第4話 見慣れた筈の見知らぬ街

ユージンは隣で寝ている彼女の寝顔を見つめる。


「…」


彼女のことも思い出した。ギルドの診療所の治癒師、カリネだ。


いや、正確には彼女の名前も顔も最初から知っていた。


それはユージンが以前、この診療所に併設されている相談室でカウンセリングを受けていたからだ。


青フードの男エドヴァルトえぐられた左目のトラウマの治療を受けていた。


だが、前の世界ではカリネとは特に深い関係はなく…。


「…ん。―――おはよう。相変わらず早いわね」


小さくあくびを一つしながら横で寝ていたカリネが目を覚ます。


メガネをしているとあまり目立たないが、彼女の左目には泣きぼくろがある。


彼女の寝起きの顔を見て、思わずユージンはぼーっと見惚れてしまった。


「大人の女性」というのに相応しいあでやかな雰囲気の彼女が自分にしか見せない一面…。


大人の階段を一夜にして駆け上がってしまったことを改めて実感する。


「なぁに?…ちょっと恥ずかしいわ」


彼女はクスッ、と笑い、ベッドサイドにあったメガネをかけた。


「まだギルドが開くまで時間あるし、もう一回する?」


「あ、う、いや…だ、大丈夫です」


「あはは。敬語なんて変なの。まるで昔に戻ったみたい」


顔を真っ赤にして首を振るユージンを見て、カリネは布団にくるまりながら笑った。


「ねっ…今日、どうする?」


「今日?」


ワクワクした声で問うてくる彼女にユージンは首をひねる。


(なにか約束をしていたのか?)


記憶が完全にはキャッチアップできていないユージンが眉間にシワを寄せると、カリネが指を伸ばしてユージンの眉間をつつく。


「今日は私、当直明けだからお休み。だからデート、でしょ?」


「!?!?!?」






― アマイア暦1330年桜の月4月7日 昼 ―

      <大都市ネゴル 書店>


「…なんで書店?―――っていうか、こんな大きな書店なんかあったっけ?」


紙とインクの匂いがする狭く、薄暗い大きな書店だ。


情報のデータ化が一般化されていない外界では、知識や技術を後世へ伝達する術は口伝くでんか書物に限られる。


紙を使う職業は限られるため、本はかなりの高級品だ。


「あら、本は嫌い?」


カリネは薬草に関する本を手に取りながらユージンに尋ねる。


「いや…」


「ユージン君は共通語、読めたわよね?」


「はい…いや、うん…」


敬語になりかけたユージンは慌てて言い直す。


その様子を見て微笑んだカリネは、顔にかかった髪を耳にかけ、手に取った本に視線を落とした。


その仕草はとても洗練されており、彼女の育ちの良さが伺える。


ユージンはドキドキしながら自分も適当な本を選び、目を通すフリをする。だが、内容は全然頭に入ってこない。


「料理に興味があるの?」


「うえ?!」


気づけば彼女がユージンの本を覗き込んでいた。


ユージンが開いていたのはハーブを使った煮込み料理のページだ。


「あ、いや、ああ、うん。…一応、冒険者だからね。料理はするんだよ。はははは…」


料理の本だとも気づかないで手に取っていたが、笑いながら誤魔化す。


こんなことをしている場合ではなく、早くこの世界の状況を把握しなければならない。


頭ではわかっていても昨夜からどうも行動が伴わない。


カリネはそれからしばらくいくつかの本を立ち読みし、その中から数冊選び取って購入する。


「カリネ先生は勉強熱心ですね」


「そうかしら?…って、ちょっと、先生はやめてよ」


カリネは少し口を尖らせてユージンを見上げる。


トントゥ小人族であるユージンは普段、仲間たちを見上げることが多く、下から見上げられるのは珍しい。


(良い…ッ!!)


