第8話 観光とハンマー

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 キャスパナインの鏡皿を攻略したダイチは、昼ごはんを食べに葦ノ風亭に戻っていた。


 チーズとバジルだけのシンプルなピザを頬張りながら、午後から何をしようか考える。別に迷宮に潜ってもいいのだが、あのハズレ迷宮を引いた後では違うことがしたい。


 それにせっかくATEにいるのだから、葦ノ風亭のオーナーのように迷宮に縛られない楽しみを見つけたかった。

 オーナーは、現実ではできない食堂の運営という夢を叶えている。それみたいに、現実ではできないことをやって見るのも面白いかもしれない。


「……わからん」


 何でも出来るとなると、悩んでしまうのが人間である。手頃な何かを考えて、ダイチはATEの街並みを探索することを選んだ。

 居住区が大樹の洞であるように、ここは自然あふれる世界なのだからいいスポットも見つかるだろう。昨日から葦ノ風亭とクエストツリーを往復するだけだったのでちょうど良い。


 この世界を紹介してくれた緒方笑綺おがたしょうきも、まだこっちで出会っていないし、探してみるのも良いかもしれない。緒方はどんな夢を叶えているのだろう。


 ダイチが店を出ると、エイチェが居た。またブラウンのダスターコートを着させられていたので、どこかで怒られて来たらしい。


「ニュービー君じゃん。大丈夫だった? 昨日具合悪そうだったけど」


「大丈夫です。……あれ? 昨日居ましたっけ」


「居たわよ!? 全然喋ってなかったし、服も着てたから気づかないかもしれないけど非道いわよ!?」


「そうでしたか」


 記憶をさらってみてもやっぱり居たような気はしない。エイチェはステルスでもついているのだろうか。


「ふん。私は全裸じゃなきゃ地味な女ですよーだ。このエロガキ」


「うっ……すみません」


 エイチェのことを露出狂のお姉さんで覚えていたダイチには耳が痛い。


「まあいいわ。ダイチはこれからどうするつもりなの?」


「迷宮探索はお休みにして、散歩でもしようかと……」


「そう。なら私が案内してあげる」


「いいんですか?」


「ま、初期勢ほどじゃないけどATEじゃ長い方だから、大船に乗ったつもりでいなさい」


 初期勢とはATEが始まった当初からプレイしていた人たちのことを言う。

 ちなみにブラウンは初期勢で、ハクイは初期勢よりさらに前のテスターである。長いことATEを遊んでいた人の方が知識が豊富で戦闘面も強い。エイチェは中堅層くらいだ。


 エイチェは走っていた巡回馬車を止めて乗り込んだ。巡回馬車は決まったルートを走行するバスのようなもので、ATEの足として普及している。


 巡回馬車は無人だが、馬がどこを走ればいいのか覚えているため道を間違えることはない。糞も決まった場所でしてくれるし、休憩も勝手にとってくれる。人間に都合がいいように編集された馬は、ここでは大切にされている。


 ダイチが気付いていないだけで、ATEには巡回馬車のような編集された動植物がたくさんある。ルームがある大木ビルもそうだし、ブラウンが好む葉巻が実る木などもある。


 葦ノ風亭を含む、商売をしたい人たちが集まった商店街をぬけ、エイチェの解説を聴きながら草の生い茂った広場や、釣りもできる湖を通る。案内役を買って出るだけあってATEをよく知っていた。


「ここら辺は樹海って呼ばれるかなり濃い森がある場所なの。迷い込んだら出られないから、あまり入らない方がいいわよ」


「へえ、怖いですね」


「人に優しくない動物も住んでるから、肝試し感覚でいくのもおすすめしないわ。危険な人たちが出るって噂もあるしね」


 巡回馬車が何度も通るせいで踏み固められた道から見える樹海は、今にも襲いかかってきそうな津波のようだ。


「危険な人たちってなんなんですか?」


「例えば……ゴーストハマーとか」


 ダイチはその名前をどこかで聞いたような気がした。現実ではない。ATEの中で。記憶を探ろうとしたダイチに、樹海の闇から声が響いた。


「オレを、殺す奴か? それとも————」





?」


 樹海の木がなぎ倒され、巨大なハンマーを担いだ男が現れた。ギザギザの模様がついた真っ赤なマフラーで口を隠しているせいで、血に濡れた大きな口が笑っているように見える。


