第5話 ハクロウの決断



ユージンとオルロが突然のグラシアナの登場に動揺する。


「ハクロウ様、この者たちが先程から不審な動きをしていますが、本当にあなたの部下ですか?」


オーケルは振り返って近づいてきた司教の仮面を被った獣人に静かに尋ねた。


「…」


ハクロウと呼ばれた獣人は鼻をわずかにヒクヒク、と動かし、オーケルに向かって頷く。


「…そうよ。アタシがここに向かわせたの」


「しかし、なんのために?あなたはA6の警護のためにこちらにいらした筈です」


不審がるオーケルに獣人はゆっくりと仮面を外して見せる。


(やはり…ッ)


仮面の下から現れたのはまぎれもなくグラシアナだった。


この2年でなにがあったのか、彼女の顔の右半分は毛が抜け落ちた赤い肌。


その肌の上を泡のような気泡がボコボコと脈動する。


火傷の痕とは異なる細菌か、なにか別の生き物が寄生しているかのような気味の悪い肌だ。


それは彼女がフードで隠している首から下にもつながっているようだった。


だが、彼女が示したのはその変色した赤い肌ではなく、右目の下の黒い刺青のような印。


「これがなにを意味するかわかるわよね?」


「!? それは…」


オーケルがグラシアナの右目の刺青を見て声を漏らす。


(…聖痕せいこん


ユージンも今ならその意味がわかる。


彼女はジルベルトとの戦いで一度命を落とした際、「魔神の加護」によって復活を果たした。その時、手に入れたのが右目の下の涙のように一筋入った聖痕だった。


その聖痕が意味するところはつまり…彼女もまた魔神ウロスのお気に入り、ということだ。


どうやら聖痕は魔神教の信者たちにとって、司教や大司教の仮面並に自分の立場を示す効果があるものらしい。


「ウロス様に近しい存在の私の言葉を疑うの?それはウロス様への冒涜ぼうとく、と捉えていいかしら?」


「い…いえ…そんな…」


「そもそもアタシがここに来たのは『A6の警護』じゃなくて『ディミトリ・・・・・のお使い』。機械人形オートマタの生産状況の確認とアジトの視察―――ウチノフにはそう伝えてあるはずだけど?」


グラシアナは琥珀こはくのような飴色あめいろの瞳と気泡によって影を落としているルビーのように真紅の瞳でオーケルを見据える。


あれほど威圧的だったオーケルの態度がみるみる内に弱々しくなっていく。


「それともなにかしら?ディミトリの使者で、司教であるアタシが司祭のアンタや同格のウチノフに、与えた指示の説明をしないといけないのかしら?」


グラシアナがずいずい、とオーケルに迫るとオーケルは「うう…」とうめきながら後退する。


「…で、この子たちの疑いは晴れたわけだけど、この警報、侵入者がいるのよね?こんなところに人員を割いていていいの?」


「―――全員、手分けして各ブロックを探せ。特にBブロック、Dブロックを重点的に、だ。Cブロックにも潜伏の可能性がある。信者にふんしている可能性があるため、班の確認も必ずしろ。もし見つかってもすぐに対処せず、必ず3班以上で対応しろ」


