第4話・かもな まいはうす!

 「はじめましてせんせー。桐戸安久利といーます。今日からよろしくおねがいしますー」


 初対面のひとにも物怖じしない安久利が、なんかぼーぜんとしてる砥峰サンにぺこりと頭を下げていた。

 ウチには客間なんて上等なモンはないので、アパートに入ってすぐの台所兼ダイニングのフローリングに置いたちゃぶ台に三人並んで、ご対面している。


 まー予想はしてたけれど、砥峰サンはもう昨日の段階でノリノリもいーとこで、LINE経由で細かいことを確認しようとしたらもう、『明日から生きます!!(←このまんま書いていた。どんだけ焦ってたんだか)よろしくおねがいします!!!』…てな感じで、あーしはまさかなあ、と思ってたのだけど、どうやら悪い予感てーのが的中したらしい。


 「え、ええ。そうよね、妹さん…よね?あぐ、あぐり…さん?どもー…砥峰、阿野です…はい。よろしくおねがい…します」


 愛想笑いっぽいカタい笑顔を貼り付けたまんま、口をパクパクさせるよーなぎこちないアイサツだった。

 かろうじて、中学生女子の元気なあいさつに圧倒される、という風であったから、今ンとこは安久利もおかしいとは思ってないだろうけど、これはイカンなー。事情に気付いたら安久利もヘンに遠慮してしょげてしまいそうだ。

 しかたない。ここはねーちゃんが上手いこと取りなして、なるべくなら安久利を喜ばせる方向に持っていかねーと。

 あーしは、「センセ、ちょっといーすか?」砥峰サンを部屋の隅に連れて行き、こう言ったのである。ヒソヒソ声で。


 「あのー、もしかしてあーしのカテキョと勘違いしてました?」

 「え……あ、あの……ごめんなさい……」


 そこまで落ち込まなくても。別に責めてるわけじゃないし、あーしの方だって確認しなかったわけだし、ついでに言えば、あーしをエサにして引き受けさせたー、という後ろめたさもないわけでもなく。

 なもんだから、さすがにわりーなー、とも思うのである。


 「今からでもいーんでヤメにしときます?安久利には上手いこと言っときますし」


 わたしったら間違えて高校の教科書持って来ちゃった…でっ、でも中学の教科書はさすがに持ってないからどうしよう…とか小声で独り言を言ってるのだ。

 もしかしたら、あーしの方は結構わざとだったけど、自分の勘違いがあるにしても、このまま安久利のカテキョをマジメにやるつもりなのだろうかと、半ば呆れ半ば感心しつつ申し出たあーしの言葉に砥峰サンは。


 「でも妹さん喜んでいるんでしょう?だったらガッカリさせられないもの。いいわ。この後のことはまた相談するとして、今日はちゃんと勉強みてあげる」


 にっこり。

 いかにもひとのよさそーな、無邪気な笑顔。不覚にも一瞬見とれてしまったあーしは慌てて、「これで『お姉様とお呼び!』とか余計なこと言わなければなあ…」とか思ってつい冷めた目で見てしまったのだった。


 「え、そんな冷たい目で見なくてもいいと思うんだけど…」


 でもまあ、このねーさんにはこれくらいでいいのかもな。ほっとくと調子にのりそうだし。




 「えーとね、内角と外角の計算は多角形の内角の和を丸覚えしてしまうのはまず前提なんだけど、外角でも内角でも角度を計算させるパターンは問題数こなして、パッと答え出てくるようにした方がいいよ?図形見て数字がすぐ出てくると、後々図形問題に苦手意識持たなくなるからね」

 「覚えるの苦手なんデスけどー…」

 「向き不向きはあるから、わたしのやり方を押しつけるつもりはないわ。でも安久利ちゃんは、きちんと理論的に筋道立てて考える方が好きなんでしょう?」

 「うい」

 「じゃあこんな単純な問題を計算して頭使うより、論理問題に時間使って確実性上げた方が、全体の成績はあがると思うわよ」

 「そーいうもんかー…」

 「そーいうもんです」


 最初はどーなるかと思ってハラハラしてたあーしだけど、砥峰のねーさんは勉強を始めてしまえば丁寧な教え方をしていた。安久利は勉強好きなクセにヘンに飽きっぽいとこがあって、実は長続きしないところがあんだけど、今日はずーっと話に聞き入り自分で手を動かし、教えられたことには熱心にふんふんと頷いていた。

