ナイトクラブ

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 ──ナイトクラブ



 貸し切りにしたナイトクラブはそもそもハインリヒの所有する店だった。


 だから、店内でドラッグを使っていても通報されることはない。


 パーティーは勝手に始まり、招かれた客たちがアルコールやドラッグを手にする。ドラッグの売人たちもこの時は稼ごうと、招待客たちにドラッグを勧める。招かれている客は揃ってドラッグ経験者なので容易に飛びつく。


「ノンアルコールカクテルを適当に。車だから酒は飲めない」


 アロイスは注文を取りに来たウェイトレスにそう言う。


「エルケはどうする?」


「カシスオレンジで」


 エルケはあまり酒を飲むことはない。時々ワインを味わうが、こういう若者ばかりのパーティーの場で何を注文していいのか分からなかった。


「この人たちは全員アロイスの友人?」


「全員が全員ではないよ。友人の友人もいるし、友人の友人の友人もいる。ただ、賑やかに過ごす分には問題ないだろう?」


 店内のオーディオからはディスコミュージックが流れ、その曲に合わせて学生たちが踊っている。アルコールとドラッグが入った彼らは夢見心地で、パーティーの賑やかな雰囲気を味わっていた。


「エルケは人見知り?」


「うん。ちょっと。けど、パーティーは楽しいよ」


「それはよかった」


 エルケはこの賑やかなパーティーの場で、今までの悩みも忘れてしまっていた。


「失礼。そちらのお嬢さん」


 エルケとアロイスが話していたとき、売人がエルケに話しかけてきた。


「パーティーをよりエンジョイする気はないかい? いいものがあるよ」


 もちろん、スノーホワイトのことだ。


「私は……」


「君、浮いているよ。ほら、見てみなよ。みんなやってるじゃないか。ひとりだけやらないのは損しているよ。今なら半額。サービスするよ」


 売人はそう言う。


「楽しみなよ、エルケ。一度きりの人生で、短い大学生活だ」


 アロイスはそう言ってノンアルコールカクテルのグラスを傾ける。


「アロイスは?」


「俺はそういうものがなくても平気なんだ。でも、君はそうじゃないだろう?」


 アロイスは知っている。エルケが薬学部で孤立してることを。大きな悩みを抱えていることを。だから、彼女を試しているのだ。神のように。


「じゃ、じゃあ、一袋だけ」


「もっと必要になったら言ってくれよ」


 売人はエルケから5ドゥカート受け取ると、ドラッグの袋を手渡した。


「ライター、貸そうか?」


「お願い」


 エルケはドラッグを口に咥え、ライターで火をつける。


 ゆっくりと味わうように煙を吸い込み、エルケの表情が恍惚としたものへと変わる。


「気に入ってる?」


「それなりに。嫌なことが忘れられるから」


 やはり精神的に弱い人間だったなとアロイスは思った。


 ドラッグに手を出すような人間は元から何かしらの問題を抱えていて、それが解決できないからアルコールやドラッグに走る。ドラッグビジネスは弱者から搾取するためのビジネスだ。精神的にタフな人間はドラッグなどに手を出さない。


 自分の仕事に自信が持てなくてドラッグに走る人間。自分の将来のことが心配でドラッグに手を出す人間。異性に対するに自信が持てなくてドラッグに手を出す人間。


 世の中は弱肉強食。弱者が食い物にされるのはドラッグビジネスでも同じだ。


「少し踊ろうか」


「ええ」


 アロイスとエルケはディスコミュージックに合わせて踊る。


 気づけばエルケはかなりのアルコールとドラッグを摂取していた。ぼんやりとした頭で、景色が極彩色に彩られ、全ての悩みがどうでもよくなっていくのを感じる。幸せな気分だった。多幸感に満ちていた。


