第11話 デスマーチの迷泥
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窪んだ目でどうやって見分けているのか、亡者の大軍はダイチとマトバに襲い掛かった。
魂ある者が妬ましい亡者たちは、爪の剥がれた腐った手で物欲しそうに伸ばしてくる。新鮮な肉から魂を剥ぎ取って自分と同じ目に合わせたい。理性がなくなった亡者たちは本能のままに奪おうとする。
沼地という足のとられるフィールドのせいで体重を軽くするというスキルが使えなくなってしまったダイチは、自分の背より長い棒を振り回すことでなんとか凌いでいた。人間を殺せないダイチでも、すでに死んでいるゾンビは例外だ。
沼から次々と湧き上がるゾンビを、棒ではたき落としていく。腐っているのだからゾンビの体は脆い。手を叩けば指が何本か飛んでいくし、首を叩けば折れ曲がるのは良い方で、大抵は首が沼にどぼんである。
ダイチは休む暇なく襲いかかってくるゾンビたちをあしらっていくうちに、棒の扱い方というのを学び始めていた。
武器初心者だったダイチは、叩くか突くかの槍のような使い方をしていた。だが亡者の大軍を捌くには隙が大きいので、自然と次につなげやすい回転を多用した戦い方に変化していった。
大道芸人のように左右へと棒を持ち替えながら振り回せば、風切り音が鳴るほどスピードが上がっていく。回転する棒に触れたゾンビたちは、竜巻に巻き込まれたかのように軽々と吹き飛んで行った。
この動きを覚えさせるためにブラウンはここを紹介したのかと見直しかけたが、頭を振った。あまりにスパルタすぎる。実戦で永遠に乱闘させなくともやりようはあるはずだ。おそらく、ダイチのスキルが重力を軽減して空を飛ぶものだと知らないかったからだ。
ダイチはこの迷宮が初心者の階層にあるのが信じられなかった。これでは誰もクリアできないだろう。
ゾンビたちは昨今の映画のように足が早くもないし化け物になったりもしない。だが沼地というフィールドが迷い込む人間の移動を制限するせいで、ゾンビと同じスビードでしか行動できないのだ。
動きの制限された初心者が、亡者の波に飲まれて沼に沈む姿が想像できる。
だが、実際はダイチが想像するようなホラーな事態にはなっていない。
そもそも沼地とゾンビの組み合わせのせいで人が来ない。大抵の初心者は、フィールドが沼地だと確認すると挑戦するのをやめる。一階層にはたくさんの種類があるので、わざわざ面倒な迷宮を選ばなくても良い。
それにゾンビの攻撃力が弱いせいでもある。腐った手につかまれても簡単に振り解けるし、爪が腐り落ちているので引っ掻き攻撃も弱い。ダイチのように周りを囲まれなければ、ゾンビを振り払いながら入り口に戻れば良い。
そんな事情があってデスマーチの迷泥は初心者の階層にとどまっていた。攻略は面倒だが、人が死ににくい設定なのだ。
ダイチは沼に浸かった足をずぼずぼと入れ替えながら前へと進む。
倒したゾンビは沼に沈んでいくので邪魔にならなくて良いが、沼の底でリサイクルでもされているかのような速さでリスポーンするのだから面倒だ。
前方のゾンビの層が薄いなと感じていたが、進むことでその正体が見えた。先に行っていたマトバが死体の山に立ち、驚異的な速さでゾンビを処理していた。
彼女は襲ってくるゾンビを真正面から潰していく。己の拳のみで、死体が沼に沈むより早く死体の山を築いていた。
素手を武器として使うのはエイチェも同じだが、エイチェは透明化と組み合わせた一撃離脱の奇襲戦法を使い、マトバは仁王立ちで来る者から殴り飛ばしていく脳筋戦法だ。
ゾンビがマトバに触れる前に、猫のようにしなやかなパンチが首を狩る。お嬢様ロールプレイの闘い方ではない。内面の不良が滲み出していた。
マトバはダイチを一瞥すると軽く笑う。馬鹿にしたのではなく、戦えることへの興味が現れた笑みだ。
「生きてたか。アタシの目に狂いはなかったな」
