邂逅

「急なお願いにもかかわらず、お時間を作っていただきありがとうございます」

「いいえ。どうぞお掛けください、カスミさん」

 俺の声に、ミヒャエル・ワインバーグ牧師はそう応じた。

 ヴィクトール・ベッカー氏の家を出て、俺はまず教会を訪れていた。

 この街に潜む怪異──白い少女と灰色の男──や、エリザベートが言っていた血の呪いについて、何か知っているとすればここだろう、とあたりをつけていたのだ。

 夜闇に紛れるように写っていた灰色の男たちだけの写真だけを見れば、犯罪組織や謎の秘密結社の線で考えても良かったのだろうが。白い少女の写真から受けた異質な印象から、話を持ち込むべきはまず警察ではないだろうと踏んでいた。

「それで、お話というのは?」

 シャッテのかたではないですよね、と問われ、俺は首肯する。

「はい。俺はブーフマンという出版社の、フックスという雑誌の記者です。ツェントからこの街に来て、今はヴィクトール・ベッカーさんのところで寝泊まりさせていただいています」

「あぁ」

 牧師は頷いた。

「なるほど、なるほど。ベッカーさんのところのお客様ですか」

「はい。……それで、今日お時間をいただいたのは、この街の噂について、何かご存知のことがあればお伺いしたいと思いまして」

「えぇ、えぇ」

 彼は再びこくりこくりと頷いた。

 ……ヴィクトール氏の時も思ったが、氏もこの牧師も、会話のテンポが少し遅い。

 エリザベートもあまり雄弁に話すタイプではないが、彼女と彼らとでは何か根本的なものが違うような気がした。

 彼らはどこか上の空というか、全体的に反応が鈍いのだ。

「噂というのはあれですか、魂喰らいの怪異と呼ばれる灰色の男と、謎の白い少女のことですか」

「はい。昨晩撮影した写真に、それらしいものが写っていて。あれは何なのかと、個人的にも気になっているんです」

「はい、はい。……んー」

 そうですねぇ、と牧師。

「貴方にはどう見えましたか? 恐ろしいものに見えましたか?」

 そう問われ、俺は言葉に詰まる。

「……わかりません。それこそ人に仇なす怪異なら、このまま野放しにするのはまずいんじゃないか、とは思いますが。俺にはそういった心得があるわけではないので、とにかく得体が知れなくて」

「ふむ、ふむ。よその方はそのように感じられるのですねぇ」

 ですが、と牧師は言う。

を恐れる必要はありませんよぉ。仮にも神に仕える身でこんなことを言うのは憚られますが、……白い少女のほうはなんだか神秘的じゃあありませんでしたか?」

「は、はぁ……」

 困惑する俺をよそに、彼はなおも語る。

「灰色の男たちが魂喰らいの怪異なのか、彷徨さまよえる死者の魂そのものなのかは私にもわかりませんが。きっと彼女はきものですよ。悪しき者を押し留め、彷徨さまよえる魂を導いている──、そう思うとなんだか健気に思えては来ませんか」

「……」

 どうなのだろう。

 東洋人の祖母がいる自分はオカルト関係の取材に適任だ、とジョゼットデスクに大口を叩きはしたものの、実のところ俺も祖母もその方面に関しては素人である。……第一、祖母は俺が物心つく前に亡くなっている。

 そもそも、俺は白い少女と灰色の男たちの善悪や危険性を判別する術を持たない。ゆえに、彼の問いには答えあぐねたが。少なくともこの地の牧師は、教会は、あれを危険視はしていないようだ。

 ひとまずそれがわかっただけでも収穫だと、そう考えても良いものだろうか。

「いずれにせよ、白い少女と灰色の男たちは、ひとまとまりの概念的事象で、取り立てて気にする必要のない『当たり前』なのです。……ほら、その証拠に。この街は平和でしょう」

