オタサーの姫、サークルから追放される

青水

オタサーの姫、サークルから追放される

 小田姫香はオタサーの姫である。


 彼女が通う某大学のアニメ・マンガ研究会はきわめて男子比率が高く――というより、姫香以外に女子は片手で数えられるほどしかいない。

 こう言ってはなんだが、姫香以外の女子は、男子の恋愛対象にはまず入らないレベルのルックスである。


 とはいえ、姫香も決して美人というわけではない。本人は自らのルックスについて、『中の上』だと思っているが、大抵の人間は『自分はめちゃくちゃかっこいい(かわいい)わけではないが、並よりかは少し上でしょ』などと思っているわけであって、客観的には『中の下』程度である。つまり、ブサイクというほどではないけれど……うーん……、といった感じなわけだ。


 しかし、アニメ・マンガ研究会の中では希少といえる女子である。男子からモテモテである。大学に入るまで姫香は一度もモテ期というものがなかった。彼氏なんて当然できたことなかったし、友達すらほんの少ししかいなかった。


 初めて味わうモテるという感覚。それは今まで味わったことのない快感であった。姫香は『オタサーの姫』という立場に溺れた。


 だがしかし、姫香はアニメ・マンガ研究会の誰とも付き合おうとは思わなかった。所詮は非モテ男子共である。彼女は彼らのことを心の奥底で軽蔑していた。こんな奴らは、私にふさわしくない――。


 姫香はいつの間にか、自身の価値を過大評価していた。彼女は『オタサー』だから姫になれているのであって、大学という広大な世界に出てみれば、彼女はただのモブキャラである。ナンパ師にすらナンパされることはまずない。

 しかし――。


 姫香はある日、大学の敷地を一人歩いていた。次の講義まで時間があるので、木陰に設置されたベンチに座って時間を潰す。スマートフォンで好きなアニメを見ていると、声をかけられた。


「それ、○○だよね? 俺も好きなんだよね」


 明るい茶髪を整髪料で整えた、チャラさと爽やかさを併せ持った男である。耳にはピアス、服はお洒落で背が高い。顔立ちもなかなかイケメンだ。


「えっ……と……」


 普段、彼女と喋る人種とはまるで異なっていたので、緊張してうまく言葉を発せられない。


「ああ、俺、千屋春斗。よろしくね」

「え、あ……」

「君、名前なんて言うの?」

「えと……小田姫香です」

「へえ、姫香ちゃんかー。かわいい名前だね」


 初対面で名前呼びプラス『ちゃん』付けだったが、悪い気はしなかった。相手が陽キャイケメンだったからだろう。

 その後、二人はアニメなどの話で盛り上がると、ラインを交換して別れた。


 姫香は自分がかわいくて気があるから、話しかけられたのだろうと思った。実際には、この千屋という男がかなりのプレイボーイで、なおかつなかなかの悪趣味を持っていたから、彼女に話しかけたのだ。


 千屋は、姫香がアニメ・マンガ研究会に在籍していて、オタサーの姫をやっていることを知っていた。彼はアニメ・マンガ研究会のオタクたちを発狂させたかった。人がもだえ苦しむさまを見るのが好きなのだ。


 自らの歪んだ欲求を満たすために、千屋は動き出した。彼は自分のルックスに自信があったし、姫香が自分にかなりの好意を持っていることも把握していた。彼女を落とすのはたやすかった。


 二人で酒を飲みに行き、酔って思考能力が鈍った状態で、ホテルへと誘った。もちろん、むりやりに連れていったわけではない。さすがにむりやりはリスクが大きすぎる。きちんとした同意の上である。


 そうして、二人はホテルで一夜を過ごした。

 千屋はその際、ホテルでの様子をスマートフォンのカメラで録画した。後で思い出して楽しむためではない。オタクたちにこれを見せて発狂させるためだ。淡い夢を木端微塵に破壊し、無残な現実を見せつけてやるのだ。


