第10話 の後
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ATEで死ぬとマイルームで目が覚める。何かペナルティがあるわけではないが、強いて言うなら復活するまで2時間程度必要なだけだ。現実で死ねば一発退場なのだから、随分と軽いペナルティである。
復活したばかりで、シャワーを浴びた後のように湿った髪の毛をガシガシととく。エイチェの言う通り、死ぬのは一瞬だった。
復活したダイチとエイチェは自然と葦ノ風亭に集まっていた。先に復活していたエイチェはブラウンと話してるようだった。
「ああ? 俺のコートを置き忘れただあ?」
「ごめん、ブラウン。脱いだまま死んじゃったから、持って来れなかったのよ」
死んだ時に自分の近くにないものはその場に置いたままになってしまう。エイチェがブラウンに借りていたダスターコートは、樹海の側の道に忘れられたままだ。
「俺が無理やり着せたやつだから別にいいが……ハマーと戦ったのか」
「スキルってあんなこともできるんですね。死ぬほど強かったです」
「そうよ。二人に分身するなんて反則じゃないの!?」
「パーフェクトクライムってスキルだったな。あいつ分身までできるようなってんのか」
「知ってるんですか?」
ブラウンは懐かしむように遠くを見つめている。
「ハマーはテスターで俺は初期勢だからよ、二人でダンジョンに潜ることもあったんだぜ。だがよぉ、あいつは日に日におかしくなっちなっちまって……」
「何があったの?」
「オリジナル……現実のハマーが映画館に来なくなって、記憶の統合ができなくなったんだ。それで頭が壊れちまって、指名手配されるようになった」
オリジナルが来なくなったのは、警察に捕まったからかもしれない、とダイチは思った。
「でもトリムから逃げることって可能なの? 人工知能からしたらATEなんて掌の上でしょ」
「トリムが見張ってるのはリスポーンの記録くらいだ。捕まらなけりゃ消されねえよ。ハマーのスキルが逃げるのに相性いいのもあるがな」
ATEはゲームのようにプレイヤーを検索できるわけではないので、文字通り草の根をかきわけて物理的に探さなければいけない。
宇宙から比べれば狭い世界だが、個人を探すには骨の折れる広さがある。そのためATEを管理するトリムは、明確なレポートが提出される死亡時しか確認できない。
つまりゴーストハマーは指名手配されてから一度も死んでいない。さらに言えば、指名手配されているので目立つところには行くことができないので、スキルを育てるための迷宮も行っていない。
人間からもスキルシードはドロップするので、ゴーストハマーはPKで力をつけていったのだろう。ハマーの異様な強さの源はそこにあるのかもしれない。
「ダスターコートは仕立て屋にでも頼むさ。ハマーが拾ってたら取り返せないだろうからな」
「ほんとにごめんなさいね」
「エイチェが服着てくれりゃ、なんでもいいさ。そんな服持ってたんだな。似合ってんじゃねえか?」
エイチェは露出狂とは思えない落ち着いた格好をしていた。褒められて顔を真っ赤にしたエイチェが勢いで服を脱ごうとするのを、ブラウンが呆れながら止める。
「脱がせなさいよ!」
「させるかバカ」
「まあまあ、いいじゃないですか」
「ダイチのそのスタンスはなんなんだよ!?」
男子高校生なのだから見せてもらえるのなら見たいに決まっている。ゴーストハマー戦でもちゃっかり見ていたのは秘密である。
ブラウンの制止が勝って結局服は脱がないことになった。残念である。
「そういえばブラウンさん。オススメの迷宮ってありますか? 昼間に引いたのがキャスパナインの鏡皿っていう精神を削る迷宮だったんですけど」
「あー、鏡のダンジョンか。そいつは運が悪いな。……いいダンジョンってなると、デスマーチの迷泥か?」
それをクリアすると第二階層の迷宮に行けるとブラウンは言った。
「これから人気のないところには行くなよ」
「わかってるわよ」
「いいか。あいつはこう……、粘着質なやつなんだ。ハマーに殺され続けたせいでATEに来なくなった奴が何人もいる」
