第3話・白百合の契り(盛大なすれ違い)

 『お嬢様、お食事の支度が調っておりますが…』

 「要りません。お父様とお母様にもご心配おかけしますが、今日は合わせる顔もありませんので、と伝えてください」

 『……かしこまりました。お体の具合が悪いようでしたらお申し付けください』


 わたしもいい歳なのです。悩める乙女なのです。時には親の顔も見られず一人で物思いに耽ることもあるのです。

 家政婦の篤子あつこさんはインターホン越しにため息をもらし、部屋の前から立ち去ったようです。

 …わたしにため息を聞かれるのは礼儀的にどうなのかと思いますけれど、篤子さんは普段そういう粗相をしないひとなので、わたしの態度に何か問題があったのかもしれません。あとで謝っておきましょう。


 それにしても今日は失敗しました…。

 せっかく理想的な妹に出会えたというのに、わたしときたら第一声から彼女を怒らせーの、電柱と親しくどつきあいしーの、この思いの丈を辛うじて伝えきることもかなわず…ああっ、出来ることなら今日一日を最初っからやり直したいっっっ!!

 …いえ、それくらいは仕方ないのです。わたしが突発的事態に弱いというのは、砥峰阿野を十八年以上やっているのですから分かってます。

 ですが。ですが…お夕食を断り、ひとり自室のベッドの上で枕に顔を埋めてじたばたしてる理由は、またそれとは別のことなのです。

 いえ、以上のことでも充分生き恥さらしているのでしょうけれど、それでもわたしにとってはまだ起死回生のための、ささやかな助走と言えます。


 わたしが今もこーして自分でも分かるくらいに顔を赤くして身悶えしてる理由。それは。

 わたし、砥峰阿野が、「きりと りづ」という名の約束された妹に…あろうことか、「かわいーッスね」などと…言われてしまったこと……ッ!

 わたしは、わたしはあくまでも。あ・く・ま・で・も!……「お姉様」なのです。

 言われたいのは「かわいー」じゃなくて「素敵…」なのです。ついでに言えばその後で恍惚とした声で「…お姉様……」と、熱い吐息と共に呟くよーに言われた日には、もう昇天しても構いません。

 ……だというのにわたしってば何やってたんですか…ほんっとにもー……。

 仕方ありません。可能ならば彼女のわたしに関する記憶を上書きしたいところなのですが、それもかなわぬとなれば今しばらく落ち着いたところでまたお話する機会を求めねば。

 ええと、名刺は渡してあるので彼女の方から連絡をとってくれる分には問題ありませんよね。

 そして彼女の連絡先は、と……………。


 …いったい今日何度目の不覚なんですか。名前以外何も聞いて無いじゃなないですかっ。

 その名前ですらどんな字を書くのかすら教えてもらってませんし…見当つくのは、制服からして多分……あの、わたし高校生の制服マニアじゃないんですから、そんなの調べないと分からないじゃないですか。

 やれることがあるというのは良いことです。わたしはバタ足を止めて体を起こし、机のPCを起動します。

 いえ別にベッドから降りなくてもスマホで調べれば済む話なんでしょうけど、この際こーしたままでいるととんでもないダメ人間が出来上がるような気がしましてですね、って誰ですか既に手遅れとか言ってるのは。わたしそこまで堕ちたつもりはありませんよ。かわいい妹の腕の中に抱かれて看取られるのなら堕ちるのも吝かじゃありませんけれど、って言ってる場合ではありません。とっくにPCの起動は完了して、いつでもカムオン調べ事の状態になってました。

 物思いにふける時間すら与えてくれないとは、最近のPCは落ち着きと風情に欠けますね。わたしが小学校低学年のころ、学校で初めて触れたPCはもっとゆっくりと使えるようになったと思うのですけれど。


 って、どうでもいいですねそんなこと。

 わたしは、記憶に鮮明に残る、「きりと りづ」の全身の姿を思い出し、着崩した制服から想像した正式な状態を、都内高校生の制服を網羅したサイトで探します…それにしてもなぜに高校生の制服の情報を収集したサイト、なんてものがあるんでしょう。ひとさまのやることはよく分かりません。今回は大変助かりますけど……と、言いたいところだったのですが。


 「……あの子、制服の着こなしが半端ないんですが…」


 着こなしというか、アレンジというか…とにかく、原型を全く想起させない着方をしてたのか、まったくもって本来の姿が想像つかないのです。

 いえ、無個性が身上みたいな高校生の制服ですから、ちょっぴり冒険してみたい女の子が、ほんの少しはみ出してみた程度のことでも、おカタい制服が自由、フリーダムの象徴っ!…みたくなってしまうのも無理はないのでしょうけど。


 「えーと、いくらなんでもスカートの柄までは変えられないでしょうから…これとこれ、あと多分これ。タイは…緩めてただけですしきっとコレ…ちょっと違う…かな?こっち…あ、これこれ」


 空腹も忘れて集中するわたしです。

 というか、そもそもの目的忘れていつの間にか制服そのものに見入ってました…いえいえ、別にそーいう趣味はないんです。ただ、わたしの高校は私服だった(といっても基本お嬢様学校なので、派手な格好をする子などおりませんでしたけど)ため、ちょっと制服ってものに憧れみたいなものがありまして。

 だって、姉と妹が、ワンポイントの色違いの制服に身をまとってる、なんて想像しただけで……滾るじゃないですかっ!