 こいつがゴーストハマーだと、ダイチは直感で理解した。


「どちらにせよ、殺す」


「逃げて!」


 エイチェが巡回馬車の馬を叩くが、止まると進むだけを遂行する造られた馬は走ることができない。人間に都合よく造られた馬は機械と同じで融通がきかない。走る機能は消去されてしまっている。


 ムーンジャンパーを発動したダイチはエイチェを抱えて荷台から跳ぶ。入れ違いで降ってきたハンマーが荷台を爆発的に破壊した。音もなく荷台はバラバラになる。そこにいればぺしゃんこだっただろう。


 馬は荷台が潰れてしまっても、驚くことも逃げ出すこともできずに、決められたコースを走っている。


「思い出しました。ゴースト・ハマー」


 ダイチは言う。

 クエストカウンターのボードに『殺させてくれる人募集:ハマー』の張り紙をしていた人物だ。強烈な内容だったので記憶に残っていた、


「エイチェさん、なんなんですか。この人」


「テスターの一人よ。そしてATEの指名手配犯」


「指名手配……。法律がないのに?」


「ルールはあるのよ」


 指名手配されるほどの規則違反とは何を行ったのだろうか。大抵のルールは実験を正常に回すためのもののはず。


 エイチェを地面に下ろす。パニックになりかけていたエイチェだが、年下のダイチが落ち着いているのを見て、気を取り戻し始める。少し震えの残るエイチェに、ダイチは声をかける。


「ここじゃ死んで復活できるんですよね」


「みすみす殺されるつもり?」


「そんなわけないですよ。殺しても罪にはならないですよねってことです」


「……ふふ、そうね。法律がないんだもの。しかも殺しちゃダメってルールもないわ。良かったわね」


 良くはない。エイチェに言ったのは強がりだ。人間を殺すことなんでできるはずがない。ダイチは人間に似ているゴブリンでさえ倒すことができなかったのに。


 最悪死ぬのはいい。だがエイチェは逃さなければ。


 武器を構える。ゴーストハマーはダイチたちの他に待ち伏せている人がいないか警戒している。


「ありえない……」


 エイチェが呟いた。目線の先では、潰れたはずの馬車が何事もなかったかのように走っていた。ハマーがなぎ倒した樹海の木々も元の密度を取り戻している。時を戻すスキルでもないと不可能な芸当だ。


「ATEのスキルにはね、限界があるの。現実でできることの延長線上でしかスキルは発動できないはず。なのに、あれは……」


 現実のトレースであるATEは現実の法則でしか動かない。魔法のようなムーンジャンパーやゲームデザイナーも、現実の原理に基づいて動いている。でなければ記憶の統合の際に致命的なズレが生まれてしまうからだ。


 迷宮内では現実を超えたルールが適応されるのだが、ここは迷宮ではなく通常のフィールドだ。


 ハマーが横に振るったハンマーを、ダイチは棒で防御する。踏ん張れないダイチは吹き飛ばされた。


「ダイチ!」


「軽い、な?」


「大丈夫です! ピンピンしてます!」


 ダイチは体重を軽くしわざと吹き飛ぶことで、ハンマーの威力を軽減させていた。キャスパナインの鏡皿で得たスキルシードで強化したので、体重は4分の1程度まで軽くできる。半回転で着地してハマーに駆け寄った。


「跳ぶか。面倒、だ」


 ダイチのスキルを見抜いたハマーが地面を叩く。地面にヒビが入り、めくれあがる。しかし、。地面を砕く音が、まるでミュートにしたかのように消えている。


 そういえば巡回馬車を壊した時も音がしなかった。ハマーの持つスキルの効果だろうか。

 強烈な衝撃波が地面を駆け巡り、ダイチは裂け目に足を取られる。


 体制を立て直そうとした瞬間、巻き戻す謎のスキルの効果が発揮される。一瞬で地面が元通りになる。それに巻き込まれたダイチの足は地面に埋まってしまった。


「捕まえた。殺す」


 今度のフルスイングは避けることも軽減することもできない。直撃したダイチは足から嫌な音が聞こえた。


「…………っ!!!」


 激痛に叫んだダイチの絶叫は、ゴーストハマーのスキルによって誰にも届かなかった。

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