ブラウンの忠告に、ダイチとエイチェは頷く。だが迷宮しか娯楽のないATEでは、ホームに留まり続けるのは耐えられない。ダイチは寝るまでまだ時間があったので、クエストツリーへ向かった。
あそこはATEの中心なので人が多い。ゴーストハマーに襲われることはないはずだ。実際、クエストツリーは人が多かった。昨日とは違う時間に来たためか、初めて見る顔ばかりだ。
秘密の実験なのだから数十人くらいしか参加していないだろうと思っていたが、広場のテーブルは半分ほど埋まっている。ATEは想像よりも規模の大きい実験だったことをダイチは初めて知った。
ATEに入るための実験施設は、大地の居る映画館だけではない。全国各地に点々と存在する。リアルタイム性を要求しないATEだからこそ、ラグを気にする必要がない。全国から参加者を募ることができる。
デスマーチの迷泥の入り口は簡単に見つかった。入り口の前で仁王立ちする少女が目立っていたからだ。
フリルのワンピースにベレー帽を被ったレトロチックなお嬢様なのに、立ち方は寺院を守る金剛力士像そのものだ。可愛らしい見た目を加味して言うのなら、獲物を狙う猫。関わらないように無視して通り過ぎようとしたダイチだが、無情にも声がかかった。
「テメエ……じゃなくて。こ、こほん。あなたはこの迷宮に挑戦する方ですわ?」
一瞬ドスの効いた声が聞こえたが、すぐに可愛らしい声に変わる。聞き間違いにしてははっきり聞こえた。微笑みを携える少女からそんな怖い声が出るはずがないと信じたいが、聞こえてしまったのは仕方がない。
「……ええ。そうですけど」
「でしたら、わたくしとご一緒しませんこと?」
「え、でも今日は様子見だけで……」
「ああん? 一人より二人の方がラクだよナァ」
ダイチより頭ひとつ分小さい少女なのに、メンチの切り方は歴戦の猛者だ。お嬢様からの上目遣いがこんなに恐ろしいとは。
学校の屋上を心の拠り所としていたダイチだが、屋上に続く踊り場は苦手だった。人が滅多に通らないせいで不良達がタバコを吸いにきていることがあるからだ。
この少女を見ていると、喫煙を目撃してしまって先公にチクんじゃねえぞと脅された時のことを思い出す。
逆らってはいけないと直感する。従わなければ集団リンチのやつだ。
「はい。もちろんです」
「そうだ……じゃなくて、そうですわよね。理解ある殿方で嬉しいですわ。ウフフ」
「はい。よろこんで」
「いい返事だ。ですわ。わたくしはマトバ。
「ダイチです。よろしくお願いします」
お嬢様の皮を被った不良、マトバと出会ってしまったダイチは、二人でデスマーチの迷泥を攻略することになった。
キューブに触れて転移した先は黒い沼地だった。コールタールのように粘性のある黒い泥は、足にまとわりついて抜けなくなりそうだ。
「これじゃ跳べそうにないんですが……」
独り言を漏らすダイチに、マトバが荒い声で言う。
「さっさと行くぞですわよ」
マトバは厚底のローファーと白い靴下を脱いで、裸足で一歩を踏み出した。ダイチもそれの真似をして、裸足になって後をついていく。
泥の表層はひんやりと冷たいのに、中は発酵しているのか温い。足に粘つく泥が気持ち悪いが、先に進むマトバに遅れないように急いだ。
「マトバさんってなんでこのダンジョンへ?」
「ここのスキルシードが欲しいからですわ。一人で挑戦したんだが、やられちまいましたのですわ」
たまに不良の一面を覗かせるが、外見だけ見ればお嬢様である。戦うのは難しいのかもしれない、とダイチが納得しかけていた瞬間、沼からモンスターが現れた。
腐った人間のモンスター、ゾンビである。沼地から這い上がってきたゾンビがマトバを襲おうと腕を伸ばすが、それより先に華奢な拳が腐った顔を打った。
「一匹なら大したことないんですが、この数だと骨が折れやがるのですわ」
こぽこぽと沼地が沸き立ち、ゾンビが一斉に現れる。
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