葬儀の終わり
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──葬儀の終わり
葬儀は窮屈だった。
誰もがアロイスを品定めしにやってくる。
次のヴォルフ・カルテルのボスに相応しいかどうか。
アロイスは普通の青年だ。
体は鍛えている。趣味はランニングで、ジムにも通っていた。それなりに筋肉はついているつもりだ。もちろん、それはドラッグカルテルのボスたちを護衛する男たちにはとても及ばないにしても。
だが、入れ墨は入れていないし、ドラッグカルテルのボスたちが好む趣味の悪い金のアクセサリーに身を包んでもいない。連中は葬式でもそういうものを身に付けてくるのだ。趣味が悪いにもほどがある。
アロイスは髭も伸ばしていない。ドラッグカルテルのボスたちは髭を伸ばす。その方がセクシーだと言って。薄汚いだけだ。
アロイスに外見からは彼がドラッグビジネスに関わる人間のようには見えないだろう。事実、今のアロイスはまだドラッグビジネスに関わっていない。
だが、これからドラッグビジネスに関わるとして、アロイスは周囲からどのようにみられているのだろうか?
世間知らずのお坊ちゃま? なよなよとした男らしくない人間? 銃の撃ち方すらしないド素人?
なんとでも思えばいい。アロイスは富と暴力を手にし、そこから導き出される権力を手にするつもりだ。絶対的な権力を。自分を守るための権力を。そのためならば、手段を選ぶつもりはない。
人を殺すことになるだろう。ドラッグビジネスに直接かかわる人間だけではなく、彼が扱うドラッグでも死人がでるだろう。そして、アロイスはその罪を追及されるだろう。
それでも身を守るためにはこれしか手段がないのだ。
少なくとも今はそうだ。権力を握っていなければ食い殺される。アロイスはサメの生け簀に入れられた人間だ。隙を見せればバラバラに食い殺されるだろう。今は愛想のいいドラッグカルテルの幹部たちもどう転ぶか分からない。
幸いなのはアロイスに1度目の人生の記憶があることだ。
今のところ、全てが記憶通りに進んでいる。例外は母と会話できたことぐらいだ。
1度目の人生の失敗を鑑み、2度目の人生では生き残ってやる。
「アロイスの若旦那。ボスの仕事を手伝うそうだな?」
「ええ。そういうことになっています」
キュステ・カルテルのボスであるヴェルナーが声をかけるとアロイスは愛想よくそう返した。今は大人しくしておいた方が身のためだ。下手にドラッグの売人を刺激するべきではない。そいつが権力を持っているならばなおのこと。
もっともキュステ・カルテルはヴォルフ・カルテルの下につく組織だ。今は下手な手は打ってこないだろう。馬鹿みたいにヴォルフ・カルテルを刺激して、独立を取り潰されでもしたら、困るのは連中だ。
ヴェルナーは機会を窺っている。キュステ・カルテルが完全に独立するための機会を。そして、アロイスはその独立をあっさりと認めるつもりだった。
1度目の人生の失敗からだ。1度目の人生ではキュステ・カルテルの独立問題で無駄な血が流れた。今回はそういうことはなしで行きたい。抗争が起きれば麻薬取締局の目を引く。あのフェリクス・ファウストの目を引くのだ。
「ドラッグビジネスは生易しい商売じゃないぞ?」
「努力しますよ」
ああ。安心しろよ。俺には10年間の経験があるんだ。
それに生贄の羊が必要だってことぐらいも分かっている。生贄の羊が多ければ多いほど、神という名のサディストは満足するのだということも。
「ヴェルナー。早速ご機嫌取りか?」
「そんなつもりはない。ただ、彼にドラッグビジネスは向いていないのではないかと思っているだけだ」
次はシュヴァルツ・カルテルのドミニク。
1度目の人生の生贄の羊はドミニクだった。
ハインリヒは麻薬取締局に捜査の成果を示させ、“連邦”のドラッグビジネスが壊滅的打撃を受けた──当然ならが嘘っぱち──ということを示すためにシュヴァルツ・カルテルを意図的に追い込んだ。
ヴォルフ・カルテルに買収された警官や軍隊がドミニクたちを追い回し、ドミニクは最終的には殺された。死体の写真は新聞の一面を飾り、こう書いてあった。『麻薬王、ついに死す』と。その時本当の麻薬王は笑い転げていたことだろう。
アロイスもシュヴァルツ・カルテルを生贄の羊にするつもりだが、ハインリヒのスケジュール通りとは行かない。シュヴァルツ・カルテルに早々に潰れてもらっては困るのだ。これから直に死ぬハインリヒと違ってアロイスにはこれから生きていかなければならない長い人生があるのだから。
「どうなんだ、アロイス。向いてないと思うか?」
「まだやってみないことにはどうにも。まあ、努力はします」
向いているか? 向いていないさ。俺はお前たち全員を地獄に叩き落として、それからドラッグとは縁の切れた真っ当な人生を送りたいんだ。
だが、お前たちのせいで俺は向いていようが、向いていなかろうが、否応なしにこのビジネスに関わらなければならないんだ。地獄に落ちろ。と、アロイスは思った。
しかし、死者との思い出を語る場で大っぴらにドラッグビジネスの話をするとは。ハインリヒは連邦検察官として自分に対する捜査状況を知っている。屋敷が盗聴されていることはないだろう。だが、そういう問題ではない。今は死者に別れを告げる時間だ。クソッタレなドラッグの話をするんじゃない。アロイスはそう思いながらも、ドラッグカルテルの大物たちから視線を逸らし、棺を見つめ続けていた。
母は死んだ。アロイスにとっては2度目の死だ。
どうして2度もこんな経験をしなければならないのだろうか。そうアロイスは思う。こんな経験は1度で十分だ。母の死も、母の死を踏みにじるドラッグカルテルの連中との嫌になる会話も。
アロイスはただただ耐え続けた。『努力します』『やれることをやります』『自分ができる範囲のことをします』とドラッグカルテルの幹部たちには言っておいた。今はそう思わせておけばいい。力を振るうのは金と暴力を手にしてからだ。
初日の死者との思い出を語る場で、実際に死者との思い出を語っていたのはノイエ・ネテスハイム村の住民たちだけだった。母に世話になった彼らの話を聞くのは、ささくれだったアロイスの神経を宥めるのに丁度良かった。
母は財産を残した。ノイエ・ネテスハイム村の繁栄のための。
母の死体は翌日火葬され、家族で遺灰を運んだ。家族と言ってもハインリヒとアロイスだけだ。他の人間は家族ではない。家族面をしているかも知らないが、血の繋がった関係があるのはハインリヒとアロイスだけだ。
遺灰を箱に入れて運び、先祖代々の墓を開く。
神父が祈りの言葉を述べている。このものは神の下へ召され云云かんぬん。
神などいるものかとアロイスは思う。アロイスも昔は神を信じていた。だが、やがて信じなくなっていった。この世の中は神の存在を疑いたくなるほどに残忍で、冷酷で、野蛮なのだ。
それでも、神がいるとすれば、母を天国に迎えてやってほしいと思った。
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