第9話 GHOST HUMMER
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過去を消された女スパイが、記憶を取り戻そうとする映画だったと思う。
エイチェはその映画がエンドロールになって客がまばらに帰る中、一人でスクリーンを眺め続けていたのを覚えている。
女スパイとその頃のエイチェは真逆だった。映画の女スパイは大人の魅力で男たちを手玉にとる。困難にも屈せず、最後には勝つ。かっこよくて強い女性だ。
しかしエイチェは映画が趣味なだけの冴えない大学生。流行りのブランドなんて知らないし、化粧はブサイクな自分がやることではないと思っていた。恋人なんてできたためしがない。作ろうと試したこともない。
自分はただのモブで、映画の主人公とは違う。誰にも目を向けてもらえない。つまんない人生。そんなことを考えていた時に、エイチェはATEに招待された。そして露出狂になり、化粧もするようになった。世界が一変した。
ダイチは折れた右足が逆再生のように元に戻っているのがわかった。壊したものは全て巻き戻しの範囲内なのか。ゴーストハマーのスキルの正体がつかめない。
「完全、犯罪」
ハンマーが振り下ろされようとする。今度こそぺちゃんこになってダイチは死ぬだろう。だが時間は稼げたはずだ。ダイチがちらりと見るとそこにエイチェは居なかった。そこにあるのは脱ぎ捨てられたダスターコートだけだ。
「よかった。逃げれたんだ」
足が埋まったダイチは肩の力を抜いた。エイチェが逃げられれば、後はどうでもいい。
ダイチがハンマーに潰されようとした瞬間、ゴーストハマーの後ろに全裸の女が現れた。ワープしてきたかのようにいきなり現れたエイチェは、地面に並行なドロップキックをハマーの後頭部に叩き込む。
「エイチェさん!? 逃げたんじゃあないんですか!」
「……女、殺す」
「殺せるもんなら殺してみなさいよ。私は強くてかっこいい、女スパイなのよ」
全裸で仁王立ちするエイチェは、映画と変わらないかっこよさを持っていた。
エイチェの姿が消える。透明人間のように自分の肉体を透過させる能力は、エイチェが望んだスキルの効果だ。
スキル、ライトペネトレーターは細胞を変質させて景色と同化する力を持つ。スパイみたいに神出鬼没で、誰にも見つけられないようにするスキルだ。
そのためライトペネトレーターを万全に使うためには、全裸である必要がある。恥ずかしく思いながらも使っていたら露出に目覚めてしまったが、今では趣味と実用を兼ねたスキルである。
エイチェが一瞬だけ現れて殴る。ハマーが反撃しようとハンマーを振りかぶっても、エイチェはすでにそこにはいない。
しかし、殴られたハマーの傷も謎のスキルで治癒してしまう。巻き戻すスキルは自分も対象なのだ。ハマーのスキルを解明しなければ勝ち目はない。
「ダイチ。足は抜けそう?」
エイチェが姿を消したままダイチに耳打ちする。ダイチもハマーにバレないように小声で答える。
「無理そうです。でも、ハンマーを俺の方に誘導してくれれば、どうにかできるかもしれません」
「わかったわ」
現れては消えを繰り返し、エイチェはゴーストハマーを煽りながらダイチの方へ誘導する。頼んだ通りに、エイチェを狙ったハンマーがダイチを直撃する。
「くっ……!!」
ダイチはそれを真正面から受け止めた。フルスイングの衝撃がダイチの体を捻り飛ばし、埋まった足が千切れる。膝から下が、地面に取り残された。
予見していたので我慢できたが、足が取れるのは強烈な痛みだ。そしてゴーストハマーのスキルが発動して足が再生する。元に戻った足は傷一つない。
「これで自由に動けます……!」
「ちょっとグロいんだけど大丈夫なの!? 荒療治すぎない!?」
「治るだろうとは思ってましたから」
「治る治らないじゃなくて! 千切って脱出するなんてめちゃくちゃ痛そうじゃない!!」
「逃さない、殺す」
ダイチはハンマーを避けながら考える。
迷宮にコンセプトがあるように、プレイヤー側にも願望がある。ダイチは空を飛びたい。エイチェは女スパイのようになりたい。
スキルとは望みを叶えるためのものだ。それは他のスキルシードを集めたとしても変わらない。自分が望む方向にスキルを取得していくのだから、一貫した育成方針になるはずだ。
ゴーストハマーは何を考えている? それがわかれば弱点を探ることも、説得することもできるはずだ。
破壊したものを巻き戻す力。粉々になった荷台や千切れた足を治した。おそらく、ハマーの殺すという目的からして死は治せないのだろうが、十分に強力だ。
音を消す力。ハンマーで破壊するときの音やダイチの叫び声が消えることがある。ハンマーの風切り音も消えてしまうので、攻撃の起こりがわかりづらい。
もう一つ付け加えるなら、ハンマーを軽々と持ち上げる筋力もそうだ。ゴーストハマーはその三つの力を使っている。それぞれが別のスキルなのか、一つのスキルの効果なのかはわからないが、ゴーストハマーの願望が集約されたもののはずだ。
