第6話 説明しよう

6


「ゲームデザイナー」


 ダイチがそう呟くと目の前に半透明のボードが現れる。


****

サハラダイチ

・ムーンジャンパー

・ゲームデザイナー

****


 名前とスキル名のウィンドウとは別に、葦ノ風亭のマップが表示されている。

 ブラウンにはこのボードが見えていない。ゲームデザイナーは視界に干渉して存在するように見せているだけで、物理的に存在しているわけではないからだ。


「そいつがありゃ、これからのダンジョン攻略がぐっと楽になるぜ」


「すごい。便利ですねこれ」


「序盤はマッピングできない場所もあるが、強化していけばさらに便利になるからな。俺も大分世話になった」


 ブラウンはビールを飲み干して、ダイチがメニューを決めるついでにもう一杯頼む。


「ま、今日は飯食ってさっさと寝な。現実のお前も楽しみにしてるだろうからよ」


「現実の自分って……どういうことですか?」


 今、ATEの中にいるのが自分なのだから、現実の肉体は眠っているはずだ。現実の自分が楽しに見している、なんて意味がわからない。


 ダイチが聞くと、ブラウンは面白いものを見たという風に、わざとらしく口笛を吹いた。


「現実のお前だよ。なんだ? 最近始めたやつは、チュートリアルで教えてもらえないのか?」


 チュートリアルの人工合成音声は何やら難しいことを言っていた気はする。専門的過ぎて覚えていないが、説明されていたのだろうか。ダイチが首を傾げていると、ブラウンは飲んでいた酒を置いた。


「そらそうだな。SRだかなんだか言ってこんがらがるよな。わかるぜ」


「ATEが現実じゃないっていわれても信じられないくらいで」


「ちょうど良いのが居るし、そいつに聞け。おい、ハクイ! オメーの人工知能の説明が分かり辛えってよ」


「それは申し訳ないっ!!」


 別のテーブルに居たグループから、一人の男が勢いよく立ち上がった。ハクイの名の通り白衣を着た、背が高くヒョロ長い男がずんずんとコンパスみたいに歩いてくる。


 黒い髪の毛は風呂に入っていないのかベタベタで、白衣の下には柄物のシャツを着ている。胸が薄いわりに声が大きい、分厚いメガネをかけた男だ。


「こいつはハクイ。テスターとかゲームマスターと言えば良いか? ATEを作った連中の一人だ。そいういう意味ではここの神様だな」


「キミはダイチ君だね! ミノタウロスの迷宮を一日でクリアしたらしいじゃないか。よく一人で倒せたね」


 身振りも声も大きい男だ。ミュージカルの世界から出てきたみたいだ。苦手な部類の人間であることに顔をしかめながらも、ダイチは答える。


「攻撃力が足らなくて苦戦しましたけど」


「そうだろうね。ボクのミノタウロスはプレイヤーの力量を見てから難易度調節する機能が付いていてね、一日で倒そうとするなら相当な強敵、硬さになっていたはずだ」


「その調節機能とやらがなけりゃ、もっと上位のダンジョンになれるのにな。ナメプしやがるから」


 迷宮にはランクがある。迷宮主が倒された数と、プレイヤーが倒された数を参考にしてランク付けされる。迷宮の入り口、キューブがある階層がそのまま迷宮のランクだ。


 クエストツリーの階層を登るごとにランクが上がっていく。ダイチが攻略したミノタウロスの迷宮は最下層の初心者用のエリアにある。


「ミノタウロスの迷宮のコンセプトはゲームだからね。ゲームバランスは重要だろう」


 ミノタウロスが常に全力で戦うならもう少し上の階層になっていた。だが初心者にこそ倒してほしいという迷宮主の考えにより、プレイヤーに合わせてギリギリ倒せそうなくらいに手を抜いている。


 筋肉盛り盛りのミノタウロスであろうが、メガネをかけているだけあって賢いらしい。


 道中に倒したスライムなどのモンスターとの強さの差が大きかったのはそのせいだ。破竹の勢いで進むダイチの力量が大きくカウントされ、ミノタウロスはダイチにあうレベルで戦った。その結果の苦戦である。


 だがゴブリンを倒せていないのでその分は手を抜かれ、完全に本気というわけではなかったが。


 初心者に最初に立ちはだかる壁として、ミノタウロスは多くのプレイヤーからミノ先生と呼ばれている。


「ミノタウロスの話はどうでもいいっ! トリムちゃんの説明のどこが悪かったんだね! 改善するから教えてくれ!」


「あの、トリムって」


「チュートリアルを担当した人工知能の名前だ。こいつは自分の制作物に名前つけるタイプだからよ」


「アストラルツリーを管理するガーデナーのトリムちゃん。素晴らしい名前だと思わないかい?」


「は、はい」


 白い部屋で聞いたあの声がトリムなら、ちゃん付けするほど可愛らしい感じではなかっただろ、とダイチは思う。

 ハクイがトリムについて語り出しそうだったので、話を戻す。


「ATEってフルダイブなんですよね? 現実の自分ってなんですか?」


 フルダイブとは感覚全てを現実から切り離し、別の感覚を入力することを言う。


 映像を見るだけ等の一般的なVRと異なり、神経に直接情報をつなげるシステムを用いて、まるで電脳世界に入り込んだような感覚を得られる。全感覚をもって情報の海へ潜ることから、フルダイブと呼ばれるようになった。


