてもいいですから。昆布はそのままで…」
「いーからいーから。ほら、あーいうときのねーちん、スねてるよーに見えて実はかまってちゃんだから。ほっとくとどんどん天気悪くなるよー?」
「そ、そうなんですか?」
「うっせえ!」
「きゃっ?!」
安久利ちゃんに背中を押され、流しの前から追いやられると、部屋の方から理津の怒鳴り声。普段あれだけ妹想いの理津があんなことを言うなんて、これは流石にほっとけませんよね…。
「…分かりました。あとお願いしますね」
わたしは安久利ちゃんに後を託し、手を拭って持参してるエプロンを外すと、理津と安久利ちゃんの部屋の前に立ちました。
「理津?入りますけど…いいですか?」
「……勝手にすれば」
「じゃあ、お邪魔しますね」
襖を開き、畳敷きの六畳間に入ります。そういえばこのお家には何度か通ってましたけれど、ダイニング以外の部屋に入るのは初めてです。
部屋の中に入ると、きちんと片付けられた小さめの学習机が目に入りました。
六畳間ですから二人分はなく、きっと交代で使っているんでしょう。高校のものと中学のものと、教科書が混ざって立てかけられています。
理津も身の回りはしゃんとしてますから万年床などではなく、押し入れに二人分の寝具が片付けられているようです。その押し入れの襖の前に、二人の制服がハンガーにかけられていました。あ、そういえば安久利ちゃんの制服姿ってまだ見てないなあ。
「………」
そして、女の子の部屋にしてはものの少ない、質素な佇まいの中、理津が学習机に突っ伏してました。まるでわたしに顔を見られたくないみたいに。
「あの、理津?機嫌直してくれません?今日はちょっと…ええと、うん、わたしと話をしてからなんだかおかしいですよ。さっきも言いましたけど、わたし何か気に障ることを言ったのでしたら…」
「だから別にねーさんの悪いとこなんかない」
体を起こしもせずそんなことを言うのですから、とりつくしまもない、とはこのことか、と慣用句の意味を身をもって知った気分です。
これが家族や(と言っても我が家でこんな真似をしそうなのはわたしだけ、なんですけどね)学校の友人だったりしたら、放っておくのも手なのですけど、安久利ちゃんが言ってた、かまってちゃん、という言葉も気になりますし、何よりわたしはこの子の「お姉さま」なんですからね。…今のところ、相手は認めてくれてませんけど。
「…仕方ないですね。じゃあ、今から思い当たることを言います。当たりが出たら何か言ってくださいね」
「………」
やっぱり無反応です。でも心当たりはほじくり返せば無くもないので、短く深呼吸してわたしは話し始めます。
「今日の献立がキライなものだった」
「………」
…違うみたいですね。いえ流石に自分でもそれはどーかと思ったのですけど。
「じゃあ…安久利ちゃんの教育方針について文句がある」
「……ばか」
反応あり。でも心底呆れたようなため息交じりでした。やっぱり違う、と。
「それじゃあ…そうですね、帰り道の途中からでしたから…」
ぴくり。
理津の肩が揺れたように見えました。正解に一歩近づいたようです。ということは…。
「もう少し遠回りして、わたしとの散歩を楽しみたかった。そうでしょう?もう、理津は気の強いように見えて案外あまえんぼさんですね。仕方ありません、今日はもう無理ですけどよければ今度の休日、一緒におでかけしませんか?」
ぴくり、ぴくり。
また理津の肩が揺れました。揺れたというか、震えたようにも見えますが、まあ大差は無いと思います。ふふ、かわいい妹のお願いをズバリ言い当てる。これが出来るお姉さまの証しです。あ、でも理津のことですから、きっとこう言わないといけませんよね。
「ええと、そうですね。わたしとしては二人で、というのも悪くないですけど、安久利ちゃんをほうっていくわけにもいきませんよね。あ、そうだ。次は課外授業としてどこか外に行きましょう。英会話の勉強も兼ねて。わたしの行ってる英会話サークルが近所にあるんですよ。学校の勉強に直接は役に立ちませんけど、英会話は実践が一番ですからね。理津もサークルに参加してみません?理津は度胸ありますから、きっと理津の勉強にも…」
「アホかあんたは──────っ!!」
「ほぁっ?!」
我が思いつきながら名案だこれ、と次回の予定を朗々と語っていたわたしは、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった理津に怒鳴られて、腰をぬかしたようにへたり込んでしまいました。背中が襖に当たって、どすん、とかいってましたけど壊れてたりしないでしょうね、ってそうじゃありません、今は顔を顔を真っ赤にして怒ってる理津をどうにかしないと…うう、なまじっか顔立ちがキレイなもんだから、もともとのつり目がちな目を剥いてると、余計に迫力が…。
「お、おちついて理津、何か気に食わないことがあるなら謝りますから…」
「ねーちんどした?」
