愛人と愛人

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 ──愛人と愛人



 マーヴェリックは翌日の夕方、アロイスのアパートメントに押しかけてきた。


「で、どうだった?」


「何が?」


「ドラッグパーティーだよ。エルケって娘は食えたのか?」


「彼女とは何もなかったよ」


 アロイスはそう言って、冷蔵庫を漁る。食べられそうなものは何もなかった。


「デリバリーを頼むけど、何がいい?」


「ピザがいいね」


「了解」


 アロイスは電話でピザ屋にデリバリーを頼む。


「それで、何もなかったんだって? あり得ないだろ。あんた、あの娘のことが好きじゃなかったのか? それがドラッグパーティーでドラッグと酒でべろんべろんになっているところにつけ込まないとかあり得ないだろ」


「だが、事実だ。何もなかった。それにヤク中とベッドを共にしても楽しくない」


「そういうものかね」


「そういうものだよ」


 死んだ女とヤク中の女の違いは腹が膨れるかどうかだけだ。そうアロイスは思っているし、アロイスは死んだ女ともベッドを共にする気はなかった。


「じゃあ、ドラッグを勧めた意味もないな」


「ないね。あるとすれば、“連邦”の数少ない将来有望な人材を無駄にしたってことだけだ。あの子はこれからもドラッグに嵌っていくだろう。有望な人材から、無駄なヤク中への転換だ。“連邦”のに人間としては心が痛むよ」


「本当にそう思ってるのか?」


「思ってない」


 エルケがヤク中になったのはアロイスの感情に大きな波を生んだ。愉悦と苦痛。アロイスは自分が悲惨な目に遭うことを喜ぶマゾヒストではない。苦痛を快楽と思うことはない。快楽と苦痛は別の反応だ。


 エルケが破滅するのに復讐を達成したような愉悦がある。その一方で取り返しのつかないことをしてしまったという苦痛がある。


「悩んでるなら、話を聞くよ」


 マーヴェリックはアロイスに身を寄せてそう言ってくれた。


 アロイスは自分の心中を素直に吐露した。


「ふうん。まあ、おかしくはない。人間の二面性だ」


「二重人格のような?」


「それとは違う。例えば、軍人だ。軍人は任務で人を殺す。敵を殺している間は憎い敵を殺していると思えて、アドレナリンがドバドバと出る。だが、戦闘が終結して敵の陣地を制圧したとき、達成感と同時にそこに広がる敵の死体を見て『やってやったぞ、クソ野郎ども』と思うと同時に『俺はなんてことをしてしまったんだ』とも思う」


「なるほど。だが、俺は戦争をしているわけじゃない。ただ、ひとりの女性をドラッグに嵌めただけだ。それでもそういうことはあるのか?」


「あるよ。日常茶飯事だ。フライドチキンは美味い。だが、鶏を殺すのは残酷だ。利益と同時に道徳的に訴えるものがある。そういう経験があるんじゃないか?」


「確かに」


 アロイスは10年間の年月で敵対するカルテルの幹部の家族や言うことを聞かないジャーナリストなどを容赦なく殺してきた。彼らの死がアロイスの利益になっているから、アロイスは満足していた。だが、今思えば酷く残酷なことをしたと思う。


 今のアロイスは10年間の年月──それも計略と殺戮の中で精神をすり減らしたアロイスではない。10年間の年月の記憶こそあれど、それと自分を分離して考えられた。自分には記憶はあるが、それはまだ精神に影響を及ぼしていなかった。


 精神への影響は肉体的なものもある。脳そのものへのダメージが精神的ダメージになることがある。だから、記憶を継承していても、アロイスの精神は10年間の年月を過ごしたアロイスと全く同じだということはなかった。


「こういうときはどうすればいいんだ?」


「さてね。あたしはそういう面倒くさいことは考えない。だけど、そそられるね。破滅が待ち構えている感じだ。きっとエルケって娘は破滅するよ。それもあんたの手で。あたしにはそういう刺激的な話を聞いて思い浮かぶのは快楽だけだ」


「自分が俺の立場でも?」


「あたしがあんたの立場なら、エルケって娘をとっくに食ってるよ。それでさよならしてる。あたしもヤク中は趣味じゃないが、一晩だけなら楽しめるだろうからね」


 マーヴェリックはバイセクシャルだということは早いうちから分かっていた。彼女は女性の視点から女性を観察し、同時に女性の欲望から女性を観察する。男についても同じことだ。彼女にとってこの手のパートナーとは男女の差を問わないのだ。


 同性愛は宗教的な人物たちが煩く、今の“国民連合”の保守政権は頑なに同性愛を認めようとはしない。だが、マーヴェリックはそんなことなど知ったことではないという断固たる覚悟を決めていた。


 実際にマーヴェリックが女子学生を連れて歩いているところを見たし、キスしているところも見た。それでもお互いに最後に落ち着くのは、自分たちだと理解しているので嫉妬にかられたりはなしなかった。


 お互いの付き合いに不干渉。実に居心地がいい。


 だが、エルケは違うだろうとアロイスは思う。エルケと付き合えば、エルケはそれ相応の責任を取ることを求めてくるはずだ。彼女はアロイスの本当の顔を知らない。アロイスはドラッグビジネスの中心的人物の子供であることを知らない。


 マーヴェリックも知らないはずだが、大学でのドラッグビジネスの中心にアロイスがいることは知っている。アロイスが危険な立場にいることも同様に。


 マーヴェリックは危険も承知の上で付き合っている。


 だが、エルケは?


 彼女は何も知らないただの女子学生にして、ヤク中だ。


 彼女のことをアロイスが好ましく思うと、妬ましく思うと、エルケはアロイスと付き合ううえでのリスクを知らない。


「あたしは別に愛人がひとり、ふたり増えたって気にしないよ。どうせそういう付き合いだろ? あたしたちの関係っていうのはさ?」


「まあ、このぐらいが心地いいかな」


 エルケのことを思う。


 彼女は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育てられてきた。それでも彼女は大学という場に出てきてストレスを抱えていた。だから、ドラッグに手を出した。


 肉体だけの関係になれればいいだろう。アロイスは思う。


 それ以上の関係はごめんだ。所詮はヤク中なのだ。それにエルケのような優等生はマーヴェリックのようには付き合えない。むしろ、マーヴェリックが特殊と言うべきか。普通の男女はある程度の責任を持って付き合う物なのだろう。


「エルケを愛人にしてみようか」


「好きにするといい。ただ、修羅場はごめんんだよ。あたしを巻き込まないようにね」


「気を付ける」


 それからアロイスとマーヴェリックは大学にいるヒッピーについて話した。


 親や国家への反抗心からドラッグに手を出す馬鹿な連中のことについて笑い飛ばし、また連中が合成ドラッグというスノーホワイトに関わらないドラッグを扱っていることも話した。合成ドラッグについてはドラッグカルテルも興味を示している。新しいビジネスになるのではないかと。


 だが、一番利益が得られるのはやはりスノーホワイトだ。スノーホワイトの本物を一度使ったら、もう元には戻れない。合成ドラッグなんて紛い物を蹴り飛ばすくらいの商品価値がスノーホワイトにはあった。


 ドラッグ。ドラッグ。ドラッグ。


 アロイスはドラッグはクソッタレだと思いつつも、自分も既にドラッグビジネスにどっぷりと浸かっていることを理解する。


 自分はドラッグビジネスから逃げられない。


 ならば、できる限りの平穏を得るための権力は手に入れなければ、と。


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