 『このリボンの色だけが、あなたとわたしを隔てているの…いっそ、リボンと一緒にあなたをわたしの色に染めてしまえば…この壁を取り払えるのでは、なくって?』

 『おねえさま…』


 とかって。とかって。きゃーっ!きゃーっ!きゃーっ!


 『お、お嬢様っ?!何ごとですか急に大声をあげられて?!』




 そんな感じで三十分も画面を眺めてたことでしょうか。

 扉の外から篤子さんの、「お食事をお持ちしました」との声に作業を中断します。

 わたしは、はぁい、と返事をすると、立ち上がってとてとてと部屋の入り口まで歩いてゆきます。扉を開くと、なんだか疲れたような篤子さんが、ちいさなお盆を手にして立っておりました。

 別にわたしが罪悪感覚える必要もないのですけれど、余計な手間をとらせてしまったことに違いは無いので、「ごめんなさい、食べたら下に持っていきますね」とひとこと謝ってお盆を受け取ります。

 その際の、何をやっているのやら、とでも言いたげだった篤子さんにはにっこり笑って誤魔化しておきます。

 篤子さんは上の兄と同い年の女性です。親子ほどは違いませんけれど姉と呼ぶのも少し無理のあるお歳でもあります。

 特段美人さんというわけじゃありませんし、背は高いのですけどお歳相応にややふくよかなところもあり、ですが笑顔にとても愛嬌があって子供の頃からお世話になっているわたしはとても親しんでいる方です。

 そうですね、家政婦さんというよりは…やっぱり家政婦さんですよね。それ以外の何でもないと思います。


 って、思い切り脱線しました。

 わたしはいただいたお食事(おにぎりにキュウリのぬか漬けとたくあんの古漬け、それに御味御汁というお夜食の定番です)を机ですっかり平らげると、立ち上がって「ん、んん~~~……っ」とおっきく伸びをしました。すると、ベッドの上に投げっぱなしにしてあったスマホが目に入ります。

 友だちの多いとはいえないわたしのスマホに来るのは、どうでもいいニュースとか通知ばかりなのですけれど、生まれて初めてアルバイトをして買ったスマホなので、ついつい用事もないのに手に取ってしまうんですよね。使いこなしているとは到底言えませんけれど、愛着だけはいっちょまえにあるのです。


 なので、なんとなく手の中でスマホを転がしていたときでした。


 「わっ?!…とっとっと…」


 突然振動して、着信を知らせてきたスマホを、慌てて取り落とすところでした。

 しつこいよーですが、わたしは友だちが多いとは言えないので、こんな時間に電話をかけてきて秋の夜長を長電話するような相手もおりません。


 「え?知らない番号、ですね…誰でしょう?…もしもし」


 実際、着信画面には名前が表示されていなくて、070で始まる番号が表示されていました。

 若い娘としては知らない番号からの電話に出るというのは迂闊なのかもしれませんけれど、その時のわたしはそーいう警戒心に欠けてました。普段はそこそこ気をつけてますから。念のため。

 いえ、そーじゃなくて。


 「もしもし?えーと…砥峰…ですけど」

 『あ、よかったー。あーしです。キリトっすー』


 きりと?聞き覚えがあるよーな無いよーなー…って。


 「ききききりとさんっ?!」


 …うう、一瞬忘れてた自分がおバカ過ぎます…昼間出会った我が至高の妹じゃないですかっ。


 「あ、あのあのあのっ…」

 『あー、そういえば名前は『阿野』サンっしたねー。どーもー』

 「いえそうじゃなくて…あ、確かに名前は阿野ですけど……あの、どーかしました…?」


 いえこれもそうじゃなくって。大体わたしが自分で連絡先教えたんじゃないですか。それで向こうから電話してくれて「どうかしましたか」もないものです。


 『…もしかして寝てたりしてました?だったらかけ直しますけどー…』

 「いえっ大丈夫ですっ!ぶゎりぶゎり起きてますっ!むしろ夜はこれからですからっ!!」

 『……えーと、それならいいんですけど』


 ぐっ…望んだ展開だというのにどうしてわたし、こうも緊張しているのでしょうか。

 そもそも昼間のことを思い出して反省して、これはもうダメかもしれないなあ、と諦めかけた頃に連絡をしてくるとは随分…小悪魔なコですね。うふふふ…。


 『…話、いーすか?』

 「あっ、はい!どうぞどうぞ、わたしに出来ることならなんでもしてあげますからっ。だってわたしは…お姉様ですし」

 『いえ、そーいうのいーんで。それよりひとつお願いがありましてー』


 お願い…おねがい…おねがいっ?!