ユージンはメガネを押し上げるフリをして頬の赤みを隠す。


「―――で、本屋の次はどこ行く?」


完全にカリネ任せのデートになっている自覚はあるが、どこに行けばいいか経験がなさすぎて見当もつかないユージンは彼女に希望を尋ねる。


そもそも大都市とはいえ、娯楽といっても露店を巡るか、吟遊詩人の詩を聞くか、アーニー劇団に行く、もしくは喫茶店や酒場くらいしか楽しみはない。


「ん~…あ、そうだ。あそこはどう?ほら、映画館・・・


「…えいがかん?」


聞き慣れない単語にユージンは思わず聞き返す。


「あ、ひょっとしてもう飽きちゃったかしら?」


ユージンの発言を「また行くのか?」という文脈で捉えたカリネは恐る恐る尋ねる。


「い、いや…行きましょう…」


「けーーーごっ!」


敬語を使うな、とカリネに指摘され


「…行こう」


ドキドキしながらユージンは敬語をやめる。


「ふふふ、良し。じゃあ、ちょっと離れてるからクラゲ・・・を使いましょう?今呼ぶわね」


「ん?」


クラゲ、というまたも聞き慣れない単語に戸惑うユージン。


カリネはそれに気づくことなく、バッグから小型の端末を取り出す。


「あ、もしもし?クラゲを一匹、本屋までお願いしたいのですが…。ええ…、裏通りの道具屋の向かいの本屋です…ええ」


カリネは端末を耳に当てて、虚空に話し始める。


その見慣れない端末を見てユージンは驚く。


ICイマコン!?いや…)


イマジナルIコンピューターCにしては旧式だ。しかし、小型の端末などこの大陸では魔神教のアジト以外で見たことのない。


ギルドの職人が扱う義手や義眼と同じ、明らかなオーバーテクノロジーだ。


(まさかカリネ先生は魔神教徒なのか…?)


少なくともネゴルのギルドには魔神教の息がかかっていることはこれまでの経験からわかっている。


今のところ疑わしいのはギルドマスターのゲブリエールだが、ギルドに潜入している魔神教徒が1人とは限らない。


しかし、いくらなんでもユージンの前で魔神教のツールを使うとは思えない。それもデートというシーンで、おおやけの場で…。


(待て…ボクは今、どういう立場なんだ…?)


戻ったユージンの記憶は完全ではない。


1回目、2回目の世界同様、この3回目の世界でもユージンは魔神教に潜入しているのだろうか?


それならば彼女の行動は迂闊うかつだが、おかしくはない。




“ブッブー☆そんなわけないにゃん?君はボクの加護を受けてるだからさ☆”




その仮説は賢神ライラによって即座に否定される。


(ってことはボクは今、魔神教には所属していないってことですか?)


心の中でユージンが賢神ライラに尋ねるが、女神はそれには応えない。


そうこうしているうちに目の前に大きくてふわふわとした半透明の物体が飛び込んできた。


見たこともない物体…。


見た目は確かにクラゲに似ているが、クラゲよりも遥かに大きい。


リククラゲ―――という単語が頭の中に突然飛び込んでくる。


どうやらユージンはこの物体を知っているらしい。


半透明の物体の前方にある運転席から50代くらいのヒューマンが顔を覗かせ、「カリネさんですね?」と声をかけてくる。どうやらこのリククラゲの運転手らしい。


カリネが頷くと運転手は「お待たせしました」と言いながら半透明の物体の運転席にあるボタンの1つを押す。


すると、リククラゲの後方…尻にあたる部分からステップが2人の前に降りてくる。


半透明の水まんじゅうのような地面を浮遊する物体。その後方から伸びるステップに上がると、ステップは2人をゆっくりと後部座席にまで上がっていく。


記憶では知っている筈のものを、初めて見て体験するというのは慣れない感覚だ。


ユージンはおっかなびっくりリククラゲのボディに手をかけ、カリネと後部座席に腰を下ろした。


ブヨブヨとした巨大な風船に腰を下ろしたような不思議な乗り心地だ。


半透明の椅子のような形をした後部座席はまるで生き物のように生暖かい。


すべてが半透明の乗り物なので、地面が透けて見えるのも妙な気分だ。


「どちらまで?」


「映画館までお願いします」


目的地を確認する運転手にカリネは慣れた様子で応え、「では出発します」という運転手の声とともにリククラゲが上昇を開始する。


地面から数メートルのところに浮上したリククラゲは無音でふよふよと空を飛ぶ。


眼下には民家や店が広がっており、ユージンはかつて故郷で使っていた「飛翔ひしょう」の魔法を思い出す。


外界で空を飛べるのは有翼の生き物か、義足の力を借りて一時的に「飛翔」が使えるオルロだけだと思っていた。


だが、この世界ではこれクラゲはレイルオオトカゲや馬車と同じく一般的な移動手段らしい。


恐らくこのリククラゲは魔力MPを電気のように空気中に張り巡らせ、エネルギーとして運用しているのだろうが、そうなると魔力MP生成所とエネルギーの送受信施設が必要となる。


そんなものはユージンの知る以前の世界にはなかった。


つまり、3回目は外界の文明のレベルがユージンの知っているこれまでの世界とは全く異なるということだ。


(これじゃ、まるで…)






魔神教のアジトのようだ、と思いながらユージンとカリネを乗せたリククラゲは出発した。



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