第13話 変化
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相変わらず悪夢でしかない記憶の統合が終わり、ダイチは目を覚ました。現実の大地は懲りずに学校に行っていた。オリジナルの行動はよくわからない。
あくびをしながらメガネをかけてベッドから降りると、ぐらりと転けた。
昨日はゴーストハマーと二つの迷宮を攻略したのだから、体の疲れはまだ残っている。しかし転けたのは別の原因だ。
メガネの度が合っていない。視力が戻っている。
度があっていないとき特有の気持ち悪さがあった。目が急激に悪くなったのではなく、正常な視力の上からメガネをかけたような歪んだ視界だ。
メガネを外して鏡の前に立つ。いつもより世界がよく見える。まぶたを押さえてぎょろぎょろと確認してみても、寝起きのせいで目やにがあるくらいで充血しているわけでもない。
ダイチは不思議に思った。だがATEというシミュレーション世界の存在で不可思議なことをたらふく体験しているダイチにとって、目がよくなるというのはインパクトが弱い。
目の前が軽い感覚に戸惑いながらも、淡々と朝のルーティンをこなしていった。
「ATEに引っ張られて肉体が変化する事例は、多く報告されているね」
葦ノ風亭で出会ったハクイに聞くと、ぼさぼさの髪の毛をかきながら答えてくれた。
「キミの視力向上は実に興味深いね。
「現実の俺も……」
ハクイはテスターで、ATEの実験に携わり、初期段階からこのワールドに出入りしている。その彼が言うのだからそうなのだろうか。にわかには信じられない。
「実を言えばATEの実験は、現実への影響を調べるために行われている側面も強い」
「そうなんですか?」
「ボクはプレイヤーとして参加することになったから、詳しい実験内容は教えてくれないが、推測するならば」
ブラックコーヒーをすすり、一拍置いて語り出す。
「ATEが現実にどれだけ影響を与えるか、ってのはボクらにとって重要なんだよ」
ダイチは首を傾げた。フルダイブSRの研究をしているのなら、作られた世界の方に関心が向くのではないのだろうか。
「外の方が大事なんですか?」
「現実に生きるのが研究者だからね」
ダイチはあまり納得できない領域の話だ。発展途上のATEでさえこれほど素晴らしいのだから、発表されれば現実なんて無意味になるのではないか?
SFに疎いダイチだが、ATEを知った人類が、現実に見切りをつけて永遠のフルダイブSRにログインする未来は容易に想像できる。
フルダイブSRが発達すれば現実の価値は下落するはずだ。現実を凌駕する世界を作るために、ATEの実験が行われていると思っていた。
それに、ATEが現実に影響を与えるなんて信じられない。
シミュレーションがリアルに影響を与えられたとしても、ちょっとだけ動物を殺すのに抵抗がなくなる程度の、心理的な微々たるもののはず。しかしハクイが言っているのは肉体変化についてだ。
気持ちがちょっと変わるのと、肉体が変化するのには大きな差があるとダイチは感じていた。
目が良くなったのもATEだけの現象ではないのだろうか。
「人工的に作られた現実が、真の現実に与える影響ってのは大きいものだよ」
「はあ」
「公の研究では、自分がアインシュタインになれるVR映像を体験すると、通常より課題解決能力が向上したという結果もある。プロテウス効果と言うのだがね!」
「アインシュタインのアバターになるだけで?」
「アバターどころかコスプレでも可能なはずだ」
ダイチは驚いて朝食のウィンナーをつかみ損ねた。アインシュタインになりきるだけで賢くなるなら、大学受験はコスプレだらけになるだろう。
面白い絵面であるが、一応受験生なダイチにとっては笑えない。
「VR映像だけでそうなってしまうのだから、現実と同等なATEならどうなると思う?」
「いや、でも……」
「実際、現実では全く運動をしていないのに、ATEの迷宮攻略で激しい運動をしていた人は筋肉量が増えていたという事例が報告されている。結果としてありうるんだよ!」
ハクイは感動した様子で、天から宝物を賜るように両手を掲げていた。オーバーリアクションだったが、すん、と普通のテンションに戻った。
「現実のキミは隅々まで調べられているはずだ。それに参加できないのは惜しいね。結果をもらえないかなあ」
「それ、俺も見てみたいです」
頭を横に振るハクイは、いろいろな思いを含んだ笑みをしていた。ハクイの分厚いメガネのレンズのせいで、笑っている目が歪んでみえた。
「ボクらは所詮、実験動物だからね。真相は教えてもらえないのさ。まあボクは、望んでこの立場に来たのだがね」
実験動物と言われダイチは背筋に寒いものが走った。いじくりまわされて殺される、マウスたちと同等の存在なのだ。
ハクイはいつもの飄々とした顔をやめてダイチを見た。
「あまり運営を信用しない方がいい。キミたちに言えないことを沢山やっているからね」
「それは……」
「さて、ボクはこれでおいとましよう。また会おう、ダイチ君。いつかケージの外で会えると良いね」
コーヒーを飲み干したハクイは小さく手を振って去っていった。ダイチはそれを複雑な顔で見送る。
ハクイと会うと、どうにもならない気持ちにさせられるのは、ATEの管理人に近い存在だからだ。ここが作られた世界だと再認識させられる。
また悶々と考えだしそうになっていると、ダイチの前に誰かが座った。
「ダイチ。ここに居たのですわ。別に探してなんてねーけどですわ」
「マトバさん?」
「マトバでよろしくてよ? 一緒に戦った仲でしょうですわ」
マトバは相変わらずヤンキーまじりのお嬢様言葉で話す。紺のセーラーワンピースに大きなリボンをしたマトバが、肩肘をついてダイチをじっと見つめた。
「あら、イメチェンですわ。コンタクトにしたのですわ?」
「ええ、そのようなものです」
「似合ってて、その、か、カッケーですわ」
「それはどうも。マトバもその服、可愛らしくて似合ってますよ」
「……っ、くるしゅうない!」
「くるしゅうないはお嬢様言葉じゃないと思いますよ」
口をぱくぱくさせて、マトバは悪代官みたいなことを言ってきた。真っ赤になった顔を冷ますために、オレンジジュースを頼む。ストローで口を塞がれていると、背が小さいこともあって子供みたいに見えた。
「ダイチは今日の予定、決まってますの?」
「ATE観光は懲りたので、またダンジョンにでも潜ろうかと」
「だったら、私がついていってもよろしくてよ?」
「それは心強いです。お願いできますか」
「もちろんですわ!」
ダイチはこれから最下層の初心者領域を抜けて第二階層に入る。マトバほどの強者がパーティになってくれるのならば、百人力だ。それに、マトバの目があればゴーストハマーが襲ってこないかもしれない。
「どこに行くかは決まってまして?」
「まだ詳しくは。でも食材が取れるダンジョンに行きたいですね。いいところはありますか?」
厨房を見ると葦ノ風亭のオーナーが真剣な顔で料理を作っている。いつも食べさせてもらっているのだから恩返しに差し入れがしたい。
マトバはお行儀悪くオレンジジュースをブクブクさせながら考える。
「……第二階層にカニ戦艦の出るダンジョンがあったような気がしますわ」
「カニ戦艦ですか。カニの軍艦巻きとかじゃなくて」
「カニ戦艦ですわ」
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