戦いに血がたぎり、お嬢様ロールプレイのことは忘れてしまったらしい。彼女の素である、吐き捨てるような物言いに戻っている。
「このまま進むぞ。道は死体で作ってやる」
跳び膝蹴りで死体の山から飛び降りたマトバは、走りながらゾンビをなぎ倒していく。事切れたゾンビを足場にしてどんどん進む。
ダイチも沼地から足を引き抜いてゾンビの山に立つ。沼から足を出せれば、ムーンジャンパーを発動して追いかけることができる。足場はマトバの作る死体の道か、ゾンビの頭だ。
先行くマトバを追いかける。ここがゾンビがひしめく黒い沼地でなければ、砂浜を追いかけっこする青春の構図だ。
足首を掴もうとする手の波を器用に避け、辿り着いたのはビルだった。
コンクリートの冷たい4階建てのビルは、人よりも亡霊のために建てられた幽霊屋敷だ。沼地に建てられたせいで傾き、1階の半分は沈んでいる。
「前回はここでやられちまった……ですわ」
今更お嬢様ロールプレイを忘れていたことに気がついたマトバはハッとして言葉を直す。もう遅い気もするが恥ずかしそうにしていたので追求はしないことにした。
「入りましょう。ゾンビが迫ってます」
「あそこの窓から入れますことよ」
廃墟ではあるが、窓ガラスが割れているような治安の悪さはない。ただ忘れ去られて風化しただけのようだ。ダイチが窓を閉めれば、ゾンビたちは窓ガラスに張り付くだけで侵入できなくなる。ゾンビが非力なタイプで助かった。
ぱたぱたと窓ガラスに腐った顔と手が張り付くのは恐怖を誘う映像だが、ダイチは怖がることなく観察している。
「怖くないのですわ?」
「人間の方が怖いですから」
「……そっかですわ」
「ゾンビとかは殴っても怒られないどころか称賛されますけど、人間を殴ると怒られてしまいますので」
「怖い発想ですわ……。面倒な事情があるのかと心配して損したじゃねーかですわ」
誰かに怒られなければ殴るのかと、マトバは眉をひそめてダイチを見る。多少動けそうな真面目メガネだと思って連れてきたが、厄介なやつなのではなかろうか。
「トロッコ問題で嬉々として五人の方を殺しそうですわ」
「そんなことしませんよ。ちゃんと一人の方を轢きます」
トロッコ問題とは有名な論理の問題である。暴走列車が5人を轢きそうになっている時、レバーを引けばレールを切り替えることができる。だが切り替わったレールの先には1人が居て、その人を殺してしまうことになる。
レバーを引かずに5人を見殺しにするか、レバーを引いて1人を犠牲にするか。
何もせずに大勢を殺すか、一人を犠牲にして大勢を救うかという深く考えさせられる問題である。
「そういうマトバさんはどうなんです?」
「アタシは……そん時になってみねーとわかんねーな。ですわ」
「ずるくないですかそれ」
「良いんですわよ。ほら、さっさと進むですわ」
ダイチの尻にマトバの蹴りが入る。バシンと良い音がなったが痛みはそれほどでもなかった。
ビルの中は薄暗い。窓はゾンビが張り付き、天井には蛍光灯がついているがカチカチと不規則に点滅している。床は染み出した泥でべたべただ。十分な視界が確保できないこの環境では滑って転びそうである。
着いた場所はそれなりに広いオフィスだが、肝心のデスクはビルが傾いているせいで端に固まっている。スペースは空いているが天井が跳び上がれるほど高くはないので、戦闘するには物足りないフィールドだ。
「ダイチ、構えるのですわ」
マトバの目線の先には、寝転がる男が居た。スーツをぴっちりと着こなしているのに、顔は腐ったゾンビのものだ。散乱したパソコンの画面が一斉に点灯する。
青い画面に照らされて、スーツのゾンビは逆再生のように立ち上がる。無理あり引っ張り上げられているような、操り人形が起き上がるみたいな立ち方だ。
「ケツ引き締めてやるぞ。ですわ」
「それはさすがにお下品じゃないですか」
デスマーチの迷泥、スーツゾンビとの戦闘が始まった。
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