第17話 異変


「どうじゃ?ルッカ」


ヴァルナがひよこのぬいぐるみに「憑依」ひょういしたルッカに尋ねる。


「ん~…ダメだね。『ヒール』回復魔法『キュア』状態回復も効かない。ダメージを受けたっていうよりも奪い取られた感じ」


オルロの身体を回復させようと試みたルッカは見立てを述べる。


「オルロはもうダメだからさ、ここに置いていこうよ」


「「「「「!?」」」」」


さらりと言い放ったルッカに思わず一同が目を丸くする。


「ルッカ…?」


ユージンが驚いた顔をしてルッカの名を呼ぶ。彼女はそんなことを言う人間ではなかった筈だ。


「え?ダメかな?だってここから先、足手まといでしょう?」


きょとん、とした顔でルッカが首を傾げる。


「どうしちゃったんだよ、ルッカ…いや、シエラなのか?」


ユージンがひよこのぬいぐるみである彼女を持ち上げようとすると、「触らないで」と伸ばした手からルッカはするり、と抜けた。


「私はルッカだよ。ねぇ、私、なにかおかしいこと言った?今しなきゃいけないことは皆が生き残ることでしょう?だから私はねえさんを殺したいけど我慢してる。姐さんでも盾代わりにはなるし。―――でもオルロは違うよね。連れて行ってももう荷物にしかならない」


「…そういうお主は盾代わりにもならんぞ?」


ヴァルナがルッカをにらみながら怒りを殺した声を絞り出す。


「そうだね。私も今は戦闘では役に立たない。でも皆の中で唯一回復魔法が使える。しかも小さいこの姿だから誰かにくっついていれば敵に狙われることなく回復できる。…薬草とポーションだけで生き延びられるなら私を置いていけば?」


ルッカは平坦へいたんな声でヴァルナに自分の有用性を捨てることができるか、と問いかける。


「よっ…と」


ルッカは自分の死体にぴょんぴょん、と跳ねて近寄ると、死体の左手の人差し指にはめていた指輪を抜き取る。


指輪の台座には光によって赤や緑、青に輝く黒い石がはまっている。


ぬいぐるみは口を開けるとその指輪を飲み込んだ。


「…」


その様子をグラシアナは黙って見つめる。


「2手に分かれよう」


嫌な沈黙を破ったのは獅子ししの獣人、ベステルだった。


彼はオルロに近づくとひょい、と持ち上げて自分の肩へかつぎ上げた。


「いや、ルッカの言う通りだ。俺は…」


「気にするな。俺が担ぐ。ヴァルナ、それでいいな」


「…」


眉間にシワを寄せ、ルッカを睨みつけたヴァルナは「…うむ」とゆっくり頷いた。






― アマイア暦1330年 桜の月4月6日 夕方 ―

 <ルムス大平原南 魔神教アジト Bブロック付近>


ヴァルナ、ベステル、オルロはグラシアナと共にA6ブロックへ。


ユージンはシュネルと共に様子のおかしいルッカとBブロックとDブロックの探索をすることになった。


Aブロックの隔壁はヴァルナが破るということだったため、グラシアナからカードキーを受け取ったユージンは、ルッカをポケットに入れ、シュネルと共にまずはBブロックへと向かった。


互いに連絡手段がないため、どちらも隠し通路がなければDブロックへ向かう手筈だ。


そこでしばらく待って、もう一方のチームが来なければ隠し通路があった、あるいはトラブルが発生したと考え、相手チームの方へと向かうことになっている。




「それにしても一体なにが起きたんだろう…」


シュネルは通路に転がる血や肉片、踏み潰された内臓に目をやり、呟く。


ホールに誰も応援が来なかった理由は非常にシンプルだった。


応援に来る筈だった信者たちが恐らくだが全滅していたからだ。


床や壁には赤黒い肌や黒い血も張り付いており、死体の山にはソシアも含まれていることがわかる。


(ソシアもアジトに入り込んでいるってことか。だとしたらやはりどこかに隠し通路がある?…いや、入るだけならオルロが作った「穴」もあるのか)


オルロがアジトに侵入する際、地面を穿うがって作ったCブロックの穴を思い出す。


あそこから上に向かうのは難しいだろうが、上から下に侵入することは可能だろう。


(じゃあ、信者たちはソシアにやられたのか?)


ユージンは死体を観察するが、どちらも同じように肉塊に変えられている。見た感じ、同じように鋭利な刃物で切断されているように思える。


(同じものにやられた?ってことはディミトリ派でもソシアの集団でもない…つまり、イレーネ派がここに攻め込んできている?…いや、それならあの場でエドヴァルトとルシアを撤退させる理由がないか…)


不穏な空気の通路を進むうちに3人は自然と無言になる。


ユージンは時折、「コード001」疑似「サーチ」を発動させ、3人は周囲を警戒しながらあたりを進んだ。


仮に運良くユージンたちがこの虐殺を行った何者かと遭遇しなかったとしても分かれたヴァルナたちが遭遇する可能性もある。


(分かれたのは失敗か?…いや、今のルッカとヴァルナたちを一緒にするわけにはいかないか)


「…」


ユージンは自分のポケットの中にちょこんと収まるルッカに目をやる。


先程の発言のことが気になって仕方がない。


(あれはまるで別人のようだった…)