ダイチは人を攻撃することができないので、避けることに集中しながら聞いた。
「エイチェさん、ゴーストハマーってATEの関係者ってわけじゃないですよね」
「そうよ。ハクイが教えてくれたけど、一般枠で連れてこられたテスターらしいわ。今じゃATEの癌だけど」
「連れてこられた?」
「ハクイは確かそう言ってたわよ」
ダイチは考える。連れてこられたなら、ATEに来ることを本来望んでいなかったのだろうか。
ただ殺しが好きなら、破壊したものを元に戻す能力など必要ないはずだ。標的が怪我を負う方が逃げられる確率は低くなる。破壊衝動があるわけでもない。むしろ、元通りになることを望んでいるような……。
「殺す」
考えに集中し過ぎてハンマーが体にかする。全身で受けることができれば、わざと吹っ飛ぶことでダメージを軽減できるのだが、かするだけだと軽減できずに逆に痛い。
ハマーの巻き戻し能力で痛みが引くのを待っていると、ふと思いつくことがあった。
「もしかして……人を殺したことがありますか」
「……」
ハマーがギロリと睨む。
「ちょっとダイチ、大量殺人鬼みたいなやつになに言ってるのよ! ゴーストハマーが優しいおじさんにでも見えるっての!?」
二人でゴーストハマーの攻撃を避ける。透明人間と軽業師がいれば、殺人鬼を翻弄しながら会話することができる。
「いえ、現実で人を殺したことがあるってことです」
「はあ? PKじゃなくてガチの殺人鬼ってこと!?」
現実で殺人を犯していたからこそ、ATEでも人を殺していた。なぜ殺したかはわからないが、スキル構成が犯罪するのに適しているところからダイチは推測した。
「ゴーストハマーが望んだのは、証拠を消すためのスキルなんです。壊したものが元通りになるのも、音が消えるのも、死以外の傷が治るのも、証拠を消すのに便利なんです」
人が持てるはずもないハンマーを振り回すのも、凶器を特定されないためだ。ゴーストハマーは最初から殺すと宣言していた。最初からヒントはあった。
一般人枠でテスターになったのもおかしな点だ。秘密裏に行われているこの実験に参加するには、誰かの紹介が必要だ。犯罪をもみ消す見返りか脅されるかして、巻き込まれたのかもしれない。
でなければ、人間のコピーを作る狂気の実験になど参加しないだろう。
「お前は、必ず殺す」
「めちゃくちゃ怒ってるわよ。地雷踏んじゃったんじゃない!?」
「待ってください! 話し合いましょうよ!」
本人に確証をとってから話し合いに持ち込もうとしていたダイチだが、ゴーストハマーは聞き入れるほどの人間性はなかった。殺人鬼が話し合いに応じてくれるなんて甘い考えだ。
「まさか刑事ドラマみたいに自供パートが始まるなんて思ってたんじゃないでしょうね!?」
「……そのまさかです。どうしましょう」
「ダイチもしかしてバカなの!?」
「殺す」
ゴーストハマーがハンマーを振り回し、ダイチとエイチェが避ける。決着がつかないまま膠着状態に入ったかと思われたが、均衡は崩れ去る。
「パーフェクトクライム、不在証明」
ゴーストハマーが呟くと、姿がぶれて二人に増えた。
実体のある分身。証拠を消す願望として説明するなら、アリバイを作る能力だ。双子トリックでしか生み出せないアリバイを、一人で実現してしまう能力。
「まずいわよ!」
「まずいですね」
「本気出したみたいなんだけど!! 何か案はないの!?」
「ごめんなさい! 誰にも言いませんから見逃してください!」
「命乞い!?」
「殺す」
1対2でバランスの取れていた戦闘が一気に不利になる。相手はもとは同一人物なので連携は完璧。ハンマーをかちあわせながらダイチとエイチェを追い詰めていく。
「ダイチ、今回は運が悪かったわ」
エイチェが観念したかのようにスキルをオフにした。逃げることをやめて殺されることを選んだのだ。
「そんな……諦めるんですか」
「こう見えてダンジョンじゃ何十回も死んでるし。死ぬのなんて一瞬よ。ちくっとするくらいだわ」
「死なないでくださいよ!」
「ハジメテは天井見てれば終わるから。あんまり気にしないほうが楽よ、ダイチ。ごめんね」
樹海を案内したせいでダイチを巻き込んでしまったから、エイチェは戦っていた。だがこうなってしまえばどうすることもできない。抵抗して痛めつけられて死ぬよりかはマシだ。
エイチェはハンマーでぺちゃんこになって、赤い塊になった。迷宮のモンスターと同じように地面に吸い込まれ、その場所にはエイチェのスキルシードだけが残った。
守るものがなくなったダイチも、死を受け入れた。
人が死んでもスキルシードが生まれるんだ、と関係ないことを考えながら、ダイチはハンマーに潰されて地面の染みになった。
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