 だが、それならばATEにいるダイチと現実にいる大地は同一人物であるはずだ。

 現実の大地はあの白い部屋で今も眠っているはずで、精神だけがATEに居なければならない。


 現実の大地が目覚めながら、ATEのダイチが行動することなど可能だろうか。


「まずそこに誤解があるようだね。ATEは。まだ未完成な技術なんだ」


「このクオリティでですか?」


 現実のシミュレーションは完璧だ。感覚に違和感があれば、ミノタウロス戦であれほど上手く立ち回れなかっただろう。


「シミュレーテッドリアリティとしては完成といえるね。でも、フルダイブにはまだ足りない」


 これほどのシミュレーションが可能なのに、フルダイブにはまだ足りない。SFとして一つの人気ジャンルとなったフルダイブは、未だフィクションの域を出ない。


「現実のシミュレート技術は確立されたが、それをリアルタイムで脳に送受信することができない。現実と同等の莫大な情報を扱いきれないんだよ」


「え……ええと。リアルタイムじゃないから、フルダイブには足りないってことですか?」


「そう!」


 現実をシミュレートした情報を、人間の脳に合うようにチューニングして送り込み、脳から発する情報を受け取ってシミュレートに組み込む。


 噛み砕いて理解しようとして、ダイチは頭が痛くなっていきた。


「脳科学的にも問題があってね。大雑把な分野は把握できるんだけれど、指先の痛覚の一部分をどこが処理している、なんて細かいことを調べるのは難しい。これまた時間をかければできなくもないけどね」


 脳のどの部位が、体のそれぞれの部位を動かしているか。それを表した脳の地図のことをホムンクルスという。だがそれは人差し指や下唇のように、大雑把な地図である。


 その脳地図ホムンクルスの中から、指先の小さな痛みの受容体などの細かな働きを調べるのは難しい。人間の脳は一つとして同じものはない。大雑把な位置は同じでも、動き方はそれぞれ違う。それに合わせてフルダイブを作るのは時間がかかりすぎる。


 脳の分野を細かく調べようとするのは、宇宙の星々を調べるようなもの。何千年もかけて人間がやってきたことを、一瞬でやってしまおうというのは不可能だ。


「でも、現に俺はATEの中にいますよね。これはフルダイブじゃないんですか?」


「ああ。今のキミは現実のキミと繋がっていないからね。ローカルでシミュレートされているに過ぎないのさ」


「繋がってない……ってことは、俺は現実の俺と別ってことですか!?」


「そうだね。言うなれば、ダイチ君はなんだよ」


 ダイチはショックを受けた。今までフルダイブだと思っていたダイチは、自分のアバターを操縦しているのだと考えていた。でもそれは間違いで、自分はただのコピーなのだ。


 自分の感情は、自分の脳で考えているわけではなく、コンピュータのシミュレーションだった。この血の気が引いていく感覚も、全部0と1の集合体なのか。

 自我の境界が不安定になっていく。


 魂があるなんてファンタジーな考えは持っていなかったが、それでも自分がコピーされた方と言われると、自分の存在の根底が分からなくなる。


 コピーされた自分は自分なのだろうか。

 我思う故に我有りと唱えたのはデカルトだったか。

 だが考えるようにプログラムされたコピーにも、それは当てはるのか。


 ダイチが戸惑っている間も、ハクイは説明を続ける。


「リアルタイムで情報を送れないのなら、リアルタイムじゃなくしようってのがブレイクスルーだね。現実とは別の、シミュレーション世界の自分にATEを体験させる。そして二人が眠った時に、情報を統合させるんだ」


 人間は睡眠時に記憶の処理を行う。

 その瞬間に、シミュレート側の記憶を紛れ込ませるのだ。


 元は一つである脳の運動を、片方から片方にコピーペーストするのはさほど難しくない。

 2010年代前半ではすでに脳波をコピーして他人に照射し、光を見せたりスイッチを押させる簡易的なテレパシーの研究が行われていた。


 細かく脳を調べるのではなく、ブラックボックスのまま運用しているのだ。ファイルの中身がわからなくとも、コピーアンドペーストはできる。


「記憶の統合時、夢の中でゲームしているように感じるだろうね。そして目が覚めれば、二人の記憶は混じって一つ。フルダイブと同じ効果を得られる。記憶の曖昧さを利用した素晴らしい作りだね」


 ハクイは両手を広げて喜びを表現した。ハクイの大きな声に、葦ノ風亭の客が喜劇のように聞き入っている。


「もし自分が二人いたらって考えたことないかね? 片方の自分は学校に行って、もう片方の自分はゲームする。それが現実になったんだ! 未来は今になった!」


 観客がはやしたてるが、ダイチはまだ自分がコピーであることを受け入れなられないでいた。ダイチの肩にブラウンの手が触れる。


「おいハクイ。その辺で止めとけ。ダイチ、今日は疲れただろ。ホームに帰ってゆっくり寝な」


「……はい。そうします」


 ブラウンに促されダイチはホームのある大木ビルへ戻る。寝るのには早いが、準備を済ませて布団に入った。家のベッドよりふかふかの布団だ。


 初めての記憶の統合が始まる。ダイチは現実の夢を見た。

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