第16話 オービットエンドの鎖縛 ①

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 マトバはキャットナップラバーという、猫になるスキルを持っている。猫になりたいという現実では叶えられない願いを可能にするスキルだ。


 しかし物理的にかなり小さい猫になるには、相応の時間が必要だ。変身するには3時間以上は眠るか、一度死んでリスポーンしなければならない。


 瞬時に切り替わるわけではないし、猫になっても戦闘には役に立たないので、たまに散歩するぐらいしか使いどころがなかった。


 それで十分だったし、デスマーチの迷泥でデスタスリーパーを手に入れる前まではうたた寝することも多かったので、よく猫になって街を出歩いていた。


 戦闘に応用できるようになったのは最近で、人間時でもスキルを発動すれば嗅覚や動体視力を高めることができるようになった。暗いところでも人間よりかは見えやすい。


 拳一つで戦うことに慣れていたマトバにとって、五感強化だけの能力に進化したのはありがたかった。姿を消せたり体重が軽くなるスキルだったならば、戦い方を変えなければならなかっただろう。単純な互換強化なら余計なことを考えずに済む。


 しかし、それは人間の範疇に留まるということだ。現実を超えた人間にはその拳は届かない。


 ゴーストハマーの噂は聞いていた。

 粘着質に人を殺し、ATEから何人も退場させた指名手配犯。初期勢でさえ敵わないテスターの汚点。


 想像よりもバケモノだ。マトバの攻撃を軽くいなし、迷宮の壁を砕くほどの質量を持つハンマーを音もなく振るう。


 そして何より、殺すことに躊躇いがない。


 人は本来、同種である人間を殺さないようにできている。他人に共感できる生物である人間は、他人の痛みに敏感だ。他人の注射でさえ痛みを錯覚してしまう人間が、誰かを殺せるはずがない。


 第二次世界大戦中のデータによれば、人に殺すために銃を撃つことができた兵士は全体の三割を切っているらしい。敵兵を倒すための軍人でさえ、人殺しを忌避してしまうのだ。


 なのにゴーストハマーは、肉の潰れる感触が伝わりやすいハンマーを握る。喧嘩とは違う命のやりとりなのに、ハマーは躊躇いなく人を殺す。


「マトバさん、奥に行きましょう!」


 ダイチが言いたいことを理解したマトバは、ハンマーを避けながら洞窟を駆ける。モンスターを率いて人にぶつけるモンスタートレイン、ではなく人をモンスターにぶつけようと言うのだ。


 洞窟にはモンスターがいない。走った先にたどり着いたのは迷宮主のフィールドだった。運が良いのか悪いのか、雑魚敵のいない迷宮は、通常よりも迷宮主が強いことをマトバは知っていた。


 初めは地面を蛇が覆い尽くしているのかと思った。だが金属の擦れる音が充満しているのを強化された聴覚が拾い、鎖だと気づく。地面を覆う鎖のフィールドが迷宮主の領域だ。


 迷宮主は鎖蠢く池の中心に、ぽつんと立っている。それは人のシルエットをした鎖の塊。神聖な池に水の妖精がいるように、鎖が這う蠱毒には鎖の怪物がいる。


 マトバの敏感な鼻に金属の錆びた匂いが刺さる。


「ウザそうなボスですわ」

「俺が行ってみます」


 鎖の池に踏み入れた瞬間、ダイチの体が崩れ落ちた。


「ダイチ!?」

「いえ、大丈夫です。予想外だっただけです。これはちょっと、骨が折れるかもしれません」


 ダイチはすぐに立ち上がってマトバに手を差し出した。


「重力が強くなるようです。俺はスキルでカバーしていますが、おそらく1.5倍くらいにはなってると思います。ガッと来ますので気をつけてください」


 手を握って一歩進む。足の裏に鎖が触れると、ダイチの言う通り体が重くなった。このフィールドで戦うのは体力を消耗するだろう。


 しかし、知っていれば1.5倍なら動けなくもない。迫るゴーストハマーからできるだけ離れるために重い足を上げる。


 マトバたちが勝つには中心にいる迷宮主にゴーストハマーをぶつけないといけない。人形の鎖の塊を避けるようにぐるりと遠回りしていると、地面を覆う鎖が波打った。


 迷宮主の周囲に数本の鎖が浮き上がり、ダイチ目掛けて飛んでくる。ダイチはスキルで軽くなった体で難なく避けた。


 ダイチのムーンジャンパーは連日の迷宮攻略により強化を施され、6分の1まで軽くできるようになった。まさしく月の重力と等しくなったスキルに1.5倍されても、元の体重よりは遥かに軽い。しかしダイチは着地に失敗して腰から落下した。


