第10話 マグロと鮭と「シャケ」


――― アマイア暦1329年葡萄の月9月29日 午後 ―――

        <レイル共和国 カドマ村>



オルロはボイルに言われた通り、マグロを購入するためにカドマ村におもむく。


グリフォンを倒したのはオルロだと勘違いしている村人たちは大喜びし、総出でオルロを出迎える。


「オルロさん!」


「本当にありがとう」


「アンタは俺たちの命の恩人だ」


「うちの娘を嫁にもらってはくれまいか」


「おい、アンタの娘、まだ3歳だろうが!…それよりうちの娘はどうだ?18歳でピチピチだぞ」


「なにか入用か?なんでもうちから持ってってくれ」


オルロは村人の熱烈な歓迎に戸惑いながら「あ…いや、だから俺じゃないんだけど」と何度も説明する。


「いや、俺は確かにアンタがグリフォンの頭を飛ばしたのを見たぞ」


「そうだそうだ」


「仮にそのボイル?さんが倒したとしても、私達はアンタに救われたのよ」


「細かいことはいいからいいから。とりあえずうちの娘を持っていってくれ」


「さり気なく娘をアピールするんじゃないよ!」


「英雄様はつつしみ深いのぅ」


そうじゃないんだ…と何度も説明するが、前回と同じループに入ったため、オルロは説明をとうとう諦める。


囲まれた村人の中で、「なにか入用か?」と聞いてきた商人に「実は…」とマグロを探していることを伝える。


「マグロ?マグロか…」


商人は腕を組んで「うーむ…」と考え込む。


「この辺、近くに海がないからな。あまり入荷できないんだが…。ちなみに何匹欲しい?」


「えっと…3~4匹は欲しいんですが…生じゃなくていい。燻製くんせいでも」


確かにここはラフス川の上流だ。西に丸2日程歩けば一応海はあるが、手に入れたマグロを生のまま腐らせずにここまで持ってくるのはなかなか難しい。


だが、商人は頷いて胸を叩く。


「わかった。恩人様の頼みとあらば、任せてくれ。1週間あれば必ず手に入れてくる」


オルロは商人に代金を渡そうとすると「恩人様から金は受け取れねぇ。これは村の皆の気持ちだ」と断られる。


それどころか、「それよりも装備がボロボロだな。うちで新調してやる」と村の鍛冶屋に声をかけられ、装備を一式用意してもらうことになった。




――― アマイア暦1329年紅葉の月10月6日 午後 ―――

     <レイル共和国 カドマ村付近 ラフス川>



約束の日、商人は馬車に大量のマグロの燻製マグロジャーキーを積んで現れた。


「海まで馬車で飛ばして西の漁村に行ってあるだけ買い占めてきた。移動しながら燻製くんせいにした。この時期、そのままでも4~5日くらいは持つはずだが、一応、応急草にくるんである。これなら2ヶ月くらいは持つだろう」


「ありがとうございます」


荷物を受け取り、オルロは商人に頭を下げる。


応急草は毒や麻痺など状態異常になった時に用いる薬草の1つだ。防腐効果があるとは聞いていたが、予想以上に持ちが良くなることに驚く。


商人は笑って首を振る。


「礼を言うのはこっちの方さ。アンタが駆けつけてくれなきゃ、この村は全滅だった」


「いや…だからそれは…」


「アンタが駆けつけていなきゃ、少なくとも俺はあのグリフォンに食い殺されて、死んでいた。俺はあの広場にいた1人だからな」


「…ッ!?」


オルロは弾かれたように商人の顔を見つめた。


無知故に無策でグリフォンを倒し、結果、グリフォン群れを引き寄せてしまったことを悔やみ、唇を噛む。


あれから何度も何度も自分の選択を後悔していた。


「あの場にはアンタを責めたヤツもいたが、アンタは命がけでできることをやってくれた。俺は英雄様を直接おがんでいないが、アンタが時間を稼いでくれた結果、英雄様が間に合って助けてくれたって話だろ?ならば少なくともアンタは俺の命の恩人だ」


