ヘマはしない、裏切らない
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──ヘマはしない、裏切らない
“国民連合”の中央政府機関がアロイス=ヴィクトル・ネットワークの捜査を始めたことをアロイスが知ったのは、アロイス=ヴィクトル・ネットワークがもはや完全に軌道に乗り、60キログラムのスノーパールが120キログラムのスノーパールに変わっていたときだった。
ヴィクトルは末端の売人にも注意を払っている。
そもそもヴィクトルは末端の売人をいくら洗おうが、自分たちの存在は分からないように工夫していた。取引場所は毎回変える。尾行や盗聴器がついていないか必ず確かめる。そして何より、ブロークンスカルのメンバーを末端の売人には会わせない。
取引は複雑怪奇でいくつもの人間を経由して行われる。その人間の中には自分がスノーパールを扱っていることすら知らない人間も混じっていた。
手間はかかるし、金もかかる。だが、捜査機関の手が及ぶことはまずない。
そんな中、末端の売人が州警察に連行されたニュースを知る。
警官に金を渡して調べさせれば、何でも麻薬取締局が捜査に乗り出しているという。
「その捜査官の名前はフェリクス・ファウストか?」
アロイスは電話でそう話した。
また持ち運び可能な妖精通信は実用化されておらず、盗聴のリスクを犯してでも電話でやり取りするしかなかった。だが、今のところ盗聴の心配はしなくていいだろう。相手はアロイス=ヴィクトル・ネットワークに気づいてはいない。
『捜査官の名前までは分からねえよ。だが、麻薬取締局が動いていることは確かだ。約束したよな。お互いにヘマはしない。裏切らない』
「ああ。これからは取引もより慎重に行おう」
今まではレニで取引してきた。
レニは組織犯罪にとっては楽園のような場所だった。レニ都市警察は組織犯罪に弱い。何故ならば組織犯罪とは“国民連合”中で、そして国境を越えて“連邦”にまで影響を及ぼしているからだ。レニ都市警察が担当するのはあくまでレニで起きる犯罪に限定される。“国民連合”の憲法でも、自由都市の高度な自治権は認められている。
これからもレニで取引するか?
レニは確かに取引がしやすい場所だ。打ってつけだ。
問題は麻薬取締局の捜査がレニに及ぶこと。レニ都市警察も証拠が揃っていれば、協力を余儀なくされるだろう。
では、レニ以外の都市での取引も考えておかなければ。
「小まめに場所を変えよう。レニはレニでも同じ場所ではなく、1回の取引につき、1回ずつ場所を変えていこう。面倒かもしれないが。ヘマはしない。裏切らないだ」
『分かった。連絡はどうする?』
「こちらの飼っている連絡役を通じて連絡する。それがおとり捜査官出ないか調べるのに合言葉を決めておこう。合言葉は月に1回は変更するが、まずは『パラダイスロスト』に対して『サマエル』だ」
『なんだそれは』
「古典作品だよ」
アロイスは神は信じないが、聖典に書かれていることは愉快だと思っている。
知恵の実を食べて追放されたふたりの男女。神は男女が生命の実まで食べて、神と同じ存在になることを恐れたそうだ。そんなに心の狭い神を世界中の人間が崇めているだなんて、馬鹿らしくて笑えて来る。
「連絡役に前科はない。ただのメッセンジャーだ。レニ都市警察にマークされることもないだろう。だが、油断はするな。前科がなくても怪しい動きをすれば、レニ都市警察にも麻薬取締局にもマークされる。盗聴器の有無は必ず確認してくれ」
『分かった。俺たちのビジネスの邪魔させまい』
「ああ。今は儲けに儲かっているんだ」
ブロークンスカルはドラッグを器用に売りさばいている。おかげで取引は拡大し、アロイスの懐には大金が転がり込む。
アロイス=ヴィクトル・ネットワークを潰させるわけにはいかない。それと同時にアロイスが取引の中心にいることが“国民連合”に知られてもいけない。アロイスは他のカルテルのボスたちと違って顔を隠している。
正体がバレて追われる身になるのはごめんなのだ。
「さて、いよいよ麻薬取締局が出しゃばってきたな」
アロイスは電話を置いて考え込む。
「麻薬取締局には奴がいる。フェリクス・ファウスト捜査官。奴は俺を殺す。そうなる前にどうにかしなければならない」
アロイスの頭の中にブロークンスカルを使ってフェリクスを殺害することを思いついた。だが、即座にそれを頭の中で否定した。“国民連合”の警官や捜査官に手を出せば、手痛い反撃が待ち構えていることは1度目の人生で知った。
奴らは仲間を殺されて黙ってはいられないのだ。どんな方法でも主犯を探り出し、それ相応の報いを受けさせるだろう。
故にブロークンスカルもフェリクスを殺害することに協力しないだろうし、アロイス自身もフェリクスを殺すことは短絡すぎるし、報復が恐ろしかった。まだアロイスは権力をえていないのだから。
権力を得たとしてもフェリクスを殺すのに自分の手は汚さない。
そのためにキュステ・カルテルとシュヴァルツ・カルテルには生き延びてもらわなければならないのだ。彼らのうちのどちらかに麻薬取締局捜査官殺害の罪を被ってもらう。そして、その報復で潰れてくれればヴォルフ・カルテルの支配力はより強まる。
殺す動機を作るのはアロイスの仕事だ。彼には策がある。
「レニ都市警察は組織犯罪に弱い。かといって、“国民連合”中央政府とも仲がいいわけではない。まさに組織犯罪者にとっての楽園。西部の市場開拓はブロークンスカルとレニを中心に行われる」
そして、アロイスは地図を見る。
「麻薬取締局が末端や中間の売人に手を出せたとしてもブロークンスカルには行きつかないようにできている。ヴィクトルは計算高い男だ。だが、問題は奴が捕まり、司法取引として俺の名前を上げることだ」
ブロークンスカルがアロイス=ヴィクトル・ネットワークを守るためにどれだけの安全策を講じているかについてはアロイスも知っている。アロイスも1度目の人生の経験から、様々な助言を行っていた。
末端の売人との間にはいくつもの壁を作れ。流通網は固定するな。それでも捜査機関が末端の売人に手を付けたら、その売人から上に上がるルートは閉鎖しろ。
金はいくらでもマネーロンダリングで綺麗にできるが、ドラッグはそうはいかない。アロイスは現在、“国民連合”側に6つのドラッグ集積所を設けており、そこからランダムでヴィクトルにドラッグが流れるようになっている。
だが、それでも、もしかしたら。
1度目の人生ではアロイスを仕留めたのがフェリクス・ファウストという男だ。油断はできない。麻薬取締局にはそういう優秀な人材がいるのだということは。
「2度も殺されてたまるか。今度はお前が死ぬ番だ、フェリクス・ファウスト」
アロイスはそう決意し、再び薬学について学ぶため、ドラッグの売人を増やすために、大学へと通っていった。
アロイスには焦りがあったが、それを見せない表情をしていた。
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