第12話 お嬢様とは
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ブルースクリーンに照らされてスーツゾンビは立ち上がる。
スーツはよれよれで高そうに見えないし、腐って萎んだ手首からずり落ちそうな時計は安物だ。背が高くて猫背が板についたスーツゾンビは、生きていた頃も恰幅の良いほうではなかったはずだ。
デスマーチの迷泥の名前が示す通り、ブラックな職場がコンセプトなのだろう。過労死してしまった死体たちが死後も働かされている悪趣味な迷宮だ。パソコンの青い画面に正気を奪われたゾンビたちのメーデーだ。
外の亡者たちはこき使われて捨てられた労働者たちの成れの果てなのだろう。外で亡者として彷徨うか、ビルの中でゾンビになってまで永遠に働くか、どちらの方がマシだろうか。
「死ねですわ!」
同情することもなくマトバがスーツゾンビを殴る。地面を転がったスーツゾンビは顔面を陥没させているにもかかわらず、何事もなかったかのように起き上がる。
「やっぱりかですわ……」
マトバの言葉には苦さが含まれていた。
「アイツは何度倒しても起き上がるのですわ。前は倒せないままビルが崩れてゲームオーバーでしたの」
他のゾンビとは違い何回殺しても立ち上がる。頭に来たマトバはゾンビが起き上がれないように馬乗りになり、体をバラバラにしようとしたのだ。しかし実行に移す前にビルが崩れてリスポーンした。
デスマーチの迷泥のスキルシードが欲しいのに、攻略法がわからず途方に暮れていたので、協力者を待っていた。その時現れたのがダイチだった。
「戦いで勝つ条件ってのは、勝つまで倒れないっつう信念を持ってるかなんですわが、コイツは心が無いのに立ち上がってきやがりますのですわ」
起き上がるスーツゾンビをもう一発殴りながら、ダイチに助けを求めた。マトバは殴るのは得意だが考えるのは苦手だ。
「わかりました。こうしてみましょう」
ダイチはスーツゾンビではなくデスクの方に歩を進めた。青い光を放つパソコンの画面に向かって棒を振り下ろす。画面が割れてぶつんと電源が落ちた。それと同時にスーツゾンビが呻き声をあげる。
転がっている数台のディスプレイを淡々と割りながら、ダイチは答え合わせをする。
「スーツゾンビが動き続けるのは、仕事があるからなんじゃないですかね。画面が光る限り働かなければいけない、労働者のさだめです」
ディスプレイが青く光った瞬間から労働者が動きだしたことにダイチは目をつけたのだ。迷宮の演出と考えられなくもないが、怪しいから潰すことにした。結果は正解だった。
全てのディスプレイを割り終えると、スーツゾンビは動かなくなった。
「すげーなお前っ!」
マトバが事切れたスーツゾンビの胸ぐらを離してキラキラした目でダイチをみた。素直な褒めをもらうと照れくさい。ダイチはどう返したら良いかわからず、ぼそぼそと続ける。
「ぶん殴ってから沼に沈めるってのも考えてたんですけど、こっちが正解でよかったです。窓の外に運ぶのは骨が折れそうなので」
「ダイチは頭良いのな!」
眩しいくらいの満面の笑みにダイチは目を細めた。勉強ばかりをさせられていたから、できることは当たり前だと思っていた。だからできても褒められなかったし、できなければ怒られた。
ちゃんと褒められたのはいつぶりだろう。ダイチはこのために勉強していたのかもしれないとさえ思った。
だが浮かれている時間はない。ビルが軋んでビビが入った。蛍光灯が割れて凶器となって降り注ぎ、ダイチたちの肌を刺す。
「スーツのヤツは倒しただろ! なんで!」
「窓に!」
窓の外は真っ暗になってた。この迷宮に夜はない。ならば窓を何かが覆っていることになる。
「二階にあがりましょう。早く! 生き埋めになります!」
ビルは沈み始めていた。ダイチたちを追いかけてきたゾンビが壁や窓に張り付き、その重さで沈下を起こしたのだ。1階は完全に沼に覆われている。潰れてしまうのは時間の問題だ。窓ガラスにヒビが入った。
2人は階段を駆け上がった。2階、3階は無視して4階まで走る。途中、派手な音と共に一階が潰れ、黒い泥がうねりとなって迫ってきた。濁流の狭間に亡者の腕が見え隠れする。泥は3階の踊り場まで浸食して止まった。
駆け込んだ部屋は社長室だった。高級そうなものばかり置いてあるが、沼地の淀んだ空気のせいで輝きは廃れてしまっている。