「?」

 彼の言葉を受けて、俺は首を傾げた。

「この街、失踪者が多いと聞いていますが……」

 旅行者も、そして住民も、確かちらほらと行方不明になっていたはずだ。

「あぁ、あぁ。それはですね。ほら、栄枯盛衰というやつでして。かつて城塞都市として栄えていたといっても、この街は時代から取り残されて久しいですからねえ。経済的困窮から夜逃げ同然に街を離れるようなかたも、いないわけではないのですよ。それはもうお気の毒なことですがねぇ」

「……」

 それでは旅行者の件の説明がつかないような気がして、いまひとつ釈然としなかったのだが。この街で長きに渡って人々を見守ってきていて、常人よりも超常的な存在に関する見識があるであろう牧師がそう言っている以上、素人である俺が言葉尻を捉えて疑問を差し挟んでも仕方がないだろう。

 そう考えた俺は、気を取り直して次の話題に移る。

「あの」

「はい、はい?」

 ……やりづらいな。

「もうひとつ、気になっていることがありまして。俺がお邪魔しているベッカー家……何やら複雑な事情があるように思えるのですが、いったい何があったんですか」

「あぁ、ベッカーさん。そうですねぇ、あの家はなかなか大変ですねぇ」

「……と、言いますと?」

「奥方が、女性が早逝すると言われている家系のお生まれでして。彼女は第二子出産の際に、若くして命を落とされました」

 ここまではエリザベートから聞いた通りだ。

「彼女がヴィクトールさんとの間にもうけたのは女の子だけ。特に姉であるエリスさんは亡き奥方に良く似ておられて、街でも評判の美人でした。あの歳でかなりしっかりしていらして……甲斐甲斐しくお店の手伝いもしておられましたよ」

 まだ幼い妹さんエリザベートにとっては母代わりだったでしょうね、と牧師。

「そんな彼女も、若くして亡くなりました。……それはもう、とてもむごい形でね」

「……」

「あれは五年、いえ、そろそろ十年近く前のことでしたっけね。まぁ変な話、単に病弱な家系ということならある意味諦めようがあるのでしょうが、そういうことでもないのです。事故や犯罪被害、自殺に原因不明の変死──奥方の血縁の女性の多くは、病気とは異なる要因でそのを迎えておられます」

 なるほど。

 他ならぬエリザベートが、超常的な──それこそ血に呪いでもかけられているかのようだと評したのは、そのためか。

「その死がただの偶然なのか、それこそあるのかは、結局わかっていません。いずれにせよ、愛する人をふたりも亡くされたヴィクトールさんはひどく荒れて、そして憔悴しておられました。……今でこそ、落ち着かれましたがね」