「うっ……、重力が変わった?」


 跳び上がり足が鎖から離れてから、体が急に軽くなったのを感じた。そしてバランスを崩して地面に腰から落ちれば、今度は2倍以上の重力がのしかかっている。ダイチはすぐにこの迷宮のルールを看破した。


「マトバさん、できるだけ鎖に触れないようにしてください。鎖に触れるほど重力が増える仕様みたいです」


 オービットエンドの鎖縛は重力の迷宮だ。体に触れる鎖が多いほど重力が増えていく。腰をつくくらいなら立ち上がれるだろうが、寝転がってしまえば起き上がれないほど重力が強まる。


 迷宮主が飛ばしてくる鎖にもその効果は付与されており、一度鎖が体に巻き付けば終わりだ。この重力の鎖によって多くのプレイヤーが敗北させられた。


 だが重力を軽くするスキルを持つダイチには、長所を潰されてしまうが相性はいい。


 攻略の糸口が見えてきたダイチがどうするべきか考えていると、引き離していたゴーストハマーが鎖の池に到着した。


 ゴーストハマーが躊躇いなく一歩を踏み出すと、膝から崩れ落ちた。人が本来振り回せない重さのハンマーが1.5倍され、その重さに潰れてしまったのだ。


 ハンマーが地面に下ろされ、鎖に触れたことで更に重量を増す。もはや動かすことのできない重さにまでなっているはずだ。


「これなら勝てるかもしれないです」


 ダイチの希望的観測を、ざらついた声が上書きした。


「凶器、変形」


 ハンマーが砂になって鎖に沈む。代わりに鎖が湧き立ち、鎖が巻きついたデザインの銀のハンマーに変化した。ゴーストハマーはよろよろと立ち上がり、新たなハンマーを持ち上げて肩に担ぐ。


 パーフェクトクライムの隠された能力、凶器変形。元は凶器を生み出し、凶器を消す能力だったそれは、強化を施されてフィールドの特性を引き継げるようになっていた。


 オービットエンドの鎖縛の特性を取り込んだハンマーは、使用者には重さを感じさせず、潰される側には見た目以上の圧力がかかる。


「完成。グラビティハンマー」

「なんでもありじゃないですか……!」


 グラビティハンマーが消せるのはハンマー自体の重さだけで、地面の鎖の効果は打ち消されないのか、ゴーストハマーは体を重そうに動かしながらダイチを狙う。


「やっぱり、共闘してボスを倒すなんて都合の良いことはないですよねっ!」


 ゴーストハマーを迷宮主にぶつければ、勝手に潰しあってくれないかと考えていたが甘かったようだ。


 ゴーストハマーはダイチとマトバを殺してから、単独で攻略すれば良い。一人で攻略できるだけの強さを持っているからできる考え方だ。


 しかし迷宮主にとってはダイチもハマーも同じプレイヤーだ。ゴーストハマーが迷宮主の攻撃を少しでも受け持ってくれれば、それだけで十分。あわよくば迷宮主がハマーを倒してくれれば良い。


 ゴーストハマーがダイチを一直線に狙う。それに対して迷宮主はゴーストハマー――ではなくダイチに攻撃を放った。


「どうして俺ばっかり!?」


 絡み付こうとする鎖を跳び上がって避ける。迷宮主の攻撃は分散するものとばかり思っていたのに、狙いはハマーと同じくダイチだった。


「アタシも狙われないなんて、どういうことですわ」

「……スキルのせいかもしれません。俺とボスは同じ重力系のスキルですから」


 誤算だった。少しは戦いやすくなるとばかり思っていたのに、蓋を開けてみれば敵が増えただけだ。敵の敵は眼中に無し。ダイチだけを狙ってくる。


 迷宮主とゴーストハマーが共闘しようとしないところだけは助かった。地面から伸ばされた鎖を避ければ、そこにハンマーが降ってきて鎖を粉々にする。ゴーストハマーのスキルですぐに元通りになるのだが、その一瞬でも鎖が動かなければ十分だ。


 逆にゴーストハマーが飛び出したところに、ダイチを狙った鎖が絡まってハマーの動きが制限されることもあった。鎖とハマーをバッティングさせながら、ダイチはできるだけ避けていた。


「面倒。無痕、解除」


 ゴーストハマーは苛立ち、破壊痕を巻き戻す能力を解除する。周りにある鎖は積極的に狩る方針に変更したようだった。


 ダイチにとってはありがたいが、同時に怪我が治癒されなくなると言うことだ。


 そんなゴーストハマーの動きを、マトバはじっと見ていた。

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