 後日、千屋はUSBメモリーに映像をコピーし、それをサークルのテーブルの上にこっそりと置いた。もしも、誰も気づかなければ、他の方法を試すつもりだった。


 部屋にやってきた部長が、テーブルの上にこれ見よがしに置かれたUSBメモリーに気がついた。やってきたメンバーたちに「これ、君の?」などと尋ねて回る。しかし、全員が自分の物ではない、と主張した。


 中に何が入っているのか気になったメンバーたちは、部室のパソコンにUSBメモリーを差し込んだ。中には動画が一つだけ。


「何の動画だろう?」


 カチカチ、とダブルクリック。動画が再生される。


 薄暗いムーディーな部屋だった。そこがホテルであることはすぐにわかった。ダブルサイズのベッドの上に、裸の『姫』が仰向けになっている。そこへ男がのしかかる。男の顔にはモザイクがかかっていて、誰なのかはわからない。筋肉質な体つきとじゃらじゃらしたアクセサリーから、アニメ・マンガ研究会の者ではないと推測される。


「こ、これって……」


 その場に、オタサーの姫はいなかった。

 その後の映像について描写するのはやめておくが、かなり生々しいものであったことは明記しておこう。


 自分たちの姫がわけのわからぬ男に奪われた――それは、オタクたちの脳を木端微塵に破壊するのに十分だった。


「「「「「「「うわあああああああああっ!」」」」」」」


 彼らは発狂した。目から涙を流し、気を失う者すらいた。アニメ・マンガ研究会を破壊するのに十分な威力だった。


「ち、違う……これは姫じゃない……姫によく似た女優なんだ……」


 しばらく現実逃避していたが、現実から逃避しきることはかなわなかった。泡を吹いて、再び発狂した。

 部長は震える手でスマートフォンを取り出した。そして、小田姫香に電話をかけた。


「もしもし……」

「どうしたのぉ、部長?」

「今、空いてるかい? 空いているのなら、すぐに部室に来てもらいたいんだ……」

「わかったぴょーん」


 のんきに答えると、電話が切れた。

 すぐに姫香がやってきた。彼女はいつも通りゴシックロリータの服を着ている。彼女はこういうかわいらしくてファンタジーな服が大好きなのだ。


「ねぇねぇ、みんなどーかしたのぉ?」


 ねっとりとした、ぶりっ子じみた口調だった。

 いつもだったら、その口調や恰好をかわいいなどともてはやす彼らだったが、今日は全員が親の仇であるかのような冷ややかな目で睨みつけている。


「これが……テーブルの上に置いてあったんだ」


 部長はUSBメモリーを彼女に見せつけながら言った。


「なにこれ?」

「中には、一本の動画が入っていた」


 カシャ、と差し込む。

 ダブルクリック――動画が再生される。


 これがどういう映像なのか、姫香はすぐにわかった。

 あのとき、ハルくんに撮られた映像だ……。でも、どうして……?


 姫香は千屋を疑おうとしなかった。彼に遊ばれていたという事実を認めたくなかったのだ。きっと、どこかから流出してしまったのだと考える。


 動画が途中で停止された。最後まで見ることができる気力がある者は、一人としていなかった。


「姫、これは一体、どういうことなんだ?」


 部長の声には怒気がはらんでいた。


「ど、どういうことって……」


 気まずさに耐えられなくなり、姫香は目を逸らした。胸に抱えた大きな熊さん人形を、ぎゅうっときつく抱きしめる。


 そのうち、だんだん落ち着いてきた姫香は、無性に腹が立ってきた。どうして、自分がこんな奴らに問い詰められなければならないのか。


「ひ、姫が誰と付き合ってようと、それは姫の自由だしいっ!?」

「ふざけんなよっ! 俺たちが今までお前にどれだけ貢いできたことか――」

「はあっ!? てめえらが勝手に貢いだだけだろうがっ! いつ私が『貢いで』なんて言ったんだよぉ!?」

「ぼ、僕たちを騙してたんだね、姫……」

「騙したぁ? てめえらが勝手にあれこれ妄想してただけだろうがっ! あ、もしかして、私とワンチャン付き合えるとでも思ってたのかっ!? てめえらみてえなクソオタクどもと付き合うわけねえだろうがっ!」