別人といえば思い浮かぶのは彼女のもう一つの人格であるシエラだが、彼女はそれを否定し、自らをルッカと名乗った。


よく二重人格という言葉を聞くが、実際に人格が分かれた場合、人格が2人でとどまるケースは少ないらしい。


人格が分かれるというのは並大抵のストレスでは生じない。


主人格の対処能力を超える圧倒的なストレス、それを守るために別人格が生まれるのだ。


健康で常識的な精神では乗り越えられないようなストレスに立ち向かうために生まれた人格はどこかにひずみがある。


語弊ごへいを恐れず表現するならば、まとも・・・な精神では耐えられないストレスに立ち向かうために生まれた人格がまとも・・・でいられるわけがないからだ。


主人格は別人格を生み出す過程でストレスから心に大きな傷を負う。


当然、主人格は心のエネルギーが摩耗しきっており、表舞台に立てる時間は短くなる。


強いストレスの環境化では、別人格が主人格の代わりに長く表に立ってくれることは生存に役立つだろう。


しかし、そのストレス環境から開放されたらどうだろうか。


健全な精神を持つ主人格の心のエネルギーが回復しきっていなければ、別人格が表に立つ他ない。


だが、ひずみを持った別人格が社会に適応することは非常に難しい。


それは新しいストレスを生み、そのストレスに苦悩する主人格と別人格は新たな救世主人格を求める。


適応できない場面が多ければ多いほど、人格たちはその場面に適応するために人格は増え続ける。


まるで物語の世界のようだが、多重人格者は実際に存在するのだ。


しかもそれは他人事ではない。


多重人格者それは今、ユージンのポケットの中にいる。


再会を果たし、一緒にエドヴァルトやルシアと戦う途中までは確かにいつものルッカであったと思う。


彼女にもたらした変化はなんだったのか?


(人格は強いストレスに適応しようとすることで生まれる…)


信頼していたグラシアナに裏切られ、そのショックからシエラが生まれた。


そして彼女はユージンたちと別れてから、グラシアナと自分の里を襲ったヘレナを探し続けていた。


その彼女の目の前にようやくグラシアナが現れた。しかし、状況がルッカにグラシアナへの復讐を許さない。


復讐したくとも、肉体を失った今、仮初の身体ぬいぐるみではそれを果たすことができない。


それはルッカにとっても、シエラにとっても耐え難いストレスであった筈だ。


もし、そのストレスが、彼女が第3の人格を生み出すきっかけとなったとしたら…。


(いや…)


と、ユージンは首を振る。


彼女を第3の人格だと断定するのは早計だ。


タイミングは合致しているが、あくまでも可能性の1つでしかない。




「あ、ここだね、Bブロック」


沈黙を破ったのはシュネルだった。


目の前に巨大な円形の分厚い隔壁がそびえ立っている。隔壁には赤いインクのようにおびただしい血がべっとりとついていた。


隔壁の近くには他のブロック同様、操作端末が設置されている。


ユージンはポケットからグラシアナにもらったカードキーを取り出して赤く染まった端末に差し込む。


血が機械に入り込んで故障していないかを心配したが、どうやらその心配はなさそうだ。


まもなくして壁の中から機械が動く音がして、隔壁が中央から上下に開いていく。


それはまるで巨大な生き物が口を開く様子に似ていた。


「気をつけろよ」


と、ユージンが上がっていく隔壁を見ながらユージンの前に立つシュネルとポケットの中にいるルッカに注意を促す。


「ホールからここまで死体が続いている。にも関わらず、襲ったヤツと遭遇しなかった。隔壁に阻まれて別のルートを取ったかもしれないが…」


「この中にいる可能性もある、ってことだよね」


シュネルが頷く。


「こんな時、『狩人』の『チェイス』があれば敵の痕跡をたどれるんだけどね。シエラは覚えてないし」


「チェイス」は足跡や匂いなどから対象の痕跡をたどる「狩人」のスキルだ。


確かにそうしたスキルがあればこの先の予想もついたかもしれないが…。


ゆっくりとBブロックの隔壁が開き、3人の目の前に通路が現れる。


通路は他のブロックに比べて格段に狭い。


なぜなら左右にびっしりと配線が張り巡らされた巨大な機械が配置されているからだ。


機械を冷却する装置が働いているのか、通路は少し肌寒い。


機械からはジジジジジ…、と電気が流れるような音が僅かに聞こえてくる。


そして機械に圧迫された狭い通路を抜けると更に奥の部屋へと続く金属質のドアがあった。


そのドアはすでに開いており、奥からチカチカと光が見えた。




「ここは…」


それがなにを示しているのか瞬時に理解したユージンは思わず呟く。


奥の部屋に入ると巨大な空間一面に浮かぶ大小様々なモニターがあった。


モニターには厚みはなく、それがユージンの故郷、ギブラのICイマジナル・コンピューターを用いた投影技術によって空間に貼り付けられた光信号であることがわかる。


そのモニターには街の通りや、ギルド、飲み屋、宿の入り口、草原、山…色々な形式が映し出されていた。その中の大きな画面の一つには頭のないルッカの死体が映し出されている。


「…ドローンたちのモニタールーム」


つまり、ここはイチゴウやニゴウのような生物に似せた監視ドローンたちの撮影したデータが集約される場所だ。


ユージンたちがホールにいた時点では「コード001」疑似サーチにドローンの反応はなかった。ということは、ユージンたちがいなくなった後にドローンがホールにたどり着いたのだろう。


その時、モニターに気を取られて気づかなかった部屋の前方にある操作パネルと向かい合った回転椅子が不意に動いた。


油を差していない回転椅子はキィィィィ…と不快な音を立てながら回転し、椅子の主が姿を表す。


「「「!?」」」


そこにいたのはピンク色の髪をした20歳前後の年若いトントゥの男。


恐らくイチゴウ、ニゴウを操作していた張本人だろう。


だが、彼はなにも喋らない。


じわっ…


彼の腰から赤いインクがみ出る。


じわわわわ…


そのインクは一気に彼の服を赤く染め、


ドサッ…






彼の上半身が内臓とともにユージンたちへこうべを垂れるように崩れ落ちた。


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