第7話 記憶の統合 現実の大地
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ダイチが初めてブラウンと出会ったころ、現実の大地は目が覚めた。
清潔な白い部屋に簡易的な硬いベッド、最低限の生活品、ゴテゴテした機械。人の尊厳を失わない程度で形作られたこの独房は、ダイチに割り振られたあたらしい部屋だ。
昨日、大地はチュートリアルをプレイする自分のコピーの映像をじっと眺めていた。心理テストの結果が大地と全く同じだったことは驚いたし、第三者視点で自分を見ることは恥ずかしいがそれ以上に物珍しかった。
気がつけば消灯の時間になっていて、晩ご飯を食べ損ね、案内された部屋は控えめに言ってゴミ。大地は最悪の気分で眠りに入った。
人生最低の日も眠ってしまえば明日が来る。
硬いベッドから起き上がる。二度寝しようと思ったが、チップの手術痕が痛んで寝ていられない。洗脳装置みたいなゴテゴテした装置を頭から外しても頭痛は止まない。
水道水をコップも使わず飲んでいると、朝ごはんの配給が来た。固形物の主食とペースト状の副菜、味噌汁だけはお椀に入っている。
絵に描いたようなディストピア飯を食べていると頭痛が戻ってくる。味は悪くなかったが、微妙に温められているのが吐き気を誘った。
家に帰れば母親が朝ごはんを作ってくれるだろうか。そう考えて頭を振った。帰るぐらいならこっちの方がマシだ。親とは一緒にいたくない。
配給のトレイを返却すると、今度は洗濯された制服が吐き出される。制服を着てエレベータから地上へ向かう。
学校を休む考えは浮かばなかった。なりゆきで自殺未遂と家出をしてしまったが、元は勉学に勤しむ真面目な学生だったから。
しかし、大地は学校を休むべきだった。
端的に言えば、学校の大地は見世物だった。
大地が屋上にいたことは多くの学生が目撃していたので、噂は学年を超えて広まっていた。
やんちゃな一年生が大地を指差す。話している内容は聞こえないが、自殺の人として説明されているのだろう。
二年生は移動教室の途中で大地の教室を覗きに来て、大地が鬱陶しく思いながら目をやれば、そそくさと教室の前から離れていく。
三年のクラスメイトは触らぬ神に祟りなしと、表では平静を装っているが裏で話のネタにしていた。
ただ興味深そうに観察されるだけで、大地と関わろうとする人は誰も居なかった。檻の中の虎だ。あれは屋上にいただけで、自殺する気はなかった。そう説明しても信じてもらえないだろうし、説明する機会は訪れない。
逃げたくても教室の檻から出られない。大地の唯一の心休める場所だった屋上は、今は完全に封鎖されている。授業中はまだよかったが、休み時間が耐えられない。その日初めて、便所飯というものをした。
放課後は教師に呼び出され、家出について聞かれた。昨日帰っていないことを親が学校に電話していたらしい。教師はなんとか説得をしようと言葉を尽くしたが、大地には無駄だった。
大地は家に帰ると言わなければ開放してもらえないことをわかっていたので、言葉だけは反省しているように見せた。上っ面だけを正常な人間のように取り繕う。
もちろん、家には帰らず映画館に行く。家にも学校にも居場所がない。ATEだけが大地の拠り所だった。
ATEの映像は見ることができないとトリムに言われたので、大地は殆どの時間を何もせず過ごした。日課の筋トレだけは習慣になっていたので何も考えずに体が動く。共有のシャワー室で汗を流して、硬い布団で眠った。
そして記憶の統合が始まり、大地はATEの夢を見る。
「嘘だろ……向こうの俺……」
悪夢だった。ダイチがATEでミノタウロスと楽しく戦っている時に、現実の大地は散々な目に合っていた。
記憶の統合によって現実のことが鮮明に思い出せてしまうのがとても嫌だ。
「……俺がこっち側でよかった」
あの最悪な現実ではなく、ATE側の自分でよかったとつくづく思う。昨日はコピーだったことにショックを受けていたが、悪夢を体験した後では逆に感謝が湧いてくる。
オリジナルよりコピーの方が幸せだというのは笑える。だが、現実よりも空想の方が楽しいと言えばわからなくもない。
自分の事なのに他人事だが、こっちの分まで頑張ってくれと、現実の自分に無責任な励ましを送った。現実の分まで楽しむから、と幸不幸の不公平な分配まで行う。
ダイチはふかふかの布団から起き上がって朝日を浴びた。
準備を済ませて大樹ビルから降りると、下でブラウンが待っていた。吸っている葉巻が短くなっていたので、かなりの時間そこにいたらしい。
「よう、ダイチ。気分はどうだ?」
「悪夢を見ましたけど、気分は悪くないです」
「そうか……すまなかったな。まさかコピーだと知らないとは思わなかった」