 溜まりまくった怒りが盛大に噴火した。

 そこからは、オタサーの姫VSオタクの罵倒合戦が始まった。もう両者は二度と元の関係に戻ることはできない。長い時間をかけて作り上げた強固な関係は、はかなくも一瞬で崩れ去ってしまうものなのだ。

 最終的に――。


「小田姫香! お前をアニメ・マンガ研究会から追放する! もう二度と、僕たちの前に姿を現すなっ!」

「はっ! 言われなくとも、こんな汚い部屋になんてもう来ねえよ!」


 そして、姫香はアニメ・マンガ研究会をやめた。アニメ・マンガ研究会からオタサーの姫がいなくなった瞬間だった。


 ◇


 アニメ・マンガ研究会の部室の外、千屋春斗は阿鼻叫喚となっている様子を盗み聞きしていた。興奮から息が荒くなり、歪んだ笑みが顔にはりついている。彼のルックスをもってしても、変態の罵りを回避することは避けられない。


「最高だ……」


 恍惚とした表情で呟くと、誰かに見つかる前にその場から立ち去った。


 キャンパスを歩きながら、次は何をしようかなと考える。また、アニメ・マンガ研究会の人たちに踊ってもらおうか……。彼らに対してとくに恨みなどはなかったが、その発狂っぷりはすばらしく、彼を十分に満足させた。


「オタサーの姫か……」


 彼には、『オタサーの姫』という概念がよく理解できない。身近にいるアイドルのようなものなのだろうか……? アイドル――偶像に彼らは一体何を求めているのだろうか? もしかしたら、自分が彼女と一夜を共にしたように、彼らもそうなりたいと心のどこかで思っているのだろうか? だがしかし、そのような関係になったとしたら、それはもう偶像ではないではないか――。


「まあ、いい……」


 千屋は思考を放棄すると、新たな計画を練るのだった。


 ◇


 オタサーの姫でなくなった姫香は、ただの冴えない女子大生になった。


 千屋と一夜を共にして得た自信は、あっという間に萎んでなくなってしまった。彼とはもうほとんど連絡を取らない。いや、正確には連絡をとろうとしても繋がらない、返ってこないといったところか。


 彼にとって自分はただの遊び相手だったのだ、と少し悲しくなった。と同時に、遊ばれただけでも――彼に選ばれたのだ、と嬉しくもなった。遊びたくなるくらいには、自分には価値がある。


 しかし、千屋にとって姫香の価値は『オタサーの姫』であることだけだった。オタサーの姫を奪い取ることで、オタサーのオタクたちが発狂する様を楽しむ――その舞台装置にすぎない。


 幸か不幸か、姫香は千屋の真の目的を知ることはなかった。世の中には知らなくていいことが――いや、知らないほうがいいことがたくさんあるのだ。


 姫香はもう一度姫になるために、あのときの輝きを取り戻すために、自分が姫になれそうな居場所を探すのだった。


 ◇


 アニメ・マンガ研究会に、新たなオタサーの姫が爆誕した。その子は新入生であり、奇抜な格好とかまってちゃん的な性格に目をつぶれば、まあルックス的には悪くない(別段、良くもない)。


 姫香によって脳を破壊されたメンバーたちは、新たなオタサーの姫に歓喜した。絶対に抜け駆けしないように、告白したりしないように、全員で誓約書を書いたりもした。全員で金を出し合って、プレゼントもたくさん買ってあげた。


 幸福な日々だった。

 それが今後もずっと続くと思っていた。


 彼らは過去の悲劇を忘れてしまっていた。しかし、すぐに思い出すこととなる。一度破壊され、そして再生しきった脳が、二度目の破壊を迎える――。


 ある日、彼らが部室に赴くと、それがテーブルの上に置いてあった。


 USBメモリー。


 きっと、―見ないほうがいい――いや、見てはいけなかったのだろう。しかし、それを黙って捨てることなどできなかった。


 USBメモリーをパソコンに差し込み、ダブルクリックで動画を再生。なに、きっと他愛ない動物の戯れ動画だろう――。

 そして。


「「「「「「「うわあああああああああっ!」」」」」」」


 彼らは再び発狂するのだった。


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