破滅を間近で見る
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──破滅を間近で見る
アロイスは週末が明けて、大学に再び薬学を学び、ドラッグビジネスを進めるために顔を出した。薬学部の共通講義の場でエルケの姿を探す目的もあった。
アロイスはすぐにエルケを見つけた。
エルケは明らかな薬物中毒の症状を見せ始めていた。
手や体の震え。目の隈。知性の衰え。それらを隠すような仕草。
かつての聡明だったエルケはもういない。
講義が終わった後、アロイスはエルケの下に向かった。
「大丈夫? 具合悪そうだけれど」
「しゅ、週末に飲みすぎたからかな……?」
「隠さなくていいよ。誰も聞いてない」
講義室にはエルケとアロイスしかいない。
「その、ホワイトグラスが欲しくて……。けど、前に売ってくれた人が見当たらなくて。アロイスは何か知ってる」
「ホワイトグラスなら俺の家にあるよ」
「本当に?」
「ああ」
それはそうだ。アロイスが大学におけるスノーホワイト売買の元締めなのだから。
「けど、ドラッグはよくないよ」
「そ、そうよね。けど……」
「分かるよ。刺激が欲しいんだろう? 刺激というより安らぎかな?」
「うん……。そんな感じ」
ドラッグで得られる安らぎなど空虚なものだ。ドラッグが脳の働きをマヒさせ、安らいだように思えるだけ。一時しのぎの安らぎだ。根本的な解決に繋がらない安らぎだ。そうであるがために、ドラッグで安らぎを得ようとする人間はさらにドラッグを求める。
「じゃあ、君の家に持っていくよ。どれくらいほしい?」
「1、2本あれば……」
「それだけでいいの?」
「いや。やっぱり、5、6本……」
「分かった。講義が終わったら正門前で」
エルケを愛人にするのはこの時点でかなり容易だろうとアロイスは思った。
ヤク中はドラッグ欲しさになんだろうとする。ドラッグは普通の車や電化製品などとは異なり、供給ルートが限られている。金があっても、コネがなければドラッグは手に入らない。下手な売人に接触すると、おとり捜査だった、なんてこともある。
エルケのような世間知らずのお嬢様にとってはドラッグは手に入れるのに苦労する代物だ。他のヤク中であうrヒッピーどもと違って、彼女にはその手のコネがない。以前の売人を見つけてもまた売ってくれるかどうかは分からないし、大学側に発覚するリスクもあった。
そういう点でアロイスはエルケのドラッグを握っている。
エルケはアロイスからドラッグを手に入れるためならばなんだろうとするだろう。
それこそ愛人にだってなるはずだ。
「じゃあ、後で」
しかしながら、どうしてアロイスは自分がエルケを愛人にしたいのか分からなかった。ヤク中は趣味じゃない。ドラッグビジネスを10年間やってきたが、ヤク中の女を抱いたことはない。ヤク中を抱くような趣味はないのだ。
だが、エルケは最初の印象がよかった。
アロイスにはないものを持っている。希望にあふれた未来というかけがえのないもの。それをアロイスは失わせた。彼女が積み上げてきたものを蹴り飛ばした。彼女が破滅していくように誘導した。
どうせなら、エルケが破滅していく様子を間近で眺めて居たかったのかもしれない。マーヴェリックに影響されて、破滅というものに憑りつかれたのかもしれない。
マーヴェリックの愛する破滅。
聡明だった人が堕落していき、落ちぶれ、蔑まれ、野垂れ死ぬ。マーヴェリックはそういう話が大好きだった。だが、彼女もアロイス同様にマゾヒストではない。どちらかと言えば彼女はサディストだ。相手を追い詰めていく視点から、人の破滅を眺めるのを好んでいる。
この間は“連邦”の先住民たちが迫害される歴史文学を読んでいた。彼女が感情移入していたのは迫害に立ち向かい、それでも倒れていく先住民たちではなく、先住民を追い詰める“連邦”の軍隊の側にあった。