社長椅子に座っているのはでっぷりとしたゾンビだった。2メートル近くある巨漢で、縦だけでなく横にも広い。萎れたきゅうりだったスーツゾンビと違い、熟れすぎてドロドロのトマトみたいだ。腐った贅肉がストライプの入ったスーツをぱつぱつに押し上げている。
社長ゾンビが何かを言おうとしたが、それは叶わなかった。マトバがゾンビの醜い顔面にストレートを打ち込んだからである。
「キモい迷宮作ってんじゃねーぞですわ。デブが」
高級感のある机に乗り、片足で社長ゾンビの肩を抑える。言葉より先に手が出るお嬢様が居ていいのか。
「出すもん出せやコラ!!」
その後は一方的だった。スーツゾンビのように復活することもなく、社長ゾンビは可哀想になるくらいボコボコにされ、スキルシードを残して消えた。ダイチが手伝う暇もなかった。二つドロップした内の一つをダイチに投げる。
器用に口のところに投げ込まれたので、そのままダイチは噛んで飲み込んだ。これでムーンジャンパーは2回目の強化である。
「さんきゅーな。……ですわ」
迷宮主を見つけて荒ぶっていたマトバがお嬢様ロールプレイを思い出した。顔を真っ赤にしてもはや意味の無さないお嬢様語尾をつける。
さっきまでスカートのまま蹴りを入れ、高級ゾンビに凄んでいたはずなのに、恥ずかしがる姿はお嬢様である。喋らなければ良いのにと思ったが言わないでおく。不良に余計なことは言わない方がいい。
でもマトバはダイチの嫌いな不良とは違う気がしたので、言葉を選んで聞いてみた。
「言いたくなかったらいいですけど、なんでお嬢様のふりをしてるんですか?」
「……やっぱバレてるよな」
マトバは先頭で汚れた自分の手をじっと見つめた。どう言葉にすれば良いのか迷っているのだ。
「……憧れなんだよ。お嬢様ってのは。かわいくてふわふわしてキラキラしてる、アタシとは正反対の生き物だ」
小さい頃から言葉よりも手が出る子供だった。文句があれば殴ったし、嫌なことがあれば壊してきた。
いつの間にか普通の友達がいなくなり、不良と呼ばれる取り巻きが増えた。世界はどんどんと血みどろになって、戻れないところまで来てしまった。不良になると優良な世界が輝いて見える。
そんな状況だったのでATEの招待が来た時は救われた気持ちになった。不良の自分をやり直せる機会が降って湧いたのだ。
だが希望は蜘蛛の糸のように切れてしまった。頭より先に体が動く性格のせいで、お嬢様になることができずにいた。初対面のダイチにさえバレてしまうのだから、性格はもう変えられないのかもしれない。
「やっぱ似合わねーよな。皆んなも言いやがるんだ。お嬢様ってよりお嬢だなって」
「そんなことないです」
ダイチは言った。マトバがお嬢様に憧れているのなら、ダイチはマトバのような人間に憧れている。
「自分の意思で決めたことを頑張ろうとする人は、素晴らしいと思います。俺と反対で」
レールの上しか走れないダイチと違って、自分で道を開こうとする人間のどれだけ素晴らしいことか。
励まそうという感情の中に薄暗いものが含まれているのを、マトバは感じ取った。
「哲学的ゾンビみたいに中身のない俺にとって、自分から変えようとするマトバさんは眩しいです」
「そんなことねえよ。滑稽だろ?」
「少なくとも俺には可愛らしく見えましたよ」
「なっ……なに言ってんだテメエ!」
語尾にですわをつけるだけでお嬢様言葉になっていると勘違いしているところとか、すぐ顔を赤くするところとか、気づいていないだけでマトバの良いところはたくさんある。
今だって不意に可愛いと言われて顔が真っ赤だ。可愛くなろうと努力している女性が可愛くないわけないのだ。
「マトバさんが考えるようなお嬢様だって、小さい頃はやんちゃなガキんちょだったんですよ。お嬢様の練習をして、自然に出るまで体に覚えさせるんです。だからマトバさんもなれますよ」
「ホントに? 絶対?」
「本当です。絶対です。指切りでもしましょうか?」
ダイチが言うと、目の前に小指を立てた手が突き出された。マトバは顔を真っ赤にしながら、心配なのか上目遣いでダイチを見ている。
軽口のつもりだったのに本当に指を出されて反応が遅れたダイチに、マトバはこてんと首を傾げる。それに合わせて髪の毛がふわりと揺れた。ダイチは差し出された指に小指を絡めた。
ダイチは、そのマトバの姿が十分に可愛いと思った。
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