その襖の向こうからは安久利ちゃんの声。いえあの剣幕では気にもなりますよね…。
「だっ、だいじょ…」
「やっかましい!安久利はひっこんでろ!」
そんな安久利ちゃんを安心させようとしたわたしの声は、理津の怒鳴り声に遮られました。ちょっと、安久利ちゃんは心配してくれているのになんてことをっ!……と言いかけて理津に睨まれ、萎縮したわたしの背中の向こうからまた、安久利ちゃんの声。
「…鬼ババの覚醒」
「なんだとゴルァッ!」
もうこうなると止まりません。姉妹喧嘩に部外者のわたしの出る幕などなく、わたしをほっといて部屋を飛び出した理津は、狭い家の中で妹を追いかけおちょくられ、お隣のひとのいいおばあさんに止められるまで、どったんばったんは続いたのでした。
「…で、結局なんで理津は怒ってたんです?」
「安久利があーしのことバカにするから…」
「いえ、そうじゃなくて」
お湯を沸かしてたりしてなかったのが幸い、特に被害らしき被害もなく、再びわたしは理津の部屋で二人きりになります。
安久利ちゃんは…。
「ねーちんのストレス解消にこーけんできた!」
「あの、安久利ちゃん…話がややこしくなるので少し静かにね?」
「はーい」
申し訳ないですが、ダイニングで待機させておきます。
「とにかく、こんな体勢はわたしも得意でもないですから話は早く済ませましょう?」
話の行きがかり上理津は正座させましたが、わたしだけ仁王立ちでふんぞり返ってるわけにもいかず、お付き合いして対面に正座です。お茶の席ですることもありますけど、もともと正座は得意じゃないので、早くも膝が悲鳴をあげつつあります。
「……(こくん)」
「いい子ですね。それじゃあ…えと、今日は理津もどうしたんです?途中まであんなに機嫌よかったじゃないですか」
「別に良くなんかない」
「……じゃあそれでいいです。でもわたしにアホ呼ばわりするほどのことがあったとも思えないんですけど…わたし何かやってしまいました?」
「それは…」
理津は顔を上げ、何か言いたそうにしています。
でもわたしも大概察しの悪い方なので、それだけでは分からないんですよ。
…あー、そうですね。察しが悪くて理津を怒らせてしまった、というのはあるかもしれません。だったら余計に話してもらわないと。
「あの、理津?わたし、ひとにはよく言われるんですけど、本当に鈍くて、勘が悪くて、それでひとを怒らせることってしょっちゅうなんです。大体は『ま、しゃーないかあ』で済ませてますけど、相手が理津だとどうしてもそれで済ませたくないんです。だから、話してもらえませんか?お願いです」
そうして、三つ指ついて上半身ごと、ペコリ。
なんだか情けない話ですし格好ですし。理津のようなかっこいい女の子のお姉さまになりたい身としては、随分みっともないとは思うんです。
けれど理津のことを、わけも分からず怒らせたまま、っていうのも我慢できなくて、それじゃあ自分に出来ることをやるしかなくって、やれることといったらこれくらいしか無くって。
「………」
それでも頭の上の理津の口からは、何も答えをもらえませんでした。
ずぅっとこのまま、ってわけにもいきませんから、わたしは仕方なしに体を起こします。
必然的に、理津の顔が目に入ります。そしたら。
「……ちげーし」
顔をくしゃくしゃにして、泣いている…ってほどじゃなかったですけど、なんだか堪えきれないものがあるみたいな顔に、なっていました。
「ちがうって?」
「べつにねーさんに怒ってたのと違くて…ぐしっ」
「…ああもう、きたないですから袖で顔こすったりしないでくださいって。ほら…」
自分が泣いているとでも思ったのか、理津は袖で涙を拭う真似をします。
もちろんそんなことはなかったのですけど、わたしはそれで理津の気が済むのなら、とハンカチを取り出して腕を伸ばし、その目元をぬぐってあげました。
「……話したくなったらで、いいですよ。でもそろそろ膝がヤバいので、なるべく早めにお願いしま…っすねっ?!」
語尾がおかしなことになったのは、理津の顔に手を伸ばしたことで姿勢が変わって、シビれが来たからです。うん、そろそろ限界も近いですね。
「………そうじゃなくって…あー、うん……あんさ、ねーさん」
「はい?」
た、助かった…とはおくびにも出さず、わたしは理津の話を促します。気のせいか、泣き顔転じて照れ顔になってます。年頃の女の子はわけがわかりません。いえ、わたしも世間的には年頃のはずなんですけれど。
「……ねーさん、付き合ってるヤローとか今はいねー、つったじゃん」
「言いましたね。それが?」
「…でー、そんでなんかあーしもちょっと…舞い上がっ…いやいやいや、それはナイナイ、そうじゃなくて、気分よくなったらさー、なんか昔付き合ってたオトコがいるみたいなことゆうから……うー、なんかもー、ワケわかんなくなって…」
「…………」
…えと、それって、もしかして……理津、昔のわたしの彼氏とかいうのに…ヤキモチやいて、た……ってこと、ですか?