 結局ウチで安久利が、べんきょあきたー、とか言ってたのは、自分のペースで知りたいことが知れないからだったんかな。

 と、そんなことを考えながら、あーしは夕食の支度をする。

 かーさんは、昨日は日付が変わるころに帰って来たくせに、今日はまたあーしらが学校に行ってすぐに出勤し、そして今日も九時くらいまで働いてくると言っていた。

 …なんてーかさ、子供が言っても仕方ねーとは思うんだけど、大人はもーちょっとさあ、楽しいとか嬉しいとかって面を子供に見せてくれねーと、大人になんかなりたくねー、ってガキばっかになんじゃね?…とかーさんに言ったら。


 『あたしは理津と安久利がいてくれるだけで、充分楽しくて嬉しいよ?』


 と、本気の笑顔で、言われたことがある。

 まあ、あーしの家族は二人とも、そーいうんばっかだ。きもちのいいひとだけど、どっか浮き世離れしたとこがある。特にかーさんは、疲れた様子もなく働いてて、家族のあーしらがしっかりしてねーと、笑ったまま死んでしまいそーだもんなー…。


 「ねーちん、ぶっさいくな顔して、どした?」


 と、考え事をしながらメシの支度をしていたら、勉強は小休止なのか安久利が側に来てしつれーなことをぶっこいてた。


 「おい。姉に向かってブサイクとかいー度胸してるな、妹」


 べつに誰もがうらやむ美少女、とは言わんけど、親に似てそこそこの美人には産んでもらってるだろーが、姉妹そろって。

 と重ねて文句を言おうとしたら、安久利はすこし眉をひそめながらこんなことを言った。


 「だって顔くちゃくちゃにして、泣きそーだったもんな」

 「そお…?」


 …どーも、安久利の言いたいのはそーいうことじゃなくて、なんか考えてることが顔に出てるぞー、ってことだったらしい。

 いけねーなあ、今日は客(?)も来てるっつーのに、ンな顔さらしてヘンに思われなかっただろーか、と当の客の顔を見てみたら。


 「…あの、なんす?」

 「……うーん…なんでもないの。ごめんね」

 「はあ」


 言いたいことがあるけどなんか言いづらい、ってな具合の、なんでもない、って顔じゃなかったけどな。

 まーいーや。安久利のいるトコでするような話でもねーし。

 と、あーしは休憩に合わせてなんか甘いモンでも出してやるか、とアパート据え付けのミズヤから、ココアの瓶を取り出して二人…三人分のカップに粉を入れ始めたのだった。



   ・・・・・



 結局、勉強みてもらってた時間としては二時間くらいだったっけ?

 ガッコ終わってから初めてもらったんで、終わったころにはもう暗くなってしまってて、おじょーさまなんだし送って行こうか?と聞いたら、何故かキョーレツに拒否られたのにはちょっと面食らったけども。

 とにかく砥峰のねーさんを送り出してから、あーしは勉強道具を片付けてた安久利に訊いてみた。


 「どーだった?」


 ねーさんは、きっちり数学と英語を安久利に教えてってくれていた。

 あーしは家事にかまけててたから、じっくり様子を見てられたわけじゃない。

 んで、昨日の様子からはそーぞーもつかなかったが、こっちに妙なちょっかいかけられることもなかったので、ねーさんが帰ったあとに安久利に様子を聞いてみようと思ったのだ。


 「ちょーわかりやすかった!」

 「ん、そかそか。よかったな」


 安久利はこういう時、言葉より表情で本音を語るコだから、満面の笑みでバンザイしてたとこを見ると本当に満足いく勉強が出来たんだろう。紹介した姉の面目もたってよかったよかった、と座ってバンザイしてたままだった安久利に、両手でハイタッチ。


