第3話 やべえやつが来た!

3


 大木の中を切り抜いて作った部屋ルームに、ダイチは居た。

 木の香りが充満したこの部屋は、生活に必要なものが最低限あるだけの簡素な作りだ。


 ここはすでにATEの中。シミュレーテッドリアリティが産んだ別の現実。

 昨日、チュートリアルワールドでスキルの発動方法やルールを教えてもらったダイチは、ASTRAL TRAVEL; Eの世界にダイブした。


 窓の外は朝焼けが支配している。大木がビルのように立ち並ぶATEの世界を染めている。

 窓を開ければ、冷たくて爽やかな空気がダイチに触れた。この世界には機械がほとんどないため、車の排気ガスで大気は汚染されていない。ダイチは期待感に胸を膨らませた。


 チュートリアルで選択した武器である1.8メートルのただの棒を掴み、階段を駆け下りて外へ出る。


 ダイチの部屋がある木は、外から見るとその大きさが実感できる。見上げなければいけないほどの大木の葉がドームのように空を覆い、日の光を遮っている。小人になった感覚だ。


 だが大木のビルたちは人が住みやすいように手入れされており、不思議と怖い感じはしない。根が階段のようになっているし、ぽつぽつと窓が空いている。


 大木ビルが並ぶこの場所もそうだ。地面は歩きやすいよう固めてあるし、切り株がベンチになっている。木と木の間には橋がかけられており、移動も苦にならないだろう。


 現代とはかけ離れた世界に圧倒されていると、ダイチの前に馬車が止まった。荷台に座っていた男が声をかける。


「よう。新入りか? 案内してやるから乗れよ」


 酒で焼けたガラガラの声の主は、大人な魅力を持つカウボーイだった。カウボーイハットに長くて薄いダスターコート、年季の入ったジーンズを着た、映画のワンシーンからそのまま飛び出してきたような男だ。


「カウボーイ、ですか……?」


「そうさ、俺はカウボーイのブラウン・ウィンチェスター。ブラウンと呼んでくれ」


 顔立ちや発音から日本人であることは明らかだったが、ブラウンはウェスタンになりきっていた。あまりに堂々としているので、違和感を持っているダイチの方がおかしいのかと思えてくる。


「ほら、グズグズしてねえで乗った乗った」


「は、はい」


 ブラウンがダイチの手を掴んで乱暴に荷台へ乗せる。馬の尻をブラウンが軽く叩くと、馬は勝手に歩き出した。


「新入り、名前は?」


「ええっと、普通の大地です」


「そうかそうか。ダイチか。その様子だと、マジモンのニュービーだな? この世界に来たばっかりってとこだろ」


「そうです。さっき目が覚めて、初めて外に出ました」


「飯は?」


「えっと。ご飯はまだ食べてないです」


「なら先に飯だな」


 そういえば、昨日の昼にもらったゼリー以来何も食べていない。昨日は家に帰らずに映画館に行ったし、何かを食べる前に眠らされた。腹は十分に減っている。シミュレーションでも腹は減るのだ。


 連れて行かれたのはログハウスだ。煙突からは煙が上がっている。中から香ばしいパンの匂いが漂ってくる。


「いつもの頼む。こいつにも同じのを」


「はーい」


 勝手にメニューを選ばれたが悪い気はしない。むしろ焼きたてのパンとシチュー、ベーコンエッグと新鮮なサラダが出てきた時にはブラウンのセンスを褒めたかった。


 ぐるぐると腹が鳴る。空腹も相待って人生で一番美味しい食事だと思った。

 あっという間に朝食を平らげて、食後のコーヒーを飲みながらダイチは聞いた。


「ブラウンさんって、なんでカウボーイの格好をしてるんですか」


「ああ? そりゃ、したいからに決まってるだろ」


「そういうことじゃなくて……」


「いいんだよ。俺はカウボーイがカッコイイと思ってやってんだ。ここはATEだぜ? 日本でもアメリカでもない。どんな格好してようが自由だろ」


 ブラウンが笑う。

 チュートリアルで教えてもらったルールは少ない。例えば12時にはマイルームで就寝すること。例えばマイルームに他人を招待してはいけないこと。それらルールは実験を正常に回すためであって、ATE世界の治安を守るものではなく、処方箋の食後三回のような決まりに近い。