 ナイスミドルと言うにはどうにも生気がなかった彼は、悲劇に見舞われて燃え尽きた後の姿ということらしい。

きたるべき死を、恐れる必要はありません。いつも隣にあるを、当たり前と受け止めながら日常を送ればよいのです」


   ◆


「はぁ……」

 あの後、俺は街で聞き込みをして回ったのだが。


 目を逸らし、口をつぐみ、さっと立ち去る者。

 牧師同様に、白い少女と灰色の男たちを取り立てて気にする必要のない『当たり前』の存在と見做す者。

 俺がベッカー家に滞在していると聞いて、ベッカー家──正確にはヴィクトール氏の亡妻の系譜──が見舞われた悲劇について語り、彼らを哀れむ者。


 反応は様々だったものの、生憎あいにくと白い少女と灰色の男たちに関するめぼしい情報は得られなかった。

 早めに部屋へ戻り、これまでの収穫を整理する。

 やはり、寝ている間に機械的に撮影した飛び飛びの写真などではなく、実際に何が起きているのかをこの身で確かめる必要があるだろう。

 深夜に、窓越しではなく外へ出て、灰色の男たちに紛れてあの路地へと赴き、彼らと白い少女の実像を、目で見て耳で聞き、ベストショットを撮影する。

 そうすれば、俺は記者としてひとつ上のステージに行ける、そんな気がした。

 幸い、昨晩に長く深く眠っていたこともあってか、眠気が訪れる気配は一向になかった。

「……」

 ちらり、とサイドテーブルのボトルに目をる。

 ──酒には強いほうなのに、思った以上に回ったんだよな。

「……とし、かなぁ」

 あまり強い酒という感じはしなかったのだが、今日はやめておいたほうがいいだろう。

 俺は静かにその時を待った。


 ──そろそろか。

 窓際へと歩み寄り、外を眺める。

 家々の照明が消え、街の誰しもが寝静まっている、そんな時刻。

 ぽつりぽつり。

 のろのろ。

 ぞろぞろ。

 深い霧に紛れるようにして、灰色の影たちが現れ始めた。

 ──灰色の男。

 俺も灰色の上衣コートを羽織り、階下へと降りようと部屋の扉を開けようとした時。

 ──、と。

 階下から音がした。

「……っ!」

 びくりと身を強張らせて、俺は耳をそばだてて扉の外の様子を窺った。

 何の音も、気配もしない。

 ──気のせい、か?

 注意深く静かに扉を開けて、気配を消して階下へと降りる。

 ──誰もいない?

「ふー……」

 暗い室内──まして勝手を知らない他人の家だ──は動きにくかったものの、ともあれどうにか外へと出ることに成功した俺は、詰めていた息を吐き、そして吸った。

 意を決して、例の路地へ向けて移動していく灰色の男たちの後ろを追っていく。

 間近で見る灰色の男たちは、動きこそとても意識ある人間のそれとは思えないほどにゆらゆらのろのろとしていたが、姿形は人間と似通っているように見えた。なにぶん暗いことと、霧のせいでよく見えているとは言いがたかったが、少なくとも、異形いぎょうの類であるようには見えなかった。

 しかし、らが俺の気配に反応する──振り向いて襲い掛かってくるような様子はない。……生気を感じない。

 例の路地の手前にたどり着いた時、路地の奥にはやはりが──いた。


 月明かりに照らされ、闇からにじみ出るようにして浮かび上がる、白。

 ……白い少女。


 長い髪とワンピースの裾が、ゆっくりと揺れている。

「……っ」

 は、と息が漏れる。

 人ならざるの姿に、不覚にも見入ってしまっていた。

 ……美しい。

 そう思いながら、月を背負って佇むをカメラへと収めていく。


 それにしても、どうして彼らは現れるのだろう。

 そんなことを思ってふと手を止めたその時、灰色の影のひとつが白い少女にするすると近付いていくのが目に入った。

 ──なんだ?

 目を凝らすが、よく見えない。

 思わず俺も吸い寄せられるようにして歩み寄る。

 彼らのシルエットが重なる。

 異様な存在感こそあれど、白い少女はその通称の通りあくまで少女、小柄であった。

 自然、白い少女は灰色の男の影に隠されて視認できない構図となる。

 何か嫌な感じがして、白い少女と灰色の男の間で何が行われているのかを確かめるべく、俺は慌てて回り込んだ。

「……っ!」

 繰り返しになるが、街灯の少ない夜道だ。だから、何が起きているのかも、実際にそれがどのように行われているのかも、夜闇とそして夜霧に紛れて見えはしない。音もしなかった。

 しかし、視覚的な情報でも、聴覚的な情報でもなく、本能によって俺は直観していた。


 


 


 ──


 ──


 ひっ、という情けない声が自分のものであることを、数瞬遅れて認識する。

 落ち着け。

 帰ろう。

 逃げるのだ。

 この怪異から。

 この街から。

 混乱しながらもそう自分を奮い立たせていた俺は、しかし次の瞬間絶望の淵に突き落とされることとなった。


 


 俺を見遣みやる彼女の面差しは、やはりエリザベートとどこか似ていた。


 いつの間にか、俺は灰色の男たちに囲まれていた。

 彼らの中に、俺は見知った顔を見た。


 


 ──退きどころを間違えて、好奇心は猫をも殺す、なんてことにならなきゃいいんだがな。

 ジョゼットさんの言葉が去来する。

 ──あぁ……。


 

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