第18話 遠雷

1991年7月

 天神さんに着いた私は、境内に響き渡る蝉の声に耳を傾けた。

そして大きく深呼吸をして、緑の匂いを胸一杯吸い込んだ。

雨の匂が混じっている。夕立が来るのだろう。


 

 阿吽像の前に立って、クッキーをお供えした。

獅子の前で木彫りのリンゴを握りしめ、手を合わせ瞼を閉じた。

「獅狼、逢いたい、もう二度と離れない。だから出てきて!お願い。」

ポツポツと雨が降り始めた。遠雷が聞こえる。

「シロウ!聴いてる?」

そっと瞼を開けると、懐かしい獅狼。思わず抱きついた。


 獅狼は嬉しそうに目を細め、でも何処か困ったような表情で

「陽葵のお供え、久しぶりだなぁ。思い出したのか、全部?」

「そう、幼少時の頃のことまで、全部。」

「普通の人間にはちょっとやそっとで術が解けるはずなのに、自力で思い出すとは。」

「そうよ、私は特別なの。獅狼が何度術を掛けても、絶対に思い出すわ。

だから、諦めて私と一緒にいて。」

獅狼はそっと私の背中に手を回し、優しく私の頭を撫でて。

「それにしても、なんだこの骨骨しさは。随分痩せたのではないか。

ちゃんと食べていたのか?」

「これからは沢山食べる。」私は視界がにじむのを誤魔化すように、獅狼の胸に顔をうずめた。


「久しぶりだね、陽葵ちゃん。」

声のする方を見ると、絢太君が立っていた。

「まさか、術を破るとは思わなかったなぁ。どうする獅狼?また掛けるのか?」

獅狼は首を横に振る。

「だろうな。では、どうする?」

「今晩、御屋形様に例の話をしてみる。」

「まぁ、良いだろう。御屋形様の判断にお任せしよう。」

「陽葵ちゃん、随分と獅狼に愛されているね。」

「私も誰よりも獅狼を愛してる。」私は獅狼の瞳を見つめ初めて言葉を口にした。

獅狼は驚いた顔で、でも幸せそうに満ち足りた笑顔を見せた。


「雷が近づいて来ているから僕は先に戻る。じゃぁ陽葵ちゃん、またね!

クッキーありがとう。」絢太は去っていった。

獅狼は私の手を引き社殿の軒下に移動した。

「しばらく 雷が去るまで、ここで待とう。」

閃光が走る、地を這うような轟く音が一歩一歩近づいてきた。

「あの時と一緒ね。」

「そうだな。」

私達は言葉少なく雷が去るのを待った。

言葉多く語っては、全てが消え去りそうで怖かった。

「陽葵、明日の朝ここに来い。それまでにどうしたら良いか、御屋形様に相談しておく。」



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