 「ねーちんもありがとね。あんないーセンセ、高かったでしょ?」

 「あー、まあ安久利はそんなこと気にしなくてもいいって。ねーちゃんバイトでもして月謝は稼いでやるから」

 「うう、すまないねぇ…こんなときあいつが生きていたら…」

 「それはウチの場合洒落になんねーから、かーさんいる前でやんなよ」

 「うい」


 とーさんが死んだのは安久利がまだ三歳のころだったから、安久利としては罪悪感のない冗談なんだろうけど、かーさんが聞いたら泣く…まではせずとも、あーしらをまとめて抱きしめて「ごめんねぇ…」と一晩離してくれない、くらいはしそーだかんな。

 …しかし銭金の話をし始めるとアタマいてぇな。砥峰のねーさんは月謝に関してはまだなんも言ってなかったけど、タダでやってもらうわけにいかねーもんな。

 最初に言ってた妙なコトを逆手にとれば、割と好きなように操る自信はあんだけども、落ち着いて話してみっと、いーとこもあるねーさんだったからなァ…。


 「よし、メシの支度かんりょ。あぐりー、先に食べておくかー?かーさん今日は九時頃になるみてーだし」


 勉強道具を片付けてちゃぶ台の上を空けた安久利にきいてみた。とはいっても、多分答えなんか分かってんだけど。


 「んー、お腹空いたけどかーさん待とうよ。三人で食べた方がうんまいもんね」

 「だなー…言うてお腹は空いたし…なんか腹にいれとくか?」

 「うん」


 こういうやつだし。

 けどまあ、かーさん帰ってくるまであと小一時間はあるし、煎餅でもかじってる分には構わんだろ、と、あーしはお茶の用意だけしておく。安久利も菓子箱を開いて何か取り出すつもりのようだ。つってもウチの場合、見切り品の袋菓子ばっかだけどな。


 「ほれ、茶いれたから」

 「うい、あんがとねーちん」


 ポットにお湯は残ってたから、すぐに用意は出来た。

 あーしと安久利は、せまいちゃぶ台に差し向かいで座り、空腹をごまかすようにバリバリ音をたてて湿気かけた歌舞伎揚げをかじっている。


 「……なー、ねーちん?」

 「んー?」


 空腹なんだから黙って煎餅かじってるのかと思ったら、安久利はなんかほんのりうれしそうに、こんなことを言ってきた。


 「あのせんせーな、とってもいーひとだよねー」

 「……………そうか?」

 「ノリが悪いな、ねーちんは」


 言うてもな。初対面のときがインパクト充分で、けっこう身の危険を覚える出会い方だったから、安久利みたいに無邪気に判別できんのよ、ねーちゃんは。

 ただ、安久利の言いたいことは理解できる。

 ウチは見ての通り、裕福とは言い難い。かーさんはがんばって働いてくれて、こう見えても不自由は感じない暮らしをさせてくれてるけど、着てるモンとか使ってる化粧品とか、あと物腰全般みていいとこのお嬢さんのよーな砥峰のねーさんにしてみれば、いかにもビンボーしてる、と思っても仕方ねーとは思うんだ。

 けど、あのひとはそんな様子は全然見せなかった。

 思うくらいはしてたかもしれんけど、安久利やあーしが、自分らの暮らしに引け目を覚えるよーな態度はぜんぜんなかった。

 …だからといって、お姉様呼ばわりを強要されてハイ分かりました、とはいかんのだけど。そこら辺、何考えてんだか分からんのよなー、あのヒト。


 「ねーちん、できたらさー…」

 「わーってるって。安久利がおねだりするなんて珍しーしな。なるだけいっぱい勉強みてもらえるよう、やってみるよ」

 「…ありがと、おねえちゃん」


 んふふ、と心の底からうれしそーに、安久利は言う。いいコだよなー、ホント。

 まーな、とくに趣味とか将来の夢なんてモンがないあーしにしてみれば、妹がこうして前向きにがんばろー、と思ってくれるのが嬉しいんだ。そのためにいろいろしてやるくらいのこと、おねーちゃんとしては当たり前のことだと思うんよ。

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