アロイスもマーヴェリックと同様にサディストなのかもしれない。
少なくとも10年間の年月の中でアロイスは自分が追い詰められていくことに快楽は感じなかった。だが、相手を追い詰めることにも別段、特別な感情を持ちはしなかった。
まあ、人間は変わることもあるだろうとアロイスは思った。
全ての講義が終わり、正門前でエルケを待つ。
「ご、ごめんね。待たせた?」
「いいや。じゃあ、行こうか」
マーヴェリックと取り決めをした。
マーヴェリックと付き合う時はアロイスのアパートメントで。他の女と付き合う時はその女のアパートメントで。
マーヴェリックのアパートメントは何に使用されているのだろうかと思う。
案外、死体でも隠しているのかもしれないとアロイスは思っている。
「ホワイトグラス。楽しい?」
「楽しいというか、嫌なことを忘れられる感じ」
「分かるよ。嫌なことからは逃げたくなる」
だがな、逃げ続けたっていずれ現実は押し寄せてくるんだ。ドラッグは現実逃避だ。それも最悪の現実逃避方法だ。辛い現実がより辛くなり、そのツケを支払うときは地獄のような責め苦を追うことになる。
現実から完全に逃げ切る方法もある。ドラッグのオーバードーズで死んでしまえばいいのだ。そうすれば永遠に現実とはさようならだ。
そんなことを思いながらアロイスはエルケを車に乗せ、エルケの自宅に向かう。
エルケの自宅のアパートメントは立派なものだった。流石は社長令嬢というだけはある。セキュリティーも完備され、部屋もアロイスのアパートメントと同じくらいの広さがある。その部屋には本棚がいくつもあり、薬学に関する本が並んでいた。
「じゃあ、これ。ホワイトグラス、7本ね。1本はおまけ」
「ありがとう……!」
エルケは震える手でホワイトグラスを受け取ると、早速火をつけた。
ゆっくりと味わうように煙を吸い、恍惚とした表情を浮かべる。目から生気は失われ、知性の色も感じられず、死体になってしまったかのようだ。
アロイスの中で愉悦と苦痛がまた波打つ。
このままエルケが破滅するのを見ているのは楽しいだろう。きっと楽しい。マーヴェリックではないが、自分が得られなかった物を得るはずだった人間が破滅するのを見るのはとても愉快だ。
同時に他人の夢を踏みにじったことへの罪悪感が湧く。いや、罪悪感ではない。気持ちの悪さだ。自分がドラッグの道に誘い込み、破滅へいざなったという事実は、そして目の前の生ける屍のようなエルケの姿は、アロイスに生理的嫌悪感を催させた。
アロイスはドラッグを扱っている売人を紹介しようかとも考えた。
だが、やはりエルケが破滅していく様子を見届けたい。そこに愉悦を見出したい。
「アロイスはホワイトグラスはやらないの?」
「やらないよ。俺って能天気だから、悩み事とかすぐに忘れるんだ」
嘘だ。
今も悩んでいる。エルケをこのまま放っておくか、それともドラッグを与え続けるか。いずれ彼女もドラッグの売人を見つけるだろう。そうするとエルケが破滅していく様子を間近で眺めることはできない。
それからドラッグビジネス。
ヴォルフ・カルテル、キュステ・カルテル、シュヴァルツ・カルテル、グライフ・カルテルの奇妙な冷戦構造は未だに続ている。一発触即発の状況だ。
これは1度目の人生のアロイスでは気づかなかった点だ。
ここから抗争の影が見え始め、それがやがて顕在化する。
当のアロイスはケチなホワイトグラスなどを扱っている。未だに金も暴力もない。だが、いずれは、いや迅速にそれらを手に入れなければならない。
エルケがホワイトグラスを吸っている間、アロイスは悩み続けていた。
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