「…!!」


商人はオルロの胸に拳をぐっと押し当てる。


「またこの村に立ち寄ってくれ。その時は美味いものをご馳走ちそうするよ」


「ええ…。ありがとうございます」


オルロは目頭が熱くなるのを感じ、顔を伏せる。


商人はそれを見て微笑んだ。






――― アマイア暦1329年紅葉の月10月6日 午後 ―――

     <レイル共和国 カドマ村付近 ラフス川>



「師匠」


オルロは大量のマグロジャーキーが詰まった革袋を背負い、ボイルと待ち合わせていた場所へとたどり着く。


「ふむ…マグロは手に入ったかね?」


ボイルは川でのんびりと釣りをしていた。


川の中に石で囲った簡易の生けがあったが、中には1匹も魚は入っていない。


この1週間は時々、ふっとオルロの目の前から消えることがあったが、基本的には釣りをしている様子しか見ていない。


そして彼が魚を釣り上げた様子も目にしたことがなかった。


「今日もボウズですか?」と聞きたい気持ちを抑えて、オルロは聞かれたことに返事をする。


「はい。言われた通り燻製くんせいにしてもらったものをこの袋一杯に。でもこんなものを何に使うんです?」


「シャケを釣る」


「…は?」


ボイルは口髭を触り、「なに、今にわかる」と先日と同じセリフを言ってニヤリと笑った。






――― アマイア暦1329年紅葉の月10月11日 午前 ―――

       <レイル共和国 ウルグニ山 洞窟>



マグロジャーキーを手に入れた後、ボイルとオルロはラフス川に沿って北上し、ウルグニ山へとたどり着いた。


このウルグニ山の頂上には、先日カドマ村を襲ったグリフォンの巣がある。


グリフォンは滅多なことでは人里には下りてこない筈だが、今回はなんらかの原因で餌が不足し、村を襲ったのだろうか。



…ということはこのマグロジャーキーはグリフォンの腹を満たすための?いやいや…師匠は「シャケを釣る」と言っていた。目的はグリフォンではないのか?


