第14話 記憶
1990年11月
気付けば季節は秋になっていた。この頃になると私の状態は更に悪化していた。
朝夕は冷え込み、天神さんを見上げると色づいた木々が私を誘う。
でも私は相変わらず、天神さんへは行けず。心に空いた穴を埋められずにいた。
それどころか、穴はますます大きくなって、いつか私自身を飲みこむだろう。
何をやっていても現実感がない。
皆の前では、頑張って普通を装っていても、一人になると、涙があふれるのだ。
漠然と切ないという感情だけがリアルで、他の事は全てがフェイクだった。
1990年12月
今年も今日で終わりだ。
家族中で大掃除をし、母と一緒におせちも準備した。
新年を迎える用意はできていた。
0時には初詣に天神さんへ行かないといけない。
家族で初詣は恒例の家族行事だ。行かないのは不自然だ。
ちゃんとお詣り出来るだろうか?私は不安にかられた。
祖母、父、母と私で食卓を囲んだ。
夕飯には毎年お決まりの年越しそばと、巻き寿司を食べた。
あっという間、除夜の鐘が鳴り始めた。
父の「さぁ行こうか。」の声で、皆準備を始めた。
お焚き上げして貰う古いお守り、お賽銭等準備し出かけた。
石段の所で、いつものように胸が締め付けられるような痛みが襲った。
でも皆に心配も掛けられないと、重い足取りで一歩一歩上っていった。
通い慣れた石段なのに、もの凄く遠くに感じた。
あと少しでという所で、私はとうとう耐えきれず階段を踏み外した。
落ちる!私はぎゅっと目を閉じた。
すると、先程まで私の後ろに人はいなかったはずなのに、一人の青年が受け止めてくれた。私はお礼を言おうと目を開け、顔を上げた。
くせのある前髪から覗く、少し瑠璃色がかった瞳。私は知っている。この瞳を。
『獅狼』だ。でも、私は一瞬ぎゅっと唇を咬んだ。
そして「ありがとうございます。」私は気付いてないフリをした。
獅狼はあの頃と変わらぬ優しい瞳で「怪我はないですか?」と聞いた。
「はい、大丈夫です。」
私の記憶が戻った事を彼に気付かれてはいけない。
彼の悲痛に満ちた顔を二度も見たくない。そして、私も二度と忘れたくない。
懐かしい獅狼の匂いに発狂しそうな程の恋しさを感じながら、その場を耐えた。
そして彼に私の笑顔を覚えていて欲しくて、ありったけの笑顔を見せた。
その後、私はいつもと変わらぬように、初詣を済ませて帰宅した。
「風邪を引いたのかも、先に休むわ。」家族に伝え部屋に戻った。
自分の部屋に戻ったとたん、布団をかぶって大声で泣いた。
記憶が戻って嬉し泣きなのか、獅狼を失った喪失感が現実となり襲ったからなのか。
よく分からない感情が溢れ制御できず、涙だけがあふれ出た。
だた、生きているという実感はひしひしと感じられた。
私は二度と忘れないために、備忘録を書くことにした。
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