オーケルはその場にいた信者たちに指示を飛ばし、自らもグラシアナに「失礼しました」と頭を下げて去っていく。




「…で、なんでアンタたちはこんなところにいるの?オルロにユージン。それに…もう一人は…」


オーケルたちが去ったことを確認した後、グラシアナがやれやれ、とため息をついてユージンたちに視線を向ける。


「こいつはシュネル。俺の連れだ」


ユージンが仮面を外し、側にいたシュネルを紹介する。2人はユージンにならって仮面を取った。


「え?ディ…いえ、アルマ………?」


グラシアナがシュネルの顔を見て驚いた顔をする。


「「「?」」」


シュネルのきょとん、とした顔を見てグラシアナははっ、と我に帰り、慌てて首を横に振った。


「あ…いえ、知り合いに似ていたから驚いただけ」


グラシアナは少し目を泳がせた後、左手でさっ、と仮面を下ろし、素早くフードをかぶる。


「アルマってお前の彼氏だろ、確か」


「アルマ」というワードを聞き逃さなかったオルロが尋ねるとグラシアナは苦い顔をして頷く。


「でも見間違いよ。確かに彼は超絶イケメンだけど、アルマの方がもっと格好良いもの。でも…、2人は彼とどこで出会ったの?」


「俺はさっき会ったばかりだ。ユージンは…」


オルロがユージンの方を向くとユージンは肩をすくめる。


「お前たちと分かれてから偶然出会ったんだ。以来、一緒に旅をしている」


ユージンはシュネルの素性を明かさず、曖昧ににごして応えた。一応、嘘はついていない。


「そう」とグラシアナはシュネルを見て頷く。


「…ちょっと見ない内に随分、魔神様に気に入られたようね、ユージン。その髪色とその目…見たところ右半身も、かしら」


ユージンの身体に浮かぶ聖痕を見てグラシアナが尋ねる。


「まあ色々あって、な。そういうお前もその顔…一体なにがあったんだ?」


「…まあ、色々と、ね」


グラシアナはローブの上から右腕を触って、視線を逸す。そしてグラシアナは本題に切り込む。


「ここにいるってことはわかってると思うけど、ここは魔神教のアジトよ。なんのためにここに来たの?…まさか3人でこのアジトに攻撃を仕掛けるつもり?それとも…」


グラシアナは目を細めてユージンたちを見つめる。


「ルッカを探しに来たの?」


その問いかけで、ユージンとオルロの顔に緊張が走る。


侵入者として疑われていたユージンたちをオーケルから守ったということは、現時点ではグラシアナにこちらと敵対の意志はないようだが、この質問への返答次第では戦闘になる可能性もある。


だが、どの道、グラシアナの協力がなければこの先には進めない。


「そうだ」


一瞬でその結論にたどり着いたユージンは大きく頷いた。


先程のオーケルとの会話の中でグラシアナはどうやらこのアジトでは機械人形オートマタという兵器の警備を担当しているらしい。


つまり、グラシアナはルッカとは別件でここにいるということになる。しかし、彼女もルッカがこのアジトに幽閉されているのは知っていたようだ。


そこに彼女の上司ディミトリのどんな思惑があるのかはわからない。


だが、オハイ湖の地下アジトでは正体を明かしてまでルッカを守ったグラシアナが彼女に危害を加えるとは思えない。


ユージンは後ろにあるFブロックの隔壁を振り返った。


「この先にルッカがいる」


「…なるほど。ここなのね」


グラシアナは隔壁をじっと見て、静かに頷いた。


どうやら彼女はルッカの幽閉されている場所までは知らなかったようだ。


「止めるか?」


「立場的にはそうすべきでしょうけど…止めないわ。なぜアタシがこんなところに来るように言われたか、ようやくわかったしね」


グラシアナはチラリ、とシュネルに視線を送り、そして懐からカードキーを取り出す。


彼女はユージンたちの脇をすり抜けて隔壁の近くにあった端末に向けて歩いて行く。


すれ違った際にふわり、とどこかで嗅いだことのあるジャスミンとバニラの香水の匂いがただよった。


(あの時、青フードから俺を助けたのは…)


やり直し前の世界でオルロが殺された時、外に逃がしてくれた謎の人物の正体がユージンの中で繋がる。


彼女が助けてくれたのだという事実は嬉しいが、彼女は裏切り者で、ジルベルト仲間かたきでもある。


あの時の介入や今回の助けにもなにか裏があるのではないかと疑ってしまうのは仕方がないことだ。


グラシアナがカードキーを差し込むと、隔壁の中から機械が動く音がして扉が左右にゆっくりと開く。


「…いいのか?」


ユージンが尋ねるとグラシアナは仮面の下で目を細めて「良くはないわよ」と呟く。


「これでルッカが脱走したら絶対にアタシは責任を問われるわ。でも、アンタたちにはずっとだましてたこと、悪かったと思ってるし、ルッカには殺されても仕方ないと思ってる。だから今回だけは手を貸すの」


そしてグラシアナは「それにまあ…それも含めて彼の思惑のようだから」と小声で付け加える。


「けど、いい?アンアたちを助けるのはこの1回だけ。お互いの立場はわかってるわよね?―――次会う時は容赦ようしゃなく武器を向けるわ」


グラシアナは一瞬地面を見た後、覚悟を決めたようにユージンとオルロの顔を見る。


「…一緒に助けに行かないのか?」


それに対しておくする様子もなく、ただただグラシアナを気遣うようにオルロが問いかける。ルッカに会わなくていいのか、と。


それに対し、グラシアナは首を横に振った。


「ダメよ。合わせる顔が無いわ。それに今、あの子に殺されるわけにはいかないの。アタシにはもう少しだけやらなければならないことができてしまったから。身勝手で申し訳ないけど」


グラシアナは「それじゃ、ルッカのこと、頼んだわ」と言い残すと去っていく。






「「…」」


オルロとユージンはその後ろ姿を無言で見守り、そして顔を見合わせる。


「むぅ~」


会話についていけないシュネルは2人の様子を見て口を膨らませた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る