「あ、やー……う、うん、まあねーさんの彼氏とかそーいうんはどうでもよくてだな、とにかくそれは、これは…あーうん、まあ、ふわふわして危なっかしい姉貴分が道踏み外したりしねーか心配で心配で、っつぅあーしのおせっかいなわけでだなー……ねーさん、どしたん?」
「い、いえ…その…」
なんか理津がわたし的に聞き逃せないことを言ってたような気はするのですが、わたしはそれどころではなく、いわゆる顔向け出来ない、という心情を体勢で表明していたというか…その、また突っ伏してしまって、ぷるぷる震えるしか出来なかったのです。あう。
「…ねーさん、シビれきれた?足揉んでやったほうがいい?」
「シビれきらした状態で足触られたら拷問ですってば……いえそれよりも」
「…うん」
ガバッと起き上がってみると、ことのほか理津の顔が近くにありました。
またなんだか泣き止んだあとの子供のような、ちょっと清々しい表情です。
「……まあ、いいです。そういうことなら別に、ですね」
「別に、なに?」
「なにもないです。それは理津のかんちがいです」
「…………なーんかあやしくね?」
「あやしくもないです」
「………おい」
我ながら口調が棒読みになっていきます。
だって、だって…言えるはずないじゃないですか…いーとしした女が、まだオトコと付き合ったことがないとか…さっき言ったのは、幼稚園児の頃のお話で、従兄弟と将来結婚しようね、なんて話をしてたことだなんて、言えるわけがないじゃないですかー……理津に聞かれて、付き合ったことがある、って言ったのは精一杯の見栄だったなんて言えるはず…ないじゃないですかー…。
「…ねーさん」
「…なんです?」
「よくわかんねーけど、吐け」
「吐くことなんかなにもありません」
「いや、なーんかあーしの勘にビンビン来るっつぅか、白状させたら面白いことになりそーだっつぅか…」
「理津、あなたのそれはひがいもーそーというものです。考えすぎはよくないですよ?」
「被害妄想?なんか違くね?」
「あ、さてと。いー加減お夕食の支度しませんと。今日はお母さん遅くはないのでしょう?帰って来られたらできたてのご飯でお迎えしましょう?」
「なんかまたごまかされたような…」
「それはきのせいです」
まだ首をひねってる理津を置いて、台所に戻ります。理津はまだ納得いってないようでしたが、部屋を出たわたしを迎える安久利ちゃんの、「おなかすいた」という声には逆らえなかったようで、苦笑しながらわたしの後に続きます。
だいぶ時間は遅くなってしまいましたが、今日の料理の授業は、理津と肩が触れあうくらいの距離で進められ、なんだか不思議に…心の距離も一緒に縮まったような気がしました。
…ちなみに、後日。
執念深くも理津はこの日のわたしの見栄というかウソを暴いてくれまして。
どうなるかと思いましたけど、お腹を抱えて呼吸が出来なくなるくらいに笑い転げてくれましたので、恥をかいた甲斐はあったと思うのです。
………あとでおぼえてなさいっ。
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