それを言うために待っていてくれたのだろうか。もとはと言えばダイチが正しく理解していなかっただけで、ブラウンが気に病むことではない。
「そんなことないです。俺は色々と教えてもらって感謝してるんです。今はこっちでよかったって思ってますから」
「ククク。そうだよなあ。ATEにこれないなんざ、現実の俺がかわいそうだぜ」
「はい。本物よりも素晴らしい空想が待ってますから」
「その通りだな。……元気そうでよかったぜ」
二人は葦ノ風亭で昼食を終え、クエストツリーへ向かう。
ブラウンは上の階層にある高ランクの迷宮に、ダイチは初心者迷宮の階層にわかれた。
壁に並んだ迷宮の入り口を順に眺め、ダイチはどれにしようか考える。オーロラの氷窟……シアローゼンの鉄足……キャスパナインの鏡皿……。
オーロラの氷窟は氷系の迷宮だと予想がつくのだが、他の名前はさっぱりわからない。知らない英単語ばかりの長文を読んでるみたいだ。
迷っていても時間が消費されるだけなので、想像がつかない迷宮から選んでみる。その方が面白そうだ。キャスパナインの鏡皿に入ることにした。
キューブに触れる。瞬きのような転送が終わり、迷宮に到着する。
ミノタウロスの迷宮とは一変して、一面鏡張りの部屋に出た。メガネをかけたダイチの姿が写っている。
チュートリアルの際、トリムに目をよくすることとはできないかと聞いたことがある。シミュレーションなのだから、キャラメイクのように自分の姿を変えたかった。
しかし、現実との解離が激しいからと却下された。記憶の統合がうまくいかなくなる可能性があるらしい。だからATEでもダイチは冴えないメガネのままだ。
前と後ろで鏡合わせになっているので、その冴えない顔が無限に繰り返されている。現実と変わらない自分の顔を見ていると、現実の悪夢が蘇る。
「鏡のダンジョンか。頭がおかしくなりそうだ」
ブラウンが初心者のダイチにミノタウロスの迷宮を勧めてきた意味がわかる。あそこはまともな迷宮なのだ。少なくとも鏡張りで精神を攻撃してくる迷宮ではない。
ダイチは進む。適当に切って張り合わせただけのような、ジグザグで破茶滅茶な鏡の通路は、距離感や方向感覚を狂わせる。
「このダンジョン作ったやつは、最高にひねくれてる」
どこが後ろかもわからないので、もはや入り口のキューブに戻ることさえできない。
頼みの綱のゲームデザイナーも、何故か地図機能が使えなくなっている。迷うことがゲームとして組み込まれているこの迷宮に、オートマッピングを持ち込むのはナンセンスと判断されたのだ。
ゲームバランスを重視するゲームデザイナーの無慈悲な決定である。スキル強化を施していれば、また違う結果になっただろう。
鏡貼りの道を歩いていると頭がおかしくなってきた。モンスターもでないし面白くないので、ダイチのやる気はどん底だ。
「いっそ死ぬか。ここで」
棒をぐっと握るが、やっぱりやめる。
ATEで死んでもマイルームで復活できるのだが、ただの棒しかないこの状況で死ぬとなると、何度も頭に打ち付けなければならない。そんな悲惨な死に方は嫌だ。なんなら普通に死ぬのも嫌だが。
鏡の壁を突っつきながら進んでいると、周りと違う壁があることに気がついた。
「ここだけ、俺が写っていない?」
どこに行っても鏡なので自分の顔が嫌いになりかけていたのだが、この一部の壁だけ写っていない。ダイチが吸血鬼になったみたいだ。
「出口か? でも、開け方がわからないし……」
鏡の迷宮でイライラしていたのに、さらに謎解きをやるほどダイチは我慢強くない。その結果何をしたかというと、鏡に向かってフルスイングである。
何も写ってない鏡がひび割れていく。
何度も叩けば鏡の扉は派手に破られ、隠し部屋への道になった。パワープレイもまた一興。ダイチは残骸を跨いで中に入る。
何も写らない鏡だけで構成された部屋の中心には、小さな箱が置かれていた。
宝箱というにはチープで、子供のおもちゃみたいだった。罠かもしれないと勘繰ったが、ダイチに解除できる技能はない。
そのまま持って帰るのも面倒なので、開けることにした。
「……なんだ、スキルシードかよ。ボスがドロップするわけじゃないのか」
モンスターが一切出ることなく、ただダイチの精神をすり減らして迷宮をクリアした。戦闘がなかったので鬱憤は溜まる一方である。
「こんなハズレ迷宮、二度と来るか!」
迷宮を選ぶときはブラウンに聞くか、せめて内容の推測できるところを選ぼうとダイチは心に誓う。
手に入れたスキルシードは恨みを込めて入念に噛み砕いてから飲み込んだ。ダイチはムーンジャンパーのスキル強化を願う。空を飛ぶという夢は未だ遠い。
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