 ドラッグパーティーは全員がぶっ倒れるまで続き、明け方になって終わった。


 相当なドラッグが売りさばかれ、利益がアロイスの懐に入る。


「エルケ、エルケ。起きてるかい?」


「アロイス……。うん、起きてる。大丈夫」


「家まで送っていこうか?」


「お願い」


 エルケの足元はふらついている。酒とドラッグのせいだ。


 そんなエルケを見て、アロイスは満足感と怒りを感じていた。


 自分には成せなかったことを成そうとしている眩しいエルケがドラッグでこんな姿になっていることに満足感を覚えてる。だが、その反面でどうしてエルケはドラッグの誘惑に耐えられなかったのだろうかという怒りがあった。


 アロイスはエルケのことが好きだ。彼女のふっくらとした唇も、夢を語る姿も、真剣に講義に臨んでいる態度も。彼女はあり得たかもしれないアロイスの姿なのだ。それには憧れるし、妬ましくも思う。


 アロイスもハインリヒのドラッグビジネスさえなければ、エルケのように夢を追いかけられていたかもしれないのだ。


 だから、愛おしく感じるし、憎くも感じる。


 アロイスはエルケを自分の車まで連れて行き、エルケの自宅を目指した。エルケの自宅については調査済みだ。それどころか彼女の家庭環境まで知っている。仕送りがいくらあり、そこからどれぐらいの自由な金──ドラッグを買う金が生じるのかも。


 エルケはもうドラッグの快楽を忘れられないだろう。


 これからドラッグを買い続けるはずだ。専門的なリハビリ施設にでも通わない限り、あるいは本人が鋼の精神を持っていない限り、ここまでドラッグを使って、元の生活に戻れるという保証はない。そして、リハビリ施設に通えば大学にドラッグに手を出したことが知れるし、鋼の精神を持っているならばそもそもここまでドラッグに浸らない。


 エルケは堕ちた。


 後は堕落と破滅への道を進むだけだ。彼女の望む夢はもう叶わない。


 そう思うとアロイスは愉悦とともに苦痛を感じた。


 自分が明確にドラッグで人を破滅に導いたのは、10年間の年月の中で初めてのことだった。アロイスは不特定多数にドラッグを売る。明確な個人を狙い撃ちして売ることはないし、わざわざ人をドラッグで破滅させてやろうとも思わなかった。


 10年間の年月の中では、そんな回りくどい方法で人を破滅させるよりも、鉛玉を相手に叩き込む方が早かったし、自分の手を汚したくなければ汚職警官や軍人に始末させるという手段があった。


 だから、初めてのことにアロイスはエルケがドラッグで破滅することへの喜びと同時に、自分がドラッグで人を破滅させてしまったという事実への苦痛があった。


「エルケ。着いたよ」


「ありがとう、アロイス」


 俺はありがとうなんて言われることはしてない。むしろ、罵られ、軽蔑され、唾を吐かれるに相応しい行為をしたんだ。アロイスは心の中でそう思った。


「じゃあ、気を付けて。おやすみ」


「ええ。おやすみ、アロイス」


 エルケは自宅に戻っていき、アロイスは車を走らせて自身も自宅に戻った。


 マーヴェリックは家にいない。アロイスは赤ワインをグラスに注ぐと、ゆっくりと飲み干した。それから、ベランダに出て煙草に火を付ける。ドラッグではなく、ただの煙草だ。まだこのころは煙草の健康被害というものは周知されていなかった。


 アロイスは煙草を吹かしながらぼんやりと考える。


 俺が売ってきたドラッグは多くの人間をエルケのように破滅させてきたのだろうかと。アロイスはこれまでドラッグを買う人間はドラッグの売人と同じくらいのクズだと思っていた。だが、エルケのような例もあることを知った。


 それでもアロイスはドラッグを買うような人間はクズだと思っている。


 需要があるから供給が生まれる。需要さえなければアロイスはドラッグとは無関係でいられたかもしれないのだ。


 くたばれ、世界中のヤク中ども。そう思いながら、アロイスは早朝の朝日が窓から入り込むのをカーテンで遮り、ベッドに飛び込んだ。


……………………

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