 かわいい妹からのおねだりとか既にシチュエーションが天元突破してませんかッ?!

 ああ、わたしは今日という日を永遠に言祝ぎましょう…我が人生最良の日として長く記憶に留め…いえ、日記!日記を書きましょう!妹との末永い幸福に満ち満ちた記録を…ああ、我が生涯に一片の悔い無しとはこのことか………っ。


 『……あのー、さっきからちょいちょい中断してますけど、ダイジョーブっすか?』

 「………あ、はい…あまりの嬉しさに少しトンでました…大丈夫ですぅ、はいぃ……」

 『………』


 ホントにダイジョーブなんかな、このヒト、とか聞こえた気がしますが気は確かです。もったいなさ過ぎて気を失ってる暇などありませんから。


 「こほん。えーと、それで…おねだりとはどういったものでしょうか?大抵のことは…結婚して幸せに過ごしましょう、くらいなら全然おっけーですが」

 『それあーしが全然おっけーじゃないんで。いやま、それほど面倒なことでもなくてですね。えーと、砥峰サン、勉強って出来る方っすか?』

 「勉強?ええまあ…外部受験を考えたくらいですから、そこそこは出来ますけれど」


 大学まで一貫したエレベーター学校だと勉強がおろそかになる子もままいるものですけれど、わたしはその点しっかりやってましたから…友だちがいなくて他にやることもなかったから、とか、外部受験諦めたのは生来の人見知りで気後れしたから、というのが我ながら情けない限りですけど。


 『外部受験…?あーまあ、それはいいです。えーとですね、かてきょーお願い出来ないかな、と思いまして』

 「かてきょー…?」

 『あ、スミマセン、家庭教師のことっす。誰か勉強教えてくれるひといないかなー、と』


 家庭教師…かていきょうし…かてきょー………。



 『ほら、ここ間違ってるわよ』

 『あ…ごめんなさいお姉さま…不出来な妹で』

 『ふふ、いいのよ。だってあなたがあまりにも出来すぎたら、わたしが教えることなくなってしまうもの。わたしは嬉しいの。あなたがわたしを頼ってくれることが。本当にね?』

 『お姉さま……うれしい…あたし、お姉さまを一生お慕い申し上げますから…』

 『…いい子ね、××。そんなあなたのためなら、わたしはなんだってしてあげられるから』

 『お姉さまぁ…』

 『…一緒に学んで、大人に…なりましょう?』



 『もしもーし?それでですねー…』


 はっ。わたしとしたことがまたプチトリップを。いけないいけない、折角の素晴らしき出会いに雑念を挟んでしまいました。


 『……が誰か勉強教えてくれるひといないかなー、って言ってるんすよ。でー、申し訳ないですけどウチそれほど裕福でもないんで、謝礼とかは弾めませんけど、もしよければウチに来て時々勉強みてくれるとありがたいなー、って……あの?』

 「…ええ、べっべちゅにかまわにゃひ……こほこほ。別に構いませんわよ?いつから行けばいいかしら?」


 なんか途中聞き逃したみたいですけど、ここで聞き直していたりしたら、しっかりしたお姉様としては失格ですし。

 大切な事は…この砥峰阿野の長年の願いがっ!ついに!かなえられる時が来たということでっ!!

 …うふふふ、ちょっと斜っぽい女の子が、わたしを姉と慕って一人前のレディに生まれ変わっていく…ああっ神さまありがとうございます阿野は生まれてきてほんっと─────に!良かった!ですっっっ!!


 『…んじゃ諸々あとでLINEで送っときますんでー。都合のいい日とか時間つめましょ?いーすか?』

 「ええ。楽しみにしてるわっ!」

 『……あー、そこまで入れ込まれてもちょっとアレなんで。じゃーよろしくお願いしマース』

 「はい。連絡待っているわね。お休みなさい…えーと、『りづ』」


 いきなり名前呼び捨てっすか、と呆れたように言われてしまいましたが、何程のことがありましょうか。

 あなたとわたしは、今日今の瞬間をもって姉妹の契りを交わしたのですっ。明日からはあなたはわたしのことをお姉様と呼ぶのですから。いいえ、呼ばせてみせますっ!


 「………うふふふ、いよぉぉぉぉしやぁるぞ────っっっ!!」

 「お嬢様何ごとですかっ?!」


 …食器を下げにきた篤子さんに、怒られてしまいました。うう、完璧なお姉様への途はまだ半ばのようなのです。

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