オルロは頭の中でグリフォンとの嫌な思い出が浮かぶが、それを慌ててかき消す。




「ふむ…そろそろか」


これまで2人はラフス川に沿って登ってきたが、ここにきて川が二股に分かれていた。


ボイルはキョロキョロと左右を見回す。


「?」


オルロはボイルの行動の意図が読めず、一体自分はこれからどんな修行をさせられるのか、と思いを巡らす。


前回はハエと食人植物…おまけにヒルまでセットだった。


今回もヤバい魔物か魔獣が相手なのは間違いない。


「時にオルロ、君はシャケの産卵がどういうものか知っているかね?」


さけ、ですか?」


ボイルの唐突な質問にオルロは首を傾げる。


「確か、鮭って川で生まれてから海に出る魚ですよね。で、海で成長した後、産卵の時期になると川を登って産卵する」


ボイルは「ふむ、正解だ」と頷く。


「港育ちでもないのに博学なことだ。マグロといい、魚のことをよく知っているな。…実は君は魚好きか?」


「まあ…ネゴルにも港はありますし。マグロや鮭は見たことはあります。…この鮭の話はルキニンの近くの漁港で、漁師のおっさんから聞いた話ですけど」


記憶を求め、色々なところを旅している過程で増えた知識の一つだ。


知りたいことを聞くためには、人と仲良くなってからの方が良い。


情報は正確だし、親身になって教えてくれる。


―――結局、オルロの記憶に関することはなにも収穫はなかったが…。


「では、さらに質問だ。なぜシャケはわざわざ川から海へ下るのか?」


「うーん…海のほうが沢山飯があるから、でしょうか?」


ボイルは「正解だ」と頷く。


「ではなぜそれなら川で産卵するのだ?海で生活した方が良いだろう」


「さあ?…川の方が、鮭にとって外敵が少ないからじゃないんですか?」


「…君はの専門家かなにかかね?」


ボイルはよどみなく答える弟子に苦笑する。


「一般的なならばその答えで間違いはない。だがシャケ・・・は違う」


オルロはそこでボイルが意図的に「鮭」と「シャケ」を使い分けていたことに気づく。


「シャケが山を登るのは「山がそこにあるから」だ。彼らは海ではエネルギーが発散しきれず、陸に上がって・・・・・・全力で山頂まで駆け上がる」


「は?」


オルロはボイルが自分の想像していた生き物とは全く別の生き物のことを話していることに気づき、目を点にする。


なに?陸に上がって山頂まで駆け上がる、って…。


まるで川の水を登るのではないような言い方だ。


「師匠、それってどういう…?」


王様鮭キング・シャケという魔物がいる。君が以前、オハイ湖で目にした紳士バードのような伝説上の生き物だ。いわゆる「幻獣」にカテゴライズされる」


王様鮭キング・シャケ…」


オルロはその響きに懐かしさを覚えた。どこかで耳にしたことがあるような、ないような…。


「彼らは産卵の時期になると、一斉に川の下流に集まり、上流を目指して「駆けっこ」を始めるのだ」


「なぜです?」


ボイルはチッチッチッ、と舌を鳴らしながら指を振る。


「…オルロ。紳士しんしが頑張る理由は単純明快だ。上流に魅力的な女性がいるから。他に理由があるかね?」


「つまり、つがいを捕まえるために「駆けっこ」をするということですか?」


「そうとも」とボイルは頷く。


「文字通り「速いもの勝ち」、だ。上流には女王鮭クイーン・シャケが待ち構えている。だが、女王鮭クイーン・シャケは数が少なく、大変気位が高い。自分に釣り合う紳士以外は認めないのさ」


「…なるほど」


オルロは頷く。自然界において、雄は羽の色や身体の大きさ、ダンスの上手さや鳴き声の綺麗さ、様々なもので競い合う。


「シャケ」にとってはその競うものが足の速さだった、ということか。


いつの世も優秀な遺伝子だけが生き残る。…世知辛い世の中だ。


「…つまり、俺たちはその王様鮭キング・シャケ女王鮭クイーン・シャケを探しているわけですね?」


「いや、確かに本来、彼らの産卵シーズンはこれからだが…。実は今年はつい先日終わってしまった」


ボイルは首を横に振った。


「は?…え?」


「我々がマグロを用意している間の一瞬だった。もう今年のレースは終了している」


どうやらオルロがマグロを手配していた間に今年の王様鮭キング・シャケによる「駆けっこ」は終わってしまったらしい。


「え?じゃあ俺たちはなんのためにこれを担いでここに?」


オルロは自分が間抜けな顔をしているのを自覚しながら担いでいる革袋を指差した。


「大丈夫だ。この時期であればまだ間に合う」


「? どういう…」


「シッ」


ボイルはなにかに気づいたのか、オルロが口を開くのを制止する。


「…………オルロ、マグロジャーキーを出してくれたまえ。できるだけ早く、だ」


ボイルは小声でオルロにマグロジャーキーを出すように指示する。


オルロは頷いて即座にマグロジャーキーを取り出した。


オルロがそれをボイルに渡そうとした時、その手にぬるっとしたものが触れた。


「?」


オルロのマグロジャーキーをボイルのものではない人間のような手が握っていた。


「シャケ…」


その生き物・・・・・は申し訳無さそうに鳴き、そしてぐいぐいとマグロジャーキーを引っ張る。


「!?!?!?」


オルロはぎょっとした顔をする。


目の前にいるのは鮭…………ではない。


全長2mくらいある巨大な鮭に筋骨隆々の人間の手足のついた生き物だった。


「釣れた!オルロ、マグロジャーキーから手を離すな!」


ボイルはそう叫ぶと、次の瞬間、その奇妙な生き物を脇に抱えていた。




「!?」


突然、小柄な卵人間に身体を拘束されたその生き物は驚いてビチビチ、と身体を振って抵抗する。


しかし、ボイルはその身体をしっかりと掴んで離さなかった。


「オルロ、君に釣りの才能があって良かった。大物が釣れた」


ボイルは嬉しそうに笑う。




「はぐれ王様鮭キング・シャケだ」

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