電話越しの情報提供

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 ──電話越しの情報提供



 その日もマーヴェリックはアロイスの部屋に押しかけていた。


 アロイス自身、他の女と遊ぶより、マーヴェリックと話している方が落ち着くので、ここ最近ではエルケにもほとんど会っていない。あれだけの執着を示した相手だが、いざ手に入れてみるとどうでもよくなった。


「あんた、少し変わったね」


「そうかな?」


「少し男らしくなった。修羅場を乗り越えた顔だ」


「ふうむ。修羅場、ねえ」


 恐らくはブロークンスカルとの取引のことだろう。


 今でもアロイス=ヴィクトル・ネットワークは稼働している。稼働させ続けるためにアロイス自ら国境を越えて、直にヴィクトルに会いに行くこともあった。そのためか、アロイスはヴィクトルからかなりの信頼を置かれている。


 しかし、それは前の話だ。


 ここ最近で修羅場という修羅場には出くわしていない。


 いや、出くわしていた。


 麻薬取締局の登場だ。


 麻薬取締局の登場はアロイスに10年前の記憶を一気に叩き込んだ。すなわち、アロイスがフェリクス・ファウストに殺されるという記憶を。


 アロイスは過去を乗り越え、将来の敵の行動を妨害しようとしている。


 それはまさに修羅場だ。


「俺は将来、殺されるかもしれない。そう思うと少しばかり表情が強張る」


「ドラッグビジネスをやってる奴の末路は大抵悲惨なものさ。だが、あんたも分かってやってるんだろう?」


「それはそうだが。だが、俺は好き好んでドラッグビジネスに踏み込んだわけじゃない。否応なしに引きずり込まれたんだ」


 ハインリヒ、ドミニク、ヴェルナー、カール。クソドラッグカルテルのボスたちの権力争いさえなければ。ヴォルフ・カルテルという帝国さえなければ、自分は“国民連合”の大学で薬学を学び、製薬業に関わり、最後はノイエ・ネテスハイム村で小さな薬局を持つことができたのだ。


 ドラッグビジネスがいくら儲かろうが、犯罪行為を追及された挙句、射殺されるなんて惨めな最期はごめんだ。


 アロイスはずっとそう思っていた。


 その反面、ドラッグビジネスが自分に向いているのではないかという恐怖もあった。


 アロイス=ヴィクトル・ネットワークは1度目の人生では存在しなかったものだ。アロイスはそれを作り上げた。父であり、ドラッグビジネスの師であるハインリヒの予想すら超えて、アロイス=ヴィクトル・ネットワークは利益を上げている。


 自分にはこういう才能があるのか。それとも幸運なのか。


 アロイスは後者であることを祈りつつも、権力を手に入れるために前者の力を求めていることに自分自身でも信じられずにいた。


「危険なことをしてるんだろ?」


「ああ。危険なことをしている。本当に俺と別れる気はない?」


「ないね。危険な男は好きだ。危険な女もね。どちらもイケてる」


 マーヴェリックはそう言ってアロイスの肩に手を回した。


「本当に危険なんだ。守り切れる自信はない」


「自分の身は自分で守るよ。他人の世話に何てならなくても生きてきたんだ。これからもそうするし、あんたと付き合っていようがなかろうがそうする」


「本当に君という人は」


 だが、そんなマーヴェリックが傍にいるからこそ、安心できるものがあることをアロイスは実感していた。マーヴェリックはアロイスの負の側面を見ても逃げ出したりはしないし、隷属しようともしない。それが心地よかった。


 電話がなったのはそんなときだった。


「ちょっと失礼するよ」


 アロイスはマーヴェリックの手を離すと、電話に向かった。


「アロイスです」


『俺だ。ヴィクトルだ。今、話せるか?』


「大丈夫だ。何か問題でも?」


 アロイスはマーヴェリックあデリバリーのピザを食べているのを見てそう返した。


『麻薬取締局の捜査が入ったことは前に教えたな? その続報だ』


「どのような?」


『麻薬取締局の捜査官はお前が言っていたフェリクス・ファウストって男だ。だが、州警察と大揉めして出ていった。これで麻薬取締局の捜査は終わると思うか?』


 フェリクス・ファウスト。やはり奴がいた。


 そして、どう考えてもフェリクス・ファウストはそんな短気な人間ではない。


「罠だ。州警察と麻薬取締局が仲違いをしたという演出だろう。騙されるな。フェリクス・ファウストという男は狡猾だ。隙を見せれば、瞬く間にネットワークは壊滅する。お互いヘマしない。裏切らない、だ」


『分かった。警察内部の人間に様子を探らせておく。引き続き、取引には注意を払う。そちらもヘマはするな。裏切るな』


「もちろんだ。お互いの利益にのために」


『そうとも兄弟。俺たちの利益のために』


 ヴィクトルからの電話はそれで切れた。


 アロイスは考える。


 フェリクスは警察内部のギャングの内通者に気づいて、わざと仲違いを演出してのではないだろうかと。そうであるならば、ヴィクトルが警察内部に仕込んでいる内通者を利用しても、麻薬取締局の捜査情報は手に入らない。


 もっとも、今までヴィクトルの内通者が踏み入った情報を提供することはなかった。どこの売人が捕まったとか、どこの売人が司法取引に応じたとかそのレベルだ。


 どの程度ブロークンスカルに対して嫌疑がかかっていいるかや、アロイス=ヴィクトル・ネットワークに捜査機関が気づいてるのかや、ヴォルフ・カルテルのドラッグ集積所の位置がバレているのか。そういう重要な情報はもたらされていない。


 だが、探る価値はある。


 フェリクスは州警察と仲違いを起こして、捜査を諦めるような男ではない。あの男のことはアロイスがよく知っている。猟犬のように獲物を追い続ける危険な男であると。そのためならばどのような手段でも使うだろうということを。


 州警察の汚職警官は既に警戒されている。


 情報は断片的かつ決定的ではなくなるだろう。


 だが、今のアロイスに“国民連合”に及ぼせる影響力はブロークンスカルだけだ。他には何の権力もアロイスは“国民連合”において有していない。


 どうにかして“国民連合”の懐に飛び込まなければならない。


 幸いにしてアロイスにはひとつばかり策があった。


「危険な話でもしてたのか? 顔色がよくないよ」


「まあ、この手の仕事で顔色がよくなるものなんて稀なものさ」


 アロイスはそう言ってビールを飲み干す。


「通話相手はブロークンスカル?」


「君は本当に麻薬取締局の潜入捜査官じゃないだろうね?」


「あたしがそんなケチなものに見えるかい?」


「見えない。だが、君は関わらない方がいい。危険な男を相手にしているんだ」


 今でも思い出せる。


 フェリクスの構えた魔導式拳銃から放たれた9ミリ拳銃弾の発砲音。それがアロイスの腹部を貫き、抜け行く感覚。自分がゆっくりと死んでいく感覚。


 あのような思いは二度としたくない。


「あたしにはあんたも十分に危険な男に思えるよ」


「冗談じゃない。俺は平凡な男だよ」


 アロイスはそう肩をすくめるとピザを口に運んだ。


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