 だからこそ、ATEには法律がない。全く新しい世界であるATEに日本の法律は意味がない。日本でないのなら、常識に縛られる必要もない。


 新天地に降り立つ開拓者に近いプレイヤーは、やりたいことをやればいい。それがブラウンがカウボーイの格好をしている理由だった。


「すみません。変なことを聞きました」


「いいさ。ダイチも見つけられると良いな、なりたいモノ」


「なりたいもの……」


「そう深く考えるもんでもねえよ。どんなやつでもいいんだ。……個人的にはあんましヤベエやつにはなって欲しくねえが」


「あら、その子ニュービー!? 可愛いじゃないっ!」


「うわっ」


 ダイチは後ろから突然抱きつかれた。後頭部に感じるのは柔らかな感触。布などを一切挟んでいない生の人肌が、ダイチの後ろに押し付けられている。


 男として確かめねばなるまいと後ろを振り向こうとしたダイチを、ブラウンがアイアンクローで止めた。


「どうして止めるんですか!?」


「こいつがそのヤベエやつだからだよ。ピンポイントで引いちまったぜ、クソが」


「やべえやつなんて非道いわねぇ」


「いいからこれ着ろ。ダイチにはまだ早ぇよ」


 ブラウンがダスターコートを女に投げた。頭の後ろの柔らかい感触が消えて、ブラウンのコートを着た二十代半ばの女性が現れる。


 長身だが体の細いブラウンが来ていたコートなので、巨乳ではないにしろ胸の部分は窮屈そうだ。アレが後頭部に当たっていたのだと思うと、顔が赤くなる。


「こいつはヤベエやつ筆頭のエイチェだ。ここじゃ公然わいせつ罪がないのをいいことに全裸で出歩く露出狂だぜ。関わっちゃいけねえぞ」


「エイチェでーす。あなたが望むならいつでも見せてあげるわよ?」


「ダメに決まってんだろ」


「よ、よろしくお願いします。ダイチです」


 さっきは勢いで見ようとしたが、こうして顔を合わせると恥ずかしさがこみ上げてくる。ダスターコートの下は何も着ていないのだが、襟の間から覗く胸部でさえダイチにとっては刺激物だ。


「あら、かわいい反応しちゃって。ダイチくんはもしかしてアッチの方もニュービー?」


「おいやめてやれ」


「良いのよ? これから私の部屋でニュービーを卒業しちゃわない? 手取り足取り教えてあげるわよ」


「最低な下ネタやめろエイチェ。ルームにゃ入れねえしよ、からかうのはやめてやれ」


「むう。良いじゃない。まあ別に、ダイチくんにその気があるなら、冗談じゃなくしてもいいけど」


 エイチェが可愛くウィンクした。

 ブラウンがため息を吐く。日頃からエイチェを相手にしているブラウンは、すでに頭が痛くなっていた。


「もういい。ダイチ、こいつは放っておいていくぞ。ごちそうさん、オーナー」


「は、はい。ごちそうさまでした」


「つれないわね」


 朝食をまだ食べていないエイチェを置いて店から出る。その動作にダイチは違和感を持った。


「あの、代金はいいんですか? 俺の分は後で返しますので。でも、店に払ってないような……」


「そいつは良いんだよ。無料だしな」


「え?」


「ATEじゃ金の概念はねえ。葦ノ風亭はオーナーが趣味でやってる店だ。何か返したいってんなら、たまに食材でも差し入れしてやりな」


 法律がなければお金もない。

 欲しいものがあれば自分でとりにいけば良いし、無理なら親切な誰かが助けてくれる。お金よりも信用で解決するのがATE流だ。


 ATE内では衣食住や娯楽、死でさえも提供されているため、欲を出し過ぎさえしなければ生きることに不自由しない。そのせいもあってお金に意味はないのだ。


 ここで暮らす人たちは自由だ。法律もお金も常識もない。現実を模倣したしミューレションの世界だが、現実の煩わしいところはあえて削除されていた。

 その分、破滅しないように折り合いをつけなければならいが。


「良い世界ですね」


「そうだろ。ここは真のユートピアだ」


 振り返って店に向かってお辞儀した。今返せるのは礼だけだ。ダイチは葦ノ風亭のオーナーに、いつか食材を持っていくことを決意した。

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